一時は敗れた武田軍
武田に寝返った上州の小幡藩と共に夜陰に乗じ再び攻撃を掛けて来るのでした
「皆の者、業政は一筋縄ではいかない武将なり 心して掛かれー」



一方、長野軍の剣の達人、上泉伊勢守信綱、藤井豊後守は先頭に立ち剣を振るいます

此処は、かかあ天下の上州 「女とて負けてはおれん、えーやっ!」

少女A 「あれ! 転んじゃった」
少女B 「本当だ お姉ちゃん、やるじゃん!」
ちょちょちょちょっとお二人さん、笑っちゃ駄目でしょ、もっと真剣なお顔でやらないと





お命 頂戴

以下、凄まじい死闘の数々をご覧ください







そして



この戦も武田軍は長野軍には勝てませんでした
時は廻り業政も病には勝てず50代(多分)でこの世を去ります
其れを知った武田信玄がこのチャンスを逃すはずが有りません
直ぐに兵を箕輪城に向けました
(長野業盛、武田勝頼 両者の初陣でした)
業政亡き後の業盛は自ら城門を開け果敢に打って敵を倒します
一方、藤井豊後守は椿砦で勝頼に馬乗りになり首を跳ねんとした時
敵の甘利春吉の槍の一撃に会い無念にも命を失いました
戦況は思わしくなく業盛は「これまで」と覚悟を決め
業政の位牌が祀られる持仏堂で自害したのでした
この時の時世の句が
春風に梅も桜も散り果てて名のみぞ残る箕輪の山里 だったのです
藤鶴姫は今も残る霊置山で自害
その血が榛名のツツジを今でも真っ赤に染めているのだとか
江戸時代になり箕輪城は和田城(高崎城)に移されたため
名残として西明屋、東明屋と言う地名が今に残されております
終わり
