麻芋の滝を後にオシドリの飛翔地で知られる碓氷湖へ向かいました(滝から車で10分位)
運が良ければクマタカを観る事も出来るかもしれません
着いた途端に「これは無理だ」・・・と
湖は見事に結氷していたのです
毎年、60羽近くが此処で越冬する様です
攻めて影だけでも見られないかと目を凝らしますが動くものなど何も無く
湖面を陽光に反射させながら静まり返るばかりでした
3月か11月にもう一度、来るしかなさそうと思いながら空を仰げば見事な積乱雲
今日は風も無く非常に暖かな日でした
もう一つの妙義湖はどうだろう
状況に変わりはないでしょうが確かめずにはいられなく・・・
荒々しい妙義の北面を眺めながら下ればそこは宿場で栄えた坂本の町
ここは30代~40代に掛けて河合楽器の依頼で琴の出稽古に通った勝手知ったる町です
出稽古に来ていた時には気が付きませんでしたが
当時を偲ばせる建物が幾つか目につきました
写真の建物は「かぎや」さん、丁度通りがかった80歳位の男性の説明によりますと
370年前、高崎藩納戸役鍵番をしていた武井家の先祖が坂本に移住し
旅籠を営むにあたり役職に因んで屋号を「かぎや」と名付けたという事でした
佐藤本陣跡(上の本陣)
金井本陣跡(下の本陣)
坂本宿に二軒の本陣が必要だったのは碓氷峠を控えた場所の為
多くの諸大名は此処を一息つぐ為の宿としていた様です
仁徳天皇の第八皇女・和宮様が宿泊された宿が金井本陣
宿泊された折に読まれた「都出て幾日きにけん東路や思えば長き旅の行くすえ」
この句は今も松井田の教育委員会に残されています
坂本を過ぎ、さて妙義湖に向かう途中、坂道に差し掛かった所でアイスバーンにはまり
道路幅も狭くどうにもこうにも身動きできない状態になってしまいました
スタットレスタイやは空回りするばかり
ポツンと建っていた家でシャベルを借りましたが硬い氷は歯が立たずでした
それでも一時間ばかり格闘し何とか無事に脱出
タイヤチェーンが有っても駄目だったかもしれません
と言う事で妙義湖は諦め峠の釜めしを購入し家路へと向かいました
何よりも車が無傷で良かった!
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