「入山時の記録は省略していきなりトーミの頭からの山行記です」
メンバー(寺さん、寺さんのご両親、寺さんの友人、私の5名。 雄さんは提出しなくてはならない書類を仕上げなくてはならないため不参加)
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一登りで槍が鞘を踏みトーミの頭へ歩を進める。眼下に湯の平の草原を従えた前掛山がグッと迫り皆、大歓声。黒斑山頂にたくさんの登山者がひしめき合っているのが良く見える。
右側に切り立った細く長い稜線を辿ると賑やかな声が下りて来た。端によけるが待っても待っても長蛇の列は途切れる事が無い。人数を聞いたら150名という小学6年生の団体だった。その一人一人が挨拶をして通り過ぎるのだからたまらない。静寂の世界からまるで歩行者天国に巻き込まれた感じである。一団の明るい喧噪が遠のくころ私達は漸く黒斑山に到着した。
(略)
今日は火山活動が活発なのか噴煙の量が何時もより多い様だ。隣にいた登山者が「仲間に浅間博士がいるから知りたい事が有ったら聞くといい」と言っていた。夏の湯の平のお花畑は素晴らしいそうである。「これ何だか判りますか?」と言って私の手のひらに二粒の実を乗せた。此処にしかないと言う紫色の小さな浅間葡萄との事で口に含むと甘酸っぱさが口中に広がった。
浅間山
今回は寺さんにリーダー経験をと言う事で全行程を彼女に任せた。「Jバンドまで行って湯の平に降りるには時間が足らないし蛇骨岳で寛いでいる登山者を見ればやはり行きたいし・・・でも、諦める勇気も必要なんですよね・・・」とモゴモゴ。「そうね、蛇骨岳は割愛した方が良いかもね」とだけアドバイス。暫く考えていた彼女は「Jバンドは諦め草滑り~湯の平~浅間山荘に向かいます」。気持ちは決まった様だ。
いよいよ草滑りの急坂、枯草の細い道をジグザグに下って行くと、みるみる高度は下がっていく。想像以上の急坂で立ち止まって仰ぐ稜線は大して時間の経過も無い内に首が痛くなるほどの高さになった。
「たかさんに教えて頂いた下り方はとても参考になります、膝に負担が来ないのです」と寺さん。
その時である。寺さんのお母さんが足を踏み外し斜面を転がり落ちてしまった。みな呆然と立ち尽くし私は落ちてくる下まで走って行くのが精一杯。5・6回転しただろうか、草の斜面だったので事なきを得たが身震いの一瞬であった。
が、その後に見たたった一輪の紫の花、岩の上からジッとこちらを見つめる2頭のカモシカの思いがけない出会いが先ほどのアクシデントによる後遺症を拭い去ってくれた。
このあと露岩の下りに時間を浪費したが、やがて勾配も緩み危険地帯を脱し上から眺めた草原に降り立った。夏にはたくさんの花が見られるので是非、歩いて下さいと言っていたところだ。既に秋が立ち去りかけているのか今年の紅葉が悪いのか今は味気のない草が寂しく風にそよぐのみ。
だが霧が流れるとそんな景色も恐い程の静けさに包まれ夢幻の世界へと変わる。俄か詩人になった様な気分で歩を進めふと振り返ったとき思わずハットする様な景色を得た。
峨々たる山容は西洋的でも有り日本的でも有り力強さと優しさがミックスされた、それはそれは目を奪う程の雄大で素晴らしい景観だったのだ。見とれていると又、左から霧が押し寄せてきた。(略)
「右、浅間山荘 左、湯の平」の標識までやって来た。蛇堀川に沿う山道は深い静寂に包まれ寂しさが漂う谷だった。やがて視界が開け賽の河原に出る。水は赤く濁り微かな硫黄臭もして生物がいる気配は無い。リンドウは茶色く枯れ一輪のイワインチンだけが季節の流れに逆らって健気に咲いているだけだった。
踏み跡が判然としなくなったので見当をつけて進むと浅間山からの道と合流してホッと肩をなでおろす。そこからは平凡になった道をひたすら足を運んだ。傾斜は緩いが長い下りに飽き飽きした頃、やっと二ノ鳥居に辿り着いた。寺さんのコースタイムだと、もうそろそろ浅間山荘に着いても良い頃なのに・・・
この分だと山荘に到着するのは日没との競争になりそうだ。皆の心に少しづつ余裕が失われてきた。これではいけないと私は休憩を要求、持参した羊羹を分け合い一息ついた。
この後またしてもアクシデント。寺さんのお母さんが林道に張り出した太い幹に額を打ち転倒。しかもちょうど当たった場所に小枝が突き出ていて後で寺さんに聞いた所によると家に返っても未だ陥没(!)したままだったと言う事だった。
ここらで変化の一つも欲しいところ。瀬音を聞きながら高度を下げて行くと林道脇に見事なまでに紅葉した1本のカエデ。黄葉の中を歩きたいと言う事でこの道を選んだ寺さんの望みは叶えられなかったが少し先では、ちょっと遠かったが黄・朱・赤・緑ととりどりの色で山肌を染める光景に出くわせたのはせめてもの救いだった。
先が読めないと言う事は人間を不安にする。寺さんのお母さんの足の運びから「ちょっと休もう」と言っても「時間が遅くなるから」と休む気持ちは全くない。やはり焦っている。後から付いていく者は迷惑を掛けてはならないと無理をして懸命に付こうとするものだ。それが一層、疲れを呼ぶ。“リーダーは全体を把握しなければいけない”・・・口にはしなかったが、これは今後の彼女の課題になりそうだ。コースタイムを大幅にオーバーして日没と同時に山荘に辿り着いた。もう一つのアクシデント、車のキーの問題が発生。(略)
家へ帰り波乱含みだった朝からの出来事を雄さんに話している内、緊張が解けたか私は炬燵でそのまま寝てしまった。2日後の10月20日、浅間山初冠雪のニュースが流れた。