まりはな屋

地方都市で、清貧生活  

もしも神様がいるのなら

2002年10月20日 20時51分00秒 | 日々雑感
わたしは宗教とは無縁で生きてきた。

お墓参りには行くが自分の家の宗派も知らない。

元旦にはお賽銭を入れて「いいことがありますように」と祈る。

不遜な言い方だが、新興宗教に夢中になれる人を幸せだと思うときがある。

誘われてもその気にはなれないし、わたしは人を信用することがあまりない。

辛いことがあっても「何か」や「誰か」にすがることが出来ない。

こんなわたしだが、時折り「神様はいるのだろうか」と考えるときがある。

それは、小さな子供が不治の病に苦しんでいたり事故で亡くなったり・・・

という様子を見たときなどに沸き起こる疑問だ。

もし何かの神様がいるのなら、どうして罪もない人々を、辛く悲しい目に遭わせたりするのだろう?

『現世で辛い目に遭えばそれだけ徳を積み、神に近づける』という考え方の宗教があるそうだ。

正直、そんなのいやだな、と思う。

『あの世』で楽しく暮らすために『この世』で辛い目に遭うなんて。

自分が辛い目に遭ったときに考えるのが

「これには何か意味があるのだろうか」 ということ。

「こんな悲しい思いをする為に生まれてきたのか」 とも。

「この体験はのちのわたしの人生の布石なのか」 とか。

『運命』というものも考えてしまう。

この言葉には悲壮感がつきまとう。

「過酷な運命」とか「運命を受け入れる」とか。

「運命の出会い」なんてときめきもあるけれど。

一体、運命なんて決まっているものなのか。

詐欺師になる運命、事故で死ぬ運命、離婚する運命・・・

それは運命なのだろうか。

運命よりもわたしは「人間万事塞翁が馬」という言葉の方が人生には合っていると思う。

些細なことがもつれて、ほぐれて、また絡まり、あらゆる方向に進んでいく。

そこにあるのは「運命」ではなく「運」と「偶然」ではないだろうか。

それでもわたしは神様がいない、と言い切ることが出来ない。

何の宗教でもないわたしの神様がどこかにいて、奇跡は起こしてくれなくても

駄目になりそうなわたしの気持ちを、ちょっとだけ楽にしてくれるのではないか・・・

そんなことを期待しているのだ。