まりはな屋

地方都市で、清貧生活  

今日の短・歌

2002年12月17日 20時40分00秒 | 57577または575
「終止符というものが目に見えたなら あきらめもつくのだろうか」
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迷信

2002年12月17日 00時16分00秒 | 日々雑感
夜に足の指の爪を切ることがある。

切りたくないが、足の指の爪が伸びているのに気付くのは大抵、夜だ。

最初に気付いたときは明日、切ろうと思ってやめておく。

でも次の日になったら忘れている。

次に気が付いたときは相当に伸びている。もう切らねばならない。

ただでさえわたしは足の指が長いので靴下に穴が開きやすいのだ。

で、罪悪感を抱きながら夜、爪を切る。

信じてないのに『親の死に目に遭えないかもな』と考える。

しかし、と考え直す。親の死に目に遭いたいか?

「死に目」と言うからにはもうすぐ死ぬ状態なんでしょう?

意識なんてもうないであろう、死に向かっている親を見続けたいか?

否、である。

よく、芸能人を「親の死に目にも遭えない因果な商売」みたいに言うけど逆じゃないのかな。

意識があるならば最後のお別れを、というのも考えられるがそれだって辛い。

それよりなによりやっぱり死に行く様を見守るのは辛い。

安らかになった顔と対面する方が精神的にはいいような気もする。

死に目に遭うよりも生きているうちに出来るだけ会っておく方がいいんじゃないかしら。

だっていくら死に目に遭えたってそれが三年振りの再会では仕方ないだろうから

。遠い所に住んでいるとか色々な事情はあるだろうけど

会えないのならばまめに連絡を取ったほうがいいと思う。

死に目に遭えなくても後悔したりしないくらいに。
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