映画『ホビット 思いがけない冒険』予告編
ようやく見られました!!ホビッツ!
いやぁ、上映時間が長いせいか、上映回数が少なくてさらに2Dなんて一日一回しか上映ないんだよ。
って、2Dで見ました(笑)2Dでも、十分OKだと思うよ。
3Dメガネの違和感で、作品鑑賞力が削がれる方がよっぽど辛いですからね。
ってわけで、上映時間は3時間!!
で、まあ「指輪物語」の前日談で、原作は子供向け要素が強い冒険ファンダジーであり、指輪物語を三作化したのは正しいと思うが、それと比較すると内容的にはかなり少ない(指輪は同時多発の重層型なんだが、ホビッツは単発、という意味でね)「ホビット」を三部作にまでするのは、ちょっと水増しすぎてないかな?と、少々心配してましたが、いやぁ、大丈夫、良かったです。
ありがとー、ピーター・ジャクソンっ!(←監督)
最初、ピータージャクソンは監督やらんで制作の方だって、聞いて、監督はデル・トロ(ヘル・ボーイとかの監督)で、それはそれで期待していたのですが、結局戻ってピーター・ジャクソンに戻ったわけですが、うーむ、見事に「ロード・オブ・ザ・リング」世界の再現に成功してますね〜。
もう、10年近く前の作品になるんだけど、なんか古びてないっていうか、これが古典の力というか、「本物」の持つ輝きか、という印象でした。
私は、「指輪物語」の原作を初めて読んだのは小学生の時でして、いや〜、一応全部読んだけど、わからんかった当時は。
その後、学生時代にももう一回読み通しているけど、その時も今思うと全く判っていなかった。
で、特に期待もせずに、その頃は公開されてる映画は一通り見る、という感じで「ロード・オブ・ザ・リング」の一作目を普通〜に見た・・・
ら、いや〜、あの時の衝撃は忘れませんねぇ〜。
映画史を勉強していると、必ず「歴史に名を残す作品」というヤツが出てきますが、まさか自分がリアルタイムでその「歴史に名を残す作品」を見る機会がやってくるとはっ!!と、いう衝撃です。
そーいうのは、人に過去の話を聞いたりとか、本で読んだりとか、知ったうえで今度は自分も見てみる的なモノだと思ってたんです
その後10年近く経過した現在も、その衝撃には今のところ、二度とお目にかかっておりません。
そりゃ、いい映画、面白かった映画、とかは沢山あるけど、そこまでの「衝撃」をうけた映画はなかったです。
で、その後改めてもう一度、原作に挑戦してみましたら、今度はよくわかったよ、ありがとう、PJっ!!(←ピーター・ジャクソン)と思いましたよ、当時。
その後、「ホビッツの冒険」を始めとするトールキンの著作はだいたい読んだかな?
まだ、邦訳されてないのは読んでないけどさ〜。
で、今回の「ホビットの冒険」ネタバレあるかもしれないのでご注意を。
全体的な雰囲気としては、三部作の一作目という共通点があるからかどうかわからんが、「ロード・・・」の一作目の「旅の仲間」と似てるねぇ〜。
それにしても、よくあんだけホビット庄再現できたねぇ〜、お見事お見事!!
旅の途中の光景も、「あー、あのシーンのあの場所みたいっ!!」というのが多数ありましたよ。
いやぁ、懐かしい・・・という感じです。
フロドも冒頭ちょこっと出てくるのですが・・・
イライジャ・ウッド恐るべしっ!!
10年たってもあのフロドのままですかっ!!(爆)
いやぁ、だいたい、子役が成長すると、特に男の子の場合って特に、天使的容貌の美少年って成長すると顔かなり変わって崩れちゃう子が多いのですが(子役の女の子は美少女が順調に美女に成長する率が高し)イライジャ・ウッドは数少ない例外の人だと思ってましたが、その後10年たっても通じるとは・・・恐るべしっ!!(爆)
また、ビルボの若かりし時代が、なんかフロドっていうよりもピピン系だなぁ、と思ったが、よくよく考えたらビルボやフロドのバギンズ家とピピンのトゥック家って親戚筋だったねぇ〜、従兄弟あたりの関係。
ならば十分にそれもありか。
ガラドリエル様とかエルロンドは、やや若い印象ですが、これは前日談だから若いのも当然なのですがねぇ、あ、ケレボルン卿はやはり出なかった(泣)
さらに、クリストファー・リーっ!!よ、よかったね(感涙)
で、彼演じるサルマンは、まだ白のサルマンであって、悪役の位置ではない頃なのですね、この映画では。
その彼が、「ロード・・・」では悪役となってしまった、その理由の一旦がこの「ホビット・・・」から推測されるのですが、その理由はおそらく、ボロミアや彼の父親のデネソールが指輪の魔力に犯されてしまったのと同じ理由・・・
自分の大切なモノ、それは特定の人だったり集団だったり、国だったり世界だったり・・・
それを守りたかったのが彼らの共通の想い。
それを守るためには、力が強さが必要だった、と思った時に、その強さを得るためには弱さを捨てる、克服せねばならない、っていうのが彼らの考え方の基本だと思う。
それに対して、ホビットやガンダルフは、自分の弱さを捨てて強さを得るのではなく、自分の弱さを認めてそれに向かい合い、捨てるのではなくそれを取り込む事、それを深い思慮や他の存在に対する思いやり、配慮、分かり合い、助け合うという方法を視野に入れていく事、そのあたりにあると思います。
で、指輪の力は、前者の人々を誘惑するためには実に有効なんだな。
ボロミアもデネソールも、「ゴンドールを、ゴンドールの人々を守る、守りたい」と思う気持ちから、故に強大な力に立ち向かうために自分も力を必要とする、それを得るためには指輪が必要だ、という方向に思考を向けられて誘惑に堕ちたわけでしてね〜。
決して、私利私欲のためじゃないんですよ、元の本心が、っていうのが指輪の力の恐ろしく狡猾なところなんですが。
サルマンの場合は、それが中つ国全体に向かい、偉大なる白の魔法使いとしてこの世界を導き守る役目を自負していた、が故に、小さな綻びがあっても認められない、認めたくないという意識が働き(このあたりは官僚主義的にも通じると思うが)見たくない、という無意識の力から、自分の格下(と立場上はなってる)ガンダルフの意見を聞けなくなっているんだろう、と思います。
トールキンが、この「ホビットの冒険」を書いた時代は、確か第一次世界大戦が集結したものの、欧州ではあちこちに不穏な動きがあり、ドイツではナチスが台頭しつつあり、という時代だったと思います。
列強は、自分たちの国の利益利権を求め、力の理論を展開していた、軍事力増強、そういう時代にあって、「自分の弱さを知り、それを否定するのではなく受け入れる事で開ける道がある」という思想を展開したトールキンは、先見の明があるっていうのか、現代的であったと思います。
まぁ、現代でも彼の思想が通じない人々もいますがね、残念ながら。
トールキンの彼なりの、時代や世間に対する意思表示、対抗であったのかもしれませんね、架空の世界の物語の姿を借りた・・・
と、まぁわりと物語的には「古い」タイプの話なので、このホビット映画から初めて中つ国に入った人にはどうかはよく判りませんが、「ロード・・・」の映画があの世界観が気に入ってる人ならこの映画は十分OKだと思います。
あ、なんと字幕が戸田奈津子女史じゃなかでしたよっ!!!
多分、戸田女史の方がやりたくなかったんじゃないかな?っていう気もしましたが(爆)
いや〜、よく当時、あのヘボヘボ字幕でもこの作品の本質を察する事ができて、「衝撃」を得られて、偉かったなぁ、自分っ!と、新たに自己満足に浸ったりして(爆)
ようやく見られました!!ホビッツ!
いやぁ、上映時間が長いせいか、上映回数が少なくてさらに2Dなんて一日一回しか上映ないんだよ。
って、2Dで見ました(笑)2Dでも、十分OKだと思うよ。
3Dメガネの違和感で、作品鑑賞力が削がれる方がよっぽど辛いですからね。
ってわけで、上映時間は3時間!!
で、まあ「指輪物語」の前日談で、原作は子供向け要素が強い冒険ファンダジーであり、指輪物語を三作化したのは正しいと思うが、それと比較すると内容的にはかなり少ない(指輪は同時多発の重層型なんだが、ホビッツは単発、という意味でね)「ホビット」を三部作にまでするのは、ちょっと水増しすぎてないかな?と、少々心配してましたが、いやぁ、大丈夫、良かったです。
ありがとー、ピーター・ジャクソンっ!(←監督)
最初、ピータージャクソンは監督やらんで制作の方だって、聞いて、監督はデル・トロ(ヘル・ボーイとかの監督)で、それはそれで期待していたのですが、結局戻ってピーター・ジャクソンに戻ったわけですが、うーむ、見事に「ロード・オブ・ザ・リング」世界の再現に成功してますね〜。
もう、10年近く前の作品になるんだけど、なんか古びてないっていうか、これが古典の力というか、「本物」の持つ輝きか、という印象でした。
私は、「指輪物語」の原作を初めて読んだのは小学生の時でして、いや〜、一応全部読んだけど、わからんかった当時は。
その後、学生時代にももう一回読み通しているけど、その時も今思うと全く判っていなかった。
で、特に期待もせずに、その頃は公開されてる映画は一通り見る、という感じで「ロード・オブ・ザ・リング」の一作目を普通〜に見た・・・
ら、いや〜、あの時の衝撃は忘れませんねぇ〜。
映画史を勉強していると、必ず「歴史に名を残す作品」というヤツが出てきますが、まさか自分がリアルタイムでその「歴史に名を残す作品」を見る機会がやってくるとはっ!!と、いう衝撃です。
そーいうのは、人に過去の話を聞いたりとか、本で読んだりとか、知ったうえで今度は自分も見てみる的なモノだと思ってたんです
その後10年近く経過した現在も、その衝撃には今のところ、二度とお目にかかっておりません。
そりゃ、いい映画、面白かった映画、とかは沢山あるけど、そこまでの「衝撃」をうけた映画はなかったです。
で、その後改めてもう一度、原作に挑戦してみましたら、今度はよくわかったよ、ありがとう、PJっ!!(←ピーター・ジャクソン)と思いましたよ、当時。
その後、「ホビッツの冒険」を始めとするトールキンの著作はだいたい読んだかな?
まだ、邦訳されてないのは読んでないけどさ〜。
で、今回の「ホビットの冒険」ネタバレあるかもしれないのでご注意を。
全体的な雰囲気としては、三部作の一作目という共通点があるからかどうかわからんが、「ロード・・・」の一作目の「旅の仲間」と似てるねぇ〜。
それにしても、よくあんだけホビット庄再現できたねぇ〜、お見事お見事!!
旅の途中の光景も、「あー、あのシーンのあの場所みたいっ!!」というのが多数ありましたよ。
いやぁ、懐かしい・・・という感じです。
フロドも冒頭ちょこっと出てくるのですが・・・
イライジャ・ウッド恐るべしっ!!
10年たってもあのフロドのままですかっ!!(爆)
いやぁ、だいたい、子役が成長すると、特に男の子の場合って特に、天使的容貌の美少年って成長すると顔かなり変わって崩れちゃう子が多いのですが(子役の女の子は美少女が順調に美女に成長する率が高し)イライジャ・ウッドは数少ない例外の人だと思ってましたが、その後10年たっても通じるとは・・・恐るべしっ!!(爆)
また、ビルボの若かりし時代が、なんかフロドっていうよりもピピン系だなぁ、と思ったが、よくよく考えたらビルボやフロドのバギンズ家とピピンのトゥック家って親戚筋だったねぇ〜、従兄弟あたりの関係。
ならば十分にそれもありか。
ガラドリエル様とかエルロンドは、やや若い印象ですが、これは前日談だから若いのも当然なのですがねぇ、あ、ケレボルン卿はやはり出なかった(泣)
さらに、クリストファー・リーっ!!よ、よかったね(感涙)
で、彼演じるサルマンは、まだ白のサルマンであって、悪役の位置ではない頃なのですね、この映画では。
その彼が、「ロード・・・」では悪役となってしまった、その理由の一旦がこの「ホビット・・・」から推測されるのですが、その理由はおそらく、ボロミアや彼の父親のデネソールが指輪の魔力に犯されてしまったのと同じ理由・・・
自分の大切なモノ、それは特定の人だったり集団だったり、国だったり世界だったり・・・
それを守りたかったのが彼らの共通の想い。
それを守るためには、力が強さが必要だった、と思った時に、その強さを得るためには弱さを捨てる、克服せねばならない、っていうのが彼らの考え方の基本だと思う。
それに対して、ホビットやガンダルフは、自分の弱さを捨てて強さを得るのではなく、自分の弱さを認めてそれに向かい合い、捨てるのではなくそれを取り込む事、それを深い思慮や他の存在に対する思いやり、配慮、分かり合い、助け合うという方法を視野に入れていく事、そのあたりにあると思います。
で、指輪の力は、前者の人々を誘惑するためには実に有効なんだな。
ボロミアもデネソールも、「ゴンドールを、ゴンドールの人々を守る、守りたい」と思う気持ちから、故に強大な力に立ち向かうために自分も力を必要とする、それを得るためには指輪が必要だ、という方向に思考を向けられて誘惑に堕ちたわけでしてね〜。
決して、私利私欲のためじゃないんですよ、元の本心が、っていうのが指輪の力の恐ろしく狡猾なところなんですが。
サルマンの場合は、それが中つ国全体に向かい、偉大なる白の魔法使いとしてこの世界を導き守る役目を自負していた、が故に、小さな綻びがあっても認められない、認めたくないという意識が働き(このあたりは官僚主義的にも通じると思うが)見たくない、という無意識の力から、自分の格下(と立場上はなってる)ガンダルフの意見を聞けなくなっているんだろう、と思います。
トールキンが、この「ホビットの冒険」を書いた時代は、確か第一次世界大戦が集結したものの、欧州ではあちこちに不穏な動きがあり、ドイツではナチスが台頭しつつあり、という時代だったと思います。
列強は、自分たちの国の利益利権を求め、力の理論を展開していた、軍事力増強、そういう時代にあって、「自分の弱さを知り、それを否定するのではなく受け入れる事で開ける道がある」という思想を展開したトールキンは、先見の明があるっていうのか、現代的であったと思います。
まぁ、現代でも彼の思想が通じない人々もいますがね、残念ながら。
トールキンの彼なりの、時代や世間に対する意思表示、対抗であったのかもしれませんね、架空の世界の物語の姿を借りた・・・
と、まぁわりと物語的には「古い」タイプの話なので、このホビット映画から初めて中つ国に入った人にはどうかはよく判りませんが、「ロード・・・」の映画があの世界観が気に入ってる人ならこの映画は十分OKだと思います。
あ、なんと字幕が戸田奈津子女史じゃなかでしたよっ!!!
多分、戸田女史の方がやりたくなかったんじゃないかな?っていう気もしましたが(爆)
いや〜、よく当時、あのヘボヘボ字幕でもこの作品の本質を察する事ができて、「衝撃」を得られて、偉かったなぁ、自分っ!と、新たに自己満足に浸ったりして(爆)