ついに5月に・・なんて早いんだ、時間の流れは・・
アカデミー賞受賞で、普段の日本の映画界ならば、アカデミー賞受賞!は錦の御旗で大々的に宣伝・公開するんだが、このオッペンハイマーはあんまり宣伝してないような・・
ってわけで?1日は映画が安くなる日なんでオッペンハイマー観てきました。
アカデミー賞受賞で、普段の日本の映画界ならば、アカデミー賞受賞!は錦の御旗で大々的に宣伝・公開するんだが、このオッペンハイマーはあんまり宣伝してないような・・
上映回数もコナンに負けてるし、やはり原爆関連だから日本では反発が強くてあんまり宣伝しにくいのか?なかなか日本上映も決まらなかったしなー。
ですが、これ、多分日本人の原爆に対するアレルギーを懸念して、というよりも映画自体が結構ややっこしくて長いんで、日本人にはついていけないんじゃないか?って懸念での結果、だろうなあ、と^_^;;
クリストファー・ノーラン作品だから時系列が入り組むのはお約束?なんだが、面白いのは過去はカラーで現代に近づくとモノクロが多くなる、ってあたり。
普通感覚的には反対なわけだし。
これは多分時系列でわけてる、ではなく、当時のリアルな記録映像的な雰囲気を出したいからモノクロにしてるんだと思う。
アメリカ近代史の知識が全く無いとキツイかなあ、とも思う。
誰が誰かわからんしなー。
後からパンフ読んだら(珍しく買いました)かなり有名なよく見かける豪華役者さん達が出てるんだが、見てる間は全然わからんかったなー。
その役者、ではなくその役柄、って見え方なんだよね、邦画と違って・・
オッペンハイマー=原爆発明者、って知識しかなかったが、個人の善悪や道徳感とかそういう個人レベルな感覚は、やはり時代や国家や国策や組織的な事で簡単に塗り替える事が出来る、それが最も明確になるのが『戦争』という時代なんだよねー。
殺人も犯罪も、敵に対してであれば全てが正当化される、今のガザの悲劇を見れば一目瞭然であるわけだが。
『絵』になるであろう、広島や長崎への投下の描写があえてなくて、オッペンハイマーの脳内での、世界を焼き尽くすイメージ映像を使うとこも、なかなかノーラン的やのう・・と、思った次第です。
日本では原爆投下は許されざる事であるが(そのわりにはアメリカに尾を振りまくってるが)アメリカでは未だに、原爆を投下したから戦争終結が早まり、アメリカ兵士も、さらには日本人の犠牲も増えなかった、と投下を正論化している見方が多い、と聞くが(広島の原爆資料館をなかなか公式に訪れる連合国側の偉い人が少ない、とか)この映画はわりと、そのアメリカ的常識?に反する描き方の方が強くて、返って日本よりアメリカでの方が抵抗強くなかったかなー?という気もしました、まあわからんけど。
私も、私自身に繋がる母方の身内を東京大空襲で失っていまして(もちろん直接面識があるわけではないが)実家の仏壇にその人の古い写真が飾られています。
この映画、別の国のなんかのフィクションをノンフィクションのように描いているエンタメとしての映画、ではなく、現代日本の私達とも繋がっている映画なんだなあ、となんか実感しました。
映画内で日本人キャラが一人も出てきたわけじゃないのに(確か)
赤狩り(共産党排除)とか、軍備を拡充しないと平和は守れない、核兵器は抑止力として必要、とか、あーまさに日本の自民の右傾向の人そのものだよなあ、この映画でのアメリカって。
舞台は第二次世界大戦前後、80年以上前?の話なのに・・
尺が長いし、見やすいわかりやすい映画ではないが、観て後悔はしない映画でございました。