Fish On The Boat

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『音を視る、時を聴く [哲学講義]』

2014-08-21 23:02:25 | 読書。
読書。
『音を視る、時を聴く [哲学講義]』 大森荘蔵 坂本龍一
を読んだ。

もう30年くらい前の対談で、著者の一人の哲学者である大森荘蔵さんは
すでに亡くなられています。
対談当時の坂本龍一さんも、30歳になってるかなってないかの若さ。
今の僕よりも若い坂本さんが、難解な大森先生の哲学講義によく
ついていっていて、もちろん、地頭の良さっていうのはあるでしょうけれど、
「頑張ったなぁ」という印象を持ちました。

タイトルにもあるように、大森先生は時間の哲学に明るい方のようで、
<現在只今>というものの区切りはどこで、どこからが過去だろうか、だとか、
「今」の定義だとか、そういうことをについて本書でも考えを述べたり、
まさに考え中のまま語っていたりします。
答えが出ていない中での、外堀を埋めたり、核心部分を見定めたり、
そういったところの思索を語ってくれています。
また、見たり聞いたりして認知するいわゆる知覚世界(ふつうの人間的感覚の世界ですよね)
っていうものが、物理的世界(科学的に証明されていることを正解とする世界)
に劣っていて正しくないとはしない考えなのは面白かったです。
そして、たとえばイメージすることは未来の産物に関わることだとか、
イメージしたものは未来に実在する産物、だとかっていう知覚の仕方っていうのが、
みなさんなかなかしたことはないでしょうが、これも一つの考えとしてあるわけでした。
難しいでしょうか、でも、頭の体操になるようでもあるし、
そういう視点を持つことで見える世界も変わるので、
ちょっとした知的散歩にもなりますよね。

具体的な例を本書の中から僕の言葉で紹介すると、
スピーカーが2つあって、それが鳴ると、
真ん中で音が鳴っているように知覚されるというのがある。
物理的世界を真とすると、それは正しくなく、やっぱり左右で音が鳴っているから
感じられる錯覚だとされるけれど、知覚世界を正しいとすると、
真ん中でたしかに音が鳴っているのは正しいとされる。
屁理屈じゃなくて、です。

僕がこれをいいなと思えたところは、
知覚世界を物理的世界によってないがしろにしないところです。
そういうのが人間だとか生物にとってはバランスがよくて、
生存していくのに生存しやすいからそういう知覚になっているのではないかなぁ。

後は、世界というのは見たり考えたりすることで、
立ち現われてくるものだ、としています。
存在というのはそういうことみたいな感覚と読みましたが、
難しかったので、誤読していたり、理解が足りなかったりしている
部分もありそうです。

最後に、本書ではさらりと触れられているだけですが、
他者との繋がり・関係において、あったかみ、という言葉がありました。
かつては、あったかみ、があったと。
そういったものはどうやらアニミズムという言葉であてはめておかしくはないようです。
自我にたいする他我っていう言葉もありました。
他我を少し想像してみること、他我を認めることって、
イコール「他者への敬意」なんじゃないのでしょうか。
前回読んだ、佐々木俊尚さんの『レイヤー化する世界』では、
他者との関係に「いとおしさ」があるとなおいい、というように書いてありました。
それは、本書でいえば「あったかみ」が似ていて、さらに、両者ともに、
アニミズムの言葉で大雑把にですがひっくるめることができそうです。
モースの『贈与論』にあることって、このアニミズムなんですよね、たぶん。
そういうものが見直されないかしら。
まったく古代と同じようにせよ、というんじゃなくて、現代風にアレンジした
アニミズム的な連帯感覚、それがいとおしさやあったかみなのですが、
そういった感覚って現代での生きやすさに効力があるのでは、
と考えたりします。
最近はこの方面での思考を深めたり検索ワードを増やせたりすることが多いです。
それも、時代の流れに乗ったり動かされたりしている何かなのかもしれないです。

それにしても、だいぶ、生きやすい世界へ今の世界に何が足りないのかが見えてきたなぁ。
だいぶとはいっても、以前の真っ暗闇よりはとっかかりである灯りがぽつぽつ出てきた
というようなところですけども。



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