Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

1+1=2ではない人との関係

2015-01-06 22:51:10 | 考えの切れ端
算数では1+1=2で大正解なんだけど、
ことに人間関係に関しては1+1=2っていうのは
夢想にちかい理想に過ぎないんじゃないかと思うわけ。
1+1=5になって喜んだり、過剰だねって笑ったりすることもあれば、
1+1=1で寂しい思いや哀しい思いをしたりもするよねえ。

1+1=2にならないからケンカもするし譲歩もするしで。
1+1=2じゃないから、寛容さが必要だっていう話になるわけです。
また、他者への敬意が大事だと気付くあたりには、
1+1=2に近づけたい気持ちがあるのかもしれない。
だけど敬意を持とう!という押し売りはしないよね、敬意を持つ人って。

言い方を変えれば「人間関係は不公平でできている」ってことなんだ。
それに腹を立てたりすることはあるとは思うけれど、
公平じゃなきゃ罪だ、と非難するものでもないと思うのです。
ある程度、受け入れるべき不公平なのではないか。

僕なんかの現実の話をすると、
たまにギャンブルで儲けたときに、
外で食べたご飯をおごってやることがあります。
ぜんぜんお金を持ってない人ですけど、
それでもいいかって思っておごっちゃうわけ、
優越感に浸りたいというのもちょっとはあるかもしれないけれど、
それよりも、いっしょにちょっと旨いものを食べようぜ、だとか、
あんたの節約に一役かってやるかだとか、
あとはよく考えもしなかったり、だとかでおごっている。

ちなみに、ほぼ100%、従兄におごってやってる。
ここ数年では総額10万円分くらいいったかもしれないね。
だからといって、おごり返されたことってそんなにないです。
つまり、おごったおごられたの関係でいえば、不公平な関係なんです。
でも、文句を言おうとは思わない。
また、誕生日プレゼントに本を贈ったりしたこともありますが、
こっちの誕生日に何かを贈られたこともないですね、その従兄には。
だからといって関係がこじれるわけでもないです。
関係がこじれるとすれば、どっちかが不誠実なことをやった場合でしょうね。

マルセル・モースの贈与論によると、
贈与された相手は、返礼をしなくてはならない責務を負い、
お返しをしなくては、という心理と闘うことになって、いずれそうする
ということですが、モースのではない贈与論で、誰か名前は忘れましたが、
贈与されたからって、お返ししないとならないという気持ちに
苦しむことはないし、絶対的にそうしなければ均衡が崩れるわけでもない、
というようなことを言った人がいたみたいです。

僕は、モースの贈与論にいろいろと学びましたが、
現実生活から鑑みると、今言ったことの後者のところ、
お返しは絶対的なものじゃないという説に賛成なんですよね。
なので、モース先生は、過剰な利他はよくないって言いましたが、
そんなに気にするものでもないのではないかという気がしています。
モース先生は、人間関係はフェアであらねばならない、
という理想を疑いなく信じていた人かもしれない、なんて考えてみたり。

まあ、僕が寿司をおごったとか、焼き肉をおごったとか、牛丼をおごったとか、
そういうのはたぶん、好きでやっているんだなあ。
でも、おごられるのに慣れられたらいやなんだよねえ。
ちょっと無駄遣いみたいな気もするので、
ちょっと引き締めなきゃとも思います。

みうらじゅんさんによると、
人におごってやって、愚痴を聞いたりしてもらえる、
つまり、話を無条件に聞いてもらえる、相手を聞き役にしてしまえるのは、
フグだのカニだのスッポンだのという高級なものだけだそうです。

人間関係の支点を一時的にでもちょっと変えるには、
けっこうお金がかかるものだよ、ということだね。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする