読書。
『精神分析入門 上下』 フロイト 高橋 義孝・下坂 幸三 訳
を読んだ。
錯誤行為、夢判断、神経症総論を収録した『精神分析入門』と、
その後に書かれた補足的な意味をもつ『精神分析入門(続)』をおさめたのが、
この上巻と下巻からなる『精神分析入門』です。
それにしてもですよ。
分析によって突き止められるのは大体において性にまつわることだっていうのが、
本当かなという疑いとそうだそうだという頷きが半々に生じました。
この講義(本書)は100年も前のものだけれど、
性に対して現代的に取り組んでいて、いまもなお古びていないです。
それはわいせつ性だとかタブー視とか、
現在にもそのまま残っているものだし、
そんななかでこれ以上進展しないところ近くまで研究した、
フロイトの先鋭性があるからだと思いました。
性は、生殖の妨げにならないようなバランスのとれたところでは、
その分析は完成しているのかもしれないです、そう思いました。
これは、あまりに科学的に解析すると、
性的な魅力や欲望までもがそがれてしまうんじゃないかという、
僕のイメージから言っています。
また、いろいろと心霊現象や思考転移などについて、
科学的に解き明かして見せてくれながらも、
「でも、まれに解明できない不思議なことはあるんだよ」
と言っている章もあり、そういう暗黒域みたいなのは
あったほうがいいなあと個人的に嬉しかったり。
まだまだ科学じゃ解明しきれない区域があってこそ、
面白みも可能性もあるじゃないですか。
ここからは、ほんとに「雑感」という感じの、読後の雑感です。
物事から目をそらして忘れてしまった気になっても、
それらの物事はその人の無意識に落ちていってさらに不死なものらしいのです。
無意識に落ちて出てこない状態を抑圧といって、
心理的不調の原因になったりする。
そういった抑圧された無意識の意識化が精神分析の治療の仕方のようです。
現実にむきあわない、物事から逃げる、
そういう態度が心理的な不調を生むんですね。
無意識化してしまって、それが一生残って、
そういうのが多くなっていってエネルギーが増せば悪さをする。
かといって、すべてに真面目に向き合うのは大変だから、
折を見て無意識の意識化をしてやらないといけないわけ。
ユング派の故・河合隼雄さんは、
競馬なんかのギャンブルで大損するのも、
知らないでやっているその人自身のための治療なんだって言っていた。
無意識の意識化っていうものは、
言語化できるものに限られたものじゃないんですな、たぶん。
言語化が意識化のすべてじゃないようです。
また、超自我、自我、エスという心的人格三分割には納得。
超自我は別名「良心」だし、それ以外の無意識的な自我がエスだし、
そう考えると、自分自身の得体のしれない意志の現れ方だとかが
わかる感じがしました。
そして、ニーチェの本に引き続いて、ルー・ザロメなる女性の名前が登場。
当時の偉人達と交流した才媛なのでしょうね。
『精神分析入門 上下』 フロイト 高橋 義孝・下坂 幸三 訳
を読んだ。
錯誤行為、夢判断、神経症総論を収録した『精神分析入門』と、
その後に書かれた補足的な意味をもつ『精神分析入門(続)』をおさめたのが、
この上巻と下巻からなる『精神分析入門』です。
それにしてもですよ。
分析によって突き止められるのは大体において性にまつわることだっていうのが、
本当かなという疑いとそうだそうだという頷きが半々に生じました。
この講義(本書)は100年も前のものだけれど、
性に対して現代的に取り組んでいて、いまもなお古びていないです。
それはわいせつ性だとかタブー視とか、
現在にもそのまま残っているものだし、
そんななかでこれ以上進展しないところ近くまで研究した、
フロイトの先鋭性があるからだと思いました。
性は、生殖の妨げにならないようなバランスのとれたところでは、
その分析は完成しているのかもしれないです、そう思いました。
これは、あまりに科学的に解析すると、
性的な魅力や欲望までもがそがれてしまうんじゃないかという、
僕のイメージから言っています。
また、いろいろと心霊現象や思考転移などについて、
科学的に解き明かして見せてくれながらも、
「でも、まれに解明できない不思議なことはあるんだよ」
と言っている章もあり、そういう暗黒域みたいなのは
あったほうがいいなあと個人的に嬉しかったり。
まだまだ科学じゃ解明しきれない区域があってこそ、
面白みも可能性もあるじゃないですか。
ここからは、ほんとに「雑感」という感じの、読後の雑感です。
物事から目をそらして忘れてしまった気になっても、
それらの物事はその人の無意識に落ちていってさらに不死なものらしいのです。
無意識に落ちて出てこない状態を抑圧といって、
心理的不調の原因になったりする。
そういった抑圧された無意識の意識化が精神分析の治療の仕方のようです。
現実にむきあわない、物事から逃げる、
そういう態度が心理的な不調を生むんですね。
無意識化してしまって、それが一生残って、
そういうのが多くなっていってエネルギーが増せば悪さをする。
かといって、すべてに真面目に向き合うのは大変だから、
折を見て無意識の意識化をしてやらないといけないわけ。
ユング派の故・河合隼雄さんは、
競馬なんかのギャンブルで大損するのも、
知らないでやっているその人自身のための治療なんだって言っていた。
無意識の意識化っていうものは、
言語化できるものに限られたものじゃないんですな、たぶん。
言語化が意識化のすべてじゃないようです。
また、超自我、自我、エスという心的人格三分割には納得。
超自我は別名「良心」だし、それ以外の無意識的な自我がエスだし、
そう考えると、自分自身の得体のしれない意志の現れ方だとかが
わかる感じがしました。
そして、ニーチェの本に引き続いて、ルー・ザロメなる女性の名前が登場。
当時の偉人達と交流した才媛なのでしょうね。