フロイトによると神経症だとかの原因は無知にあるっていうんですよ。
自身の心的活動に対する無知にある、と。
じゃあ無知を克服するにはどうするかというと、
無意識の意識化をやるわけです。
そうして、
「ああ、わたしはこんなことを考えたり思ったり感じたりしてたんだ」
と知ることになって、病気が薄れていく、と。
ぼくは前にユングを読んだ時だったか、
「共感」っていう心的活動って
実は無意識の意識化なんじゃないかと考えたことがありました。
だって、「あぁ、そうそう、わかる」っていう意識って、
無意識にあったものが相手によって意識に上げられたってことじゃない?
だから共感を呼ぶ会話って心に良いんです。
そういった「共感」を呼ぶ会話ができるのって、
冷笑的なつきあいじゃ可能性が低い。
もっと温かで、冷笑的じゃなくて、敬意を持ちあっていて、
とはいえ過剰に期待しないようなフランクな間柄のつきあいが増えていけば、
人々の心の不調や病気も減るのではないかと。
イライラばかりしていちゃ、自分にも相手にも八つ当たりしたりして、
「共感」を起こすような関係ってできにくいですよね。
僕は今はもうそれほどじゃないし、
そういうつきあいを増やすのはなかなか難しいのはわかってるけれど、
ネットの会話にだって「共感」を呼び起こすものってあるのを知っています。
あったかみある関係、いとおしさのある関係、
そんな連帯感のある社会へと、
「共感」を大事にする姿勢でいることって繋がっていく予感がする。
そういう連帯感のある社会では、生産性も増す、
つまり経済成長も望めるって
マルセル・モースの解説書にちらと書いてあった。
あとはしがらみの問題だと思う。
しがらみについては、山岸俊男先生のご著書が参考になるのだろうな。
いろいろ的を得た批判を読んだこともあるんだけれど、
道徳教育だとか法律とかの整備でしがらみって薄まるみたいなんだよねえ。
…というような、最近の考えをVer.1.1とか1.2だとかにした論考でございました。
自身の心的活動に対する無知にある、と。
じゃあ無知を克服するにはどうするかというと、
無意識の意識化をやるわけです。
そうして、
「ああ、わたしはこんなことを考えたり思ったり感じたりしてたんだ」
と知ることになって、病気が薄れていく、と。
ぼくは前にユングを読んだ時だったか、
「共感」っていう心的活動って
実は無意識の意識化なんじゃないかと考えたことがありました。
だって、「あぁ、そうそう、わかる」っていう意識って、
無意識にあったものが相手によって意識に上げられたってことじゃない?
だから共感を呼ぶ会話って心に良いんです。
そういった「共感」を呼ぶ会話ができるのって、
冷笑的なつきあいじゃ可能性が低い。
もっと温かで、冷笑的じゃなくて、敬意を持ちあっていて、
とはいえ過剰に期待しないようなフランクな間柄のつきあいが増えていけば、
人々の心の不調や病気も減るのではないかと。
イライラばかりしていちゃ、自分にも相手にも八つ当たりしたりして、
「共感」を起こすような関係ってできにくいですよね。
僕は今はもうそれほどじゃないし、
そういうつきあいを増やすのはなかなか難しいのはわかってるけれど、
ネットの会話にだって「共感」を呼び起こすものってあるのを知っています。
あったかみある関係、いとおしさのある関係、
そんな連帯感のある社会へと、
「共感」を大事にする姿勢でいることって繋がっていく予感がする。
そういう連帯感のある社会では、生産性も増す、
つまり経済成長も望めるって
マルセル・モースの解説書にちらと書いてあった。
あとはしがらみの問題だと思う。
しがらみについては、山岸俊男先生のご著書が参考になるのだろうな。
いろいろ的を得た批判を読んだこともあるんだけれど、
道徳教育だとか法律とかの整備でしがらみって薄まるみたいなんだよねえ。
…というような、最近の考えをVer.1.1とか1.2だとかにした論考でございました。