Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『心配事の9割は起こらない』

2015-06-10 01:12:33 | 読書。
読書。
『心配事の9割は起こらない』 枡野俊明
を読んだ。

禅僧でありながら大学教授で庭園デザイナーの著者が、
その道で得た経験や知見をもとに、
日々の暮らしを、より平静なこころで過ごすこと、
その方法や考え方を示してくれる本です。

考え方を変えて、それを実践することで、
タイトルにあるように、心配事の9割を、
無駄に案じて汲々とした日々を過ごさないですむようにしたらいかがですか、
というように、柔らかな文体と文章で仏教的・東洋的生き方を提唱しています。

ひとつの項が数ページですし、
引用される仏教用語などもわかりやすいかたちの現代語に噛み砕いてくれていますし、
論理も明快で、すらすら読めながらも沁みてくる感じの読書でした。
そして、ひとつひとつの項で示される考え方を、
自分や周囲の人に照らしてみて、ああだこうだと考えてみるのが面白かったです。

そのなかでも、正論をかざさずに相手を顔を立てた方がよい、
という項では、次のような自分なりの考えが浮かびました。

小説書いたりっていうのは独りの世界でやることだから、
作っていく世界に正論を振りかざしがちになるような気がする。
独壇場となってしまう。
でも、きっとそれは違うんじゃないかって思うんです。
創作の世界でも、相手の顔をたてるべきじゃないか。
むずかしいけど。

カフカの言う、
「世界と君との戦いにおいては、世界の側につきたまえ」
という言葉って、そういうことなんじゃないかって、
この本を読みながら「悟った」。

自分の正論でもってバシバシ斬っていく生き方って迷惑ですごく嫌われるし、
最終的にもう無理ってところに行くつくと思う。
でも、自分で書く小説の場合、それが無理ではなくて書きあげてしまえるんですよね。
ただ、それが世に出てどう評価されるかってところで、
生き方と同じく、それはもう無理、になる。

他人を意識しないような小説は受け入れられにくいんじゃないか、と。
相手をたてることもちゃんとやる小説、
そういう意識が働いている小説こそが力があるんじゃないかって、
空論めいたものを立てている。
でも、この空論めいたものは試す価値があると感じている。

と、まあ、創作について関心のあるぼくですから、
その考えにこの本のひとつの論旨が結びついたのでした。

ときどき、というか、けっこうかもしれないですが、
周囲の人に読ませたくなる本があって、
この本はそういう種類のものでした。


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