読書。
『ひとり日和』 青山七恵
を読んだ。
読み始めて面白くなるまでが早いです。作家が20代前半で書いた芥川賞受賞作ですが、技術が巧みです。
高校を卒業しても進学を拒み、就職するわけでもない主人公。
親に依存して生きてきた子ども時代からいきなり社会に放り出されるように自立するのではなく、親戚のおばあさんの家に居候しながら自然と自立へと、誰に促されることもなく自分自身でその道をたどっていく。そういう物語です。はっきりと端的に明文化できるような成長ではない部分を描いた、自立の入り口までの成長物語。
以下、ネタバレありますので、ご注意を。
こういう物語を読むと、自立にはある種の慎重さや段階を踏んでいく過程がほんとうならば必要なんだろうなあと思えてきます。大きな段差のある階段の一段を、「ふんっ」と力を込めながら踏みあがっていくような力業の自立が難しい人はかなりいると思います。新卒で入った会社を3か月で、半年で、一年でといったふうに辞めてしまうのも、そういう力業で人生を歩んでいくのが無理だったりするからかもしれません。本作の主人公は、階段ではなくスロープ状の、傾斜のなだらかめの坂道を歩むようにして自立への段階を踏んでいるように読み受けられます。とはいえ、喩えるなら重力に反して高いところへ歩んでいくのですから、やっぱりショックを受けたり深く落ち込んだりしていきながら、成長していきます。
執筆時の著者の年齢と主人公や彼女をとりまく人たちの年齢が近い人たちについては、よい部分よりもとくに憎たらしかったり自分勝手だったりする部分がよく書けていると思いました。それでいて、70歳を過ぎた居候先のおばあさんの喋る内容がときに含蓄のあるものがあり、それをやんわりとした口調でつつんだものとして出してくる。そこは、主人公の母親について描いている部分もそうなのです。日常のなにげない場面で、年頃の娘との親子関係の特別な緊張感もあるのですが、そんなぐっと構えていない気持ちでいる母親のなんでもない様子に、その人物としての年齢的に育まれているだろう芯がきちんと捉えられている。つまりは、作者の力量だ、と感じられるところなのです。たとえば、
__________
「世界に外も中もないのよ。この世はひとつしかないでしょ」(p162)
__________
というセリフを、居候先のおばあさんである吟子さんに喋らせているように。
また、主人公にはちょっとした盗癖があります。たとえばこれも、本作で描かれている彼女の恋愛姿勢において、自分からは彼氏に求めずにいるようなところがあり、それゆえに彼氏は居心地がよい反面、彼女との関係に見いだせるものがわからなくなってしまうのですけれども、そんな彼女の外面としての「あまり求めない」姿勢の裏返しとして、その意識の奥底では「求めたい」「欲しい」という渇望が強くあるがため、飴玉だとかを盗んでしまう行動として出てくるのではないのかなあ、と思いました。
若い時分に経済的に自立してひとり暮らしを始める。そういう人生が僕にはなかったので、そうだなあ、と寂しい気持ちにもなりました。表題にあるように、自立が果たせたならそこには「ひとり日和」と呼べるようなものがあるんですよね。
表題作のほかに、25ページほどの短編「出発」も収録されています。こちらは新宿の話で、「ひとり日和」のように、モラトリアムの期間を過ごすようなのとは違い、社会のただなかで生きている若い男の話。こちらもよかったです。キーパーソンとなる同年代くらいの女性が出てきて、彼女はいわゆるケバい恰好でサンドウィッチマンをやっていたりする。そういった、住む世界が違う人たちをそれぞれに、その人たちの立ち位置で描けている点が、僕にとって、この作家から特に心を奪われたところでした。世界って、同じ場所にいろいろな人たちが交錯していもそれぞれの人たちの住む世界は違って、レイヤー構造になっている。そういったことが、この短編から再確認できました。
野崎歓さんによる巻末の解説が、深く読み込んでいてこそで、なおかつわかりやすい筆致でした。「そうそう!」だとか「なるほど、そうだったか!」と頷きながら、深まる読後感とくっきりとしてくる読書感想の言葉なのでした。
『ひとり日和』 青山七恵
を読んだ。
読み始めて面白くなるまでが早いです。作家が20代前半で書いた芥川賞受賞作ですが、技術が巧みです。
高校を卒業しても進学を拒み、就職するわけでもない主人公。
親に依存して生きてきた子ども時代からいきなり社会に放り出されるように自立するのではなく、親戚のおばあさんの家に居候しながら自然と自立へと、誰に促されることもなく自分自身でその道をたどっていく。そういう物語です。はっきりと端的に明文化できるような成長ではない部分を描いた、自立の入り口までの成長物語。
以下、ネタバレありますので、ご注意を。
こういう物語を読むと、自立にはある種の慎重さや段階を踏んでいく過程がほんとうならば必要なんだろうなあと思えてきます。大きな段差のある階段の一段を、「ふんっ」と力を込めながら踏みあがっていくような力業の自立が難しい人はかなりいると思います。新卒で入った会社を3か月で、半年で、一年でといったふうに辞めてしまうのも、そういう力業で人生を歩んでいくのが無理だったりするからかもしれません。本作の主人公は、階段ではなくスロープ状の、傾斜のなだらかめの坂道を歩むようにして自立への段階を踏んでいるように読み受けられます。とはいえ、喩えるなら重力に反して高いところへ歩んでいくのですから、やっぱりショックを受けたり深く落ち込んだりしていきながら、成長していきます。
執筆時の著者の年齢と主人公や彼女をとりまく人たちの年齢が近い人たちについては、よい部分よりもとくに憎たらしかったり自分勝手だったりする部分がよく書けていると思いました。それでいて、70歳を過ぎた居候先のおばあさんの喋る内容がときに含蓄のあるものがあり、それをやんわりとした口調でつつんだものとして出してくる。そこは、主人公の母親について描いている部分もそうなのです。日常のなにげない場面で、年頃の娘との親子関係の特別な緊張感もあるのですが、そんなぐっと構えていない気持ちでいる母親のなんでもない様子に、その人物としての年齢的に育まれているだろう芯がきちんと捉えられている。つまりは、作者の力量だ、と感じられるところなのです。たとえば、
__________
「世界に外も中もないのよ。この世はひとつしかないでしょ」(p162)
__________
というセリフを、居候先のおばあさんである吟子さんに喋らせているように。
また、主人公にはちょっとした盗癖があります。たとえばこれも、本作で描かれている彼女の恋愛姿勢において、自分からは彼氏に求めずにいるようなところがあり、それゆえに彼氏は居心地がよい反面、彼女との関係に見いだせるものがわからなくなってしまうのですけれども、そんな彼女の外面としての「あまり求めない」姿勢の裏返しとして、その意識の奥底では「求めたい」「欲しい」という渇望が強くあるがため、飴玉だとかを盗んでしまう行動として出てくるのではないのかなあ、と思いました。
若い時分に経済的に自立してひとり暮らしを始める。そういう人生が僕にはなかったので、そうだなあ、と寂しい気持ちにもなりました。表題にあるように、自立が果たせたならそこには「ひとり日和」と呼べるようなものがあるんですよね。
表題作のほかに、25ページほどの短編「出発」も収録されています。こちらは新宿の話で、「ひとり日和」のように、モラトリアムの期間を過ごすようなのとは違い、社会のただなかで生きている若い男の話。こちらもよかったです。キーパーソンとなる同年代くらいの女性が出てきて、彼女はいわゆるケバい恰好でサンドウィッチマンをやっていたりする。そういった、住む世界が違う人たちをそれぞれに、その人たちの立ち位置で描けている点が、僕にとって、この作家から特に心を奪われたところでした。世界って、同じ場所にいろいろな人たちが交錯していもそれぞれの人たちの住む世界は違って、レイヤー構造になっている。そういったことが、この短編から再確認できました。
野崎歓さんによる巻末の解説が、深く読み込んでいてこそで、なおかつわかりやすい筆致でした。「そうそう!」だとか「なるほど、そうだったか!」と頷きながら、深まる読後感とくっきりとしてくる読書感想の言葉なのでした。
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