読書。
『水の常識ウソホント77』 左巻健男
を読んだ。
私たちが生きていくために欠かせない「水」について、多様な知識が得られる本。
全6章、77項に分かれています。各章をかんたんに紹介すると、人体との関係を主軸にした生化学的な章、水道水を中心に飲料としての水そのものについてあれこれと解説する章、健康にいい水を謳い文句にしている怪しげな水ビジネスへの反証の章、表面張力や界面活性など水が作用する現象や水の性質についての章、個体・液体・気体まで水を考えていく章、公害やダムの問題などの社会的文脈における水や地形・水の循環など地学的な水についての章、となります。つまりは、理科のカテゴリにすべておさまる中身なのでした。
意外に知られていない水中毒の話がやっぱり載っています。アメリカで2007年に行われた「水の大飲み大会」で、トイレにもいかずに7・6リットルの水を飲みほした28歳の女性が、翌日に自宅で死亡した例が挙げられていました。水を短時間に大量に摂取すると、細胞内や血液に溶けている物質のバランスがおかしくなります。とくに血液では「低ナトリウム血症」になってしまい、体液や血液の分量とpHの調節がうまくいかなくなります。神経内での情報のやり取りもうまくいかなくなり、意識障害に繋がりかねない状態になります。(本書には書かれていなかったと思いますが、成人男性ならば、一日に1リットルから2リットルの範囲で水を飲みなさいなんて言われます)
水道が始まったのは、1804年のイギリスから、というのも、「ほお!」と好奇心を引かれたトリビアでした。僕の歴史感覚はかなり微妙なところがあって、こうして1804年のイギリスと言われると、日本の状況を想像するに納得がいくのですが、ここで古代ローマ時代なんかに思いを馳せてしまうと、彼らの公衆浴場では水道はあったのではないか、あるいは水道的な何かはすでにあったのではないか、などと考えてしまいます。たぶん、下水道は古代からありますよね。現代人の感覚だと、上水道も下水道もセットで考えてしまいがちなのでしょうか、ことに歴史の知識が薄いとそうです。
純水は毒である、なんていうひとつの常識は、みなさんも「そのとおりなんじゃないの?」と覚えている人は多いのではないでしょうか。僕もそう覚えていたのですが、著者はこの常識に疑問を持ち、純水を自らごくごく飲んでしまって、害はないと結論してました(ほんとのところはいったい、どうなんだろう)。純水を飲んでも、口の中、食道、胃の中、などで純水に加わるいろいろな物質があるだろうから、体内を純水のまま流れていかないので、お腹を壊さずにいられるし、大丈夫なのだろう、とありました。
臨界点と呼ばれる高温高圧のある条件を超えると、物質は気体と液体の区別がつかない状態になり、それを超臨界流体というというのもこの本で知りました。この状態だと普通では無理な化学反応が望めて、たとえば二酸化炭素の超臨界流体はコーヒーからカフェインを取り除くことができるとあります。驚きの生成方法によるカフェインレスコーヒーなのです。
あとは、毛細管現象、界面活性、表面張力。ごく簡単にはわかりますが、本書ではそのメカニズムを端的に説明してくれています。とはいえ、僕はもう忘れてしまいそうです。残念ながら、理科的な頭の使い方に慣れていないためでしょう……。
というように、77のトリビアからいくつか印象的だったものの感想などを書いてみました。付け加えるなら怪しい水ビジネスについての情報です。以下にちょっと並べてみます。
アルカリイオン水には意味がないどころか胃の酸性状態を損なうという有害性があるし、クラスタの小さい水が健康によいというのもでたらめだし、身体によいとされる「磁性を帯びた水」もおかしな話だし、波動水というのもその波動を計測する機械自体からしてもうインチキです。欲を出したりせず、そして不安をあおられたりもしないようにして、ふつうに通常の水を飲んでいればいいんです。ミネラルウォーターにもいろいろ種類がありますが、日本のミネラルウォーターは処理されているようです。そのまま汲んでボトルに詰めるタイプのものは外国のもので、そういった国では水源地が汚染されないよう四方を広く保護区にしているようです。
こういった、ごく身近で大切なもの、今回は「水」でしたが、そういったものについての科学的知識が平易な文章から得られるようになっている出版文化って、とても素晴らしいことだと思いました。
『水の常識ウソホント77』 左巻健男
を読んだ。
私たちが生きていくために欠かせない「水」について、多様な知識が得られる本。
全6章、77項に分かれています。各章をかんたんに紹介すると、人体との関係を主軸にした生化学的な章、水道水を中心に飲料としての水そのものについてあれこれと解説する章、健康にいい水を謳い文句にしている怪しげな水ビジネスへの反証の章、表面張力や界面活性など水が作用する現象や水の性質についての章、個体・液体・気体まで水を考えていく章、公害やダムの問題などの社会的文脈における水や地形・水の循環など地学的な水についての章、となります。つまりは、理科のカテゴリにすべておさまる中身なのでした。
意外に知られていない水中毒の話がやっぱり載っています。アメリカで2007年に行われた「水の大飲み大会」で、トイレにもいかずに7・6リットルの水を飲みほした28歳の女性が、翌日に自宅で死亡した例が挙げられていました。水を短時間に大量に摂取すると、細胞内や血液に溶けている物質のバランスがおかしくなります。とくに血液では「低ナトリウム血症」になってしまい、体液や血液の分量とpHの調節がうまくいかなくなります。神経内での情報のやり取りもうまくいかなくなり、意識障害に繋がりかねない状態になります。(本書には書かれていなかったと思いますが、成人男性ならば、一日に1リットルから2リットルの範囲で水を飲みなさいなんて言われます)
水道が始まったのは、1804年のイギリスから、というのも、「ほお!」と好奇心を引かれたトリビアでした。僕の歴史感覚はかなり微妙なところがあって、こうして1804年のイギリスと言われると、日本の状況を想像するに納得がいくのですが、ここで古代ローマ時代なんかに思いを馳せてしまうと、彼らの公衆浴場では水道はあったのではないか、あるいは水道的な何かはすでにあったのではないか、などと考えてしまいます。たぶん、下水道は古代からありますよね。現代人の感覚だと、上水道も下水道もセットで考えてしまいがちなのでしょうか、ことに歴史の知識が薄いとそうです。
純水は毒である、なんていうひとつの常識は、みなさんも「そのとおりなんじゃないの?」と覚えている人は多いのではないでしょうか。僕もそう覚えていたのですが、著者はこの常識に疑問を持ち、純水を自らごくごく飲んでしまって、害はないと結論してました(ほんとのところはいったい、どうなんだろう)。純水を飲んでも、口の中、食道、胃の中、などで純水に加わるいろいろな物質があるだろうから、体内を純水のまま流れていかないので、お腹を壊さずにいられるし、大丈夫なのだろう、とありました。
臨界点と呼ばれる高温高圧のある条件を超えると、物質は気体と液体の区別がつかない状態になり、それを超臨界流体というというのもこの本で知りました。この状態だと普通では無理な化学反応が望めて、たとえば二酸化炭素の超臨界流体はコーヒーからカフェインを取り除くことができるとあります。驚きの生成方法によるカフェインレスコーヒーなのです。
あとは、毛細管現象、界面活性、表面張力。ごく簡単にはわかりますが、本書ではそのメカニズムを端的に説明してくれています。とはいえ、僕はもう忘れてしまいそうです。残念ながら、理科的な頭の使い方に慣れていないためでしょう……。
というように、77のトリビアからいくつか印象的だったものの感想などを書いてみました。付け加えるなら怪しい水ビジネスについての情報です。以下にちょっと並べてみます。
アルカリイオン水には意味がないどころか胃の酸性状態を損なうという有害性があるし、クラスタの小さい水が健康によいというのもでたらめだし、身体によいとされる「磁性を帯びた水」もおかしな話だし、波動水というのもその波動を計測する機械自体からしてもうインチキです。欲を出したりせず、そして不安をあおられたりもしないようにして、ふつうに通常の水を飲んでいればいいんです。ミネラルウォーターにもいろいろ種類がありますが、日本のミネラルウォーターは処理されているようです。そのまま汲んでボトルに詰めるタイプのものは外国のもので、そういった国では水源地が汚染されないよう四方を広く保護区にしているようです。
こういった、ごく身近で大切なもの、今回は「水」でしたが、そういったものについての科学的知識が平易な文章から得られるようになっている出版文化って、とても素晴らしいことだと思いました。
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