読書。
『恋歌、くちずさみながら。』 ほぼ日刊イトイ新聞
を読んだ。
すべてがほんとうの話。Webサイト『ほぼ日刊イトイ新聞』のコンテンツ「恋歌くちずさみ委員会」に寄せられた恋バナ集です。甘酸っぱかったり、苦かったり、切なかったりする内容には、でもあたたかみが宿っていたりしました。
本書の書き手の方々にとっての恋のランドマークや記憶を呼び起こすトリガーになっている恋歌。それはきっと、ここに投稿された方たち以外の、たとえば読み手の多くにとってもそういった恋歌はあるのだろうと思います。取り上げられている恋歌はけっこう古いものが多いです。1980年前後くらいが多かったでしょうか。なので、語られるエピソードも、たとえばインターネットや携帯電話が普及する以前の話がほとんどでした。中年以降・老年手前くらいの人たちが楽しんで告白しあっているふうです。『想い出がいっぱい』『恋するカレン』『なごり雪』『オリビアを聴きながら』『PIECE OF MY WISH』『大迷惑』『愛は勝つ』などなど、そのときどきの流行歌だった恋歌が並びます。
心情の表現が、書き手のみなさん「作家」のそれでした。恋っていう切実な想いの記憶が強いエネルギーになって文章表現に乗り移ったみたいに、とろりと甘かったり、ひりひりしたり、悲しみの投げかけだったりとさまざまで、個性がある。でもこれだけの思いを文章にできていても、書き手のみなさんはすべて書き尽くした、はきだせた、とは思えていないでしょうね、おそらく。
さまざまな人生のドラマティックだったりロマンティックだったりする部分、それはその人たちの人生のごくごく一部分にすぎないのだけれど、それらの人たちを成している大切な一部分でもある。
本書の恋歌にからめた短い恋愛話の数々を読むと、それぞれに人生の質感が宿っているのだけれど、語り終えたその語り手はすっとどこかへ歩き去って行ってしまい、読み手は書き手とは二度と出合うことはなくて、これも「瞬間的な人生の交差」だなあという気持ちになりました。
たとえば、都会の駅中なんかを歩いていて、なにげに入った書店のとある書棚で隣り合った人がいて、その隣り合った時間が思いのほか長くなってお互いにちょっと気にするように横目でちらちら見合ったり、ずっと並び立っているせいで言葉を交わしていないのに妙にやわらいだ空気がお互いの間に流れだすのを感じたり。あるいは、これまたなにげに入った駅中の小さくてリーズナブルな天丼屋なんかのカウンターで隣の席になった人と、天丼が出来上がってくるまでの手持無沙汰の状態で隣り合っていて、お冷のピッチャーがその隣の人の側にあって、「すいません」なんて言いながらその人の前を横切る形で手を伸ばすと、向こうも気にしてくれてピッチャーを手にして「どうぞ」なんてこちらへよこしてくれたり、それでひととき二人の間の空気が和んだり。そんな、人生においての、お互いにすぐに忘れてしまうのだけど、でもなんてことはないのだしほんのちょっぴりだったとしても確実に差し合っていた瞬間ってありますが、こういうのはさきほど書いた、本書における「瞬間的な人生の交差」の類いだなあと思ったりするのでした。本書のそれぞれの短いエピソードにはもうその一瞬に密度があって、読み手との間にはたしかにその共有の時間が訪れます。それでも、投稿された文章を通じて出合った書き手と読み手とは、すぐに別れわかれになってもう二度と会えない、と感じるそれが、「瞬間的な人生の交差」の類いとちょっと似ているように思えたのです。
世の中って、そういった恋の経験を秘めたみんなが普段は何食わぬ顔で歩いているんですよね。あるいは、秘め過ぎてもう忘れてしまった、なんていう時期にある方もいらっしゃるでしょう。でも、本書のような本を読むと、恋から遠ざかった人でも、ときどきでいいから自分の思い出を引っ張り出してみたり、他人の恋バナを聞いてみたりするのって、「自分っていったいどんな存在なんだろう?」という答えのでてこないような問いに打倒されずにいられるようになる気がするんです。競争だ、と負けん気を出したり、背伸びしたり、虚勢を張ったりしてみんな生きていますけれども、ふと自分がフラットになったとき、何もないな、と思うのは目くらましにかかっているんです、きっと。何もないなじゃなくて、恋の記憶がまだ生きいきとしていることに気づけたりすると、ダウナーになりがちなフラットな状態でも、うきうきしたり、小恥ずかしさにニヤけたりなど、自分の内側で活動したがっているなにかが確かにあることを発見するんじゃないでしょうか。それって人生をより楽しくしそうですし、みんながそうならば世の中ももうちょっと楽しくなりそう。もちろん、フラットな状態でダウナーじゃない人だってたくさんいらっしゃるでしょう。そういう人は素晴らしい。いつも恋してたりするのかもしれません。
というようなことを思い浮かべた読書になりました。本書独特の読書体験でした。
『恋歌、くちずさみながら。』 ほぼ日刊イトイ新聞
を読んだ。
すべてがほんとうの話。Webサイト『ほぼ日刊イトイ新聞』のコンテンツ「恋歌くちずさみ委員会」に寄せられた恋バナ集です。甘酸っぱかったり、苦かったり、切なかったりする内容には、でもあたたかみが宿っていたりしました。
本書の書き手の方々にとっての恋のランドマークや記憶を呼び起こすトリガーになっている恋歌。それはきっと、ここに投稿された方たち以外の、たとえば読み手の多くにとってもそういった恋歌はあるのだろうと思います。取り上げられている恋歌はけっこう古いものが多いです。1980年前後くらいが多かったでしょうか。なので、語られるエピソードも、たとえばインターネットや携帯電話が普及する以前の話がほとんどでした。中年以降・老年手前くらいの人たちが楽しんで告白しあっているふうです。『想い出がいっぱい』『恋するカレン』『なごり雪』『オリビアを聴きながら』『PIECE OF MY WISH』『大迷惑』『愛は勝つ』などなど、そのときどきの流行歌だった恋歌が並びます。
心情の表現が、書き手のみなさん「作家」のそれでした。恋っていう切実な想いの記憶が強いエネルギーになって文章表現に乗り移ったみたいに、とろりと甘かったり、ひりひりしたり、悲しみの投げかけだったりとさまざまで、個性がある。でもこれだけの思いを文章にできていても、書き手のみなさんはすべて書き尽くした、はきだせた、とは思えていないでしょうね、おそらく。
さまざまな人生のドラマティックだったりロマンティックだったりする部分、それはその人たちの人生のごくごく一部分にすぎないのだけれど、それらの人たちを成している大切な一部分でもある。
本書の恋歌にからめた短い恋愛話の数々を読むと、それぞれに人生の質感が宿っているのだけれど、語り終えたその語り手はすっとどこかへ歩き去って行ってしまい、読み手は書き手とは二度と出合うことはなくて、これも「瞬間的な人生の交差」だなあという気持ちになりました。
たとえば、都会の駅中なんかを歩いていて、なにげに入った書店のとある書棚で隣り合った人がいて、その隣り合った時間が思いのほか長くなってお互いにちょっと気にするように横目でちらちら見合ったり、ずっと並び立っているせいで言葉を交わしていないのに妙にやわらいだ空気がお互いの間に流れだすのを感じたり。あるいは、これまたなにげに入った駅中の小さくてリーズナブルな天丼屋なんかのカウンターで隣の席になった人と、天丼が出来上がってくるまでの手持無沙汰の状態で隣り合っていて、お冷のピッチャーがその隣の人の側にあって、「すいません」なんて言いながらその人の前を横切る形で手を伸ばすと、向こうも気にしてくれてピッチャーを手にして「どうぞ」なんてこちらへよこしてくれたり、それでひととき二人の間の空気が和んだり。そんな、人生においての、お互いにすぐに忘れてしまうのだけど、でもなんてことはないのだしほんのちょっぴりだったとしても確実に差し合っていた瞬間ってありますが、こういうのはさきほど書いた、本書における「瞬間的な人生の交差」の類いだなあと思ったりするのでした。本書のそれぞれの短いエピソードにはもうその一瞬に密度があって、読み手との間にはたしかにその共有の時間が訪れます。それでも、投稿された文章を通じて出合った書き手と読み手とは、すぐに別れわかれになってもう二度と会えない、と感じるそれが、「瞬間的な人生の交差」の類いとちょっと似ているように思えたのです。
世の中って、そういった恋の経験を秘めたみんなが普段は何食わぬ顔で歩いているんですよね。あるいは、秘め過ぎてもう忘れてしまった、なんていう時期にある方もいらっしゃるでしょう。でも、本書のような本を読むと、恋から遠ざかった人でも、ときどきでいいから自分の思い出を引っ張り出してみたり、他人の恋バナを聞いてみたりするのって、「自分っていったいどんな存在なんだろう?」という答えのでてこないような問いに打倒されずにいられるようになる気がするんです。競争だ、と負けん気を出したり、背伸びしたり、虚勢を張ったりしてみんな生きていますけれども、ふと自分がフラットになったとき、何もないな、と思うのは目くらましにかかっているんです、きっと。何もないなじゃなくて、恋の記憶がまだ生きいきとしていることに気づけたりすると、ダウナーになりがちなフラットな状態でも、うきうきしたり、小恥ずかしさにニヤけたりなど、自分の内側で活動したがっているなにかが確かにあることを発見するんじゃないでしょうか。それって人生をより楽しくしそうですし、みんながそうならば世の中ももうちょっと楽しくなりそう。もちろん、フラットな状態でダウナーじゃない人だってたくさんいらっしゃるでしょう。そういう人は素晴らしい。いつも恋してたりするのかもしれません。
というようなことを思い浮かべた読書になりました。本書独特の読書体験でした。
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