困ったことに、もともと読書で何かを覚えるのが苦手なんです。
ここ二ヶ月くらいで、エッセイ、小説、伝記、新書など
20冊近くの本を読みましたが、中身はかなり大雑把にしか覚えていません。
一体なんのための読書なのかとたまに考えてしまいます。
「一冊で一つでも何か心に残ればいいかな」とか
「読解力が鍛えられるから」とか
適当な理由をつけて、読書に飽きてきた気持ちに軽くムチをいれて、
また読み出すこともあります。
あまり没頭できないタイプなんです。
目が痛くなるし。
楽しみはするのだけれど、後に残らない感じがある。
しかし、読書のひとつの意義としてこれだというのを、たぶん再発見しました。
具体的に事例を覚えたりすることじゃなくて、
自分の中の中心概念を構築・改造するためなのが大きい。
考え方や価値観を鍛えたり、イデアを作ったりしてますわ。
本と対話している。
というか、誰にとってもそんなものかもしれないですね。
人間って忘却と発見・再発見の連続で、読書などが、
得るほうの部分を手助けくれているような気がします。
クリエイトされたものを摂取する長所が、こういうところに
あるんじゃないのかな。
とはいえ、自分の読書の仕方は軽すぎるような気がしています。
ここ二ヶ月くらいで、エッセイ、小説、伝記、新書など
20冊近くの本を読みましたが、中身はかなり大雑把にしか覚えていません。
一体なんのための読書なのかとたまに考えてしまいます。
「一冊で一つでも何か心に残ればいいかな」とか
「読解力が鍛えられるから」とか
適当な理由をつけて、読書に飽きてきた気持ちに軽くムチをいれて、
また読み出すこともあります。
あまり没頭できないタイプなんです。
目が痛くなるし。
楽しみはするのだけれど、後に残らない感じがある。
しかし、読書のひとつの意義としてこれだというのを、たぶん再発見しました。
具体的に事例を覚えたりすることじゃなくて、
自分の中の中心概念を構築・改造するためなのが大きい。
考え方や価値観を鍛えたり、イデアを作ったりしてますわ。
本と対話している。
というか、誰にとってもそんなものかもしれないですね。
人間って忘却と発見・再発見の連続で、読書などが、
得るほうの部分を手助けくれているような気がします。
クリエイトされたものを摂取する長所が、こういうところに
あるんじゃないのかな。
とはいえ、自分の読書の仕方は軽すぎるような気がしています。
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