アニメ映画『この世界の片隅に』を観てきました。
主人公の声を担当するのは、能年玲奈さんから芸名を変えたのんさん。
子どものころから物語は始まりましたが、
あ~、能年ちゃんだ~ってすぐに顔が浮かんだのですよ。
しかし、もう序盤まもないところで、
声はすぐに主人公のすずのものになっていました。
世界の片隅にいた、かけがえのない“ふつう”の女の子の話。
妙な言い方になるけれど、「珍しいくらいに“ふつう”」なのでした、
主人公のすずちゃんは。
平和から戦争という状況下になっていって……
呉に暮すふつうという宝石はどうなっていったのか。
すずちゃんのような子はとくに守りたくなります。
ちょっとぼうっとして忘れっぽくて、
絵を描くのがとても上手。
そしてかわいい。
贅沢することとはちょっとちがった豊かさがそこにあるような。
たとえ贅沢したとしても、
こころを無くさないひとびとがスクリーンの中にいたような。
途中、憲兵が出てくるところがあって、
なんだか迷惑な連中だなあと見ていたけれど、
今の社会、ネット社会にも、
憲兵にたとえられる感じの気質になってしまっているひとびとは
多いなあと思う。
時代考証がしっかりしている感じで、
でも、それも柔らかく黒子として使われている感覚で、
物語の柔軟さを損なっていませんでした。
ことさら強調することなく、その時代はそうだったんだと
自然に骨組された知的な処理の仕方だと思いました。
最後に、ここはネタバレになるので注意。
八月十五日の日本降服を告げるラジオ放送での、
すずの反応が印象深かったです。
きっと、あそこで初めて強い怒りをみせたすずにとっては、
「そのくらいのちんけな覚悟で戦争しやがって」と思っていたのかもしれない。
いつもの穏やかなすずには、
みんな懸命に、最後の一人まで戦争する覚悟なんだから、
わたしも足手まといにならないでがんばろうという
気概があったのかなあと思いました。
というわけで、
これまでたくさんの人が見てくれたから、
公開劇場拡大によって、
こうしてこの映画をみたかった僕もみることができました。
大作のような派手さはないけれど、良作まちがいなしです。
こまかいいい仕事をしています。
主人公の声を担当するのは、能年玲奈さんから芸名を変えたのんさん。
子どものころから物語は始まりましたが、
あ~、能年ちゃんだ~ってすぐに顔が浮かんだのですよ。
しかし、もう序盤まもないところで、
声はすぐに主人公のすずのものになっていました。
世界の片隅にいた、かけがえのない“ふつう”の女の子の話。
妙な言い方になるけれど、「珍しいくらいに“ふつう”」なのでした、
主人公のすずちゃんは。
平和から戦争という状況下になっていって……
呉に暮すふつうという宝石はどうなっていったのか。
すずちゃんのような子はとくに守りたくなります。
ちょっとぼうっとして忘れっぽくて、
絵を描くのがとても上手。
そしてかわいい。
贅沢することとはちょっとちがった豊かさがそこにあるような。
たとえ贅沢したとしても、
こころを無くさないひとびとがスクリーンの中にいたような。
途中、憲兵が出てくるところがあって、
なんだか迷惑な連中だなあと見ていたけれど、
今の社会、ネット社会にも、
憲兵にたとえられる感じの気質になってしまっているひとびとは
多いなあと思う。
時代考証がしっかりしている感じで、
でも、それも柔らかく黒子として使われている感覚で、
物語の柔軟さを損なっていませんでした。
ことさら強調することなく、その時代はそうだったんだと
自然に骨組された知的な処理の仕方だと思いました。
最後に、ここはネタバレになるので注意。
八月十五日の日本降服を告げるラジオ放送での、
すずの反応が印象深かったです。
きっと、あそこで初めて強い怒りをみせたすずにとっては、
「そのくらいのちんけな覚悟で戦争しやがって」と思っていたのかもしれない。
いつもの穏やかなすずには、
みんな懸命に、最後の一人まで戦争する覚悟なんだから、
わたしも足手まといにならないでがんばろうという
気概があったのかなあと思いました。
というわけで、
これまでたくさんの人が見てくれたから、
公開劇場拡大によって、
こうしてこの映画をみたかった僕もみることができました。
大作のような派手さはないけれど、良作まちがいなしです。
こまかいいい仕事をしています。
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