読書。
『ろまん燈籠』 太宰治
を読んだ。
頑強なのかひ弱なのか、
出鱈目なのか几帳面なのか、
チャラいんだか地に足が付いているんだか、
同時代に生きていないせいもあって、
そこのところはよくわからない作家・太宰治の短編集。
太宰の熱烈なファンがいたり、毛嫌いする人もいたり。
いまでいえば、タイプは違うけれども、
村上春樹さんの立場(それも流行作家としての)なのかな?
本書はやはり太宰らしくよみやすく、
そしてうまい文章ながらもどこか甘ったるさがあって、
そこらへんに好き嫌いがわかれるのだろうなあと思いました。
表題作の「ろまん燈籠」はなんと、あのラプンツェルの話。
どこまで太宰の創作で、どこまでが原作のままなのかはわかりません、
なにしろ、ラプンツェルの話はディズニーのアニメでしか知らないからです。
でも、太宰バージョンの、それも登場人物たちが物語を紡いでいくという
方式でのラプンツェルはなかなか面白かったです。
そのなかで、「どうも長兄は、真面目すぎて、
それゆえ空想力も甚だ貧弱のようである。物語の才能というものは、
出鱈目の狡猾な人間ほど豊富にもっているようだ。」
という文句がありました。
ぼくももうすこし、出鱈目になろうかなと思いもしました。
太宰治は出鱈目でありながらも、
要所要所でものごとの本質をあぶりだしてくるのがすごいところかもしれない。
出鱈目で狡猾な人間を自認していて、
良心というか本質を見る厳しい目ももっていたから、自死してしまったのかなあ。
そう分析してみましたが、岩井俊二さんの解説によると、
死ぬことに対するミーハー的な気質だったんじゃないかということで、
そういうやっぱり軽い面のある作家だったのかなあという印象を持ちました。
まあ、作家っていうのは誰しもがそうい軽さってあるとぼくは思っていますが。
もしも太宰ばかり連続して読んでみたら、
彼なりの文章の美しさや語彙が読み手にもある程度は身に付きそうですけれども、
やっぱりその甘ったるさみたいなのに辟易としてしまう可能性が高い。
ぼくにとっては、たまに楽しみで読むのがいいように思いました。
間隔を開けずに二度読みなんかすると、興ざめな文章のときもあるよね。
と、そんなことを言いつつも、おもしろく読みました。
『ろまん燈籠』 太宰治
を読んだ。
頑強なのかひ弱なのか、
出鱈目なのか几帳面なのか、
チャラいんだか地に足が付いているんだか、
同時代に生きていないせいもあって、
そこのところはよくわからない作家・太宰治の短編集。
太宰の熱烈なファンがいたり、毛嫌いする人もいたり。
いまでいえば、タイプは違うけれども、
村上春樹さんの立場(それも流行作家としての)なのかな?
本書はやはり太宰らしくよみやすく、
そしてうまい文章ながらもどこか甘ったるさがあって、
そこらへんに好き嫌いがわかれるのだろうなあと思いました。
表題作の「ろまん燈籠」はなんと、あのラプンツェルの話。
どこまで太宰の創作で、どこまでが原作のままなのかはわかりません、
なにしろ、ラプンツェルの話はディズニーのアニメでしか知らないからです。
でも、太宰バージョンの、それも登場人物たちが物語を紡いでいくという
方式でのラプンツェルはなかなか面白かったです。
そのなかで、「どうも長兄は、真面目すぎて、
それゆえ空想力も甚だ貧弱のようである。物語の才能というものは、
出鱈目の狡猾な人間ほど豊富にもっているようだ。」
という文句がありました。
ぼくももうすこし、出鱈目になろうかなと思いもしました。
太宰治は出鱈目でありながらも、
要所要所でものごとの本質をあぶりだしてくるのがすごいところかもしれない。
出鱈目で狡猾な人間を自認していて、
良心というか本質を見る厳しい目ももっていたから、自死してしまったのかなあ。
そう分析してみましたが、岩井俊二さんの解説によると、
死ぬことに対するミーハー的な気質だったんじゃないかということで、
そういうやっぱり軽い面のある作家だったのかなあという印象を持ちました。
まあ、作家っていうのは誰しもがそうい軽さってあるとぼくは思っていますが。
もしも太宰ばかり連続して読んでみたら、
彼なりの文章の美しさや語彙が読み手にもある程度は身に付きそうですけれども、
やっぱりその甘ったるさみたいなのに辟易としてしまう可能性が高い。
ぼくにとっては、たまに楽しみで読むのがいいように思いました。
間隔を開けずに二度読みなんかすると、興ざめな文章のときもあるよね。
と、そんなことを言いつつも、おもしろく読みました。
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