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『ルポ 保健室』

2022-11-14 23:36:44 | 読書。
読書。
『ルポ 保健室』 秋山千佳
を読んだ。

子どもの頃、保健室には身体測定とケガをしたとき以外ではお世話になったことのない僕です。たまたまなにげなく見たテレビの特集でなんとなしのイメージがあるばかりで、具体的には保健室ってよくわからず、でもなんだか知っておかねばならないような……というひっかかりを本書のタイトルから感じて、手に取りました。

保健室ってどう機能しているのだろう? どのような苦しみを背負った子どもたちがやってきて、どういった悩みが寄せられるのだろうか。そこで養護教諭はどんな対応をしているのだろうか。著者が実際にいくつかの中学校の保健室に滞在し、そのなかでリアルタイムに経験したものや、養護教諭や生徒への取材から知ったことなどを中心とした内容です。昨今の子どもたちのリアルな負の部分、それは虐待や貧困がそのひどい部分が主なところです。また負の部分というよりも、子どもたちが悩んでいたり弱っていたりする部分、社会の変化やその社会の変化からの相互作用によって自分たちに生じた変化にもがいているような部分、そういったところから保健室でこそ発せられるSOSを世に明らかにすることで、その内容が多くの大人の読者たちが知ったり考えたりすることができるように問いかけてきます。

第一章では、さまざまな子どもたちのいろいろなケースが語られる。しかし、養護教諭は話を聞き、励ましたりアドバイスしたり寄り添ったりはできますが、たとえば家庭での貧困や虐待にはなかなか介入ができない。それに、中学校の三年間が終わったり養護教諭が転勤や退職になると、悩める子どもとの縁が切れてしまう。第一章だけ読むと、歯がゆくてたまらなくなります。ほとんど放置じゃないか、と。家庭の味はインスタントラーメンという母子家庭(母親に健康上の問題がある)の子ども、愛着障がいの子ども、マスク依存の子ども、それぞれが難しいケースで対症療法的な軽いアプローチをするのが関の山のようなところがありました。

しかしながら、第二章のひどい虐待を受けている女生徒、それもあらゆる虐待を経験し続けている女子ですが、彼女と養護教諭との交流や、第三章のつよい精神薬を服薬しながら保健室登校している女生徒と養護教諭とそのチームの関わりの話、第四章のLGBTの男子生徒と、卒業後も続く養護教諭(養護教諭が退職後に町の保健室を開設したがため繋がっていられた)の話、それらが、各々の場所でなんとか活路を見出すために獅子奮迅しているさまに、なんともいえず胸が熱くなるときがありました。

「困った子は困っている子」という本文中の言葉に、そうだよなあ、と肯かされました。各学校に少数でもそういった困っている子がいるとして、全国でトータルしてみれば、そして各世代を合計してみれば、いまも苦しんでいる人はかなりの数になるでしょう。

児童相談所に連絡しても、かなりひどい案件だったとしても「様子をみましょう」という対応になることが多いそうです。児童相談所が抱える事案がことのほか多いためではないか、と書かれていました。だとすると、「ちょっと待て」となりますよね。苦しんでいる子どもたちがどれだけの数いるのか、と。その一人ひとりの苦しみの深さを考えたうえで、その一人ひとりのケースの集積を思うと、子どもたちの問題はとてもつもない大きな問題だとあらためてわかってきます。

第一章ではがゆいような思いをしたと書きましたが、こういった多くのケースは家庭に介入できないことがネックになっているからでした。文部科学省では何年か前からスクールソーシャルワーカーを地域ごとに設置し始めていて、彼らであれば家庭に介入する動きができるため、今まで助けられなかった子どもたちと同様のケースに希望がすこしずつ見いだせるような体制にはなってきているとのことです。

本書を読んでいると、養護教諭はなんだか伴走者のようです。といいますか、訪ねてくる生徒に対してまるで伴走者のようにふるまえる養護教諭であれたならば、コトは好い方向へと流れていきがちなのかもしれない、という印象を持ちました。現役の教師でも、養護教諭や保健室に対して否定的な考えを持っている人が多いようなのですが、たぶんに、養護教諭を伴走者のイメージで見てもらえたなら、価値観がちょっと変わるのではないでしょうか。まあ、教師っていろいろと信念や考え方ががちっとした人も多いでしょうから、なかなかそうはいかないのかもしれませんが。

保健室という場は、たとえばSNSがそういった場として機能する場合だってあるのではないでしょうか。僕がネットを始めた97年ころ、契約していたinfowebというプロバイダに加入者専用の広場(掲示板)があって、そこはとてもくつろいだ優しい雰囲気で、そこでの会員同士の交流には悩みの告白とそれへの励ましなども多く、またネット初期特有の独特なオルタナティブな感覚で時間がゆっくり流れていて、今思えば保健室的かもしれないなあと思えるのです。そこは加入者が増えていくにつれて荒らしが増え、悪貨は良貨を駆逐するのごとく閉鎖にいたるのですが、荒れだすまでの良質だった空間をその場で過ごせたのはネットに対する原体験として僕にとってはとても好いものでした。そういったコミュニティーがSNS上にぽこぽこと点在している状態になったら「豊か」ではないですか。

本書のようなルポから、子どもたちの「現在いるところ」に注目できると思います。まるで見えてなかったところに視線を定めてもらえた感じは僕にはしました。
著者ははじめとおわりにこう書いています。
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保健室が、子どもたちを救う最前線として認識され、その力をさらに発揮できるようになることを願う。この社会はそれだけでずっと良くなるはずだ。
p10 & p249
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読み終えた今ならば、肯くばかりです。


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