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"よく動いてくれた人に感謝Ⅳ”   ‘17-7-18

2017-07-18 04:03:00 | Massy's Opinion

★Massy’sOpinion

営業所(渋谷、八王子、リース、中古車、東日リース)時代

日本の自動車販売業界は、輸入車の販売からスタートしている従って賃金体系はコミッション制がとられていた。従って、労使の契約は代理店契約に似た委託販売契約である。保険会社も同じような契約だった筈である。一方、急激な自動車産業の国内化は「組織販売を必要とするように成って来た。東京日産は戦時中の自動車配給会社を中心母体にしていた為、中央、城東、城西、城南、城北、八王子の5ヶ所の営業所からスタートしている。

・僕は、幸いにも渋谷営業所に所長として始めて営業に出た。25名のコミッション・セールス(CS)と組織化をする為にハウス・セールス(HS)を採用し始め、6人若いHSがいた。工場はリフトが6台、営業所の後ろ側にバウザー方式の250台位の駐車場があった。CSは優秀な連中が多く自分で会社を作っている連中が居た。「会社~CS~顧客」と言う販売経路になる。これでは会社は儲かる筈が無い。そこでこれらの流通経路を治す為、会社を作っている連中はハッキリと委託販売契約を解除した。販売台数を落とさずに遣らねばならず、会社全体で決めた訳ではなく「渋谷営業所」だけで遣るのだから、一人ずつ話し合いを始め、整理をしていった。時間を掛け独立させた訳だが、会社経営となると知識不足で資金繰りに困る人も出てきた。丁度、会社の株が秀和による買占めにあっていた時期で、社内は騒然としていたし、僕は、八王子に異動していたが、僕の所へ相談に来た連中も居る。後日、立派な修理工場になり、息子さんに継がせて、「あの時、増田所長に言われなければ、踏ん切りがつきませんでした」とお礼を言われた。「自動車デイーラーは拠点別経営にしなければ、利益が出ない」と言う考え方に確信を持った。サービスを大事にして時間のあるときはサービスフロントに立っていた。ある時、コートジュボアールの大使婦人が(金髪で凄い美人)フェアレデイーZをぶつけて修理に来た。フロントマンが対応していて、「バンキング...バンキング」と言っている、通じるわけが無い。一応、片言英語でリプレースメントが必要だと話したら、「You speak nice king’s English…」と言ってくれた。兎に角、近隣に大使館は多く、フエアレデイーサイドエンブレムが人気がある。皆、本国に送って、自分の車に付けるらしい。リアーエンブレムまで一台分セットにすると確か20000円位になったが、これも商売。兎に角、サービス工場の人間が明るくなった。それで、毎週土曜日の午後英語の勉強を始めた。「先生は如何しようか?」外資系の会社のドライバーさんで自家用に「Z」を乗っている人に頼んだ。余り自動車屋では聞いたことの無い話なので「興味津々」すぐ乗り気になって遣ってくれた。これらは面白いことが発見できた。先ず、このような外資系のドライバーさん達は、秘書も兼務している人が多く又そういう人が集まって団体が出来ていて、情報がすぐ伝わる。それで、東京日産の渋谷営業所が有名になってしまった。勿論、会社の上層部は知っていても「面白い事を遣っているな」程度だったが、他所の営業所から勉強会に入れてくれという人間が数名出て来た。

勿論、僕は会社の中は殆ど解って居たが、「へえ、彼が?」と言うような人間が居た。営業所の中では、人事考課で「C」点の子が英語が巧い。会社には、「色んな刺激が必要だな」これにはリーダーの前向きさが必要だなと痛感した。僕は、業務課時代に東電へよく出入りしていたが、あそこの車両担当部署の人は皆国家の整備士の資格を持っていた。当時、ディーラーはセールスはセールス、整備はサービスの仕事と言う分断した考えだった。この整備士の試験には整備の実務経験が要るが、業務の仕事の中には新車整備があるので、陸運局の窓口に日参してお願いして講習に参加して受験し、合格した。後にこれが上司に知られて、全セールスマンに受験させるようになった。今はもう忘れ去られてしまっているし、もうあの頃のメンバーは皆辞めて居るが、秋田の故郷に帰って米づくりに励んでいる男は、未だに米を送って来てくれる。兎に角、八王子時代には250台の一括商談を決めて、約33,000万円の手形を受け取りに行ったり、その納車は3月31日に多摩車検場から出張検査をして貰った。営業所の全員総掛かりであった。よく皆動いてくれて無事納車が出来た。

リース部時代には東京トヨペットの松浦社長が会長で兎に角、トヨペットの遣り方を研究させて貰った。中古車時代には、大崎会中心の業販を日産オークション中心にするのに勢力と時間を掛けた。リース部では債権の倍増を図り、既存のリース会社と提携する方法を考え、兎に角、残業をいとわづ発破の連続だったが、皆よく付いて来てくれた。あんな仲良しの集団が僕が止めてから暫くして、バラバラになってしまった。この時代、部下とのスキンシップを高める為、5人一緒に週一回プールに行く事にしたが、これは人間関係造りに効果があった。トーニリースでは兎に角、黒字のリース会社にする為に、資金として取りあえず10億を欲しいと社長にお願いしたら、取りあえず1億で遣れと言われた。随分ご進講申し上げたが、本質的なことは理解されなかった。兎に角、僕の理想のシステムを安いコストで組み上げる為、リース会社専用の「勘定科目」を造り、それからソフト会社に委託した。それでも、2年で30億のリース債権で月約1000万のリース収入が入るようにした。スタッフの人間は僕が指名させて貰ったが、喧々諤々格調高く4人で骨組みを作った。何処の職場でも、野球チームを作った。一緒に遣ってやると皆、凄く喜ぶ。そして、部下の潜在能力がとてもよく解る。兎に角、可なりきつい仕事の遣り方をしたが、皆、よく働いて呉れた。