方程式の指導で=をやたらにつける生徒がいた。
例えばこうだ。生徒たちが解いている様子を机のそばまで行って観察すると
2x-3=5
=2x-3+3=5+3
このあとすぐ授業を止める。
「これ(一番左の=)はだめだ。なぜですか?」
生徒「等しくないから」
「その通り」
「方程式を解くための『操作』は『計算』ではないんだよ。」
「方程式は計算を利用して式を変形しているんだ。」
といって、どんな変形なのかを説明する。
2x-3=5 の両辺に3をたすという「操作」をして
2x-3+3=5+3 とすることは式を変形している
このあと両辺を計算することは、計算を利用していること
2x=8 になる
つまり、2x-3=5 が 2x=8と変形されたわけだが、
変形前と変形後でも 解が「4」であることには変わりがない。
「変形によって解は変わらない」ことを利用して、より簡単な方程式に変形し、方程式を解いているのだと教えた。
この説明をしたら、=をやたら書くことがなくなってきた。
数教協では、普通の計算を「フレーズ型の計算」、等式の変形を「クローズ型の計算」といっている。
英語でフレーズとは「句」、クローズとは「節」であった。
2x-3+3の計算は 2x-3+3=2xであるが、式 2x-3+3 には述語がないから「句」
一方 2x-3=5には述語があるから(= equals または is equal to)
「節」である。
私は計算と言ったら普通の計算で、等式の変形は計算を利用した変形とした方が良いと思う。
つまり、等式の変形は計算ではなく「変形」と押さえる。
例えばこうだ。生徒たちが解いている様子を机のそばまで行って観察すると
2x-3=5
=2x-3+3=5+3
このあとすぐ授業を止める。
「これ(一番左の=)はだめだ。なぜですか?」
生徒「等しくないから」
「その通り」
「方程式を解くための『操作』は『計算』ではないんだよ。」
「方程式は計算を利用して式を変形しているんだ。」
といって、どんな変形なのかを説明する。
2x-3=5 の両辺に3をたすという「操作」をして
2x-3+3=5+3 とすることは式を変形している
このあと両辺を計算することは、計算を利用していること
2x=8 になる
つまり、2x-3=5 が 2x=8と変形されたわけだが、
変形前と変形後でも 解が「4」であることには変わりがない。
「変形によって解は変わらない」ことを利用して、より簡単な方程式に変形し、方程式を解いているのだと教えた。
この説明をしたら、=をやたら書くことがなくなってきた。
数教協では、普通の計算を「フレーズ型の計算」、等式の変形を「クローズ型の計算」といっている。
英語でフレーズとは「句」、クローズとは「節」であった。
2x-3+3の計算は 2x-3+3=2xであるが、式 2x-3+3 には述語がないから「句」
一方 2x-3=5には述語があるから(= equals または is equal to)
「節」である。
私は計算と言ったら普通の計算で、等式の変形は計算を利用した変形とした方が良いと思う。
つまり、等式の変形は計算ではなく「変形」と押さえる。