津本陽「巨人伝 上、下」読了
南方熊楠の伝記である。
僕はいつ頃この人のことを知ったのだろう。親が大金持ちだったからアメリカ、イギリスに明治時代に私費で留学。15年間海外で暮らしたのち、田辺市で生涯を閉じた。
15カ国の言葉をしゃべり、粘菌をはじめとした博学と民俗学の大家であるがあまりの天才=変人で世間ではあまり認められなかった人だ。逆に海外ではその分野に大きく聞こえた人のようだ。
明治時代の神社合祀に反対し、ある意味日本の文化を守った人でもある。昭和天皇にも進講するという名誉を得た人でもある。
物語では、すごい博学と粗暴で人嫌いの変人で「こんな人いないだろう」というひとが本当にいたのだということをいろいろな文献を引用して綴っている。
時代が動く時にはこんなひとが出てくるのだろう。
世の中に認められたい、認められるはずだと思いながら世間が認めてくれない苛立ちと葛藤が続いている。しかし、少しずつ偉大さが認められながら溜飲を下げ、最後には昭和天皇へのご進講で実を結ぶというところが痛快だ。
今年の春に南方熊楠顕彰館と言うのが田辺市にできた。この前訪ねようとしたら道路が工事中なので駐車場の場所を尋ねたら、その人が「熊楠さんのとこへ行くんかえ。」といっていた。いまだに「さん」をつけてよばれているのがこの人の人となりを物語っているのだろう。
南方熊楠は南方酒造の御曹司なのだが、僕の友達にも「南方」というせいのやつがいる。確かに顔立ちがよく似ている。濃いのだ・・・。
南方熊楠の伝記である。
僕はいつ頃この人のことを知ったのだろう。親が大金持ちだったからアメリカ、イギリスに明治時代に私費で留学。15年間海外で暮らしたのち、田辺市で生涯を閉じた。
15カ国の言葉をしゃべり、粘菌をはじめとした博学と民俗学の大家であるがあまりの天才=変人で世間ではあまり認められなかった人だ。逆に海外ではその分野に大きく聞こえた人のようだ。
明治時代の神社合祀に反対し、ある意味日本の文化を守った人でもある。昭和天皇にも進講するという名誉を得た人でもある。
物語では、すごい博学と粗暴で人嫌いの変人で「こんな人いないだろう」というひとが本当にいたのだということをいろいろな文献を引用して綴っている。
時代が動く時にはこんなひとが出てくるのだろう。
世の中に認められたい、認められるはずだと思いながら世間が認めてくれない苛立ちと葛藤が続いている。しかし、少しずつ偉大さが認められながら溜飲を下げ、最後には昭和天皇へのご進講で実を結ぶというところが痛快だ。
今年の春に南方熊楠顕彰館と言うのが田辺市にできた。この前訪ねようとしたら道路が工事中なので駐車場の場所を尋ねたら、その人が「熊楠さんのとこへ行くんかえ。」といっていた。いまだに「さん」をつけてよばれているのがこの人の人となりを物語っているのだろう。
南方熊楠は南方酒造の御曹司なのだが、僕の友達にも「南方」というせいのやつがいる。確かに顔立ちがよく似ている。濃いのだ・・・。