イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

停滞、停滞・・・

2012年01月23日 | Weblog
1月に入って、休みになると天気が悪い。
日の出前に寝床を抜け出し玄関を出る。西の方に化学工場の煙突があり、その日の風向きと強さを確認して釣りに行くかどうかの決断をする。
出勤の時はなんでこんな絶好の釣り日和に電車に乗って会社に行かないと行けないんだと思わせてしまう悩み多き煙突でもある。

今日も朝から北西の風が強く吹いている。煙が左に流れて煙突と直角になっていると100%釣りには行けない。
今週はこの冬最大の寒波が来るということなので、このままでは1月の釣行回数は1.5回で終わってしまう。
再び寝床に潜りこんでゆっくり眠るのは気持ちがいいものだが、やっぱり海に行きたいのだ。

「世の中に絶えて魚釣りの無かりせば、朝のこころはのどけからまし・・・。」
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「禅的生活」読了

2012年01月23日 | Weblog
玄侑宗久 「禅的生活」読了

禅宗というのは、荘子の考えを受け継いで確立された宗教なので、一度は何かの本を読んでみたいと思っていた。
「起きて半畳寝て1畳。天下取っても二合半。」という言葉が象徴するように、すべての妄想や煩悩を捨て去ることが「お悟り」を得ることである。「妄想や煩悩を捨てた。」という考えをも捨て去らなければならないと言うのだから、徹底している。
著者はその状態をお寺で飼っているネコやイヌにたとえている。何を考えているようでもなく、悩んでいる風もなく、今だけに生きている・・。
しかし、著者はまた、人間というのは考えながらその「お悟り」の状態になれる可能性があるところが動物との大きな違いでそれが人間のすばらしさだと説いている。

「知足(足ることを知る)」というのは自分に降りかかってくるさまざまなことを肯定的に受け入れるという考えだそうだ。
たまた車でぶっ飛ばしていたらそこに警察がいた。エンジンオイルの点検を忘れて出港したらシリンダーを焼きつかせてしまった。いきなり、「君の仕事はもう無いです。」と言われてしまった。などという災難も、方便だろうが自分が望んだことと受け止めることで怒りや悲しみから開放されることができる。
怒りや悲しみはずっとは続かない。一日一日は独立しており、ひとつの流れとして繋がっていないのだから、とりあえず今という足場にしっかり立つということが心の安心を得る最良の方法である。そこからは自分には不利な「不足」の状態も楽しいものだと考えることができる。
茶道の茶碗の銘器というのはえてして歪んだ形をしているそうだが、それも禅の考えからくる「不足」を楽しむ心からきているらしい。これを「風流」と呼ぶそうだ。

しかし、茶碗が歪んでいるくらいなら風流で結構だが、「仕事はありません。」と言われてしまったら風流どころではないわけで、理想と現実のギャップというのはこれほど大きいのだということをまざまざと思い知らされる。

ぼくもいざというときは、どこかの禅寺へでも逃げ込めばいいのだろうか・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする