谷沢永一 「人間通」読了
この本は大分昔にけっこう話題になった本だ。ベストセラーになったが、この本で名指しされた人からはいろいろあったようだ。
人間の器量というのは世に尽くす誠意と熱情があればそれで十分であり、組織の要となり世の礎となりうる条件は人の心がわかることただそれだけである。それを人間通と呼ぶ。前半にはそう書かれている。
後半は日本の官僚機構の批判にかなりの部分を割いていて、どうも偏りすぎているのではないかと思ったが、「人と人」という章に書かれている様々な言葉を読むとどうして官僚機構、ひいてはこの国の仕組みに対してこれほど怒りを向けるのかがわかってくる。
試験にだけ合格し、政治家と違い誰かの審判を受けない官僚という人たちは国民を見下し、人を人と思わなくなる。それは“人間通”とは真逆の生き方であり、著者にとっては我慢ならないことであったようだ。
しかし、それに対してどう行動するべきかこの本には書かれていない。また、対抗を呼びかけるようなこともしていない。
悪くいうと、アジっておいてそれっきりかと思えるが、そこはやはり自分で考えてくれということなのだと思う。
人の心がわかること。それはものすごく難しい。人の心がわかるためには人に興味を持たなければならない。師は「森羅万象に多情多恨たれ。」と言っていたが、そういうことを言っていたのだろうか。
組織は塊ではない、ひとりひとりがひとりひとりの考えを持っている。あまりにも興味が偏りすぎている僕には至難の業だ。至難のわざというより不可能だ。だから組織にはなじめない。
この席に座っている人たちは人間通なのだろうか?自分の武勇伝しか話さない人というのは自分にしか興味がなかったりしないのではないだろうか。
そんなことを思っているとますますこの椅子の座り心地が悪くなる。
師の著作に度々出てくる、ベトコンに包囲されて九死に一生を得たエピソードに出てくる南ベトナムの兵士は、弾丸が飛び交う中、洗面器に入れた食事を黙々と食べたり弾丸に撃たれうめき声もあげずに倒れてゆく。
彼らもきっと僕みたいに人間通にはなりきれなかった人々であったのだろう。戦争という極限状態がそうさせてしまったに違いないが、僕も同じようなものでこの会議室がそんな極限状態にさせてしまう。
会社という組織もよくよくみれば官僚機構によく似ている。特に硬直しきってしまったようなワガ社はそのものに見えてしまうのだ。
椅子の主もそんな組織に風穴を開けようと頑張っているのだろうが、そしてそれが正しい道なのかもしれないが、やはりその心がわからない。
僕は飛び交う弾丸の下を這いまわることしかできない。
だから、こんな人間は人間通になれないと決めつけられても言い返す言葉がないのである・・・。