M.チクセントミハイ/著 大森 弘/訳 「フロー体験入門 楽しみと創造の心理学」読了
この本では、「フロー」という心の状態について説明をしている。「フロー」という状態は、スキルがちょうど処理できる程度のチャレンジを克服することに没頭しているときに起る心理現象であり、人はそのに状態いる間は非情に心地よい感覚を覚える。
スポーツ選手や工芸家が、自分の持っている技術を極限まで発揮して勝負や作品作りに臨んでいる姿がその「フロー」なのである。到達点はあまりにも低いけれども僕が船の上でたとえ短時間(そんなにも集中力が持たない・・)でも竿の穂先を凝視している時の感覚が「フロー」なのである。
そう、フローとは世間で考えられる絶対値的な幸福のレベルとは別物で、個人ごとにフローの感覚は体験することができる。給料の高い医師は高度な知識と技術を要する手術の最中にフローを味わうし、貧乏な僕は田辺の磯の上で、8㎏100円のヌカ団子を放り込むサイクルの中でも同じフローを味わえることができる。ゴーンは10億で僕は100円。それはそれで仕方がない・・。
だから、人は幸福を求めるのではなく、「フロー体験」をできるだけ長い時間味わうということを考えなければならないというのだ。
そしてそのフローの経験が特に味わえるのは趣味に没頭してるときなのだそうだ。これは直感的でなくてもよくわかる。自分の好きなことには没頭できるし仕事というのは何かと苦痛が大きい。「仕事と日本人」にも同じ事が書かれていたけれども、フロー体験という言葉を知らなくてもよく理解はできる。
このことから、著者は人生の4割の時間を占めるという、仕事に対してフロー体験を得るように努力すべきだと言っている。そして、その努力の方法というのが、仕事内容が要求するものを超えて、考えたり気遣ったりすることで仕事から上乗せされた意味を引き出すことができるという。すなわち、フローを体験できるのである。
この、少し超えるということが、趣味、仕事にかかわらずまた、その成果が大きい小さいの問題にかかわらずそのプロセスの中で大切であるという。
しかし、プロセスが大切とはいえ、魚が釣れなければがっかりするし、売り上げが上がらなければうれしくない。上司が気にも留めてくれなければ徒労感が沸き上がるし、何をやっても叱られてばかりだとやる気が失せる。
そこも、著者は、目的があるからプロセスが生まれる。頂上という目的がなければ道中はただのぶらぶら歩きになってしまうのでそういうことは気にするなという。
こういう境地を、「自己目的的パーソナリティに達した。」という。こうなると、物の所有、レジャー、癒し、権力や名声といったものをほとんど必要としなくなる。
フローを体験するためには、心理的エネルギーを投資する必要がある。そしてフローはまた、心理的エネルギーを生み出す源にもなっているという。常にエネルギーが注入されていなければ、エントロピーが増大してしまう。タダではフローを体験することはできないというわけだ。
仏教には「四諦」という考え方があるけれども、このフローを体験することはもっと難しそうだ。何もかもの欲を捨てたふりをして頑張れと言っているようなものだ。しかし、もので溢れたこの時代、目的を持って欲を出さないという能力がなければ乗り越えられないような気もする。
しかし、なかなか僕にはできそうにない。やはり魚を手にしたい気持ちは無くならないし、新しい仕事の大半は印鑑を押すことで、昔のアクションドラマに「ハングマン」というのがあったけれども、これでは「ハンコマン」じゃないかと突っ込みを入れたくなるようではプロセスも何もない。まあ、まったく不毛な作文を作っているよりもまだマシかとは思うけれども・・・。
心理的エネルギー、それは忘れずに生きたいものだ。
この本では、「フロー」という心の状態について説明をしている。「フロー」という状態は、スキルがちょうど処理できる程度のチャレンジを克服することに没頭しているときに起る心理現象であり、人はそのに状態いる間は非情に心地よい感覚を覚える。
スポーツ選手や工芸家が、自分の持っている技術を極限まで発揮して勝負や作品作りに臨んでいる姿がその「フロー」なのである。到達点はあまりにも低いけれども僕が船の上でたとえ短時間(そんなにも集中力が持たない・・)でも竿の穂先を凝視している時の感覚が「フロー」なのである。
そう、フローとは世間で考えられる絶対値的な幸福のレベルとは別物で、個人ごとにフローの感覚は体験することができる。給料の高い医師は高度な知識と技術を要する手術の最中にフローを味わうし、貧乏な僕は田辺の磯の上で、8㎏100円のヌカ団子を放り込むサイクルの中でも同じフローを味わえることができる。ゴーンは10億で僕は100円。それはそれで仕方がない・・。
だから、人は幸福を求めるのではなく、「フロー体験」をできるだけ長い時間味わうということを考えなければならないというのだ。
そしてそのフローの経験が特に味わえるのは趣味に没頭してるときなのだそうだ。これは直感的でなくてもよくわかる。自分の好きなことには没頭できるし仕事というのは何かと苦痛が大きい。「仕事と日本人」にも同じ事が書かれていたけれども、フロー体験という言葉を知らなくてもよく理解はできる。
このことから、著者は人生の4割の時間を占めるという、仕事に対してフロー体験を得るように努力すべきだと言っている。そして、その努力の方法というのが、仕事内容が要求するものを超えて、考えたり気遣ったりすることで仕事から上乗せされた意味を引き出すことができるという。すなわち、フローを体験できるのである。
この、少し超えるということが、趣味、仕事にかかわらずまた、その成果が大きい小さいの問題にかかわらずそのプロセスの中で大切であるという。
しかし、プロセスが大切とはいえ、魚が釣れなければがっかりするし、売り上げが上がらなければうれしくない。上司が気にも留めてくれなければ徒労感が沸き上がるし、何をやっても叱られてばかりだとやる気が失せる。
そこも、著者は、目的があるからプロセスが生まれる。頂上という目的がなければ道中はただのぶらぶら歩きになってしまうのでそういうことは気にするなという。
こういう境地を、「自己目的的パーソナリティに達した。」という。こうなると、物の所有、レジャー、癒し、権力や名声といったものをほとんど必要としなくなる。
フローを体験するためには、心理的エネルギーを投資する必要がある。そしてフローはまた、心理的エネルギーを生み出す源にもなっているという。常にエネルギーが注入されていなければ、エントロピーが増大してしまう。タダではフローを体験することはできないというわけだ。
仏教には「四諦」という考え方があるけれども、このフローを体験することはもっと難しそうだ。何もかもの欲を捨てたふりをして頑張れと言っているようなものだ。しかし、もので溢れたこの時代、目的を持って欲を出さないという能力がなければ乗り越えられないような気もする。
しかし、なかなか僕にはできそうにない。やはり魚を手にしたい気持ちは無くならないし、新しい仕事の大半は印鑑を押すことで、昔のアクションドラマに「ハングマン」というのがあったけれども、これでは「ハンコマン」じゃないかと突っ込みを入れたくなるようではプロセスも何もない。まあ、まったく不毛な作文を作っているよりもまだマシかとは思うけれども・・・。
心理的エネルギー、それは忘れずに生きたいものだ。