イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「わたしのなつかしい一冊」読了

2021年11月27日 | 2021読書
池澤 夏樹/編 「わたしのなつかしい一冊」読了

今年の9月ごろにNHKのあさイチで紹介されていた本だ。毎日新聞の書評欄に連載されているコラムで、作家、科学者、教授、映画監督、哲学者など各界の著名人が人生の中で心に残っている本を紹介したものだ。
青いインクと活版印刷風の文字、紙面で使われた挿絵も同じ色で入れられているというかなり凝った本文のデザインになっている。
早速読んでみようと思って図書館に予約を入れてやっと今頃順番が回ってきたのでかなり人気の本のようである。
書評欄というと、新刊の紹介が主なのだが、どこの新聞社もこういった昔の書籍を紹介する欄も持っている。朝日新聞でも作家ごとに特集をしたコラムを作っていて、今週は山本文緒だった。ちょっと前のブログで、「恋愛中毒」について書いたところだったので奇遇であった。あのブログを書いた直後、山本文緒は亡くなったそうだ。ますます奇遇である。

それはさておいて、選者のひとたちが人生を変えた、もしくは人生の指針にしてきたという本を紹介しているわけだけれども、さすがに各界の第一線で活躍している人たちは心に残っている本も違う。それも、若いうち、おそらく人生観が芽生える学生時代の多感な頃にすでにこんな本を読んでいたのかというのには驚かされる。
僕が知っている本、読んだことのある本というのは1冊しかなかった。鴨長明の「方丈記」であったがそれも口語訳で読んだだけである。ここに人間の差と言うものがきっと出てくるのだろうなと思えるほどの落差である。
そして、それぞれの文章は、新聞の紙面の考慮もあるのだろう、すべて1000文字以内で書かれているのだが、その中に本の内容紹介と自分を変えた内容、もしくは指針としている部分をきちんと詰め込んでいる。もちろん、プロが書いているのだから当たり前といえばそれまでだが、こんな文章を書けるようになってみたいと思わずにはいられないのである。

自分の読書歴を振り返り、なつかしい1冊とは何であったか、あまり思い浮かぶものがない。人生を変えたかどうかはわからないが、やはり師の著作の数々だろう。初めて手にした師の著作は「私の釣魚大全」であった。
絶対に「関西のつり」ではない文章に驚き、釣りは釣りであるのだけれどもただ釣りというだけではないと思った。その次に記憶に残っているのは、「青い月曜日」であった。師の自伝的小説で、最後の場面は師の子供が生まれ、病院にかけつけるというところで、その文章は、主人公が病院の廊下で看護婦に呼ばれ、「呆然として手をたらしたまま佇んでいる一人の大学生の小さな、小さな像を見た・・」というようなものであったのだが、それを読みながら、こんな人でも人生に確たる自信を持たずに生きていた時があったのだと思ったことを覚えている。自分に子供ができた時も同じ思いで、呆然とはしなかったけれども、「これからどうしよう・・」と思ったのは確かであった。だが、その時師は21歳、僕は30歳だったことを考えるとこれはいかん・・。
日本文学の特徴のひとつは自虐的であるというが、こういう本が記憶に残るほどだから僕のその後もずっと自虐的な考えが先行してきた。自己肯定とはまったく無縁で、自分のことを肯定できる人の思考がわからないのは今でもなのである。例えば、同僚の自称、「美化係」の彼、横から見ていても、ミスと失敗を繰り返し、切羽詰まってくると逆上しかできないように思えるが、自身では、「俺でも失敗することがある・・」なのであるらしい。”でも”という接続助詞を使えるという自信はどこから来るのだろうかといつも感心する。
公人と私人で正反対の性格という人間はいるのであろうが、彼にも家庭があるようだがどんな家庭を築いているのか覗き見たいという衝動に駆られるのは僕が自意識過剰だからだろうか・・。例の女帝にしても、彼女は家庭を持っているのかどうか知らないが、私人の部分でもあんなに、自分以外はすべてろくでなしであると思っているのだろうか・・。いっそのこと、彼らのように生きることができればどれほど気が楽だろうかと彼らを見るたびに思えてくる。

今では乱読だけの生活でなつかしいと思えるほど本を読みこむこともないので心に残るような本に出合うこともないのかもしれない。せめて記録には残しておこうと思うのがこのブログであるが、それも果たしてその本の真意をつかむことができているのかどうかはなはだ疑問なのである。
そもそもなのであるが、この本に出てくる執筆者はおそらく自らお金を払ってその本を買っているのだろうなと思う。思い出の本はいつも手元にあるのである。対して僕が読む本は今はすべて図書館からの貸し出しものである。そこからしてその本に対する愛着が違うのである。本当に本が好きな人は自分で一般書店なり古書店なりに足を運んで購入して手元に置き、本に囲まれた生活をしているのだろう。
ここにも根を持っているかいないかの違いを見てしまったような気がする。

コメント
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