イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「自然界の秘められたデザイン 雪の結晶はなぜ六角形なのか?」読了

2021年11月30日 | 2021読書
イアン・スチュアート/著 梶山 あゆみ/訳 「自然界の秘められたデザイン 雪の結晶はなぜ六角形なのか?」読了

雪の結晶の不思議さを解明するため、自然界に存在する様々なデザインの謎を解き明かしてゆくという本だ。自然科学系の学者が書いた本なのかと思ったが、著者は数学者だそうだ。
日本にも中谷宇吉郎という雪の結晶の研究をしていた学者がいたし、ケプラーも雪の結晶に関する本を書いているらしい。雪の結晶というのはたくさんの学者を魅了してきたもののようだ。

雪の結晶というのは、基本的には六角形をしており、六回対称という図形に分類されるそうだが、自然界のデザインはこういった対称性というもので出来上がっているのだというのが著者の考えだ。数学でいう対称性とは、何らかの方法で形を変換、鏡映、回転、平行移動、拡大、縮小してももとの形とまったく同じに見える性質と定義される。
六回対称というのは、図形を回転させたとき、六つの位置で対称な状態が現れることをいうのだが、雪の結晶は、基本的には正六角形をしており、60度ずつ回転させても細かい欠けの部分は別にしてまったく元の形と同じに見えるのである。
そういった事例を揚げながら雪の結晶の謎に迫っていこうというのである。

『幾何学と融合した数学は図形を数式で表すことができるようになった。』というのは、前に読んだ本に書いてあったことなのだが、著者もそういうことを前提にしているのか、『自然は数学でできている。』と断定する。いきなりややこしい数式(僕にとってはすべての数式がややこしいのであるが・・)が出てきても困るのだが、序章で著者は、普通の凡人が数学を理解できるわけがないのでこの本には一切の数式を書かずに自然界のデザインについて書くと言ってくれている。それがありがたい。
そして、自然は数学でできているという証拠として、対数らせんとフィボナッチ数というものを取り上げている。対数らせんとは、巻貝の渦巻きに見られるものだ。先っちょから口に向かっていく広がり方が対数で表せるというのである。フィボナッチ数というのは、整数のふたつ前の数字を足して作る数列である。具体的には1, 2, 3, 5, 8, 13, 21, 34・・・となるのだが、花の花びらの数、ヒマワリや松ぼっくりの種の並ぶ数などがこれに従っているらしい。

そして、自然界が創るデザイン、この本では生物の機能的な構造についてのデザインではなく、生物の表皮の模様や花の形、気象が作り出す模様など、ある程度固定されたもののデザインを取り上げているのだが、そのデザインの元となるものは、先にも揚げている対称性、らせんに加えて、波動であるという。

波動によってできるデザイン、それは縞模様だ。これはなんとなくわかりやすい。砂丘の砂紋もそうだし、海の波の一瞬の姿もそうであろう。動物の体の縞模様については、ベロウソフージャボチンスキー反応という化学反応の過程で縞模様が生まれるのだという。そしてその縞模様が乱れると斑模様が生まれる。
対称性が創り出す模様は、動物の足跡や、ムカデの足の動き。などである。また、木星などのガス惑星の模様も対称性を持っている。らせんは貝殻はもとより、花の種、DNAのミクロの世界から銀河の構造にまでおよぶ。

人間はどうしてこういったパターンのあるデザインを好むのか、それにはこんな理由がある。対称性と複雑性に美しさを覚えるというのだ。それは、パターンを認識できる能力があると、生き延びる確率が高まる。例えば、季節の移り変わりが理解できれば1年を通して食料を見つけられるし、ヘビと蔓を、蜂と蝶を区別することができれば危険を回避できる。
確かに、ワラビもゼンマイもコシアブラもパターンを認識しながら見つけている。葉っぱの形や茎の巻き方は確かにパターンだ。

自然界は単純なパターンでできていると言いながら、そのデザインはこの上なく複雑だ。そういった複雑なデザインができるのは対称性の破れとカオスであるという。
対称性の破れは、キュリー夫人の夫であるピエール・キュリーが提唱したものだそうだが、対称的な原因からは必ずそれと同等の対称性を持つ結果が生じるはずが、原因よりも結果の対称性が低くなる現象を「対称性の破れ」という。まったく意味がわからない・・。一般人がわかるような言葉に直すと、『わずかな乱れが複雑な現象を生じさせる。』ということだそうだ。そのわずかな乱れがフラクタルという模様を作り出し、複雑なパターンを持ったデザインが生み出されるというのである。
対称な形で広がってきたものが、ある時突然対称性の乱れを起こし新しい突起が生まれる。それの連続がフラクタルであり雪の結晶の成長もそういった連続で生まれてくるという。
そんなある小さな変化が大きな変化を引き起こすこともある。これをカタストロフィー理論という。
そして、こういったことが自然界で起こりうるというのが、「カオス」だというのだ。
『単純で決定的な方程式から、複雑で規則性のないように見える答えが得られる場合がある。』というのがカオスの元の意味で、我が職場のように混沌として救いがない状態がカオスではないのである。

そして、変わらないものもある。自然界には「黄金角」というものがあり、それは137.5度だ、これはフィボナッチ数から導かれる角度で、先にも書いたヒマワリの種やカリフラワーの実(花?)の種や花はこの角度で並んでいる。
フィボナッチ数列の隣り合った2数の比率を分数にして円周を分割してゆくと急速に22.5度に近づいてゆく。360度からこれを引くと137.5度になる。この角度で配列してゆくと一番隙間なく種を並べることができるそうだ。

こう見てゆくと、数学が自然界を作っているというよりも自然界が数学を作ってきたと言えなくもないような気がしてくる。それを人間が発掘したのだ。
どちらにしてもこんなことを見つけ出す人たちはすごいのだと思うしかない・・。

そして、雪の結晶の複雑さについてはこんな見解を出している。『単純な原因から生じたにしては、これ以上ない複雑な結果となり、それを問うことは数学者の能力を超えたことである。』結局、こんなに頭のいい人たちをもってしてもわからないんじゃないか・・。というもの結論としてはきっといいことなのだとも思うのである。

僕がどうしてこの本を読もうと思ったのかというと、それはもう、魚たちの模様の美しさだ。
今年釣ったチヌのウロコの美しさ。



マゴチの斑模様の美しさ。


あんな模様はどうやって作り出されたのか・・、まさか数学がその後ろに隠されているとは思わなかったけれども、美しいと思う理由はちゃんとそこにあったのだということは理解できたのである。

コメント
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