イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「大江戸トイレ事情 (同成社江戸時代史叢書 36)」読了

2024年10月25日 | 2024読書
根崎光男 「大江戸トイレ事情 (同成社江戸時代史叢書 36)」読了


江戸時代のトイレ事情を知って何になるというところがあるのだが、探してみるとそんな何になるんだと思えることを一所懸命調べているひとがいるらしく書籍も出版されていた。

元々、以前に読んだ本の中に、江戸時代のウンコは資産として流通していたということが書かれていてそれに興味を抱かれた。https://blog.goo.ne.jp/matufusa/e/83ef588506b0b3d74ddbc483a471d4bbそれに加えて江戸時代というのは究極のリサイクル社会であったいう話はすでに知っていたので、それさえもリサイクルするのかという驚きと興味があった。

本題に入る前に、「ひやかし」の語源について書いておく。この時代のトイレットペーパーには「浅草紙」というものが多く使われていた。これは、古紙・ぼろきれなどを材料にして漉すき返した下等の紙で、浅草の山谷辺りで多く製造されたところからこんな名前が付けられている。
この紙を製造するとき、古紙を水に浸けて“冷やかす”必要があった。これにはある程度時間を要したため、職人たちはその待ち時間を利用して近くの吉原に出向き、遊郭の遊女たちを眺めに行っていた。こうしたことから、買う気もないのに眺めているだけの客を“ひやかし”、その行為を“ひやかす”というようになったのである。この言葉も究極のリサイクルが生み出した言葉だったのである。

ウンコ(下肥)を肥料としていたのは鎌倉時代の後期からくらいだそうだ。江戸時代の初期の頃はまだ資産として取引はされておらず、江戸の町ではその周辺の農家が手間賃を貰って武家屋敷や商家、町家から回収して自家用の肥料として使っていた。下肥は都市から回収され農産物となってまた都市へ戻ってゆくという循環ができあがっていた。
この循環は変わらなかったけれども、江戸の町の人口というのは1600年代の中盤から1700年代の中盤の100年間で町人だけでも15万人から50万人(これに武家の人口が加わると100万人にまで膨れ上がる)にまで増加する中で食料供給量も増えていった。
農産物の増産をするためには肥料が欠かせないが、その中心を担ったのが下肥でありその価値も上がり始めたのである。

下肥を集めたいという競合が増えてくると農家は逆にお金を支払って回収するようになり、その価格も糶り売りにかけられるようになり価格は上昇していく。同時に下肥を回収して流通させる専門業者まで生まれてくる。この本の記録では江戸時代の後期(かなり値段が高騰していた頃)で1トンあたり1両で取引をされていたようだ。ウンコが1両という金と比較できるだけの価値を持っているというのだからなんだか夢がある。この頃の1両の価値とは今でいうと大体3万円~5万円だそうだ。

この価値がどれほど農業経営を圧迫したのかはわからないが、農家から窮状を訴えられた奉行所は価格の規制や下肥の回収に従事できるのを農家に限定するというような措置が取られるところもあったそうだ。

公衆トイレもそんな中から生まれた。当時、江戸の町では家以外では立小便というのが普通であったが、公衆衛生の問題と、資源回収の目的で私設の物件として作られるようになった。ウンコが足りないので小便も回収して肥料に回そうというのである。
公衆トイレを使う人はお金を払って使用し、業者はさらにそれを農家に売るというような仕組みであったそうだ。この運営には農家ではなく町人があたっていた。そしてその運営は明治時代になって政府に引き継がれ公営の施設となってゆく。

様々な規制や制度を設けてもいつの時代も悪いやつはいるものだ。既得権を主張したり、水で薄めて流通さるなどしてなんとか得をしたいと悪知恵とゴリ押しをするやつは絶えなかったようだ。

どちらにしてもリサイクルいうのには夢がある。世の中から見捨てられたと思われているものが再び脚光を浴びるというのは、うだつの上がらないヒーローが最後の最後に仲間を勝利に導くというようなカタルシスがある。こういうリサイクル経済のことを「静脈経済」というのだということを今日知ったのだが、こういう経済はすばらしいと思った。
常に新しいものを無理やり消費させるというような動脈経済どころかぜい肉にしかならない消費をあおるような仕事をしてきたが、こういうことに共感を覚えるのだから会社の中で認められなかったのも納得できるのである。

コメント
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