今年もあとわずか、この1年を振りかえる。
今年は何といっても天候不順の1年であった。
年明けから気温が低く、まあそれでも数は少ないながらもイカや真鯛を釣ることができたけれども、春先までその影響が続いた。


その影響はチヌの乗っ込みだ。今年は1回だけの釣行であったが田辺の磯は海水の低温が続いてまったく釣れない状況が続いていて僕もそのあおりを食ってしまった。

一応、これでも、田辺でのチヌ釣りについては一家言持っているつもりではあったがそんな偉そうな鼻っ柱を木っ端みじんに打ち砕かれてしまった。
4月、5月はパッとせず、ボウズの日も多かった。これも気候の不順のせいにしてもいいのだろうか・・・。
6月に入ってやっとチョクリも少しずつ釣果が上がってきた。

そして今年は夏を迎える前に船底塗装をやったので真夏の時期でも遠征をすることができた。
塗装後の初島への釣行は4回。本当の釣りたかったイワシ飲ませでのブリは今年もお預けになったけれどもいずれの回もそれなりの釣果となり、タイラバではホウボウやコチなど久々に釣り上げた獲物もあった。

夏の獲物というとキスとスズキなのだが、どちらも厳しい結果だった。スズキにいたってはとうとう手にすることができなかった。エイは釣れたけれども・・・。

そして今年最大の試練は台風21号だ。9月4日に襲来したこの台風は本当に尋常ではなかった。
翠勝丸はシールドが破壊されただけで済んだけれども、

第三翠勝丸の被害は甚大であった。
後部の物入れが水浸しになり、エンジンも死んでしまった。

デッキに乗せてあったものはすべて流されてしまっていたのだが、あの日、あの時間、この船たちはどんな状態になっていたのだろうか。五キロはある碇がデッキから飛び出てしまうという事実を想像できることができない。
そんな中、どうやって浮かび続けてくれていたのか・・。エンジンが動かなくなるということは、エンジンカバーも海水をどっさり浴びたのだろうか・・。
エンジンが息を吹き返したのはあれから4ヶ月になってしまった。

しかしながら、動くことは動くのだかものすごく回転が不安定だ。このまま、いつまで使い続けることができるか、それとも思い切って大修理をやってもらうか。多分それのほうがいいのだろうが、先立つものが台風の襲来よりも不安なのである・・・。
その後紀伊半島を襲った台風24号の前兆は21号よりももっとひどかった。21号よりわずかに南にそれてくれて難を逃れたけれども予報通りにやって来ていたら、もう、壊滅状態になっていたのではないだろうか・・。

そしてその後の釣果はななかなか上がってこなかった。長引く暑さが原因なのか、台風の余波がずっと残ってしまったのか、水軒沖のタチウオは型が小さく数も伸びず、

洲本のタチウオももっと数が欲しかった。まあ、これはタイミングが悪くてというところもあって、実は世間的には豊漁だったようだ。洲本以外、小島の沖でもそこそこ釣れるのだということを経験したことは大きかった。

真鯛も厳しかった。これもいつもこのくらいといえばこのくらいではあるのだが・・・。

コウイカにいたっては2匹だ・・。ヒラメはうれしかったが・・。

また、今年はいくつかの新しい釣りに手を付けたというのも特徴だろうか。それがよいことだったのか、あれこれ手を出して共倒れになってしまうのかというのはもう少し待たねばならないだろう。
スズキを狙うためにたたき釣りというをやってみたがスズキは釣れず、サバが1匹・・。まあ、何も釣れなかったよりもマシだと思いたい。

エビングというのもやってみた。ジギングよりも釣れそうな感じなのだが・・。やっぱり釣れなかった。

高仕掛けも枝素を思い切り短く、ビニールも細くという仕掛けで臨んでみたけれども、これも効果のほどはまだわからない。

年末の最後の最後も休みの廻りが悪くて3日間も停滞してしまった。そういう意味では今年はまったく不完全燃焼の年であった。
さて、来年はどんな年になるであろうか。まあ、あわてず、騒がず、「毒蛇は急がない。」という心持ちで、安全第一低空飛行安定走行でいきたいものだ。
最後の休みは船外機のオイルを交換し、標識ステッカーを貼り替え、それぞれの船に松飾をして終了。
去年までは小さいながら鏡餅を作ってくれていたが今年からは餅を作らないそうだ。港の近くには幸いにして松がたくさんある。それを使って適当に作って作ってみた。

どんどん我が家も季節感が無くなってゆく。今年はそれに輪をかけて正月に食べるべき魚を手にすることができなかった。
しかし、考えてみれば、「サピエンス全史」に書いていたとおり、に暦というのも人間が勝手に作り出した実態のないものだ。2019年1月1日という日付には宇宙の時間の経過との相関関係は全くない。海を泳いでいる魚たちには年越しや元号が変わるということなど何の関係もない。だからこの時に魚が釣れなかったとしてもくよくよしなくてもいいのだ。正月というのは人間が考え出した幻でしかない。
29日に注連飾りを飾ると“苦”がつくと嫌われるそうだが、これさえも福(二九)が来ると思えば思えなくもない。実体のないものとはそういうものだ。
しかし、僕の知る限り、この港で船に飾りをしているのは渡船屋と僕くらいだ。そういう意味では僕は相当その実体のないものに縛られているのかもしれない・・・。
今年も薄くなってしまった潮時表と潮流表を処分して来年を迎えよう。
今年は何といっても天候不順の1年であった。
年明けから気温が低く、まあそれでも数は少ないながらもイカや真鯛を釣ることができたけれども、春先までその影響が続いた。




その影響はチヌの乗っ込みだ。今年は1回だけの釣行であったが田辺の磯は海水の低温が続いてまったく釣れない状況が続いていて僕もそのあおりを食ってしまった。

一応、これでも、田辺でのチヌ釣りについては一家言持っているつもりではあったがそんな偉そうな鼻っ柱を木っ端みじんに打ち砕かれてしまった。
4月、5月はパッとせず、ボウズの日も多かった。これも気候の不順のせいにしてもいいのだろうか・・・。


6月に入ってやっとチョクリも少しずつ釣果が上がってきた。


そして今年は夏を迎える前に船底塗装をやったので真夏の時期でも遠征をすることができた。
塗装後の初島への釣行は4回。本当の釣りたかったイワシ飲ませでのブリは今年もお預けになったけれどもいずれの回もそれなりの釣果となり、タイラバではホウボウやコチなど久々に釣り上げた獲物もあった。




夏の獲物というとキスとスズキなのだが、どちらも厳しい結果だった。スズキにいたってはとうとう手にすることができなかった。エイは釣れたけれども・・・。


そして今年最大の試練は台風21号だ。9月4日に襲来したこの台風は本当に尋常ではなかった。
翠勝丸はシールドが破壊されただけで済んだけれども、


第三翠勝丸の被害は甚大であった。
後部の物入れが水浸しになり、エンジンも死んでしまった。

デッキに乗せてあったものはすべて流されてしまっていたのだが、あの日、あの時間、この船たちはどんな状態になっていたのだろうか。五キロはある碇がデッキから飛び出てしまうという事実を想像できることができない。
そんな中、どうやって浮かび続けてくれていたのか・・。エンジンが動かなくなるということは、エンジンカバーも海水をどっさり浴びたのだろうか・・。
エンジンが息を吹き返したのはあれから4ヶ月になってしまった。

しかしながら、動くことは動くのだかものすごく回転が不安定だ。このまま、いつまで使い続けることができるか、それとも思い切って大修理をやってもらうか。多分それのほうがいいのだろうが、先立つものが台風の襲来よりも不安なのである・・・。
その後紀伊半島を襲った台風24号の前兆は21号よりももっとひどかった。21号よりわずかに南にそれてくれて難を逃れたけれども予報通りにやって来ていたら、もう、壊滅状態になっていたのではないだろうか・・。

そしてその後の釣果はななかなか上がってこなかった。長引く暑さが原因なのか、台風の余波がずっと残ってしまったのか、水軒沖のタチウオは型が小さく数も伸びず、


洲本のタチウオももっと数が欲しかった。まあ、これはタイミングが悪くてというところもあって、実は世間的には豊漁だったようだ。洲本以外、小島の沖でもそこそこ釣れるのだということを経験したことは大きかった。



真鯛も厳しかった。これもいつもこのくらいといえばこのくらいではあるのだが・・・。




コウイカにいたっては2匹だ・・。ヒラメはうれしかったが・・。

また、今年はいくつかの新しい釣りに手を付けたというのも特徴だろうか。それがよいことだったのか、あれこれ手を出して共倒れになってしまうのかというのはもう少し待たねばならないだろう。
スズキを狙うためにたたき釣りというをやってみたがスズキは釣れず、サバが1匹・・。まあ、何も釣れなかったよりもマシだと思いたい。

エビングというのもやってみた。ジギングよりも釣れそうな感じなのだが・・。やっぱり釣れなかった。

高仕掛けも枝素を思い切り短く、ビニールも細くという仕掛けで臨んでみたけれども、これも効果のほどはまだわからない。

年末の最後の最後も休みの廻りが悪くて3日間も停滞してしまった。そういう意味では今年はまったく不完全燃焼の年であった。
さて、来年はどんな年になるであろうか。まあ、あわてず、騒がず、「毒蛇は急がない。」という心持ちで、安全第一低空飛行安定走行でいきたいものだ。
最後の休みは船外機のオイルを交換し、標識ステッカーを貼り替え、それぞれの船に松飾をして終了。
去年までは小さいながら鏡餅を作ってくれていたが今年からは餅を作らないそうだ。港の近くには幸いにして松がたくさんある。それを使って適当に作って作ってみた。



どんどん我が家も季節感が無くなってゆく。今年はそれに輪をかけて正月に食べるべき魚を手にすることができなかった。
しかし、考えてみれば、「サピエンス全史」に書いていたとおり、に暦というのも人間が勝手に作り出した実態のないものだ。2019年1月1日という日付には宇宙の時間の経過との相関関係は全くない。海を泳いでいる魚たちには年越しや元号が変わるということなど何の関係もない。だからこの時に魚が釣れなかったとしてもくよくよしなくてもいいのだ。正月というのは人間が考え出した幻でしかない。
29日に注連飾りを飾ると“苦”がつくと嫌われるそうだが、これさえも福(二九)が来ると思えば思えなくもない。実体のないものとはそういうものだ。
しかし、僕の知る限り、この港で船に飾りをしているのは渡船屋と僕くらいだ。そういう意味では僕は相当その実体のないものに縛られているのかもしれない・・・。
今年も薄くなってしまった潮時表と潮流表を処分して来年を迎えよう。
釣果の写真を見ながら、何だかんだ言っても、食べる魚に不自由しない1年でしたね。
私から見れば、羨ましい限りです。
私は釣りに行けない日が続き、不本意でした。
由良湾にボートを出したのは、わずか2、3回。アオリイカに至っては、釣行ゼロでした。
それでも、イレグイさんにはたくさん釣らせてもらい、感謝すぁう。
船首に掲げられた連飾り。背筋が伸びますね。来年もどうか安全に。少しだけ豊漁を・・・。
去年は新しい仕掛けを試してみましたが、なんだか多角経営に失敗して会社を潰しそうな2代目社長のような感じです。魚はたくさん食べましたが、釣果という面ではどこまでも満足満足がありません。今、ひまじんさんに使っていただこうと、タチウオ釣り用の竿を作っています。ヘッポコな船頭ですが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。