イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

船底塗装

2024年10月11日 | Weblog
こんな時にこんなことをしていてもいいのだろうかという気持ちはある。しかし、予定していたことはやっておかねばならない。
といいながら、やっぱりそういうことはいかんのだよと言うがごとくに機械室の鍵を取りに行く際に予約のノートを見てみると僕の予約が勝手に消されて別の人の名前が書かれている。最初に書いた予約が消されていたのは何度も予定を変更していたので今回はキャンセルだろうと管理人の人が勘違いしたと思って書き直した予約も消されていた。これは間違いなく意図的に消されたものに違いない。
これは困った。ここでは僕はよそ者で使わせてもらっている立場だから文句を言ったりするとじゃあ使わせてやらないと言われるのが落ちだとはいえ無茶苦茶なことをする。やっぱりここもムラなのである。よそ者は基本的に拒絶されるのだ。

う~ん・・としばし思案。勝手に消した人の予約は明日と明後日、僕は今日と明日。それならこの人が船を上架する前に僕の船を降ろせば問題がないだろうと考えて、朝早すぎるかと思ったが、ノートに書いている管理人さんのところへ電話を入れてみた。多分、この人は前回お金の回収に来ていたヨシヤさんという人だろうと思う。さすがに漁港に住んでいる年寄りだ。午前7時半だったがちゃんと電話に出てくれた。事情を説明して、明日の上架の時間までには船を降ろすから今日使わせてもらえるように相手に了解を取ってくれないかとお願いをしてみた。何をややこしいことを言っているのだとけんもほろろにあしらわれるのかと思ったがそこはあっさり引き受けてくれて10分後には了解が取れたでと連絡をくれた。
明日は午前6時に引き揚げると言っているというのだが、潮が低すぎるのではないかと思って聞き返すとここはけっこう潮が低くても大丈夫とのこと。あとで潮位表を確かめてみると、12日の午前6時というのは潮が引ききる前の時刻で、今日、僕がここまで待てば大丈夫だろうと思った潮位とほぼ同じだった。僕としては、翌日の朝は潮が引きすぎているから降ろせるのは昼からだろうと思っていたけれども、みんなきちんと海を見ているなとある意味感心してしまった。僕も明日はお昼前に用事があるのでそれまでに船を戻せたら午後からはゆっくりできるのでありがたい。

ノートだけで予定を管理しているほどだから何もかもアバウトというか、ムラではこれでなにもかもうまくいっているのだろうからこれで問題がないのであろう。Nさんに言わせると、「あいつらのやっていることは無茶苦茶や。」となるのであるが、そこに他所のものが入ってくるとややこしくなるだけなのであると僕は思う。普通なら僕も逆ギレしてしまうところだが、おカネを節約するためには他人に従うしかなくて、そうなると自分の運命を他人にゆだねているということになる。だから、郷に入っては郷に従え。ムラの掟に背いてはいけないと思うしかないのだ。

今回はいとこにウインチの操作を頼んでいる。ひととおり説明をして午前8時半に上架を開始。多分大丈夫だろうと思いながらも船台は船を乗せられるくらいまで沈んでくれるだろうかと心配していたがヨシヤさんが言っていた通り、ギリギリどころか余裕で安全な位置まで沈んでくれた。潮位は85センチあれば大丈夫だということが確認できた。

先週のタチウオ釣りの時点で異常なほど船の速度は落ちていてスクリューには不規則な形でフジツボが付着しているのか、異常なほど船が振動していた。上架した船を見てみると確かにものすごい数のフジツボが付着している。



5月に上架したときは船底があまりにもきれいでこれは1年に1度で大丈夫じゃないかと思ったけれども今年の猛暑で逆転してしまったようだ。このような気候が来年も続くのであればやっぱり年2回の作業はやめられそうもない・・。

作業は特に問題なく終了。



しかし、スクリューのシャフトのブラケットの基部の割れがひどくなってきているのが気になった。次の作業の時にはFRPで補修を施さねばならないかもしれない。補修自体に効果があるのかどうかはわからないがFRPの扱いは小船で経験したので見た目だけでも割れ目を埋めることができるかもしれない。

翌日は次の人に迷惑がかからないように午前5時半に港に到着。いとこが5時45分に来てくれるのを待っていると管理人さんが先にやってきた。名前を告げると、「えらい無理を言ってすまないね~。」との言葉。もう、こっちが下手にでなければならないと思っていたので拍子抜けした。その後にやってきた当の二重線で僕の名前を消した人も、不愛想で強面の人かと思ったら腰の曲がった小柄な爺さんで、「急かして悪かったね~。」と言う。なんだか悪気が一切ない中で先の予約を消しているのかと思うと恐ろしくもあった。けれども、これがムラの中だけならスムーズに事が運んでいくのだろう。世の中では田舎への移住が人間関係で失敗したというような話が出ているが、確かにこれをよそ者がクリアするのはなかなか難しいのだと思った。
まあ、僕の印象としては結果として、思っているよりもみんないい人たちだったということなのである。

結局、船を降ろす作業は管理人さんがやってくれたので朝早くから起きてくれたいとこには申し訳ないことをしたのだが、せっかくなので港までのクルージングにつきあってもらった。水軒で育ったので子供の頃は港をうろうろしたり海に潜ったりしていたらしいが、海自体を見るのは久しぶりらしく、全然景色が違うと驚いていた。確かに、40年前とはまったく景色が変わってしまっている。少しの百姓仕事をしながらずっと家にいるので近いうちに釣りにも連れていってやろうと考えている。
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