イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

凍れる音楽を聴きに行く

2024年11月23日 | Weblog
ずっと行きたいと思っていた薬師寺に行ってきた。和辻哲郎が「凍れる音楽」と評したこの寺院は死ぬ前に必ず行っておきたい場所であった。来年度には拝観料が値上げされるらしくチャンスは今年しかない。
先週の連休中に行ければと思っていたが元々が半径15キロから出られない性格なのとすこぶる天気がよかったので釣りに行ってしまった。
そして次の週末の今日、加太は快調らしいというけれども風が吹いている。これはきっと神様(この場合は仏様か・・)が薬師寺に行けとおっしゃっているのだろうと思い地元の駅の始発電車に乗って奈良に向かった。しかし、神様(この場合は仏様)が誘ってくれたわりにはいきなりのトラブル続きであった。
最初のトラブルは電車が止まったということだ。日根野駅の手前にやってきた頃、その先の踏み切りで遮断機が折られておまけに前を走っている車両の緊急停車した場所が送電線の境目だったので動けないという。



これで天王寺駅に到着したのが20分遅れになってしまい乗り換え予定の電車に乗りそこなってしまった。その次のトラブルはJR郡山駅から薬師寺に向かって歩く方向を間違ってしまった。方向音痴は昔からのことだが、地図を印刷して持っていったもののいざ駅に降り立つとどっちの方に行っていいのかがまったくわからない。北に向かわねばならないはずなのだが、向かった先に太陽が見えたのでこれは絶対に間違っていると駅に戻って駅員さんにルートを聞くとどうも車で行くルートを教えてくれたようで相当遠回りになってしまった。



これでは自分で印刷した地図はまったく意味がなかったじゃないかと悔しい思いをしたのだが、途中でもう一度その地図を見直してルートを修正。予定よりも35分遅れの午前9時35分に西塔の相輪が見えてきた。もう、この時にはホッとして力が抜けてしまった・・。



その後は普通に拝観。東塔だけが1300年前の創建当時から残っている建造物だが、その圧倒的な存在感と美しさは今まで訪ねた寺院の建造物と桁が違う印象を受けた。



近づけば近づくほど自分に迫ってくる迫力がある。西塔は1981年に再建されたもので同じデザインだけれどもそういった迫力が感じられない。僕には凍れる音楽というよりも壮大なシンフォニーに感じられた。



う~ん、これが1300年の重みなのだろうかと改めて感じ入る。築43年というと民家でいうなら相当古いという評価になるけれども、1300年に比べるとまだまだ若造なのである。
我が家の築年数ももうすぐ50年になり、今の会社が無料でやってくれた耐震診断ではそうとう危険という評価であったが、まだまだ若いといっていいのかもしれない。



つぶれると言われてもこう考えたら大丈夫だ・・(かもしれない・・)

今回、事前の下調べで、薬師寺は法相宗の総本山のひとつだということを知った。(もうひとつは同じく奈良の興福寺である)南都六宗のひとつである法相宗の開祖(鼻祖とも言うそうだ)はかの玄奘三蔵である。人間の存在は実体ではなく唯識とか阿頼耶識という観念であるというような概念の宗教だ。同じものを見るにしてもその捉え方は人ごとに異なるという考えはまさにその通りだと思う。僕はそういうことを60年かかってやっとほんの少しだけ理解したつもりだが、すでに1400年前にその悟りを開いている人がいて、それからわずか100年と少しで日本に導入されていたというのは驚きである。
唐招提寺を拝観してもう一度薬師寺を拝観しようと戻ってみると無料で講和を聞けるという時間になっていた。早く帰りたいと思ったがせっかくなので拝聴することにした。
講師の坊さんも玄奘三蔵についてのお話をされていた。仏教では人間の煩悩を「三毒」というもので表していて、それは「貪欲(とんよく)」「瞋恚(しんに)」「愚痴(ぐち)」であり、西遊記に登場する玄奘三蔵の家来である、猪八戒、孫悟空、沙悟浄はそれぞれの毒の象徴であり、玄奘三蔵も人間であるかぎりそういった煩悩を抱えているが、それらを従え、制御することで大願を成就したのだというのが西遊記に込められている真実であるというような説明をされていた。
結局、最後は2000円で写経をしてくださいという勧進のためにこの講和をやっているのだということで終わったのだが、この坊さんは落語家かと思えるほど上手で面白い講和であった。



薬師寺というのは檀家を持たない寺院のひとつだそうで、東塔以外の建造物もすべて一般人の写経で得られた寄進で再建されたということなので僕も少しは貢献したいと思ったのだが、今日は交通費を含めて4000円以内で収めねば来週を乗り切れないので泣く泣く講和を拝聴するだけにしておいた。
その後も偶然だったが金堂内で団体客向けか、別の坊さんが金堂に安置されている仏像の解説をしていたので便乗して聞くことができた。薬師寺の本尊はその名の通り薬師如来なのであるが、創建当初から現存しているこの仏像には経典に書かれているすべての特徴が備えられているそうだ。しかし、ただ一つだけわざと外している部分があるのだと語っていた。その部分とはおでこにある白毫だそうで、この白毫を見ることができるのは如来様同士だけらしい。



普通の人間にはそこから発せられる輝きは見えるけれどもそれ自体を見ることができないので人間からの見た目としてこの薬師如来にも白毫がないのだということであった。トリビアだね~。ついでに脇侍の菩薩様についても説明があって、向かって左が月光(がっこう)菩薩、右が日光菩薩というのは昼夜問わず衆生の健康を見守っているという意味があるということだ。(坊さん曰く、夜勤と日勤の看護師さんという位置づけだそうだ。)如来様ごとに脇侍の菩薩様は決まっているけれども、記憶力のない僕はそれを覚えることができない。けれども、今日の説明で薬師如来の脇侍だけはきっちり覚えることができたのである。



最初のトラブルがなければ二つの講和を聞くことはなかったと思うとやはり今日は神様(この場合は仏様)に導かれた遠出であったように思うのである。

唐招提寺は薬師寺から歩いて5分ほどのところにある。もちろんこれは拝観せねばと訪ねてみた。ここも来年度は拝観料が値上がりするらしく今日が最後のチャンスだったのである。
薬師寺に対してここはひたすらシブいという印象だ。質実剛健という感じの佇まいである。それに教科書に載っていたとおりの金堂の姿には、オ~!!という思いが湧いてくる。



けっして華美ではないがその落ち着きがなんともよい。ただ、開祖が中国からお来しになった鑑真和上だからなのか、中国人が多い。所どころでポーズをとって写真を撮っている姿はあまりよろしくない。もっと静かにお参りをしたかった・・。

間違えたルートからは若草山が見えたけれども、この両寺院のある場所は平城京の一角だったところだそうだ。



土地勘はまったくないものの、平城京の広さを実感できたのもトラブルのおかげであった。

やはり今日は神様(この場合は仏様)に導かれた遠出であったのだ。

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