
場所:水軒沖
条件:大潮 4:11満潮
釣果:サバ 5匹 マルアジ9匹
そろそろサバとアジが釣れているらしい。前回はキスでいやな思いをしたので今日はリベンジだ。同じ港のおじさんの話ではすでに35メートルラインで釣れているらしい。
夜明けがどんどん早くなっているので今日は午前4時すぎに家を出たがそれでも遅すぎだ。港に到着したときにはすでに廻りは明るくなってしまっていた。
う~ん、あまり早いのもしんどいのだが・・・・。夏至を過ぎるまでは我慢をしなければ・・・。
思い込みだけだが、魚は南から上ってくるはずなので今日は少しだけ針路を南にとって沖へ向かった。どちらにしても下津港の中だからまったく根拠はなく、溺れるものは藁をもつかむという釣り師の悲しい性だ。
おじさんの情報どおり、35メートルラインにたくさんの船が集まっていた。なんだか期待が持てる。
2本の仕掛けをセットしてしばらくしてアタリがあった。おお、今年も釣れるぞ!!。2本とも同時にアタリだ。1匹ずつしか掛かっていなかったがうれしい獲物だ。
その後はアタリは遠のいてしまったので45メートルラインまで場所を移動。ここでもすぐに2本の竿に同時にアタリ。今度はサバが釣れた。それも大きい。40センチ以上はある。その後もアタリの回数はわずかだが群れに当たると2本とも一度にアタリが出る。
数はもう少し欲しいところだがチョクリのハシリだと思えば十分な釣果だ。
午前7時過ぎに終了。
2,3日前からわずかだが頭痛がする。風邪でもないのに頭が痛い。まあ、わずかな痛みなので気にせず釣りに行ったのだが、ふと、なぜ人は痛みというものを感じるのかと考えてみた。
人間はかなり長生きするから、体の部分に不都合が生じると修復をしなければならない。修復するためには体をいたわらなければならないので痛みというのはそのサインなのだろうか?
魚はどうだろう?今井さんはテレビで、「魚は痛みを感じないから・・・」と言っていたが、魚の寿命を考えると体のどこかの不都合を直す前に寿命が来てしまうから痛みを感じる構造は必要ないのだろうか。サバやアジは泳ぎ続けなければ呼吸ができないらしく、痛い、痛いと思っても一服できないわけで、それでは痛みを感じるような複雑な構造は必要ないのかもしれない。
しかし、チヌや鯛は結構長い間生きるわけで、人間と同じように体を修復しながら生きてゆくことになるのならやっぱり痛みを感じるのだろうか。
いつも魚を〆るときに、こいつらは痛くないのかと考えている。生きたまま頭の上にグサッとナイフを突き立てられて、あげくの果てに脊髄の中にワイヤーを通されるやつまでいる。
こんなことを人間にされたら、もう、どんなことになるやら・・・、苦痛などというものではあるまい。アル○イダでもこんな拷問はやらないぞ。きっと。
自分にナイフが迫ってくるのを魚はきっと見ているわけで、そのナイフを持っている僕をどんなやつと思ってみているのだろうか?絶対に、鬼より怖い怪物以上の存在に見えているのに違いない。
願わくば、今井さんの言うとおり、お魚さんに痛みを感じる構造がないことを祈るばかりだ。
条件:大潮 4:11満潮
釣果:サバ 5匹 マルアジ9匹
そろそろサバとアジが釣れているらしい。前回はキスでいやな思いをしたので今日はリベンジだ。同じ港のおじさんの話ではすでに35メートルラインで釣れているらしい。
夜明けがどんどん早くなっているので今日は午前4時すぎに家を出たがそれでも遅すぎだ。港に到着したときにはすでに廻りは明るくなってしまっていた。
う~ん、あまり早いのもしんどいのだが・・・・。夏至を過ぎるまでは我慢をしなければ・・・。
思い込みだけだが、魚は南から上ってくるはずなので今日は少しだけ針路を南にとって沖へ向かった。どちらにしても下津港の中だからまったく根拠はなく、溺れるものは藁をもつかむという釣り師の悲しい性だ。
おじさんの情報どおり、35メートルラインにたくさんの船が集まっていた。なんだか期待が持てる。
2本の仕掛けをセットしてしばらくしてアタリがあった。おお、今年も釣れるぞ!!。2本とも同時にアタリだ。1匹ずつしか掛かっていなかったがうれしい獲物だ。
その後はアタリは遠のいてしまったので45メートルラインまで場所を移動。ここでもすぐに2本の竿に同時にアタリ。今度はサバが釣れた。それも大きい。40センチ以上はある。その後もアタリの回数はわずかだが群れに当たると2本とも一度にアタリが出る。
数はもう少し欲しいところだがチョクリのハシリだと思えば十分な釣果だ。
午前7時過ぎに終了。
2,3日前からわずかだが頭痛がする。風邪でもないのに頭が痛い。まあ、わずかな痛みなので気にせず釣りに行ったのだが、ふと、なぜ人は痛みというものを感じるのかと考えてみた。
人間はかなり長生きするから、体の部分に不都合が生じると修復をしなければならない。修復するためには体をいたわらなければならないので痛みというのはそのサインなのだろうか?
魚はどうだろう?今井さんはテレビで、「魚は痛みを感じないから・・・」と言っていたが、魚の寿命を考えると体のどこかの不都合を直す前に寿命が来てしまうから痛みを感じる構造は必要ないのだろうか。サバやアジは泳ぎ続けなければ呼吸ができないらしく、痛い、痛いと思っても一服できないわけで、それでは痛みを感じるような複雑な構造は必要ないのかもしれない。
しかし、チヌや鯛は結構長い間生きるわけで、人間と同じように体を修復しながら生きてゆくことになるのならやっぱり痛みを感じるのだろうか。
いつも魚を〆るときに、こいつらは痛くないのかと考えている。生きたまま頭の上にグサッとナイフを突き立てられて、あげくの果てに脊髄の中にワイヤーを通されるやつまでいる。
こんなことを人間にされたら、もう、どんなことになるやら・・・、苦痛などというものではあるまい。アル○イダでもこんな拷問はやらないぞ。きっと。
自分にナイフが迫ってくるのを魚はきっと見ているわけで、そのナイフを持っている僕をどんなやつと思ってみているのだろうか?絶対に、鬼より怖い怪物以上の存在に見えているのに違いない。
願わくば、今井さんの言うとおり、お魚さんに痛みを感じる構造がないことを祈るばかりだ。
うらやましい釣果です
オサカナに限らず牛や豚など食用にされる動物
みな食べられるために・・・
考えるとダメなので考えないようにします
お魚はせめて釣ったら食すって事を基本に楽しみます
いつもコメントありがとうございます。
数ヶ月前に、「ブレイブハート」という映画を見ました。スコットランドの独立に寄与した主人公が最後に拷問を受けて死ぬのですが、そのシーンが頭をよぎります。
いつも、「すまん、すまん」と思いながら刃を立てるのですが、一発で臨終してくれないときは特に罪悪感にさいなまれます。
「釣ったら食べる。」たしかにこれが唯一の供養です。
勝浦の青岸渡寺には魚の供養塔があります。
機会があれば尋ねてみてください。
一度行ってきますわ
供養すれば少しはボウズ回数も減るかな?
なんて思ってたら供養になりませんね・・・。
しかし船からの釣果って本当にすごいですね。
今年、勤続20年の休みが取れるので船舶免許の取得を検討していたりします。
いや~、投資の割りにはぜんぜん釣果が伴っていませんよ。
釣る人はもっともっと釣っていますからね~。