開高健 「片隅の迷路」読了
裁判員裁判が始まったから読み始めたわけではないが、この小説の題材は「徳島ラジオ商殺し事件」を題材にしたものだ。
殺人の罪に落とされた叔母を救うために東奔西走する甥を中心にして偽証をしたかもしれない二人の証人を中心に展開される物語だ。
昭和36年ごろの作品ということなので彼がベトナムに行く前の作品になる。しかし、物語の中に流れるものは同じように、真実はどこにどんなふうにあって、ひとはそれをどうやって見つけるべきか。ということがテーマになっているように思う。
新聞もうわさも、そのまま信じてはいけない。自分の目と手と頭で見つけなければならないと訴えている。
裁判という場面を借りて他人の意見(裁判官)の判断を鵜呑みにしてもいいのだろうか、そこには、本当に“良識”と“真実”はあるのだろうかという問題も投げかけている。
途中から主人公になってゆく甥の流二は言葉使いで、この人はまさしく開高健本人であるとわかる。真実を知りたいのはやっぱり作家自身なのだと言うことが強調されている。
ついこの前に始まった裁判員制度の必要性と長いものには巻かれてしまいたい日本人はその制度に適応できるのだろうかという不安を50年近く前に問題提起をしているというところがこの小説がこの時期に新たに出版された意義だと思う。
この本は創元推理文庫から出ているので開高健の著作がここから新たに出ることはないのだろうが、せっかくこの本が出たのだからぜひとも「ロビンソンの末裔」も出版してほしいものだと思うのはきっと僕だけなんだろうな~。
裁判員裁判が始まったから読み始めたわけではないが、この小説の題材は「徳島ラジオ商殺し事件」を題材にしたものだ。
殺人の罪に落とされた叔母を救うために東奔西走する甥を中心にして偽証をしたかもしれない二人の証人を中心に展開される物語だ。
昭和36年ごろの作品ということなので彼がベトナムに行く前の作品になる。しかし、物語の中に流れるものは同じように、真実はどこにどんなふうにあって、ひとはそれをどうやって見つけるべきか。ということがテーマになっているように思う。
新聞もうわさも、そのまま信じてはいけない。自分の目と手と頭で見つけなければならないと訴えている。
裁判という場面を借りて他人の意見(裁判官)の判断を鵜呑みにしてもいいのだろうか、そこには、本当に“良識”と“真実”はあるのだろうかという問題も投げかけている。
途中から主人公になってゆく甥の流二は言葉使いで、この人はまさしく開高健本人であるとわかる。真実を知りたいのはやっぱり作家自身なのだと言うことが強調されている。
ついこの前に始まった裁判員制度の必要性と長いものには巻かれてしまいたい日本人はその制度に適応できるのだろうかという不安を50年近く前に問題提起をしているというところがこの小説がこの時期に新たに出版された意義だと思う。
この本は創元推理文庫から出ているので開高健の著作がここから新たに出ることはないのだろうが、せっかくこの本が出たのだからぜひとも「ロビンソンの末裔」も出版してほしいものだと思うのはきっと僕だけなんだろうな~。