今日も山菜採り。
連休の最終日で混雑するのかもしれないが、連日の高温でワラビも大きくなりすぎているのではないかと焦ってくるのだ。
昨日は立夏。暦のうえでは夏になっている。やはり急がねばならない。
コンペティターの先を越すべく午前5時に家を出発。
80歳の母親に、「どう?行く?」と聞くと二つ返事で午前4時には起床していた。今日も高原に立つ。
5月に入ってからのワラビは大きい。しかし、さすがにたくさん盗られたあとがある。ゴールデンウイークがなければもっと残っているのだろうがしかたがない。
しかし、僕の祖母が残した言葉に、「山菜は絶対に誰かが採りのしたやつがある。あわてることはない。」というものがある。じっくり探すとそれなりに残っているのだ。魚釣りと同じだ。焦らず信じるのだ。
地面ばかりを眺めていて、ふと顔を上げると和歌山の北部を一望する大パノラマが展開している。こんな景色を見ることができない人は人生を少しだけ損しているのではないだろうか。
高原を彷徨いながら、僕にとっての今年最後の春を満喫した。
そして、家に帰り往く春を惜しみながらウドとコシアブラの葉で作ったパスタを味わった。
ことしも春がすぎてゆく。
連休の最終日で混雑するのかもしれないが、連日の高温でワラビも大きくなりすぎているのではないかと焦ってくるのだ。
昨日は立夏。暦のうえでは夏になっている。やはり急がねばならない。
コンペティターの先を越すべく午前5時に家を出発。
80歳の母親に、「どう?行く?」と聞くと二つ返事で午前4時には起床していた。今日も高原に立つ。
5月に入ってからのワラビは大きい。しかし、さすがにたくさん盗られたあとがある。ゴールデンウイークがなければもっと残っているのだろうがしかたがない。
しかし、僕の祖母が残した言葉に、「山菜は絶対に誰かが採りのしたやつがある。あわてることはない。」というものがある。じっくり探すとそれなりに残っているのだ。魚釣りと同じだ。焦らず信じるのだ。
地面ばかりを眺めていて、ふと顔を上げると和歌山の北部を一望する大パノラマが展開している。こんな景色を見ることができない人は人生を少しだけ損しているのではないだろうか。
高原を彷徨いながら、僕にとっての今年最後の春を満喫した。
そして、家に帰り往く春を惜しみながらウドとコシアブラの葉で作ったパスタを味わった。
ことしも春がすぎてゆく。