イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

加太沖釣行

2020年12月12日 | 2020釣り
場所:加太沖
条件:中潮 4:28満潮 10:10干潮
潮流:5:02 上り2.7ノット最強 8:52転流 11:30 下り2.0ノット最強
釣果:カワハギ 2匹

この1週間、風が吹いていたというのもあるが、休みが少なくて釣行できなかった。大体は休みをやりくりして2日出勤して休んで3日出勤して休んで1週間で、そのあいだにコロナ休業や有給休暇を入れて休みまでのインターバルを極力短くしていた。それが今週は3日間の出勤が続いた。もともと今の仕事(というか作業だな)は性に合わないと思っているからこんな勤務が続くと発狂しそうになる。
いまはひたすらオセイボの受付だ。郵便で送られてきたリストを見ながら、これで間違いないですか?とひたすら電話をかけている。
多分、95%以上の人は75歳を超えている。だから中には何を書いているのかわからない人がいる。指に力が入らないからといってカタログを切り抜いて貼り付けてくる人もいる。
それくらいならまあ我慢をしながら付き合っているが、「ワタシノカッタオカシノショウミキゲンハイツナノデスカ?」という問い合わせが入った時に少し心がポキンと音がして、「ネットショップデオクリモノヲシタケドトドイデナイジャナイノ」と言われて調べてみると、どうもきちんと操作ができていない模様だったのでそのまま回答したら、「ドウシテソンナヤヤコシイモノヲススメルノヨ!」って怒りだす。ここでもうひとつのこころの支えがポキンと音がした。お前たちは子供か!と心の中でツッコミを入れてしまう。
年間に何百万も買い物をするのならこんなアホにも付き合ってやろうと思うが、年に2回しか買い物をしないくせにと思うと、「いままでそういう形で買い物ができなかったとおっしゃったのはお客様が初めてです。」とつい言葉が強くなる。昔はたくさんの買い物をしたのよと言われても、それがどうしたとしか思えない。
僕のプライベートの周りにはひとりもこんな人たちはいないけれども、世の中にはこんなに自分の責任で生きてゆけないひとがいるのかと呆れてしまう。

ようは、世の中の環境の進み方についていくことができずにそこからこぼれ落ちてしまった人たちを相手するために僕たちはここにいるのだということを思い知らされたということだ。よく考えたら、今時、封筒で情報を受け取って手作業でそれをさばいているってどう見ても時代が三つほど遅れている。そのために総勢30名近い人間が待機しており、その中にはそんな作業に見合わないくらいの高給取り(世間から見るとはるか低い賃金レベルだが・・)の僕みたいな人間も混ざっている。確かにこの会社は儲からないはずだ。すべてネットに集約して、そんなことができない人は切ってしまえばいい。まあ、そんなことがあれば僕はリストラの対象間違いないのだが・・。
そして、僕にはもう、こんな幇間みたいな仕事しか残されていないのかと思うと情けなくなる。一方ではこんな仕事はクズみたいな人間にしかさせることができないという会社の考えもよくわかってしまうのだ。30名のうちの半分以上は僕が見る限りへんな人たちだ。

魚釣りというのは気分転換でもなく、ストレスの発散の場でもない。僕にとって魚釣りというものはもっと神聖なものなのだ。



なので久々の加太への釣行となる。
今日の潮流時刻は早朝に潮が止まってそのあと下りに転じてしまうという僕が最も苦手とするパターンだ。
さてどうするか・・。出港時刻は午前6時半、加太に到着するのは午前7時をまわる。



転流時刻までどこかで高仕掛けをやってみるという手もあるが、わずか1時間だ。カワハギを釣ろうと思うと潮が止まってしまってからでは不安になる。ここは思い切った決断でカワハギを確保してから苦手な下り潮をやってみようと考えた。

いつものカワハギポイントからスタート。今日は南東方向に流れている。うまく溝を流せない。そして当たってくるのはチャリコやベラだ。転々と場所を変えやっと1匹目を釣った時にはエサ残り3匹になっている。いつも思っていることだがやっぱり300円のエサでは少なすぎる。なんとかもう1匹欲しいと思うのでエサを半分に切って節約作戦。それでもアタリは出てくれる。最後のエサで2匹目を確保。これで肝和えはなんとかできそうだ。

そしてこれからどこへ行こうか・・。ここで迷っている時点で今日の釣果は決定してしまっている。

風が強くなければ非武装ポイントを目指すのだが、今日は北西の風が強い。沖のほうを眺めてみると沖ノ島の南の方に船団ができている。



いつも潮の流れが速くて苦手な場所なのだが玉砕するのならそれもよかろう、それも経験だと帝国軍の艦船のそばで釣りを開始。しかし、結果はそのとおり玉砕。潮が早くなっていくにつれて仕掛けが立たなくなってきた。35号の錘に替えてもだめだ。これでは釣りにならないと午前10時に終了。

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「カリスマ解説員の 楽しい星空入門」読了

2020年12月11日 | 2020読書
永田 美絵/著、矢吹 浩/イラスト、八板 康麿/写真 「カリスマ解説員の 楽しい星空入門」読了

『人間は空を見上げて両手を広げると、落ち込むことができない。』という言葉からこの本は始まる。プラネタリウムのカリスマ解説員だという著者が四季の星座にまつわる様々な神話やエピソードを書いている。

落ち込むことができないかどうかはさておいて、僕も星を見るのは好きで、わざわざ見に行くほどでもないが、早朝、港に向かう道中、水軒川の土手を走りながら東の空をいつも眺めている。だから、あの星の名前な何々で、あそこにはこんな星座があってそれにまつわる神話にはこんなものがあるということを知りたくて時にこんな本を読んでみるのだが、記憶領域が破壊されてしまっている僕の脳みそではこういう本を読んでも翌日には内容を忘れてしまっている。だから夜空を眺めても星座や星の名前を言い当てることができない。
でも、こういう本を読むのは面白い。読んでいるときだけは何かいいことを知ったという気持ちになれる。

すぐに星座を見分けられるのは冬の季節に見えるオリオン座くらいだ。僕はいつも早朝に見ているので冬というよりも秋の星座の趣があるのだが・・。

オリオン座を起点にしてもいくつかの星座や明るい星をみつけることができ、その見つけ方もこの本には書かれているのだが、次の釣行まで記憶が持たないだろう。それが残念だ。

早朝の東の空にはもうすぐ春の星座を見ることができるようになる。
明るい星をつなげると、春の大曲線や春の大三角形という星のつながりが見られ、おとめ座やしし座が見えるらしい。もう少し読み込んでなんとか今年は探してみたいものだ。

星座というのは、1928年に、国際天文学連合が88個の数に決めたそうだ。ちなみに、ひとつの星は複数の星座の星になれない。
ヨーロッパだけでなく中国やほかの国も星座を持っていたがそれではややこしいということでこういうことが決められたそうだが、それを聞くとなんだか味気なくなる。古くからの伝承がここで途切れたような感じだ。それほど杓子定規にならなくてもいいのではないかと思ったりするのである。まあ、たかが星座だ・・。


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「ブルーアウト」読了

2020年12月10日 | 2020読書
鈴木光司 「ブルーアウト」読了

鈴木光司というと、ホラー小説を書く人かと思ったのでこの本もきっとそういうジャンルだと思った。本の扉のところに古い帆船とスキューバダイビングの装備のイラストと共に各部の名称が書かれていたので、古い帆船と共に沈んだ財宝をめぐってのサスペンスか何かだと読み始めた。郷土資料という書架にあったのできっと和歌山県が舞台だという思いもあった。

読み始めてみると、この帆船はエルトゥールル号だということはすぐにわかった。おそらく和歌山県人ならだれでも知っている船だ。
1890年9月16日に串本町沖にある紀伊大島の樫野埼東方海上で遭難したオスマン帝国の軍艦だ。
この物語は、エルトゥールル号がイスタンブールを出港して遭難するまでの経過と、その乗員の末裔が遺品を探すという物語が交互に綴られている。その末裔をサポートするのがダイビングインストラクターをしている遭難者を助けた樫野崎の住民の末裔でありこの本の主人公という設定だ。

探している遺品というのは、遭難した乗員の先輩がエルトゥールル号の出港の際に妻から送られた小さな香水瓶というものだ。そこには妻の涙が入っていた。涙の入った香水瓶は航海の安全を祈るものだったらしい。船が座礁し、もう命がないというとき、その先輩は小さな紙切れに遺書のようなものを書きその瓶に詰めた。遺品を探しに来たトルコ人はその乗員の妻のいとこの末裔であり、先祖である乗員はその先輩に命を助けられたという設定だ。同時にその先輩は命を落としている。

鈴木光司はホラー小説だけではなく、日本ファンタジーノベル大賞優秀賞という経歴ももっている。
ここからはそっちの路線だ。小さな海底洞窟の中でその香水瓶を見つけたトルコ人は海流に流され身動きが取れなくなる。それを助けに入ったインストラクターも残り少ない酸素の中でブラックアウトというものを経験する。
ブラックアウトというのはこう説明されている。『海中で呼吸ができない状態が続くと、すっと意識が遠のく瞬間が現れる。苦しさと無縁の、甘美ともいえる誘惑。しかし、その誘いに乗ってはならない。』
同じダイビングインストラクターであった父の言葉がよみがえり、九死に一生を得るというのが主な内容であり、そこにインストラクターの家族模様が交差する。
厳しいしつけを受けた主人公の弟は就職先の大阪で失踪する。じつは就職はしておらず、そのことを母に隠していた。母の父親で弟の祖父に当たる人は東京で大工をしていたがひょんなことから串本に住み着き父の思い出の中、ヨットでの日本一周を思い立つ。祖父をしたっていた弟はそれに同行しようと考える。二人を助けたのは偶然にも航海の練習中であった祖父と弟であった。そのことも絡まり母と弟、主人公と母とのわだかまりも解けてゆく。タイトルはそういうところをもじってブルーにアウトすることができたという感じだが、やっぱりそこはファンタジー小説だなと思うのである。偶然が多すぎる・・。

エルトゥールル号の遭難という事件は知っているがどういう理由で来日し、どういう経緯で座礁、遭難したかということはそんなに積極的に知ろうと思ったこともなかったけれども、そういうところがかなり詳しく書かれている。どうしてそこに家族の絆が書き加えられなければならなかったのかということはよくわからないが、そこがファンタジーといえばファンタジーなのだろうな・・・。

家族の絆というと、この本を読んでいる最中に、クリントイーストウッドの、「運び屋」という映画を観た。これも家族の絆を取り戻そうと老人が麻薬の運び屋になってお金を稼ぐという話だが、そんなに簡単に瓦解した家族の絆が元に戻るとは思えない。
人は心に思っていないことは口に出さない。たとえ家族であれ、いやいや家族であるからこそそんなことを考えていたのかと思ってしまうと絆とは何なのだろうと思えてくる。

ブルーアウトのほうの母親は結局、釈然としない気持ちのまま祖父と息子の旅立ちを見送ることになるのであるが、こっちのほうがファンタジーの中にのきちんとリアルがあると思うのであった。

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紀ノ川釣行

2020年12月08日 | 2020釣り
場所:紀ノ川
条件:小潮 5:39干潮
釣果:ボウズ

今日は陸戦でハゼを釣りたいと思って家を出た。おだんごクラブの方々は最近たくさんのハゼを釣っておられる。僕もかなり昔から、そう、大学受験の頃からだ。さすがに遠くに釣りにも行けないし、「関西のつり」にハゼ釣りの記事が掲載されていて、これくらいなら自転車で気晴らしがてらに行けそうだと思ったのが最初だ。
それから毎年今頃になると釣りに行こうと思いながらほかの釣りばかりでなかなか行けずにいた。今年は小船で1度行ったがそれまでも数十年の間に1回行くか行かないかだった。

おだんごクラブの方々に触発されて今日も行ってみた。紀ノ川と言っても広い。どこで釣れるのかが実はあんまりわかっていない。
とりあえず、港から近いエネルギーセンターの上手に入ってみた。(エサ入れとかは船に積んでいるものを使わないと家には何もないのだ・・)



テトラの上に乗ってみるが、こんなにバランス感覚がなくなってしまっているのかと悲しくなる。ついでに1号以下のラインは老眼が強くなって糸自体が見えない・・。
怖いのと手前は捨て石が入っていてどうみてもハゼはいそうにないのでここは天の声を聞こうとおだんごクラブの管理人さんの土さんに電話してポイントを教えてもらうことにした。
そうすると、僕が想像しているよりもはるか上手、ポイントはきのくに大橋の下だととのこと。
そういえば、子供たちとバーベキューをしながらハゼを釣ろうとしたせせらぎ公園はもっと上手にあった。僕もそこに急いだ。
橋のそばに公園があってそこから歩いて行けると教えてくれたが、どうもそんなところが見当たらない。そのかわり、釣りにはおあつらえ向きの防波堤があった。一体何の施設は知らないが、小さな港のような形になっている。スロープまである。



防波堤の先まで行って仕掛けを下すと、かなり深い。5.4メートルの延べ竿の仕掛けが竿いっぱいまで沈む。こんなところにハゼはいるのかと探っているとアタリがあった。ギンタだ。



こんな魚、久々に見た。昔は和歌浦なんかでたくさん釣れたが、バッチ網でシラスを獲るときに一緒に絡めとられて卵も魚もいなくなってしまったのだと船底塗装の最中に出会ったじいさんが行っていたことを思い出した。こんなところで命をつないでいたのだな・・。
ハゼではないものの魚がいたことに気をよくして釣りを続けるがその後はいっこうにアタリがない。
もっと浅いところがいいのかしらと思い、近くの泥浜に下りてみたりしたがやっぱりダメだ。また防波堤に戻り竿を出していると土さんから電話。今、防波堤の上に乗っていますと報告すると、そこじゃないんです。北岸ですとのこと。ここからもその場所が見えたのだが、流れ込が見えてその少し北側がポイントらしい・・。
今からそこへ行くには北島橋まで戻って紀ノ川を渡らねばならない。お昼までの釣りにしようと思っているので今から行くには時間をロスしすぎる。
ここは釣りをほぼあきらめ、今年の流行語大賞にもなったソロキャンパーを目指そうと100均の貯金箱で作ったストーブの性能を試してみたいと思って持ち出していたのでその辺の立木を拾って点火してみた。ハゼはダメだったがこっちは火力が思った以上だ。今度はやかんを持ってきてコーヒーでも沸かしてみよう。もちろんそのための五徳も作っている。



エサがもったいないので北島橋の下に降りて竿を出してみたけれどもここも気配がない。これで完全に気持ちが萎えてしまった。



港に戻る途中にタラノメの木をみつけた。ここあコンペティターが多そうだが、来年の春には来てみよう。




今日、港に行ったのにはもうひとつ目的があった。同じ港に係留しているTさんの知り合いが、高仕掛け用のビニールを分けてあげると言ってれていて、Tさんが預かって僕の船の物入れに入れてくれていたのを引き取りたかったのだ。再び港に戻ってもらって帰ってきた。



家に持って帰って梱包を開いてみると、何種類ものビニールを入れてくれていた。僕は鈴鹿市のビニールだけを使っているが、この方のコレクションはすごい。敦賀市や南あわじ市くらいはわかる。宮津市は袋にイラストが描かれていて天橋立のあるところというのがなんとなくわかったが七飯町に至ってはどこにあるのか、読み方さえもわからない。鈴鹿市でも微妙な色違いが3種類ある。(ネットで調べると七飯町って北海道にあるらしい。)
しかし、よくこれだけの種類のビニール袋を集められたものだ。どうやってこの町はこんな色のゴミ袋を使っているという情報を知ることができたのだろう。そして買い求めることができたのだろうか・・・。釣り師の執念というのだろか。
これだけの種類の色を使いわけておられるというと相当な知識と経験を持っている人のようだ。すごい。僕は逆に使う色を絞り込んで迷わないでおこうという考えでやってきたが、その考えは根本から見直さねばならないのかもしれない。

たかがハゼ、されどハゼ。一筋縄ではいかない。ビニールもただのゴミ袋だが、よく考えたら魚と対峙する最前線がこのビニールなのである。一番気を遣わねばならないのは間違いがない。

この方は僕の港のもうひとつ奥にある港に船を係留しているそうだ。ぜひお会いして技と考え方を伝授していただきたいものだが、こういうのは秘伝中の秘伝なのだから、モノはあげるけど自分で道を切り開きなさいとという、イスカンダル星のスターシャのメッセージのように、今も未来も同じなのかもしれない。
これは船を降りるまで完成されない修行なのかもしれない・・。
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「日本語の奥深さを日々痛感しています」読了。

2020年12月07日 | 2020読書
朝日新聞校閲センター 「日本語の奥深さを日々痛感しています」読了。

新聞社には「校閲センター」というところがあって、紙面のすべてをチェックし、使われている日本語が正しいかどうかということを監視しているらしい。

「言葉は変化していくもの」ということを前提に時代に即した言葉を紡いでいくというのが新聞の紙面のひとつの使命でもある。『本来の用法から少しずれる言葉遣いに新鮮さを見いだすのが、言語変化の一つのパターン』だそうだからそういったものも受け入れながら時代に合わせてゆくということを常に考えている。正しい日本語の砦というところだろうか。

この本は、朝日新聞校閲センターとうところが朝日新聞に週に1回連載している、「ことばサプリ」というコラムをまとめたものだ。ウチは朝日新聞をもう何十年も購読しているが、このコラムを読んだことがない。これはもったいなかった。いまだに何曜日の何面で連載されているのか見つけることができないが・・・。

「出れる。」とか、「見れる」という言葉は日本語としておかしいと偉そうなことを思いながら、話をするときや文章を書くときそんな言葉を使わないでおこうと思っていたが、まだまだ日本語としておかしいものがあり、僕もそれを知らずに当たり前のように使っているものもあった。
「姑息」というと、ずるいという意味によく使うが、本来はその場しのぎの意味らしい。たしかにその場しのぎで適当なことを言うのはずるい行為だと思うのでなんとなくつながりはありそうだ。
「普通においしい。」というのもよく考えたらおかしいが、今朝のテレビ欄にはそのままのタイトルの番組あって、こういうのも普通に使われるのだなと、自分も使うことがあるので仕方がないのかと思った。
「しくじる」という言葉もおもしろい。今は“失敗する”という意味で使われることが多いが、もとは過失などがあって解雇される、または出入りを差しとめられるという意味だったという。キャンディーズの歌に「わな」というのがあって、サビの歌詞が、「あいつは~ しくじった~」と歌われていたのを、一体何をしくじったのかと思って聞いていたが、それは、「私に不愉快なことをしたことで嫌われて同棲先から追い出されたのだ。」という意味だったということが今になってわかった。この言葉は40年以上前から僕のレベルくらいの一般人には違った意味で理解されていたようだ。

言葉は意思の伝達のための手段であるからそれがおかしい使い方であっても自分の意思が伝わればそれでいいと思うのだが、こういう人たちがいて、言葉の変化を監視しながら、それを記録してゆくというのはかなり大事なことなのではないかとこの本を読みながら思うのである。

例えば、「美味しいです。」というのは普通に使われていると思うのだが、形容詞に“です”という言葉をつけるというのは文法的は間違いだそうだ。正しくは、「おいしゅうございます。」なのだが、なんだかすでにこっちのほうがおかしい気がする。
何か欲しいかと問われていらないときに、「大丈夫です。」答えるが、普通は「けっこうです。」としなければならないそうだ。


そんなことを読んでいると、自分は正しい日本を使えずに、かといって今の人たちがよく使う短縮語みたいなものの意味が分からず、記号を組み合わせたような絵文字はどうしても使う気にならない。
また、日本人的な言葉の使い方としてはこんなことが紹介されていた。
新聞やテレビでの、「無職」という表記について、どこに所属しているのかが比較的重要視される日本人の習性がそれを求めているという。「無職」という所属先でも欲しいということらしい。
「~れる」「~られる」という主語の隠れた表現は、『自然の中で影響を受けて生かされているという世界観の現われ』だそうだ。これなんかは奥ゆかしい感じがして文法的におかしくてもいいものだと思う。

古くからあるものが新しいものに取って代わられ、それがスタンダードになった時に、新語と区別するために逆に古いものが別の呼び名をつけ直されるということが起こる。それをレトロニムというそうだ。例えば、固定電話、フィルムカメラなんかがそうなのだが、そういえば、役に立たなくなった管理職もマネ〇ジ○ーなんていう言葉に置き換えられる。これもレトロニムのひとつというのなら、やっぱり僕は時代に取り残された人間なんだとしみじみ思うのである。


この本は2020年8月までの連載をまとめたということで、コロナウイルス関連の話題にも触れられている。「3密」「ソーシャルディスタンス」「テレワーク」「アマビエ」などの新しい言葉が生まれたと紹介されているが、どの言葉も今のところ、僕のパソコンの日本語システムでも予測変換で一発で出てこない。これから先、どの言葉が生き残っていくのだろうか。どれもすぐに消えてなくなって行ってくれるのが一番いいのだろうけれども、目に見えない疑心暗鬼は執拗なほど消えることはないのだろうなと思う。
しかし、3密というのはいかがなものかと思う。前にもブログで書いたが、おそらくは真言密教の「三密」をヒントにして誰かが考えたのだろうけれども、これは弘法大師に対して失礼ではないかといつも思うのである。
これだけは消えてなくなってほしいと思うのだ。
仏教つながりでいうと、旦那とドナーはどちらも梵語の、与えるという意味のdanaという意味から来ているそうだ。こういうことを知ると確かに日本語というのは奥深いものだと思うのである。
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「アマゾンの料理人 世界一の“美味しい”を探して僕が行き着いた場所」読了

2020年12月05日 | 2020読書
太田 哲雄  「アマゾンの料理人 世界一の“美味しい”を探して僕が行き着いた場所」読了


タイトルだけを見てみると、アマゾン川の流域のどこかで日本料理店を営んでいる人が今までの体験を書いたものだという風に見えるが、そうではなくて、海外経験豊富な料理人がどうしてアマゾンの食材に惹かれていったかというような内容だった。

著者はこの本の執筆当時、ペルーのカカオの輸入販売と出張料理のシェフの仕事をしているらしい。

あらすじはというと、こういう本によくあるような、無鉄砲に海外に出て、いろいろな出会いの末に自分の天職を見つけたというものなのでここで書いても意味がない。
それよりも、こういう本を読むたびに、その行動力や自分だけを恃みに行きてゆける力というのはどういうところから出てくのだろうかということだ。
収入がない中、単身海外に出て将来の生活に不安をいだいて怖気づいてしまうようなことはないのだろうか。僕ならまずそれを考えてしまう。そして、どんどん消去法をあてはめてそんなこと結局無駄ではないのかというところに行きついてしまう。

そんなことしか考えない僕みたいな人間は結局、どこかの会社で給料をもらうためだけに1日をおくるしかないのだということに結論が落ち着く。
だから、全然面白くない民放のテレビ番組のように、楽しみはコマーシャルのほうだという本末転倒な生き方しかないのだろうな~としみじみするのである・・。
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水軒沖釣行

2020年12月04日 | 2020釣り
場所:水軒沖
条件:中潮 9:01満潮
釣果:コウイカ1匹

今日はもともと釣りに行く予定ではなかった。冬型の気圧配置の日なので風が強いだろうということと、休日連続で釣りに出ていたので今日は小休止して給油と崩壊しかけているフェンダーの補修をして午後からは仕掛けづくりをしようと考えていた。



しかし、ゆうべの予報を見てみると、午前9時ごろから少し風が弱くなってくると出ていた。これならコウイカに行けるかもしれないと思い、補修のための道具と釣竿を持って家を出た。

船の舳先に取り付けているフェンダーだが、紫外線の劣化で痛みがひどく、医療が崩壊する前にこっちが崩壊寸前のもようだ。



大きいほうは以前に補修していたが、それでもだんだん傷んできている。小船の方は何もしていないのでひどいものだ。これ、買うと相当高い。大きいほうになると3万円、5万円という感じになる。だから完全にちぎれる前になんとかしておきたいのだ。

最近ゴミの集積場なんかで鳥よけのためによくみられる青や黄色の網が紫外線にもけっこう強くてそれを巻いて補修をする。今回はケチってそれを100均で買ったら使われている糸がやけに細い。今日はこれしかないので仕方がないが、また補修をし直さなければならない。安物買いの銭失いだ・・。

大きいほうの船のフェンダーの補修をし、小船の方に向かうと、護岸になにやら嫌なものが見える。これはどう見てもウ〇コだ。



そしてどう見ても動物のものではない。どう見ても人が創りしものだ。よく見たら近くにティッシュペーパーも落ちている・・。
一体誰がやったんだと想像するに、というか、ここに来る人間はここに船を係留している人たちと渡船屋の釣り客だけだ。渡船屋では感染対策のためにずっとトイレを閉鎖している。きっと今朝来た釣り人がここでひねり出したに違いない。しかし、よりによって船の目の前でしゃがまなくてもいいだろう。近くにはコンビニもあるし、24時間営業しているスーパーもある。そこに行けばいいじゃないか。
今日は補修が主な目的だからゆっくりやってきたが、普通に釣りに出る日ならこいつらが渡船に乗る時刻とほとんど違わない。しゃがんでいるところを見られたらどうするつもりだったのだろう。
こっちもそんなところを見つけたら怒りのままにそのまま後ろへ押し倒してしまうところだ。
汚いにもほどがある。このウ〇コが消滅するまでどのくらい待たなければならないのだろう・・。
気分が悪いまま小船のほうの補修を済ませて午前9時過ぎに出港。確かに港の中は無風状態だ。期待が持てる。



しかしながら港内の埋め立て地の前を過ぎる頃から波が高くなっきた。港内でこんな状態なら一文字を越えるともっとひどいことになっているだろう。そして案の定けっこう風と波が強い。いつものポイントまで行く気力が萎え、切れ目を出たところで仕掛けを下してみた。しかし、いっこうにアタリがない。せめて今夜のおかずの分だけでも釣って帰ろうと意を決して水しぶきをあびながら新々波止に向かう。



風と波とはうらはらに、空気はどこまでも澄んでいる。淡路島は目の前にあるように見え、その先に見えるのは四国の山々だ。
そういえば、伊弉諾命と伊邪那美命が最初に生み出した島は淡路島だったななどと釣りにはまったく関係のないことをふと思った。




バッチ網が出ているのが気になるがアタリがないまま波止に沿って少しずつ沖に移動してゆく。
2番目の切れ目の跡付近を流しているとやっとアタリ。なんとかボウズは免れた。しかし、この数回の釣行を振り返ってみると、今年は絶対に去年よりも個体数は少ない感じだ。二けたを釣ることはできないとみるしかない。
その後はどんどん風が強くなり、30号の錘でも底が取れなくなった。今日はもとからおかずだけ釣れればそれでよいと考えていたので午前10時過ぎに終了。1時間かけてやっと1匹だから辛い。

まあ、ボウズじゃなかっただけましとしておこう。

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加太沖釣行

2020年12月01日 | 2020釣り
場所:加太沖
条件:大潮7:03満潮
潮流:7:57 上り3.3ノット最強 11:53転流
釣果:サバ6匹、真鯛2匹、ハマチ1匹、カワハギ4匹、イラ1匹

週間予報を見ていたら今週は冬型の気圧配置になっていたので釣行は無理だと思っていたが、今日は少しましなようだ。せっかくエンジンオイルも交換しているし、無理をしても行ってみようと考えた。だめなら引き返してくればいい。

夕べは満月。空模様だけはいい感じだがあまり風が強い日に暗いうちから出港するのは怖いから十分明るくなってから出港。今日は航海灯も点けなかった。



田倉崎まではそれほどでもなかったが、そこから先はかなり吹いていて波も高い。完全な冬の加太の海だ。



今日は大和堆ポイントでサバとアジを狙ってみて、そこから北上してその後は定番になったカワハギを狙ってみようと考えている。

大和堆ポイントへ到着すると船は2隻ほど。潮は最強時刻を迎えつつあるがなんとか底は取れる。しかし魚探には反応がない。そうこうしていると、少し北の方に船が集まり始めた。もうひとつの漁礁のあるところだ。僕もそこに移動。少しだが反応があり、ほかの船も魚を上げている。しばらくして僕にもアタリ。しかしこれはドラグを緩め過ぎていた。続いてまたアタリ。こんどはしっかり掛かっている。そしてけっこうな引きだ。これはまわりの状況から見ても間違いなくサバだ。手にできれば今夜は脂のりのりのしめ鯖にありつける。慎重に取り込んで一気に2匹をゲット。これで叔父さんの家の分も確保できた。
その後もアタリがあったが、サバが走り回って仕掛けをスクリューに巻かれて魚も仕掛けもロストしてしまった。その次は4連だ。

釣れるポイントは限られてるようで、漁礁の周りに船が殺到している。船体が当たりそうなほどで、まるで白兵戦だ。相手は帝国軍ではないが漁船の番号を付けていて容赦はない。どんどん突っ込んでくる。
4匹掛かった魚とやりとりしている最中でも「そこをどけ!」という声が聞こえてくる。人の声が聞こえるほど接近しているということだ。よく見ると相手も魚を掛けている。向こうはそれがお金に変わるのだからそれは必死だろう。仕方がない。



午前8時を過ぎると潮の向きが変わってきた。まだ上り潮が残っているはずだが、船が北風に押され始めたようだ。白兵戦にも疲れたし、上りの潮が残っているうちに真鯛とカワハギをやりたい。
戦場をあとにして北上。この時点でも北西の風が強く、右側の生け簀を開けた状態で左側から風を受けるので船が大きく右に傾く。あんまり速度を上げると横転しそうなほどだ。やっぱり冬の加太の海だ。

テッパンポイントから少し北に入ったところで魚探の反応が見えた。すぐに仕掛けを下すとアタリ。真鯛が一荷で上がってきた。これはうれしい。
その後も大きなアタリがあったがこれはバラし。
もう1回だけ同じラインを流して今度はハマチ。
この時点で午前10時。残りの時間はカワハギだ。

いつものポイントに入るも潮の流れが悪いのかアタリがない。チャリコが1匹だけだ。さすがに毎回は釣れないのだろうとあきらめかけていた時に強烈なアタリ。一気に竿先を持って行かれた。これは真鯛だと確信したが頭を振らない。何なのだろうかと思ったら、図鑑でしか見たことのないような魚だ。実は前の晩に箕島の「はまのうたせ」に売っていたというこの魚の画像をアップしている人がいて、イラという名前だと知った。偶然にもそれを釣り上げたというわけだ。

この魚、磯場にいるのか、砂地にいるのかはわからないが、アマダイにも似ているし、勝手にこの下は砂地なのかもしれないと判断し、場所を移動。いつもの通りの潮の流れならゴロタ石のところをトレースできたのかもしれないが、船の流れが変わると違うところに流れて行っていたのかもしれない。

そして、その場所移動が奏功した。その後はアタリが連発。わずかの場所移動でこんなに変わるのかという感じだ。1匹釣り上げ、その次は一荷だ。そして最後の1匹でもカワハギを釣り上げることができた。最後のエサで魚を釣り上げることができるとなんだかきっちり終われた感があってうれしいものだ。300円分のエサは1時間ほどでなくなってしまった。
サバ、真鯛、カワハギと一荷が続いた日でもあった。

今日から12月。朝はさすがに冬になってしまったと思ったが、加太の海をあとにする頃にはヒートテックと雨合羽を着こんでいると汗をかいてくるほどに暖かくなってきた。
真冬の天気までにはもう少し時間がありそうだ。


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