まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

とらとらとら

2015年12月08日 | 日記
今日、12月8日は、74年前(1941(昭和16)年)に、日本海軍がハワイ真珠湾を奇襲し、太平洋戦争を始めた日です。
未明の攻撃だったようなので、今の時間帯は、やった!やった!と国中で、狂喜していた頃かもしれませんね。

8月の終戦記念日は、例年話題になりますが、戦争をはじめたこの日は、例年、クリスマスソングの中で、すっと流れて行ってしまいます。
 
終戦の日に、戦争は二度としませんと、誓うことも重要ですが、戦争の引き金を引いた日に、なぜそこに至ったかを振り返り、そうならない道を考え、行動していくことも大切だと思います。

今、学校教育で戦争についてどのように取り上げているのかは知りませんが、自分の高校までの教育の中では、テストに出ないから、あとで教科書読んどいて、程度の扱いでした。

当時は、まだ戦後30年足らずで、あまりにもなまなましいということもあったのでしょうが、おかげで、個人的には、まったくの平和ボケ人間(これはこれである意味幸せですが)で今に至りました。

戦争に突き進んでいった国内外の社会背景、統帥権の独立を盾にした軍部の暴走等、いろいろ原因はあるのでしょうが、これは、単に昭和のはじめのひと時の現象ではなく、明治維新の反省まで遡る必要があるといいます。
 
中国、朝鮮との歴史認識問題がよく報道されますが、子供たちにも、明治維新から太平洋戦争までのきちんとした歴史教育を行って、日本の国として犯してきた過ちを知ったうえで、隣国人と会付き合いしないと、いい形の考流も成り立たないような気がします。

さて、今の日本、どうでしょう。
国際テロや中国、朝鮮と武力衝突が発生したとき、きちんとシビリアンコントロールが効いて、政治が調整し、大事に至らずに済むでしょうか。
逆に、方向性を纏められるリーダーがおらず、紛争地での自衛隊員や海上保安官、警察官を見殺しにするようなことはないでしょうか。
難しい問題です。

真珠湾攻撃は、それまで、兵隊と兵隊の戦いであった戦争を、空襲という形で、無差別に、一般人まで巻き込む戦いに変えた、有史以来の戦い方を変えた戦法であったとどこかで読んだことがあります。

当時は、画期的なプランだったのかもしれませんが、それが、開戦から4年後には、本土の大空襲や原爆投下という形となり、たくさんの命を奪うことになりました。
まさに、自業自得。

戦争でなくなった方や原爆被害を受けた個々人はなんの罪もない被害者ですが、国の中枢が熱病に侵されたようにコントロールが効かない中で、国民も沸き立ち、日本という国の動きが罪深いことをしたのは、間違いないようです。

多少生活が苦しくても、平和な日が続いてほしいですね。
コメント
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