まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

道徳意識

2017年06月10日 | 読経の日々
最近、いじめに端を発した学校での道徳教育の問題がよく取り上げられているので、自身の道徳意識について少し考えてみた。
 
行動力のない幼少期は、他より相対的に貧しかったというだけで、地域社会の大人たちからは色眼鏡で見られ、気持ちをストレートに行動に出す子供たちからは行為でのストレスを受けた。

学校で一番になればとよく努力をし、実際に一番になってみればカンニングを疑われ、定期テストでは教諭がすっと脇に立って監視していた。
 
なにか事件があれば、あの子じゃないかと疑われ、言ってもいない話、やってもいない事がいつしか既成事実としてふれ回られた。

純粋な子供たちは自分より下、弱いものを作って自己満足、自分の立ち位置をえようした。
 
少年期、青年期になると行動力がつき、受けたストレスは相手にストレスで返すようになった。こうなると直接かかわってくる人は少なくなり、周囲の裕福で大人しい子に言いがかりをつけて楽しむようになった。
 
恥ずかしながら、自分が受けた苦しみは、倍返しだ、の世界で、自己中、本能のまま、およそ道徳とはかけ離れた時間だったように思う。
 
社会人になりいろいろ経験し、自身も矯正され、更に人の裏の部分も見えて来たが、人は本来、自己保全の欲求や名誉欲、権力欲、所有欲などの塊で、利己的、本能的生き物だ今も思っている。
しかも考える力が強いだけに、他の動物よりも始末が悪い。

誹謗中傷の情報戦、騙し取り、裏切り、武器を使った大量殺人・・・。他人のものを正しく暴力的に奪い取っていき容赦がない。

うちのワンコ先生には、こんなところはなく、どこまでも心を通じてくれる。

強欲で勝ち残った一部の勝者の論理で事実は歪められ、実際の苦しみがあたかも事実であったように既成化していく。
半世紀以上生きてきて、これもどうも間違いがないことのように思う。

ただ強欲の人はいつの世にも一定割合で創られるようで、こういう人がいなければ、歴史は動ないというのもたぶんその通りだ。おかげでわれらが平民も何とか暮らせている。
人は、そんな生き物なのだろう。
 
学校では「正直、誠実、公正、公平、正義」などの概念を教え、利己的、本能的部分との調和をはかろうとする取り組みのようだが、道徳教育は、一般概念の教科教育というより、廃れてしまった宗教の中にその答えがあるように近頃思う。
 
長く道徳意識欠如、無宗教で生きてきたが、五十歳代になり家の仏教に関心を持つようになった。
 
会社を辞めた後のここ数年は、書籍を読んだり、お経にもふれ、利己的、本能的生き方は消し去ることはできないけれども、自分が生まれ、今生きているとはどういうことか、必ず訪れる死とはどういうことか、そこらあたりを考えるようになった。

それぞれは利己的、本能的生き物でも、人は共生の上に成り立っており、自分同様他も尊重することで利己的、本能的部分の衝突を回避できるかもしれないと思うようになった。
 
・自分の命はひとりでは生まれない。過去からめんめんと続く命の系譜の末端の父母から生まれ、その命はかけがえのないたった一つのもの。生きるということは命の系譜を繋ぐこと。
・悪い行為のスパイラルは、悪い行為しか生まない。
・今置かれているへこんだ(苦しい)状態の原因は、みな自分の身、口、こころからでたもので、他を恨んではいけない。自分が変われば改善できる。
・間違えたら素直にそれを認め、新しい一歩を踏み出せばいい。
・五戒、十戒に示される行動基準は、IRIBできくイスラムの教えと共通するものが多い。

仏教はお葬式ではなく、一般人でも解るように間口を広くとった哲学ととらえるようになった。
もちろん、仏教の底は深くよく解らないし、煩悩の塊だから、五戒、十戒なども行動に結びついているかといえば、程遠い状態である。
 
「正直、誠実、公正、公平、正義」という社会一般の考えたを教えるのは悪いことではないけれど、自分と向き合うきっかけを作ることが大切なんじゃないかな。
 
現行の『宗教』は、その言葉自体に怪しい感じを受けるほど多岐な新興団体も増え、本来の姿がかすんでしまっているように見える。
 
学校で特定の『宗教』を取り上げることはできないけれども、日本人に信仰の多い仏教、キリスト教、イスラム教など、きちんとした宗教のベースになっている、自分が生まれ、今生きているとはどういうことかを考えることはとても重要だと思う。

自分がわかれば、他人もわかる。
他人と自分の立場を同じくして慮れるようになれば、相手の気持ちはその人にしかわからないかもしれなけれど、優しくはなれる。
 
既成概念の〇×を教科として教えるより、時間はかかるけど、結果として酷いいじめなども減っていくのではないのかな。
 
でも、いじめは人間社会では永遠の課題なのかもしれないなぁ。
 
 
コメント
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