鎌倉街道 を探そう! 古代東海道痕跡to鎌倉城と    

古代東海道は、鎌倉城を作る為に頼朝に封印された! 地図、写真で紹介。

鎌倉の古代 2

2010年11月11日 | 鎌倉の古代

「鎌倉の古代 1」を検証してみましょう。
例えば、
「問題にする根拠は、道の成り立ちに在ります。
東山道武蔵路の方向は、足利より、特徴的地形の江ノ島を目印に一直線に作られた。」
この件に関して、、足利より江ノ島まで直線を引いて下さい。
一枚の地図に収まらなければ、、川越でしたら、西川越駅をプロットし、其処から江ノ島へラインを引く!
江ノ島が載っていなければ、相模鉄道瀬谷駅をプロットすれば、その延長は江ノ島です。
さて、、
そのラインの上に次の遺構がどの様にノルでしょうか?

中ノ宮北遺跡
旧国鉄中央鉄道学園跡地遺構(国分寺市泉町2丁目)
上水本町遺構(小平市上水本町)
原島農園遺構(小平市小川2丁目)
小川団地遺構(小平市小川東町2丁目)
野口橋遺構(東村山市本町1丁目)
土方医院遺構(東村山市本町2丁目)
八国山遺構(東村山市諏訪町2丁目)
東の上遺跡(埼玉県所沢市久米)

まで、綺麗にラインにノルはずですが、、

八幡前・若宮遺跡(川越市的場)や女堀遺跡(川越市的場)がラインにノリませんね!
東の上遺跡(少し北の所沢駅辺り)より、ラインの角度を西へ微妙にズラシ
群馬県太田市城西町☆新野脇屋遺跡群の道路遺構に向かうのですが、、、
ウウッ~!
何て説明をしようか??
こう言う話は、何処かに問題を抱えているのです。
その言い訳は、、次回へ
「鎌倉の古代 1」の記載の
{東山道武蔵路の方向は、足利より、特徴的地形の江ノ島を目印に一直線}は間違えで、
{東の上遺跡より特徴的地形の江ノ島を目印に一直線}が正しい。
それも、最終目的地は江ノ島ではない事に注意してください。
この間違えの根本原因は、鎌倉から視点で道を考えている処にある。
古代駅路は、平城、平安の都からの視点で道を作っているのですから!
さて、都から地方へ道を作る視点に変えると、、、
違う物が見えてくる。

 写真は、三品さん提供のイタチ川上流、昇龍橋脇の湧水が川に落ちていく状態です。
  (この色は鉄分を含んでいると考えられる。)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする