鎌倉の古代 1の検証です。
問題は、
東の上遺跡(埼玉県所沢市久米)より、江ノ島へのラインと、
東の上遺跡(埼玉県所沢市久米)より新野脇屋遺跡群の道路遺構のラインは角度があり、直線にならない!
東の上遺跡より、北上するラインは、角度を西へ微妙にズラシ
群馬県太田市城西町☆新野脇屋遺跡群の道路遺構に向かうのですが、、、
八幡前・若宮遺跡(川越市的場)や女堀遺跡(川越市的場)はこのライン上ですね!
この角度の有る問題で証明できる事も有るのです。
前提として、
古代駅路は、大きな障害が無い限り、目的地に向かい直線的な道を作る。
考える要素として、
最終目的地は、従来考えられている「武蔵国衙の為に東山道武蔵路を作った」っと言う説の真偽を考えてましょう。
前提が正しければ、
① 角度が有る東の上遺跡の北(所沢)に重要な場所が在ったと考えられる。
② 東の上遺跡の北(所沢)に川又は山で障害があり、仕方なくコースを変えた。
③ その他の理由が有った。
ぼ輔には3通りの考えが浮かびます。
山上にある軽井沢から、高崎に降りてきた東山道が、ある目的地に向け道路を作った。
当然目的地に向けできる限り直線です。
ある目的地が「武蔵国衙」ならば、曲がる必要は無く、最初から国衙へ直行すればよい。
川又は山で障害があり、仕方なくコースを変えたのでしょうか??
そんな川や山が有るのでしょうか?大したことの無い川が地図上にありますが、、、
其処から導き出される結論は「目的地は武蔵国衙でない!」となるのです。
道路の状態から考えられる事は、
ある目的地へ向け道を造ったが、所沢より道筋を変更し、江ノ島を目印に道路の方向を変えた。 地図のラインからこの様に考えるのです。
予定変更したラインの上に「武蔵国衙」が存在します。
すると、、、、
最初の目的は武蔵国衙では「無い!」のですが、
「武蔵国衙」はこの道の脇なら何処でも良い!っとこの角度の存在が教えている、、、
武蔵国衙より重要な「ある目的地」とは何処なのか???
新野脇屋遺跡群の道路遺構から、東の上遺跡へ直線を引き、その延長に何が在るか?
やってみませんか?答えが見つかる!! かも、、、
写真は、三品さん提供のイタチ川上流、昇龍橋の脇の湧水の湧口です。
この湧口が赤く、、写真では黄金色です。