ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

父のその後

2015-10-29 16:46:33 | 介護
弟が父に会いに来て、父がとても元気になったと書いたが、それから父はますます元気になっている。

今週も父に会いに高齢者住宅へ行ってきた。

父は私が会いに行くすこし前に入浴させてもらって、行った時にはベッドに横になっていた。

「ベッドに横たわっている」というのは相変わらずで、午前は車椅子でデイサービスの方々と一緒に過ごしているが、午後は起きていられず、ほとんどを横になって過ごしている。

父の寝ているベッドのそばに行くと、父はぱっちりと目を開け「おっ来たのか?」と言って片手を上げた。

入浴したばかりのせいか、父の顔はほんのりと赤みが差し、とても顔色が良く見えた。

持っていった桃のゼリーを見せると「食べる」と言うので、ベッドから起き上がらせようとしたら「いいんだ、このままで」と起き上がることを頑固に拒んだ。

「起き上がらないと食べられないでしょ」と言っても「いや、いいんだ」と言うので、仕方なく電動ベッドの背をすこし上げて、私がゼリーをスプーンですくって食べさせてあげた。

相変わらず父の食欲は旺盛で、ゼリーをあっという間にたいらげ、それから甘酒とグレープフルーツのジュースを飲んだ。

さらに飲み食いをしつつ、父は話もたくさんしてくれた。

「最近、自分ですこし歩いているんだ。でも歩こうとすると、職員が車椅子を持って飛んでくる。転んで怪我でもしたらどうするんですかって言ってね」

そう言って父はなんだか不満そうだった。

それを聞いた私は「それはそうだわ、お父さん。ずっと寝てばかりで、足がすっかり弱っているのだから、一人で歩くのはまだ無理じゃない?」と言うと、父は「そうだな」と納得してくれた。

しかし、そんな会話をしていながら、父は突然ベッドから起き上がり「ちょっとトイレに行って来る」と言って立ち上がろうとした。

「ちょ、ちょっと待って。今、車椅子持って来るから」

慌てて車椅子を持ってきて父を座らせ、トイレに連れて行こうとしていたら、職員さんが来て父をトイレに連れて行ってくださった。

トイレから戻ってきた父は、もう弱々しく無言でベッドに横たわっていた父ではなかった。
まるで1年くらい前の元気な父になっていた。

先週、弟が来てくれた事はもちろん覚えているし、日常生活のことも自ら話をしてくれた。

「ここは年寄りばかりで、嫌になるよ」
な~んて、自分も立派な年寄りなのに、そんなことを言う。

思えば、今年の春に「もうだめだ・・・」と言ったのを最後に、どんどん弱っていった父だったはず。

そして主治医の先生にも「あっという間に症状が進みましたね」と言われるほど、誰が見ても、もう父に残された時間はそれほど多くはないかもしれないと思うほどだった。

なのに、この元気さは何!?

思わず、父に言ってしまった。

「この間までのお父さんは、ハアハアとつらそうな息をしてぐったりとしていたよね。
あれを見た時には、お父さんはもうコレまでかと思って覚悟したよ」

すると父はにやりと笑って言った。
「大丈夫だ、まだまだ死なない」。。。

元気な頃の父は、やや毒舌なところがあったが、ここ数ヶ月間の父は毒舌どころか話をすることもままならない状態だった。

ところが、今日の父は毒舌も復活して絶好調だった。

レビー小体型認知症は日によって調子の良い時と悪い時の波があるそうだが、それにしてもずいぶん元気になったと思う。

これもデイサービスを毎日利用し、周囲にいつも人が居て、父に声かけをして刺激を与えてくれるお陰かと思う。

また弟(息子)が会いに来てくれたのも、良かったのだと思う。

それにしても、これだけでここまで良くなるとは信じ難い。

・・・ということで、父の飲んでいる薬を調べてみたら、ちょうど9月になるすこし前から、新たな薬が加わっていた。

今まで飲んでいたアリセプトという認知症の薬は変わりなかったが、それ以外にパーキンソン病で使われる薬を飲み始めていた。

それは筋肉のこわばりを改善する薬で、レビー小体型はパーキンソン病と同じように身体の動きが悪くなってくるために、その薬が出されたのだと思う。

もしかして、これが効いてるのだろうか。

身体の動きが悪くなると、声帯も動きが悪くなって声が出しにくくなるのかもしれないが、薬でそれが改善されたのかもしれない。

だからたくさん話すし、気持ちも前向きになってきたのかな?

認知症外来の診察が今のところ無いため、それが確かかどうかは分からないが、それにしても父が元気になってきたことは嬉しいことだ。

医学の進歩はめざましい。

認知症を治せる時代も、将来きっと来るような気がする。

私が老人になる頃には、認知症というものが過去の病いになっていてくれたらいいな~なんて夢みている。





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父、元気になる!

2015-10-19 15:37:28 | 介護
関東に住む弟が父に会うために帰ってきた。

弟は駅からまっすぐに父の所に来るということだったので、私と妹の家族は高齢者住宅で弟と落ち合うことにしていた。

弟には今年に入ってから急激に弱ってきた父の様子を知らせてあった。

「前回会った時よりもかなり弱ったよ。もうあまり食べなくなったし、話せなくなったし、すこし起きていても、すぐに苦しそうな息遣いになって横になるしね・・・」

そう弟には話していた。

さて施設に弟が到着したので、みんなで父のいつも居る部屋に行った。

ちょうど今まで横になっていた父をヘルパーさんが車椅子に座らせてトイレに連れて行ってくれるところだった。

「おとうさん」と皆で声をかけたが、父はうつむいたままでほとんど反応を示さない。

「おとうさん、○○(弟の名)が来てくれたよ」

そう声をかけても反応がない。

寝起きもあって話を理解できていないのだろうか。

しかしちょうど父の前に大きな鏡があり、父がふと顔を上げた時、後ろにいた私たちや弟の姿が映った。

すると、なんと父の目が一瞬大きく見開き、口元に笑みがこぼれ、そして「おぉ」と片手を上げたではないの。

弟が来ていることを父が認識した瞬間だった。

父はレビー小体型認知症だが家族の顔は忘れないようだ。

「来たのか?来たのか?」と何度も嬉しそうに父が弟に言った。

それからの父は嘘のように元気になった。

目に力が入り、前かがみだった背中もまっすぐ伸びた。

父を囲んで皆で座ると、最初はなかなか言葉が出てこなかった父だったが時間が経つにつれて、色々なことを自ら話すようになった。

ずっと昔のことから昨年くらいのことまでを記憶していて会話をしている。

まだこんなに話すことができたなんて信じられなかった。

とはいえ、同じ話を繰り返したり、間違った記憶を話したりするのだが、それでも今まで弱々しくベッドに横たわっていた、いつもの父ではなかった。

しかも驚いたことに、食欲が旺盛なのだ。

それは職員さんからも「最近、よく食べられますよ」と聞いていたのだが、父の食べる量がすごい。

大きな柿を二つ、甘酒の缶を二本、ソーダーの缶を一本、大きなおせんべいを二枚。

これらをぱくぱくとすごい速さで食べる。

まだまだ食べられそうな勢いだったが、途中でもう止めさせないとダメかも・・・と思うほど父は食べ、そして最後にそれらを吐いてしまった・・・

最初は妹と「お父さん、食欲が出てきて良かったね」と話していたのだが、途中から「これは認知症の症状かもしれない」と思った。

「最近、食事がおいしいんだ」

そう父は話していたが、おいしいだけであれほどの量を、すごい速さで食べるというのは、元気な頃の父ではあり得なかったと思う。

しかし、それ以外は久しぶりに弟に会えた父は終始きげんがよかった。

食べ物を吐いてしまったが、一時間あまりの長い時間を父は一度も疲れた様子を見せることなくおしゃべりをして過ごした。

それにしても久しぶりに会った息子の力は凄い。

娘二人(私と妹)では、こんな風に父を元気にすることはできない。

私たちはいつも顔を見に行っているので、もう私と妹では父に甘えや慣れが出てしまって、しゃっきりとなれないのかもしれないが。

「またお父さんに顔を見せて、刺激を与えてやってね」と弟にお願いしたら「わかった、もっと頻繁に来るようにするよ」と弟も言ってくれた。

夕食は弟を囲んで、みんなで楽しく食事をした。

こうしてきょうだいが集まって食事ができるというのは、やはり父のお陰だと思う。

もしも父がいなくなってしまったら、弟もなかなか帰って来れないだろうし、きょうだいと言っても疎遠になっていくのかもしれない。

父にはまだまだ頑張ってもらいたい!と思う。










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差し入れは甘酒

2015-09-30 15:18:29 | 介護
「やっぱり複合型デイサービスに行くようにしてよかったですね。
お父さん、ずいぶんお元気になられましたものね」

父の顔を見に行った時、施設の看護師さんにそう言われた。

確かに最近の父は顔色がいい。

相変わらず眠っている事も多いが、面会に行って話しかけると、ちゃんとした答えが返ってくるようになった。

父が複合型のデイサービスに行き始めたのは今月の初めからだ。

そこは普通のデイサービスに比べると介護度の重たい高齢者が多いのだが、職員さんの数も多いので細やかな介護を受けることができている。

そして何より良かったことは、経営母体が父の住む高齢者施設と同じだった為、父の顔見知りの職員さんが多いということで、父や家族にとっては安心感があった。

デイサービスで父の様子を覗いてみると、父は椅子に腰掛けたまま、テーブルに顔をうずめるようにしていた。

デイサービスの職員さんによると、午前中はこうして何とか椅子に座って、他の利用者さんと一緒に過ごし、午後からは別室のベッドで横になっているそうだ。

やはり父には一日を起きて過ごす体力は、もう残っていないのだろうと思う。

テーブルに顔を伏せる寸前でやっと椅子に座っているような父の姿に、もう寝かせてあげたほうがいいのではないだろうかとも思うのだが、父の主治医の先生からは「とにかく筋力をこれ以上落とさないためにも、起きている時間を作りましょう」と言われているし、父を見てくださっている職員さんたちも「できるだけ起きている時間を作らなければ、本当にこのまま寝たきりになってしまいます」と口をそろえておっしゃるので、家族としては「おまかせ」をすることに決めた。

しかしこうやって起きている時間が増えてから、父は食欲も出てきたし、会話も増えた。

そして、何より顔にツヤが出てきた。

デイサービスに行く前の父は食欲も会話も少なくなり、もうダメかと思われるような状態だったが、それに比べると現在はとても元気になったように見える。

やはり複合型デイサービスに入れたことは正解だった。

人によって色々なケースがあるとは思うが、父の場合は無理をさせても起こしていたほうが良かったことは間違いがなかった。

「お父さん、しわもなくてツヤツヤのお肌しているね。うらやましい~」

そう言ったら父は嬉しそうにニヤッと笑って、私が差し入れた好物の甘酒をグビッと飲んだ。

父の食欲が無くなったおかげで、元々軽度だったが糖尿病と言われて高かった血糖値が下がった。

それで血糖値を下げる薬を止める事ができて、甘酒などの糖分を摂るお許しが出たのだった。

また糖分を摂って血糖値が上がることも心配だが、正直もうここまできたら、身体に悪かろうがなんだろうが、父の好きな物を食べさせてあげたいと思う。

飲み込む力も弱くなっているので、喉に詰まらせるような物は食べさせられないが、ゼリーや飲み物などで父の好きそうなものはたまに持っていくようにしている。

そして、いつまでも父のこの嬉しそうな顔を見ていたいと思う。

・・が、いつかは誰もがいなくなる様に、父の笑顔をこの世で見られる時間も、残り少ないのかもしれない。

高齢者は短い時間にあっという間にガタガタと弱ることが多い。

「お父さん、ずいぶん弱ったよ。できれば近いうちに、また逢いに来たほうがいい」

離れて暮らす弟にそう電話をしたら、来月初めに来ることになった。

弟が久しぶりに来ることを話すと、父は目を見開いてうなずいていた。

やっぱり息子が帰ってくるのは嬉しいのだろうなぁ。

来月は久しぶりにきょうだい揃っての食事会をしようと思う。








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勉強不足でした・・・

2015-09-01 17:34:32 | 介護
ここ数ヶ月間で急激に弱った実父だが、ケアマネージャーさんをはじめ、高齢者住宅で介護にかかわって下さっているスタッフの方々が集まって、父の介護の見直しについての話し合いをしたのが先月のことだった。

もう一人で歩くこともできず、車椅子になることは明らかだった。

行く度に弱っていく父を、なんとかしてやれないものかと歯がゆい気持ちが募るばかりだったが、すでにリハビリをするような体力はなく、「それよりも日常生活の中で、すこしでも起きている時間を増やすことがリハビリ」とおっしゃったリハビリ担当の先生のお話にやや落ち込んだ。

会議があったのはちょうど夏の暑い盛りであり、私が気になったのは水分補給だった。

父はもう自分で冷蔵庫から飲み物を出して飲むなんてことはできないし、それより何より目の前に水があってものどが渇くという感覚が鈍くなっているのか、自らすすんで飲もうとはしなかった。

ヘルパーさんにそのことを聞いてみると「たしかに・・・三度の食事の時はコップ1杯の水を飲んでもらっているのですが、自室に戻ったら飲んでいないですね」とのことだった。

暑い時期に一日コップ3杯だけの水というのは少なすぎるのではないかと思った。

その辺りのことをなんとかして欲しいとケアマネージャーさんに相談したのだが、「高齢者住宅というシステムは介護のついているアパートみたいなものなので、自室では本人の責任になってしまいますね」となんとも頼りない返事だった。

ヘルパーさんには掃除と洗濯をお願いしているだけなので、特別養護老人ホームのように水分補給までやってもらうことはできなかったし、日中は起こしておいてもらうといっても、ずっと父に付いていてもらうなんて無理だと分かっていた。

ましてや、今はどこの介護施設もそうだが人手不足。

きめ細やかなサービスは望めないのだろうか・・・

水分補給を含めて、父の身体の機能を維持する方法など、なにか手立てはないのだろうか・・・

ケアマネージャーさんに言っても、上記のような返事が返ってくるばかりで、なんともすっきりとしない気持ちのまま「やっぱりほかの施設に変わったほうがいいかもしれない」と思いながら会議が終わった。

部屋に戻り、相変わらずベッドに横たわっている父のそばに座っていたら、ひとりのヘルパーさんがやってきた。

さきほどの会議に出席してくれたヘルパーさんだった。

「会議の間、私ずっと言いたかったことがあるんです。
それはお父さんをこのままにしていてはいけないんじゃないかってことです。
このままではますます弱るばかりだと思います」

そうおっしゃるヘルパーさんは、毎日父の様子を見ていて、家族である私よりも父の様子を知っている方だった。

「今更こんなことをお伝えすると、ケアマネージャーさんに叱られそうですが、複合型サービスをしているデイサービスに行かれるとよいと思います」とおっしゃった。

そういえば会議中、このヘルパーさんが「複合型・・・」と言いかけて急に口をつぐんだのが気になって「なんですか?それは」と私が聞いたのだった。

しかし、ほかの方が話し始めて、結局そのヘルパーさんが話の続きをすることはなかった。

「さっき話をやめたのは、ある方に睨まれたから・・・
よけいなことは言わないようにしようと思ったんですけど、でもやっぱりお父さんのことを思ったらご家族に情報としてお話したほうがよいと思ったんです」

ヘルパーさんが教えてくれた複合型のデイサービスとは、看護師さん、ヘルパーさんなどが常に複数常駐していて、ほかのデイサービスでは過ごすことのできない重度の高齢者も受け入れをしてくれるのだという。

常に介護のプロの目が複数あるので、水分補給はもちろん日中だれもいない部屋で過ごすのとは違って、家族も安心してお任せすることができる。

ヘルパーさんに教えていただいた複合型の事業所は、その日のうちにすぐ見学をし、そして父をお願いすることを即決した。

父が通うという形なので、慣れた高齢者住宅にはそのまま住み続けるので、父にとっても負担がない。

教えて下さったヘルパーさんにはお礼を言って、もちろん誰に教えてもらったなどとは一切言わず、複合型に行くことをケアマネージャーさんに伝えた。

そして今、父は複合型のデイサービスに毎日通っている。

ヘルパーさんによると「起きたくない。行かない」と駄々はこねるものの、いざデイサービスに行くとトロ~ンとした目がぱっちりおめめになって、食欲も旺盛になり声も出るようになった。

父の病気、レビー小体型認知症は体調の波があるのが特徴なので、たまたま調子が良い日がつづいているのかもしれない。

しかし、やはり複数の目があるということが何より安心できる。

またいつも一人の部屋で寝ているだけだった父にとっても、周囲に人がいることが良い刺激になっているような気もする。

それにしても、気になるのはヘルパーさんのおっしゃった「睨まれたので、話をやめた」とのこと。

事業所内でなにか利害関係でもあるのかと思ったが、「ないです」とのことだったが・・
結果オーライなので、それはいいか・・・

介護に関しては、情報は多いほうがいいとあらためて思う。

何も分からない家族にとって、ケアマネージャーさんの情報は頼りの綱的なものがあるので、やはりケアマネージャーさんは常に勉強してほしいと思う。

そしてヘルパーもですね!

ハイ、私のことです・・・









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食生活

2015-08-07 11:44:03 | 介護
ほぼ寝たきりになってしまった父だが、身体の状態を見るために、脳や身体のレントゲンと心電図の検査を受けることになった。

ふだんの診察は、高齢者住宅の父の部屋に医師が来て診察してくださるのだが、レントゲンなどの検査となると機材のある病院の方へ行かなければならない。

検査は朝10時半からだった。

病院まで徒歩5分くらいなのだが、私は一時間近く前に父の部屋に着いた。

父は弱っているので、行く準備(着替えやトイレなど)にとても時間がかかる。

さらに身体を動かすと嘔吐することがあるので、病院に辿り着くまで何度も休憩を入れなければならない。

一時間前でも、あまり余裕はないだろうと思っていたが、やはり父はなかなかベッドから起き上がることができず、結果10時半ちょうどに病院に着いた。

父は自力ではもう歩けないので車椅子を用意したが、「行きたくない」と言いながら、しぶしぶ車椅子に乗ってくれた。

深いため息をつき、顔をうなだれて車椅子に座る父の様子が気になって、途中で何度も車椅子を止めて父の様子を見た。

レントゲンを撮る為に入れ歯を外してきたせいか、口元がゆがみ、少しよだれが出ていた。

元気な頃の父と、人相もずいぶん変わってしまった。

さて、検査はいくつかあって時間もかかったが、看護師さんや技師さんの手助けを受けながら、父も嘔吐することなく無事に済ませることができた。

やっと検査が終わり「疲れたでしょう?」と聞くと、父はうなだれたまま、時々口元のよだれを自分で拭きながらうなずいた。

「あとは診察だけだから、もうすこしで終わるからね」と父に言って待っていると、ほどなくして名前を呼ばれた。

すでにレントゲン写真は出来上がり、心電図の結果も来ていた。

「脳卒中などの予兆はないですし、心電図も問題ありません。血液検査の結果もいいですね」

父に向かって説明する先生を前にして、父の目にみるみる力が入っていくのが分かった。

「身体は大丈夫ですよ。でも、水分はじゅうぶんに摂って下さい」

にこやかな笑顔で父を励ますようにおっしゃる先生に、なんと父ははっきりとした口調で「そうですか、ありがとうございます」と言った。

今までうなだれていた姿とは打って変わって背筋は伸び、笑みさえ浮かべながら挨拶をしている!

ゆがんでいた口元も元通りになって、よだれも出していない!

「今日は顔色もいいですね。調子がいいですか?」と医師に言われ「はい」と元気な返事をしている父。

私の前と医師の前とでは、まったく違った表情を見せる。

これは先生の前で精一杯の見栄を張って、頑張っている父だった。

その証拠に一歩診察室を出たら、またしょぼんとした弱々しい老人に戻ってしまったから。

このように他人に接する時には、急にしゃっきりと元気になるのは父だけではなく、うちのお姑さんもそうだし、多分ほかの高齢者でも多いのではないかと思う。

だから介護申請の為に役所の方が来る時など、急に元気になって、職員さんの数々の質問に「できます!できます!なんでもできます!!」と答えて、あとで家族が「実は違います」と説明しなければいけなかったりもする。

しかし、見栄であっても、父が一時的にも元気に振舞えることができるのが嬉しかった。

ちなみに血液検査の結果は非常に良くなっていて、今まで飲んでいた糖尿病の薬も必要なくなった。

数値的には、どこも悪くないはずなのだが、この弱り方はやはり認知症の影響なのだろうかと思う。

そして数値がよくなったのは、多分父が今までよく食べていた菓子類をまったく食べなくなったからだと思う。

父は軽度の糖尿病だったが、糖尿病は認知症と深い関係性があるのだとか。

父は甘い物が大好きでよく食べていたし、年齢のわりにポテチやコーラなども好きで、一人暮らしの気ままさで、不規則な時間帯にも好き勝手に飲み食いしていた。

病気というのは、いろいろな要因があって発症するのだろうが、何をどのように食べてきたかということも非常に関係するのではないかと思う。

父の糖尿病もレビー小体型認知症も、もしかしたらそんな食生活が原因のひとつだったのかもしれない。

話は変わるが、夫の職場に40代のある男性が転勤してこられたそうだ。

その男性と夫が世間話をしていた中で、話題が「健康」の話になったそうだ。

その方が「自分の朝ご飯は、きゅうり1本だけにしています」と話し始めたそうだ。

「昼ごはんは小さな乳酸菌飲料を1本飲むだけ、夕食だけは普通のご飯とおかずを食べています。
ずっとこの食生活を続けていますが、体調はすこぶる良いです。
毎年の健康診断はいつもオールAで、どこも悪いところがありません」とおっしゃったそうだ。

夫が「おなかは空かないのですか?」と聞くと、それがぜんぜん大丈夫なのだとか。

この話を聞いて、やはり食生活は健康にとって大切だなぁと思った。

この方のマネをするつもりはないが、まずは胃腸に負担をかけないように食べ過ぎないことを心掛けようと思う。

それにしても、ここだけの話、この男性のように小食にするということは、私は今ならできる自信がある。(食べ盛りの10代や20代の頃では無理だったが・・・)

年齢のせいなのか、だんだん食欲というものが無くなってきた。

今はずっと何も食べなくても、わりと平気で、目の前にどっさりと食べ物があって、それを食べなければいけないと思うほうが苦痛に感じるかもしれない。

しかし、こうして有り余るくらい食料がある国なんて、日本以外にきっと数えるくらいしかないのだろうなぁ。

この地球上では飢えに苦しむ人たちがどれほどいる事か・・・

そしてこれからもずっと、今までのように有り余る食料が手に入るとは限らないかもしれない。

そのためにも、そして健康のためにも、小食で済む様な燃費のいい身体を作りたいと思う。










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見直し

2015-07-27 17:38:24 | 介護
週末にまた父の所へ行ってきた。

ちょうど昼食の時間で、入所者の方々は食堂に集まっていらした。

「お父さんもいるかな」と、いつも父が座っている席を覗くと「いた~!!」

ちゃんと席についているではないの。

いつも寝ているので、食事の時間になっても、なかなか起き上がれず、時間通りに食事に行けることはないのだが、今日はなんと時間通りに食堂にいる。

父のそばまで行って声をかけると「おぉ」と言って笑ってくれた。

今日はかなり調子が良さそう!私の気分もあがる↑

ただ、いつもお世話をしてくれる看護師さんやヘルパーさんからは「ずいぶん弱ってきたので、介護計画の見直しをすることになりました」と言われた。

父が二年前に高齢者住宅に入った時には、スタスタというわけにはいかないが、自力で歩くことができたし、もっと頭もしっかりしていた。

しかし、今は寝たきりに近い・・・

私も、このまま同じ介護では難しいと思っていたので、そのように言って頂いてホッとした。

ところで、今回は父のことでヘルパーさんから購入を頼まれたものがあった。

それは洋服とヒゲそり用シェーバー。

父は昔からとてもお洒落で、ふだん着はスラックスにベルトをしめ、上の服は襟のついたカジュアルなシャツを好む。

しかし、徐々に自分でベルトをしたり、ボタンを留めたりすることができなくなってきたので、父が好んで着ていた服ではなく、ウエストがゴムのジャージのようなズボンとTシャツを着るようにして欲しいとのことだった。

たぶんその方が介護しやすいし、父の負担も減るのだと思う。

また、ヒゲそり用のシェーバーは故障したので、買って来てほしいとのことだった。

「次にいらした時までで良いです」とヘルパーさんはおっしゃってくれた。

父の部屋でしばらく父を待っていて、戻ってきた父とすこし話をした。

今回の父はやっぱり絶好調!?で、珍しく父の方から話をしてくれた。

あぁ、こんなことは久しぶりだ。

「お父さん、今日は調子がいいね」と言うと「うん、調子がいいんだ」と笑ってくれた。

しかし、しばらくすると疲れたようで、またすぐにベッドに横になってしまった。

「じゃあ、帰るから。また来るからね」と言って、父の部屋を後にして自宅に帰るつもりだったが、「やっぱり洋服やシェーバーは早いほうがいいかもしれない」と思いなおして、そのまま車で大型ショッピングセンターへ行った。

ヒゲそり用シェーバーは男性店員さんオススメの商品を買い、ウエストがゴムのズボンは、形がスラックスに似ているものを買った。

Tシャツも父が好きそうな柄のものが見つかった。

さっそくまた父のいる施設に戻って、父の部屋に行くと、なんとちょうど父は履いていたズボンを自分で脱ごうとしている最中だった。

ところが、父は横たわったままでズボンを脱ごうとしているので、なかなか思うように脱げない。

悪戦苦闘している父に「お父さん、どうしたの?着替えるの?」と聞くと「いや、寝ようと思って」と父は言った。

寝る時に、ベルトのあるズボンでは窮屈なので脱ごうしていたようだ。

そこで、買ってきたズボンを見せて「履いてみる?」と聞くと、「履く」と言ってくれたので、ベッドに横たわっている父にズボンを履かせた。

それからシェーバーは箱から出して充電し、父に「今度はこれを使ってね」と言った。

父はベッドの中で横になったまま「わかった」というようにうなずいていたが、突然「いろいろとありがとう」と言った。

これまでも何度か父はありがとうを言ってくれたことはあるが、今日は「ありがとう」と言ってくれた父の目に涙が光っていた。

父の涙を見たのは、母が亡くなった時以来かもしれない。

これまで父はとても頑張って生きてきたと思う。

貧しい家に生まれ、「お前が働いてくれなければ生活できない」と母親(私の祖母)に泣かれ、大学進学をあきらめて就職した。

しかし、どうしても大学へ行きたかった父は日中働き、そして自分で働いたお金で夜学へ通ったそうだ。

父は公務員だったが、若い頃はよく上司にそろばんで頭を叩かれたそうだ。

今の時代、そんなことをしたら、上司は訴えられるかもしれないが、当時は当たり前のことだったのか、父はじっと耐えたそうだ。

父は、頭を叩かれて壊れたそろばんの玉が、音をたてて床に散らばった光景が忘れられないと言った。

そして「今に見ていろ、絶対に偉くなってやる」と思ったそうだ。

その頑張りのおかげで、父はそこそこの地位につく事ができたのだが、そこから父の自慢話を延々と聞かされるという苦行を家族は受ける。

同じような自慢話を何度、いや何十回、いやもっとかな・・・聞かされて来たかわからない。

父のおかげで私たちが生活できたので、これは感謝すべきことだが、やはり自慢話を延々と聞かされるのはつらいものがあった。

今になって分かったのは、それはきっと父のコンプレックスの裏返しでもあったのかもしれないと思う。

貧しい暮らしから這い上がってきたという自負心もあったかもしれないが、やはり貧しさが父のコンプレックスだったように思える。

年老いた今、父はもう自慢話などすることはない。

「ありがとう」と言って涙を見せてくれた父は、もうコンプレックスも、地位や名誉への執着も、きれいに無くなったようにも見える。

そして、私自身もこれまで父に言われて傷ついたことや怒りに震えたことなど、きれいさっぱりと無くなったことを感じている。








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父の近況

2015-07-20 21:11:51 | 介護
高齢者住宅にいる父の顔を見に行ってきた。

特にここ最近、父は非常に弱ったと思う。

週に一度は父の所へ行っているが、行くたびごとに、また一段と弱ったという感じがする。

思えば二ヶ月くらい前、「調子はどう?」と父に聞くと、父は力なく「もうだめだ。おしまいだ」と言ったことがあった。

身体がどんどん弱っていくことを、父自身が一番わかっていて出た言葉だろうと思う。

その時、私は父に「まだまだ大丈夫。先生は、身体はどこも悪いところはないと言っていたでしょう。あとは足を弱らせないように、なるべく歩くようにしないとね」と言った。

しかし、父が目に見えて弱ってきたのは、あの頃からかもしれない。

あれほどおしゃべりだった父は、もうほとんど自分から話すことはない。

私が何か聞くと、それに対して、うなずいたり手を振ったりして合図をするだけ。

テレビを観るわけでもなく、ひたすら布団の中に横たわったままで一日を過ごしている。

しかし、できる限り自分の足で歩くという施設や病院の方針で、歩行器を使って、食堂まで、まだなんとか自分の足で行っているようだ。

ところがこの前、私が行った時、父はなかなか起き上がることができず、仕方なく食事を部屋まで運んだことがあった。

その時、父はようやく起き上がって、ベッドに腰掛けて、食事を自分で食べたのだったが、これは歩くのも難しくなってきたのかなと思った。

そして、今回もまた父のベッドの横に食事のお膳が置いてあった。

「ついに自力で食堂へ行けなくなったのか」と心配になって、布団の中で目をつぶっている父に聞こうと思ったが、父はいびきをかいて寝ていた。

しばらく様子を見ていたが、父は一度も目を開けることがないので、帰ろうと思って、父の耳元で「帰るね」と声をかけたら、うなずいて返事をしてくれた。

「聞こえていたのか」と、それから色々話しかけると、すべてにうなずいて返事をしてくれたが、結局一度も目は開けなかった。

今までこんなことはなかった。

声をかけると、必ず目を開けてくれた。

それにしても、目を開けずにうなづくだけの父の姿には不安が募った。

帰る時に、看護師さんにお話を聞くと「普段は、まだ自分で歩いて食堂まで来ています。今日はたまたま食事のタイミングがずれてしまって、部屋に食事を運びました」とのことだった。

それを聞いてすこし安心したが、看護師さんに「ところで、今日はなにかお菓子などを持ってきましたか」と聞かれた。

父は甘党なので、行くたびに少しだけお菓子を差し入れていたが、最近の父は、まったくお菓子を食べなくなっていたので、もう差し入れはしていなかった。

「いえ、なにも持ってきていません」と答えると、「それはよかった。もしも誰も見ていない所で食べて、のどに詰まらせてしまっては大変なので」と言われた。

これを聞き、「もう飲み込む力も弱っているのだな」と思った。

もうあまり時間は無いのかもしれない。

母の時もそうだったが、今、生きている父の姿をしっかりと目に焼き付けておこうと思いながら、父に会いに行く今日この頃だ。







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いい事みっけ

2015-06-23 15:23:17 | 介護
今、庭のバラが次々と美しい花を咲かせている。

花はなんでも好きだが、とりわけて好きなのがバラ。

バラは美しいだけではなく香りも良い。

バラの美しい花と芳しい香りに「癒される」というよりも、ときめきを感じる。

そんな大好きなバラだが、これがなかなか手の掛かる植物で、他の植物にはほとんど使わないが、バラだけは殺虫剤と消毒薬は必須で、すこしでも異変を見つけるやいなや、薬を持って飛んでいかなければならない。

バラの管理は早期発見と早期の処置が鉄則だそうで、放っておくと、どんどん病害虫の被害が拡大してしまう。

また、バラは手入れをする時に注意をしないと、鋭い棘で怪我をしてしまうこともある。
私も何度血を流したことか・・・

でも、いくら手間がかかろうと怪我をしようと、一度バラの美しさに魅了されてしまうと、育てるのは止められませんね。

もしかして、美しいけれど、手が焼けて危険な女性に恋をしてしまった男性は、こういう気持ちになるのでしょうか。

な~んて、男じゃないので、よく分かりませんが。

そんなわけで、庭から切ってきたバラを家の中に飾って楽しんでいる。

バラの良い香りが部屋の中に漂って、幸せな気持ちになる。





良い香りと言えば、日が落ちてくると、周囲の森林の香りが日中よりも強く感じるのだが、清々しい森林の香りに混じって、シロツメクサの香りが漂ってくることがある。

バラの芳醇な香りとは違った、もっと素朴で甘い香り。

いや~危険で美しいバラもいいけど、素朴なシロツメクサもいいもんですね。

香水にするなら、シロツメクサの方がいいかなぁ・・・とかなんとか。

こんなことささやかなことが、日常生活の中では嬉しい。

さて先日のこと。

高齢者住宅に父に会いに行ったが、父はどことなく気持ちが沈んでいるように見えた。

最近はいつもそうなのだが、ベッドに横たわったままで、いつもより口数が少なく、何を言っても、手を横に振って「拒否」の返事ばかりだった。

せっかくの歩行器もほとんど使っていない様子だった。

声をあまり出すこともなく、ほとんどを手で合図ばかりしているせいか、声がかすれていて、それがさらに父が弱ったように見せた。

「なにもいいことが無いな・・・」

ベッドに横たわったまま、唐突に父がそう言った。

それを聞いていた夫が横から「どこか行きたいところはないですか?また公園でも行きましょうか。気持ちがいいですよ」と、父を元気付けるように言ってくれた。

すると、父はまた手を横に振って「いや、行かない」という合図をした。

今、父の心の中には重苦しい大きな黒い塊があるのかもしれない。

やる気が起きない、身体がつらい、横になっていても何もいいことは起こらない・・・そんな気持ちなのだろうか。

「なんでもやってもらって、ありがたい。ここは天国だ」と、高齢者住宅に入った頃に言っていた言葉は、もう父の口からは出てこなくなった。

出てくるのは「食事がまずい」ということだけ。

私も食べさせてもらったが、父が言うほどまずくはなかったはずなのだけどなぁ。

確かに味付けは薄いが、まずくは無かった。

日中、何もせずに横になっていれば、お腹も空かないのだろう。

そして空腹感がないので、食事も美味しくないのだろうと思う。

「なにもいい事が無い」という父に、本当は言いたかった。

「誰だって、そんなにいいことばかりは無いよ。
50歳そこそこで死ななければいけなかったお母さんから見たら、お父さんは84歳まで生きられていいな~って思っているかもしれないし。
でも自分がそう思えば、いい事はたくさんあるんだから」

昔、私が書いていたブログ名は「みんな幸せになろうね」だった。

これは、私に悩みがあって、それをなんとか乗り越えたい、幸せになりたいという気持ちからつけた。

今はわかる。

幸せになろうねというのは間違っていた。

もうすでに幸せだった。

そこらじゅうに幸せやいい事が転がっていたのに、私はたったひとつの事に執着して、それが自分の思い通りにいかないことで、幸せではないと言う思いに囚われていた。

今はたくさんのいいことを見つけられる。

大好きなバラが綺麗に咲いた、シロツメクサの甘い香りを嗅げた、家族も知人も元気に暮らせている、ご飯が食べられる、雨露がしのげて、ふかふかの布団で眠ることができる・・・

数え切れないくらいのいい事ばかりなのに、時々それを忘れてしまって暗い穴の中に落ちて行くような気分の時もある。

今の父がそうなのかもしれない。

見回せば、たくさんのいい事があるのに。

そんなことを、また父が思い出すようにさせてあげたいなぁ。






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選んだ道

2015-06-12 21:26:44 | 介護
日常生活の中で「どうしてこんなに一度に色々なことが重なって起きるの?」という事がたまにある。

昨日は午後3時に歯科治療の予約をしてあったのだが、非常に混んでいて、なんと二時間以上待ったされて、やっと治療してもらうことができた。

そこは総合病院の中にある歯科であり、歯科医師はたくさんいるのだが、それ以上に患者さんが大勢来る。

いつも混みあっていて予約時間どおりに診て貰えることは少ない。
それでも二時間以上の待ち時間というのは滅多に無いことで、せいぜい一時間程度の待ち時間というくらいだが、昨日は本当に珍しいくらい混んでいた。

午後2時半前に家を出てから治療をして、家に着いたらもう午後6時を過ぎていた。
(治療時間は10分くらいだったけれど)

やれやれ疲れた・・・

いつもより遅くなっているので、大急ぎで夕食の支度にかかろうとしたら電話が鳴った。

父を担当してもらっているケアマネージャーさんからだった。

実は、寝てばかりいる父にリハビリを受けさせることになっていた。

ケアマネージャーさんは困ったような声でおっしゃった。
「リハビリの先生に診てもらったら、体力が無さ過ぎてリハビリはできないというんです。
また、お父さんにもリハビリをする気力がなくて、頑としてリハビリはやらないとおっしゃって。
どうしたらいいでしょう?」

父は体力もそうだが、一番の問題は気力がないことで、それはレビー小体型認知症という病気の症状でもあるのだが、リハビリと称して父を動かすのはとても大変なのだ。

こういうことも想定していたが、やはりリハビリはできなかったか・・・ちょっとがっかりした。

しかし、このまま何もせずに寝かせておくのはまずいということで、ケアマネージャーさんが色々考えて下さっているのだが、気力と体力が無く、自ら動こうとしない父をどうしたらよいのか分からず困っているようだった。

ケアマネージャーさんとお話をして、翌日、私が行ってリハビリの先生やケアマネージャーさんとあらためて相談をするという事で電話を切った。

さて、気を取り直して食事の準備をしようと思ったら、また電話が鳴った。

今度は妹からで、なぜか妹の声が妙に弱々しい。

「今日から入院したの」という突然の妹の話に驚いた。

一体どうしたのかと聞くと、しばらく熱が出ていて、病院に行ったら、その場で入院することが決まったとか・・・

かなりひどい胃腸炎になっていて、他にも原因がないか、これから検査をいくつかするのだそうだ。

「わかった。何かやってほしいことがあったら、すぐに言ってね」と言って電話を切ったが、もう料理どころではなくなってしまった。

妹に万が一のことがあったら、どうしよう。

というわけで、昨夜は父の今後のことを考え、そして妹のことが心配で、体は疲れているのに、なかなか寝付かれなかった。

妹は大丈夫だ・・・と本当の自分自身は知っているのだが、私は不安で一杯になっていた。

布団の中で父のことや妹のことを思って、なかなか眠れずにいたのだが、突然「あ~、今、私は自分自身(自分自神)を傷つけているなぁ」と思った。

今考えても仕方のない事を悪い方へ、悪い方へと考えて、自分の中に在る神を傷つけていた。

本当の自分自神がどんどん小さくなって、それを圧倒するかのように不安や心配というネガティヴな感情が自分の胸に広がっていくのを感じていた。

そうだ、これだけは絶対に守らなければいけなかった。

そう思いなおして、自分の胸の奥に集中した。

少しずつ暖かな光が戻ってきたかのような気持ちになってくる。

「これが、生まれる前に自分で選んできた道だった。家族が欲しいと切望した前世?の想いを、今やらせてもらえているのだから、なんとありがたいことか。だから乗り越えられない試練はない」

そんな風に思えてきた。

・・・で、翌日(今日ですが)さっそくケアマネージャさんやリハビリの先生と相談をするために行ってきた。
父に歩行器を使ってもらって、今まで使っていた杖よりも楽に歩けるということを父にわかってもらい、まずは普通に歩けるようになることから始めようということになった。

初めは嫌がっていた父だったが、「杖よりも楽だから、ちょっと使ってみて~」と歩行器を勧めると、その気になって歩行器で歩いてくれた。

「どう、楽?」と聞くと「うん、楽だ」と言って、珍しく長い距離を歩いてくれた。

あとはこれが継続してくれればよいのだけれど。。。

そして、次に妹の病院にお見舞いに行くと、妹は思っていたよりも元気ですこし安心した。

とはいえ、妹の検査はこれから。

「だからぁ、私の作った乳酸菌あげるから、だまされたと思って飲んでみぃ~」

そう言ったら、妹は「それだけは絶対にいらない!」とぶるんぶるんと首を振った。

失礼な。。。安全は夫と自分で人体実験済みなのに(笑)

こうやって一歩ずつ、良心に従って進んでいこう。





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米寿のお祝い

2015-06-08 14:53:27 | 介護
日曜日、我が家で同居するお姑さんの米寿のお祝いをした。

米寿などのお祝いと言うのは、もしや数え年でやるのかもしれないのだが、お姑さんが今月88歳のお誕生日を迎えるということに気がついて、急遽「米寿祝賀会」をすることに決めた。

一緒にお祝いをしてもらうために、夫の姉達とその伴侶や子供たち(お姑さんからすると孫)、そして、その子供の伴侶まで総勢10名が集まった。

本当は孫やらひ孫やらとまだ大勢いるのだが、とりあえず近郊にいる者たちだけでお祝いをしようということになったので、この人数になった。

さて「祝賀会」はお昼からと決めて、朝からオードブルやお寿司、飲み物などを用意した。

そして、88歳になった今も毎日料理を作るお姑さんは、かぼちゃの煮物とおからの煮物を作ってくれた。

この二品は、さすが年の功という感じで本当に美味しい。

かぼちゃの煮物などはまるでスイーツのようで、小さな子供にも人気がある。

そのほかに義姉たちがケーキと花束を用意してくれて、なんとお姑さんに着てもらう山吹色のちゃんちゃんこと帽子まで持ってきてくれた。

さっそくお姑さんに山吹色の米寿セットを着てもらい、まるで大黒様のようになったお姑さんに花束を持ってもらっての写真撮影会。

あちらこちらからカメラが向けられて、お姑さんは嬉しくて泣き笑いをしていたが、しっかりポーズは決めていた(笑)

そんな感じで始まった米寿祝賀会だったが、笑いが絶えない楽しい集まりになった。

笑いの中心は、何と言っても夫の一番上の姉夫婦。

60代の夫婦なのだが、これがまさにボケとツッコミの掛け合い漫才を見ているかのように面白い。

多分、本人達はウケをねらって話しているわけではなく、ごくごく自然体なのだが、のんびりゆっくりと話をする義兄の横で、機関銃のような早口で義兄の話を先回りして、さらに細かい説明も付け足しながら話していく義姉。

話の内容よりも、二人の掛け合い漫才風の様子が面白くて、周囲は大爆笑だった。

しかし主役のお姑さんには、話が早過ぎて何を話してみんなが笑っているのか、さっぱり分からなかったと思う。

それでもみんなの笑い声のなかで、にこにこと嬉しそうにしてくれていた。

ところで、書き忘れたが、祝賀会を行った場所は我が家のリビングだった。

お姑さんの部屋は大勢が入るには狭いということで、うちのリビングで行うことになったのだが、お客さんたちが来る前に掃除をしながら、ふと「片付けようかな、どうしようかな」と思うものがあった。

それは、私が毎日手を合わせているご先祖を供養するための短冊と香炉だった。

リビングの目立つ場所に置いてあるので、私がやっていることを分かっている妹などは別として、来客がある時は必ず見えない場所に移動させていた。

別に悪いこと、恥かしいことをしているわけではないが、変に思われても嫌だし・・・と勝手に想像して片付けていた。

でも今回は親戚ばかりだし、何よりめでたい米寿のお祝いの席だ。

ご先祖さまにも一緒に参加して頂きたいなぁと言う気持ちで、今回は移動せず、そのまま置いておくことにした。

それについては、そこで供養をしていない夫も異論はなく「片付けなくてもいいんじゃないの」とさえ言ってくれた。

先祖供養を始めた頃は「何をまた怪しいことをやって」と言っていた夫だったが、今はすっかり理解を示し、毎日する線香供養がきっとご先祖に届いているのだろうという風に考えが変わってきた。

そして、それと関係があるのか無いのかはよく分からないが、私はもうすっかり夫の家の人間になったのだなと感じる。

結婚して何年間かは、夫の親族に会うと緊張してしまい、それが嫌で、夫側の親戚に会うのはなかなか苦痛でもあった。

でも今は、夫の親戚達との会話を心から楽しんでいる自分がいる。

供養セットも自然に、そしてごく当たり前にそこに存在していた。

「あ~楽しかった!ありがとう。久しぶりにお腹がよじれるくらい笑ったわ」と帰り際に姉達や姪たちにお礼を言われた。

いえいえ、こちらこそです。

お腹がよじれるくらい笑わせてもらったのは、こちらの方ですから。

ご先祖のみなさんも楽しんでいただけただろうか・・・









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愛の力・・・?

2015-04-27 15:53:13 | 介護
最近、高齢者住宅に入居している父の所へ行くと、帰りは自分の気持ちが沈んでいることが多い。

それは行く度に父が弱ってきているということが感じられるから。

今回は部屋に入ると、いつもはいるはずのベッドの中に父の姿はなく、どうしたのかとトイレを覗くと父はトイレの中にいた。

病気のせいもあって失禁があるため、普段から紙パンツをはいているのだが、まだ自分でトイレに行こうとしてくれる。

ただ見る限り、つらそうにやっと便器に座っているという感じがする。

案の定、トイレから出てきた父は荒い息遣いをして、ベッドに入って横になってしまった。

トイレからベッドまでの距離はわずか2メートルといったところだが、それでも身体がつらいという。

最近では、父が起き上がっているということはなく、いつもベッドに横たわったままで会話をしている。

そして去年までのように、話好きな父が一方的に延々としゃべって話が終らないということはもうない。

話題も少なくなってきたし、口数も少なくなってきた。

こちらが話さないと、沈黙が続くこともある。

これは、今までの父には考えられなかったことだ。

「明日、○○(弟)たちが来るよ。覚えている?」

そう父に言うと「そうだったかな?何時ごろ来るんだ?」と父が言った。

この会話は、これでもう何回目になるだろう。

本州に住む弟一家が遊びに来ることが決まってから、父には妹からも含めると、もう10回以上は伝えているが、父の脳には「弟たちが来る」ということがなかなか定着しないようだ。

そんな会話をしていたら、職員さんが「食事ですよ」と言いに来てくれた。

ベッドの中の父は、下着姿なので、食事に行く為には洋服を着なければいけない。

そこで、父の洋服を持ってきて着替えを手伝おうとしたら、父はようやくベッドの縁に腰掛けていたが、頭を下げたまま、深いため息をついていた。

「あぁ、身体がこわい(つらい)、食欲もないし、行きたくないなぁ」

その様子を見る限り、父は本当に心底つらそうだった。

よほど身体がつらいのだろうということは、見ていても分かった。・・・が、自分でできる限り体を動かしてくださいと医師にも言われているので、なんとか服を着替えて食堂まで行かなければならない。

父も意を決したように「じゃあ、行くか・・・」と言いながら、時間をかけて洋服を着替え、体を支えて起き上がらせて、食堂まで一緒に歩いていった。

それにしても、あんなに身体がつらそうな父を見ていると、もう肉体を脱ぎ捨てたいだろうなぁなんて父の気持ちを想像してしまう。

父が本当にそう思っているかどうかは分からないが、私が父ならそう思う。

以前、まだ父が元気だった頃、父に聞いたことがある。

「もしもお父さんが意識が無くなって、病院でチューブに繋がれることになったら、それでも延命治療はしてもらいたい?」

父はもう歳なので、万が一の時に父の希望通りにしてあげようと思って父に聞いたのだった。

「チューブに繋がれて生きるのは嫌だから、延命治療はしない」
父はきっとそう言うだろうと思って聞いたのだが、返ってきた答えは意外にも「チューブに繋がれても生きたいから延命治療をしてくれ」とのことだった。

父は今もそう思っているのだろうか・・・

103歳で現役の美術家の女性が「長く生きたいと思うのは、生き物としての本能。年老いるとそうなる」と書かれていたことを思い出した。

もう父にはそれは聞かないが、万が一の時は最初に父が希望したとおりにしてあげようと思っている。

さて、弟一家が父の所に一年ぶりにやってきた!

父と一年ぶりに会ってきた弟に「お父さん、寝たきりだったでしょう?すいぶん弱ったでしょう?」と聞くと「いいや、お父さんはちゃんと洋服を着て、起きて待っていてくれた」と言ったのでビックリ仰天だった。

「洋服を着て、起きて待っていたの?
・・・ってことは、来ることを知っていたってこと?」と聞くと「そうみたいだ」と弟が言った。

弟が父に会いに行った前日に、私が「明日、○時に弟が来るよ」と父に伝えたことを、父は覚えていたんだ。

今まで何度言っても忘れていたのに・・・

弟と一緒に行った妹によると、「お父さん、すっかり元気になって、よくしゃべるし、頭もしっかりして見違えちゃった。まるで一年前のお父さんに戻ったみたいだったよ」とのこと。

きっと父は息子である弟が来ることをとても楽しみにしていたのだ。

息子の前ではしっかりとした父親でいたかったのだろう。

だから頑張って洋服を着替えて、ベッドから起きて弟を待っていたのだ。

人間の気力、精神力たるやすごいものがある。

今にも死にそうだった老人がこれほどしゃっきりするとは、愛する息子の力はすごい。

弟が帰った後、父はへなへなとベッドに倒れこんだかもしれないと思いつつ、父はまだ大丈夫かとすこし気持ちが明るくなった。









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チリメンアオジソがアルツハイマーに効く!?

2015-04-16 17:03:02 | 介護
昨日、父の認知症について書いたが、今朝の新聞を開いたら、なんと認知症(アルツハイマー型)の発症や進行を抑える可能性がひとつ見つかったという記事が載っていた。

なんとよいタイミングなんざんしょう。

4月16日付、北海道新聞に載っていた記事

「シソに抑制効果か」

室蘭工業大大学院工学研究科のチームは、シソ科の植物に含まれる化学成分が、アルツハイマー病の発症や進行を抑える可能性を突き止め、昨年末に国内特許を出願した。

特に有用性が見込まれるのがチリメンアオジソ。

特許を出願したのは徳楽清孝准教授、上井孝司准教授のチーム。

アルツハイマー病は認知症の一種で、タンパク質「アミロイドベータ」が脳内で凝集し、蓄積することで発症するとされる。

チームは、アミロイドベータの凝集を抑える物質を効率的に探す顕微鏡システム「MSHTS法」を開発。(この論文は2013年8月、米科学誌プロスワンに掲載された)

MSHTS法で香辛料や海藻など生活に密着した約200種類の植物を調査し、シソ科のハーブで凝集阻害効果が高いことを突き止めた。

中でもチリメンアオジソの葉は、次に効果の高いスペアミントの約40倍の効き目があった。

徳楽准教授は「今のところ、チリメンアオジソに匹敵する効果の植物はない」と語る。

今後は他大学や企業と連携して生物への効能を確かめ、海外特許の出願と海外専門誌への論文投稿も行っていく。


私は、みょうがやネギなど香りの強い野菜が好きで、シソももちろん好きなので、これが事実ならばアルツハイマーの予防の為に、シソをどんどん食べようかなと思う。

今年は畑にたくさんアオジソを植えよう。

そして、シソジュースを作って父に飲んでもらおう。

父はアルツハイマー型ではないけど・・・まぁいいでしょう。





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認知症

2015-04-15 14:52:05 | 介護
しばらく会いに行っていなかった父の所へ行ってきた。

久しぶりに会うので、もしや父に忘れられていないだろうかと心配だった。

部屋に行くと、父は昼間だというのに相変わらずベッドの中にいたが、私の顔を見ると「おぉ来たのか」と言ってくれた。

よかった、忘れられていなかった。

とはいえ、父の認知症である「レビー小体型認知症」は、物忘れという症状があまり無いのが特徴なので、私たち家族のことを忘れてしまうということは無いのかもしれない。

レビー小体型認知症・・・これは最近になってやっと色々なところで目にするようになってきた。

それまで認知症というと「アルツハイマー」というイメージがあったが、これはアルツハイマーとは症状がぜんぜん違う。

物忘れから始まるのがアルツハイマーに対して、レビー小体型は物忘れが合図ではなく、そこにいないはずの人や動物や虫などが見える幻視が特徴的だそうだ。

父の場合も、最近は薬で幻視を見なくなったが、夜中に他人が部屋に入ってきたと言うことがよくあった。

他の症状としては、認知の変動といって、頭がハッキリしているときとボーっとしている時がある。

また、めまいや尿失禁、頑固な便秘などの自律神経障害から始まることも少なくないそうだ。

このような症状は、父の場合、今にして思えば10年くらい前からあった。

10年前と言うと、父は70代前半でまだ体力もあり、自発的にウォーキングをしたり、車を運転してどこでも出かけていた頃だったが、「不思議なんだ。仏壇でお参りをしていたら、時々小さな白い蝶が自分の周りを飛ぶんだ」などと話すことがあった。

これは多分、幻視と言われるレビー小体型の症状だったのだと思う。

また、立ち上がった時などにめまいもよく起こしていたようだし、いつも頑固な便秘に悩まされていた。

この時レビー小体型認知症のことを知っていたら、すぐに治療を始めていただろうし、そうすれば今はもう少し進行が遅れていたかもしれない。

認知症といえば物忘れというイメージがあり、物忘れなどもせず、しっかりとしているように見える父が、まさか認知症に罹っているとは当時は思いもよらなかった。

レビー小体型はアルツハイマーと違って、まだまだ認知症の専門医でさえ診断がつかないことが多いそうだ。

認知症の第一人者である横浜市立大学の小阪氏が多くの認知症患者を診察をしてきた結果、現在、認知症と診断される患者のうち、アルツハイマー型が半数を占め、レビー小体型が20パーセント、15パーセントが血管性認知症だったそうだ。

しかし厚生労働省の発表では、アルツハイマー型が70パーセント、血管性が20パーセント、レビー小体型はたった4パーセント強となっている。

これは、いかにレビー小体型が専門医でさえも診断することができていないかということを表している。

医師が知らないために、うつ病や統合失調症、老年期精神病、アルツハイマー型などと誤診されることがあり、抗精神病薬が処方されて非常に攻撃性が高くなるといった副作用を起こしていたという事例もあるそうだ。

しかし、ここ最近はレビー小体型認知症というものをよく目にするようになってきた。

それは、レビー型がアルツハイマー型に次いで多く、最近では増加傾向にあるという事が知られるようになってきたからかもしれない。

現在の認知症高齢者は推定462万人、10年後にはそれがなんと700万人になるという。

早く効果的な治療法が確立されてほしいと願う一方で、自分も認知症にならないように、食べ物などを気をつけようと思う。

父がどんどん寝たきりに近くなっていくのを目にする度に、何とかしたいという歯がゆい気持ちとあきらめの気持ちが交差する。









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父の手

2015-02-27 16:10:29 | 介護
今日は高齢者住宅に住む父の所へ行って来た。

先週は妹が行ってくれたので、久しぶりの訪問だった。

父の部屋をのぞくと、父はまた布団の中にいたが「来たよ~」と声をかけると嬉しそうに「来たか、来たか」と言って笑顔を見せてくれた。(しかし起きない)

寝たままの父とおしゃべりしながら、持ってきた食べ物や飲み物を冷蔵庫の中に仕舞う。

それからテーブルに置いたままになっている古新聞やカラのペットボトルなどを片付ける。

おっと・・・洗っていない食器もあった。

それは部屋についている洗面台で洗う。

ついでに洗面台も磨いておこう。

排水口に髪の毛がつまっていて水が流れないので、髪の毛を取って洗う。

ふと父がいつも座っている革の椅子に目をやると、食べこぼしのしみがつき、ほこりが溜まっている。

黒い椅子だから、ほこりが目立つのよね~

掃除機を出してきて椅子のほこりを吸い取り、ついでに部屋の中も掃除機をかけた。

雑巾で椅子を拭き、ついでに部屋の中も拭き掃除をしたら、さっぱりと綺麗になった。

あら、これっていつもやってるお仕事じゃないの。

そうホームヘルパーで高齢者のお宅を綺麗にするお仕事・・・

前に妹と話していたら、妹が怒りながら言っていた。

「お父さんの部屋に来るヘルパーさんって、一体どこを掃除しているのかなぁ。
いつ行っても家具の上にはほこりが積もっているし、部屋のすみには前回行った時のゴミがそのまま落ちているから、きちんと掃除していないんじゃない?
まったく、もっとしっかり掃除してほしいわ」

「うん、そうだね」と相槌を打ちながら、私は妹のように怒ることができない。

というより、その顔も知らないヘルパーさんをついかばってしまう。

「でもね、一時間のサービスと言っても洗濯もあるでしょ?
洗濯機が終ったら、それを干さなければいけないし、前回の洗濯物が干したままになっていたら、まずそれをたたんで仕舞わないといけない。
あとはトイレ掃除もあるし、けっこう時間はギリギリだと思うよ。
だから、気になったところは家族がやればいいんだよ」

そう言ったが、妹はあまり納得していない様子だった。

多分、この仕事(ヘルパー)をしていなければ、私も妹と同じように部屋の隅々まで綺麗にしてくれないヘルパーさんに怒っていたかも知れない。

でもいざ自分がやってみると、時間内にあれもこれもやろうとすると、かなり時間がいっぱいいっぱいの事が多い。

これは少しでもお客さんが欲しい事業主が、お客さんの要望を拒まずに受け入れるからというのもあるのだと思う。

たしかに「雑なヘルパーさん」っていうのもいるのは違いないが、この程度なら目をつぶってあげようと思う。

とはいえ、あまりに雑だと家族が怒りたくなる気持ちもわかるので、私はできるだけ丁寧に、かつスピーディに仕事をするように気をつけているが、おかげでジョギングができない冬の間も仕事がいい運動になって一石二鳥になっている。

「お父さん、掃除おわったよ!」とベッドの父に声をかけると、父は「いつもこんな仕事をやっているのか?」と言った。

おっ認知症はすすんでいるが、私がヘルパーの仕事をしていることを覚えていたのか。

「そうだよ。高齢者の家のお掃除している」と言うと、父は顔をしかめながら「そんな仕事はやめなさい」と言った。

私がヘルパーの仕事をしていると言うと、今までも必ず「やめろ」と言っていた父だが、またしても言われてしまった。

やれやれ・・・他人には掃除をしてもらっていても、父は掃除という仕事を下に見ているのだなぁと思う。

「人手が足りないから、もうちょっとね(続ける)」と答えた。

そんな父でも、やはり私にはかけがえのない大切な父であって、帰り際「また来るから。元気にしていてね」と言いながら感情を押さえ切れず、思わずしっかりと父の手を握ってしまった。

父の手を握るなんて、何十年ぶりだろう。

わたしが幼児だった頃以来かもしれない。

久しぶりに握る父の手はしわしわで、そして以外と小さかった。










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心の風景

2015-01-26 17:10:03 | 介護
高齢者住宅に居る父が最近ますます寝て過ごすことが多くなってきた。

父の担当医からは、「まだ身体は動くので、もっと外出したりデイサービスを利用したりする方がいいです」と言われているのだが、なんせ父の気力がない。

父には、このまま寝たきりになってほしくはないのだが、そのように言っても本人に気力がないのが難しいところだ。

子どもと違って、無理やり動かすことなどできない。

ますます足の筋力が落ちてきていると思うと、歯がゆいばかりだ。

ところで、父はレビー小体型認知症と言われているが、アルツハイマーと違って、会話の方はまだわりと普通に成立している。

しかし時々、過去のいくつかの出来事が混在してしまうことがあるようだ。

父の部屋で壁に貼ってある写真を見ながら、父と話をしていたときの事だった。

それは去年、父と一緒にヤギのいる公園へ行った時の写真で、父がヤギに餌をあげている姿が写っている。

「ヤギがなついて可愛かったよ。でも鳥も可愛かったなぁ」

そう言う父の言葉に「えっ、鳥もいたかな?」と思った。

そのまま父の話を聞いていると「あの時、鳥がたくさん来て、お父さんの胸や肩に止まったんだ。可愛かったよ」と父が続けた。

そこまで聞いて、父の頭の中で飼っていた鳥の思い出と公園のヤギの思い出が混ざっているのだなと分かった。

にこにこと嬉しそうに父が話すので、訂正せずに話を聞いていた。

「ところで、最近はあの二人組の男たちが来なくなったなぁ」と父が言った。

二人組の男というのは、父にしか見えない幻覚で、幻覚はレビー小体型認知症の症状の一つでもある。

「いつも夜中に部屋に入ってきて、何をしに来たのかと聞くとばつが悪そうにへへへと笑って、頭を掻きながら出て行くんだよ」と父が教えてくれる。

この話はいつも一貫して同じなので、父にはそう見えているのだろう。

それにしても父が叱りつけると、へへへと笑って頭を掻きながら出て行くなんて、なんとも情けなくユーモラスな感じさえする二人組だ。

「でも、その男の人たち、すぐに出て行ってくれてよかったね。居直られて怖い目にあったら大変だものね」と父に言うと「ホントだな」と父が笑った。

看護師さんに聞いたところによると、レビー小体型の人は、人によって様々な幻覚を見るらしい。

トイレに入るとトイレのタンクに人が座っているのが見えるとか、家具と家具の細い隙間からこちらを見ている人が見えるとか。

ひえ~、家具の隙間からこちらを見ている人がいるなんて怖すぎるわ!

それにしても、そのようなユーモラスな不審者の幻覚を見たり、小鳥と遊ぶ思い出を話す父は、穏やかな心境の中にいる現われなのかもしれないと思う。

もしも地獄というものがあるとしたら、それはその人の心の風景なのだと思う。

恐ろしいものを見る人は、そのような恐ろしい心を持ち続けてきたのかもしれない。

昔、怒りの炎が燃え続けて、自分でもどうしたらよいのか分からなかった時、非常におぞましく醜い姿の魔物を鏡の中にみた気がした。

あのままの心境で今も過ごしていたら、きっと私はその魔物たちがウヨウヨいる世界に行くのだろう。

そして今も鏡の中に魔物たちを見ていたのかもしれない。

老いた時に、父のように穏やかな心境で過ごして生きたいものだと思いながら、父の部屋をあとにした。





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