ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

虫との共存

2022-07-29 17:19:51 | 日記

朝、起きてカーテンを開けると、ベランダに必ず虫がいる。

いるというよりは、むしろ転がっていると言った方が正しく、瀕死もしくは絶命した状態で発見する。

すぐ目の前が森林なので、虫はもうたくさんいて、夜間にカーテンの隙間から洩れた灯りに誘われて飛んでくるのだろう。

それにしても飛んでくるのはよいが、灯りを消したら即座に森へ帰ってくれたらいいのにと思う。

いつまでもベランダに居るものだから、夏の朝の日差しに焼かれて弱ってしまうのかもしれない。

ベランダによく居るのは、背中がきれいに光った虫で、コガネムシだろうか?

それから私が子どもだった頃は虫捕りと言えばこれ!と言うほど、特に男の子に人気だったクワガタも、ひと夏に二回くらい居る。

クワガタ好きの子どもがいたら喜ぶだろうなあと思いながら、つまんで森に帰してくる。

またクワガタもさる事ながら、これまでベランダで見つけて一番興奮したのはカブトムシで、小ぶりだったものの、ちゃんと一本の角がある正真正銘のカブトムシだった。

それまでカブトムシは北海道にはいないと言われていたので、見つけた時は嬉しかった。

しばらく家族で眺めた後、クワガタ同様に森へ帰してきた。

ところで、セミが今年は少ないとネットで読んだが、あまりそうは感じないくらい、セミもベランダに居ることが多い。

そして、こちらはほとんどが瀕死の状態で見つかる。

セミの寿命は成虫になって一週間くらい、幼虫の時期は7年以上ということで、ついに7年と一週間の寿命を終えようとしているセミが、最期に選んだ死に場所が、我が家のベランダだったかと思ったら、無下にはできない様な気がする。

とはいえ、できれば森の中で一生を終えてほしいと思う。セミの亡骸を運ぶのは、あまり気持ちがいいものでは無い。

そういえば晩年の義母がセミ好きで、掃除に入った義母の部屋で、沢山の死んだセミのコレクションを見つけた時には、悲鳴をあげそうになったものだった。今となっては、ちょっと懐かしいけど、、、

そんなわけで、ベランダに虫が飛んでくるのは、だいたい夜と決まっていたのだけど、今日は日中にセミが飛んできた。

窓ガラスに虫が当たる音がして、外を見たらセミがいた。

虫嫌いの方は閲覧注意。

ひっくり返ったまま、羽をバタバタさせていたので元に戻してあげたら、元気に森の方へ飛んで行った。よかった、、、

森林のそばに住んでいると、もう虫との共存は仕方がない。

虫は森林にとって無くてはならない存在。

昆虫は、森の中を飛び回って花粉を運び、また成虫は森に住む鳥や小動物の食糧になる。

森林近くに住まわせてもらっている人間は、せめて森林の生態系を壊さないようにしないと、、、と思いつつ、飛んできた昆虫をせっせと森へ帰している。

 

 


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食い意地をはる

2022-07-25 15:15:05 | 日記

今年は6月に気温30度の日があって、「これは今年も暑くなりそうだー」と、ありったけの扇風機3台を出して部屋に配置したのに、使ったのは数日のみ。

その後、扇風機を回すような暑さにならず、出しっぱなしになっている扇風機にはうっすらと埃がのってきた。

暑さにはめっぽう弱いので、これくらいが一番過ごしやすくてありがたいのだけど、暑い中で冷たいスイカが食べたいなーなんて贅沢なことを思っている。

もちろんお店に行けばスイカは売っているが、これくらいの暑さ(24〜25度)だと、どうもスイカを食べたいと思わない。

それからアイスクリーム。

昨年、よく食べたのがミントチョコのアイスだった。

もともとアイスクリームは、それほど好きではなくて、あまり食べないのだけど、昨年は暑かったのでよく食べた。

でも、今年はミントチョコでも食べたくない。

じゃあ、今は何が食べたいかと言うと、、、ゴーヤかなあ。

ゴーヤは、ずっと昔、沖縄で初めて食べて好きになった。

当時は、まだ道内のスーパーには売っていなくて珍しい野菜だったので、お土産に買って近所に配った記憶がある。

もらっても食べ方が分からず、近所の人たちも困っただろうと思うけど、たしか「お肉と一緒に炒めて!」と言ったような気がする、、、

ゴーヤチャンプルも好きだが、最近のゴーヤのお気に入りの食べ方は、生のゴーヤを軽く塩で揉んでからタレにつけたパリパリ漬け。

味は、市販の漬け物でキュウリのナントカちゃんに似ている。

レシピです。

ゴーヤ一本、キュウリ三本くらい(ゴーヤやキュウリが大きければ二本にする)

ゴーヤは縦半分に切り、種だけ取る。ゴーヤのわたは栄養があるのでそのまま、、、五ミリくらいの幅で切る。

キュウリは輪切りで、ゴーヤと同じく五ミリ幅で切る。

切ったゴーヤとキュウリはボウルに入れて塩小さじ1で軽く揉み、そのまま三十分くらい置く。

その間にフライパンに砂糖、醤油をそれぞれ大さじ5。酢とみりんをそれぞれ大さじ2。さらに生姜の千切りをお好みで入れて、一度火を通す。

沸騰したら火を止めて、塩もみしたゴーヤとキュウリの水気をしっかり絞って投入。

冷めたら具材を取り出して、残ったタレを再び火にかける。

沸騰したら火を止めて、取り出したゴーヤとキュウリ、千切り生姜を入れて、そのまま置く。常温まで冷ます。

冷めたら汁が漏れない袋などに汁ごと入れて、冷蔵庫で1日置く。

ゴーヤの苦味がとても美味しく、ご飯のお供に最適。またカレーの付け合わせにも良いので、うちではいつも常備している。

ゴーヤは糖尿病や癌の予防に良いとか、、、

「食べたくなるものは、身体が欲しているもの」というのを聞いたことがあるが、年齢的にも上の病気は注意なのかもしれない。

そして、もう一つ。

こちらは人生で初めて食べるもので、さっき自宅の庭で採ってきた。

スベリヒユです。

ずっと前から自宅の庭で繁殖して、いつも採っては捨てていたのだけど、調べてみたら、なんと食べられることがわかった。

早速、調理して夕飯の一品にしようと思っている。

とりあえず茹でてシーチキンと合わせて、粒マスタードとめんつゆで味をつけてみようかなー。たのしみ、、、

ここまで食べ物のことを書いてきて思うのは、やっぱり私は食い意地がはっているのだろうと言うことで、美味しいものを美味しく食べたいという気持ちが強い。

美味しいものとは、決して贅沢なものでなくてもよくて、自分が食べたいと思うものを美味しく食べたい。

最近では、世界のみならず日本の中であっても、満足に食べられない方がいるとか、、、

そのような中で、こうして食い意地をはることができるのは、なんと幸せなことだろうかと思う。

 


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開き直ること

2022-07-19 18:31:55 | 日記

今日も長女は、元気に仕事に出かけて行った。

長女の仕事に行く後ろ姿を見ると、いつも嬉しい。

早いもので長女が就職して三年近く経つ。

働き始めて間もなくコロナが流行り出し、長女の仕事は激減。

以来2年余り、仕事が減ったばかりか、休日も多くなった。

毎月、月の初めに勤務表が送られてくるのだが、勤務予定日の欄はいつも真っ白。

今月もまた全部休みかと、何度ため息が出たことか。

こんなに仕事がなくて、このまま雇ってもらえるのだろうか、仕事が無くなって真っ先に首を切られるのは、まだ戦力にもなっていない長女だろうな、、、なんて思ったりして。

就職が決まって、挨拶に行った時に「どれくらい働かせてもらえるのでしょうか?(途中でクビということはないのか)」と聞くと、「よほどじゃない限り、こちらから辞めて下さいと言うことはないです」とおっしゃった課長さんの顔が浮かんだ。

よほどって、どれくらい?

この状況こそ、よほどの事態じゃないのか、、、と思った。

障害のある人の就職は難しい。

特に知的障害の場合は尚更きびしい。

長女も高等養護学校を卒業してから就労支援で7年近く訓練を受けて、やっと就職することができた。

三年前、通っていた就労支援事業所から「そろそろ就職の面接を受けてみませんか」と言われて、事業所から紹介されたのが、今の会社だった。

大手企業の子会社で福利厚生もしっかりしているし、勤務地も自宅から通いやすいという、願ってもいない好条件だったが、複数の方が受けていて、落ちる可能性は大いにあった。

というか、誰も長女が受かるとは思っておらず、事業所の方からは「今後に受ける面接の予行練習のつもりで、、、」と言われていた。

ところが、まさかの合格で親子ともに大喜びしたのだった。

就職までの7年間をサポートして下さった就労支援の職員さんたちには感謝しかなく、長女を採用して下さった会社にはもちろん感謝、感謝だった。

そしてさかのぼれば、数ある就労支援事業所の中から長女に合うのではないかと勧めて下さった高等養護学校の先生に感謝し、さらにさかのぼって、その高等養護学校を勧めてくれた中学の特別支援学級の先生たちにも感謝の気持ちが湧いてくる。

他にも、これまで長女と共に出逢ってきた、たくさんの方たちに対しても同じく感謝しかない。

思ってもいなかった会社で働くことができたこともそうだが、これまでの長女の人生で、長女が長女らしくいられるように心を砕いて下さった方々を思うとありがたくて、ありがたくて、、、

思えば、こんなに他人にも家族や親族にも、感謝の気持ちを持ったことは、長女に障害があるとわかるまで無いことだった。

今までなんと傲慢な自分だったかと、恥ずかしい。

障害のある長女のお陰で、こうして他人に対する感謝の気持ちを持つことができた。

また、感謝すべきことがたくさんあることに気づかせてもらったのも、長女がいてくれたお陰だと思っている。

もしも長女が普通の能力のある子だったら、今でも心からの感謝の気持ちは持てなかったのではないだろうか。

またそれだけではなく、幸せになるにはこうなって、ああなってと、偏った考え方に囚われていた自分が、長女のお陰で開き直ることができた。

開き直るというのは、太々しいイメージがあるが、もうひとつ意味があると思う。

それは、これでいいと自分を肯定できること。

和田秀樹さんが書かれた本の中に、このような文がある。

開き直りと混同されるのが、負け惜しみです。

でも両者は、似て非なるものです。

開き直りは、今までの自分のやり方では、「自分はうまくいかなかった」という現実を受け止めて、新しい道を探すこと。

負け惜しみは、今までの自分のやり方で、うまくいっている人を否定すること。

これしかないという考えを捨てると、新しい道はたくさんあるのだと、気づかされたのも長女のお陰だった。

そういう意味では、一番感謝しなければいけないのは、長女に対してなのかもしれないと思う。

 


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襟裳岬

2022-07-15 13:47:34 | 旅行

生まれてから61年あまり北海道に住んでいるが、まだ行ったことが無い場所がある。

その一つが襟裳岬(えりもみさき)

赤丸のところが襟裳岬。

今まで行かなかったのは、昔流行った歌の影響が大きいのでは無いかと思う。

北の街ではもう 悲しみを暖炉で 燃やし始めてるらしい

わけのわからないことで 悩んでいるうち 老いぼれてしまうから

黙り通した年月を 拾い集めて暖め合おう

襟裳の春は 何もない春です (作詞 岡本おさみ氏)

襟裳の春は何もないという歌詞から、「春」だけが抜け落ちて、いつの間にか「襟裳には何もない」と思い込んでしまっていた。

でも北海道にいながら、行ったことがないのも勿体無い。

というわけでドライブがてら行ってきた。

それにしても遠かった、、、

札幌から440キロ。高速道路を使っても4時間以上かかる。

やっと着いた襟裳岬は、あいにくの霧で景色が見えず、さらに一番楽しみにしていたゼニガタアザラシがいなかった。残念。

襟裳岬は、日本最大のゼニガタアザラシの生息地で、現在1000頭ほどがいるが、天気が良ければ岩場で日向ぼっこをしている姿を見ることができるそうだ。

この日の襟裳岬の気温は20度。襟裳町は25度だったので5度ほど低い。

風が強いせいか、体感温度はもっと低く感じて、上着が必要なほど肌寒かった。

それにしてもゼニガタアザラシが居なくて残念(しつこい)

ゼニガタアザラシは居なかったが、襟裳岬は何もないわけではなかった。

風速10メートル以上の風が吹く日が、年間260日以上あるという襟裳岬の強風が体験できるという施設がある。→風の館

展望台からは、ゼニガタアザラシの姿も(居れば)見ることができるそうだ。

強風体験をやってみたが、なかなか楽しかったです。

また440キロを帰らなければいけないので、風の館の見学も入れて襟裳岬の滞在時間は小一時間ほどだったが、次こそはゼニガタアザラシを見るためにまた訪れたいなと思う。

余談ですが、札幌からの道中は、競走馬の産地あり、日高昆布の産地ありで、見どころが色々あります。

北海道の観光地としては、あまり目立たない場所ですが、寒いほどの夏を体験しにいらしてみてはいかがでしょうか。

 


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夫婦円満の秘訣

2022-07-10 16:46:05 | 日記

久しぶりに行った温泉からの帰り道、カーラジオをつけたら緊迫した様子のニュースが流れてきた。

何かあったのだろうかと気になったが、電波が悪くてよく聞こえない。

夫が色々なチャンネルに合わせていたら、なんとか聴き取れるようになった。

安倍元総理、心肺停止。

驚きと共に力が抜けたような気がした。

夫も同じ気持ちだったようで、なんとか一命をとりとめてほしいと願ったが、残念ながらお亡くなりになってしまった。

心からご冥福をお祈りいたします。

その後、ニュースやネットの情報を見たりしていた夫は、珍しく沈んだ様で半日ほど黙り込んでしまった。

「ひどいな、安倍さんが気の毒だ」と夫がいうのを聞いて、少し前のことを思い出していた。

結婚して三十数年余り、なぜこんなに意見が合わないのだろうと思うほど、夫とは意見がわかれることがしばしばあった。

意見が分かれるのは、殆どが政治や社会情勢についてで、家庭内の細かい事については、だいたい意見が一致する。(だからこそ、今まで結婚生活が続いてきたのだろうけど、、、)

そして、安倍政権の時も意見が分かれた。

どちらかといえば安倍政権を支持していた私と、アンチ安倍さんだった夫。

あの時は政治のことが話題になると、必ず喧嘩になるので、できるだけその話題は避けるようにしていたが、心の中はモヤモヤ、ムカムカすることが多かった。

だから、今回の事件を聞いての夫の反応が意外に思えたが、これも夫の元々の気質が優しいからだと思う。(のろけているわけではありませんが、、)

よく言われることだが、結婚して楽しいのは、せいぜい三年くらい。あとは(お互いに)忍耐あるのみというのは、その通りだと思う。

夫婦二人の関係もさる事ながら、結婚は互いの親族も関わってくる。

それは、まさに人生の修行のようなものだと気づいたのは、夫の両親との同居が始まった頃からかもしれない。

早々に見切りをつけて結婚という修行から別の修行に移るのも個人の自由、そのまま修行を続けるのも自由であるが、私は後者を選んだ。

そして過ぎてみれば、結婚とはお互いのデコボコした心の角を取る修行ではなかったかと思う。

もちろん、最初からデコボコがない夫婦もいるでしょうが、私たちにはデコボコがあった。

それをお互いに丸く丸くする作業は、時には口喧嘩になったり、しばらく口をきかないことがあったりと、精神的にきつい作業だった。

たまに同じ考えの人と結婚したら、さぞかし楽だっただろうなと思うこともあったが、やはり私の成長に必要な人だったから、惹かれ合って結婚したのだろうと思う。

最近、夫の定年で、また二人で過ごす時間が長くなったが、過ぎてみれば、やっぱりこの人と結婚して良かったと思う。(お互いに少し角は取れたかな?)

とはいえ、意見の不一致はいまだ解消された訳ではない。

しかし、長い結婚生活で一つの教訓を学んだ。

「家庭に政治、宗教の話は持ち込まない」

今はよほどのことがない限り、その類いの話はしない。

それが我が家の夫婦円満の秘訣かもしれない(笑)

 

 


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夫の友人からのメール

2022-07-04 17:30:27 | 日記

「すごいなあ、、、〇〇から来たメールなんだけど、あいつ今アメリカにいるらしい。これ見てごらん」

夫が見せてくれたのは、学生時代の古い友人からのメールで、たくさんの写真と共に長い文章が載っていた。

写真を見ると、どうやらパーティ会場で写したもので、夫の友人とその奥さんが、アメリカ人たちと肩を組んで楽しそうに写っていた。

そして一緒に写っているアメリカ人が、私たちの世代なら、殆どの日本人が一度は聞いた事がある、アメリカの重要な国のポストにいた有名人物のご子息なのだと聞いて驚いた。

それにしても夫の友人がなぜアメリカで、しかも、そんなすごい人たちのパーティに出ているのかと言うと、友人であるパーティの主催者に招待されたのだそうだ。(招待されて、すぐにアメリカまで行っちゃうのもすごいが)

そして招待客のほとんどがアメリカの超富裕層の人たちであり、主催者自身もアメリカでは名の知れた経済人を父に持つ人だそうだ。

そんな超富裕層の人と、なぜ夫の友人が知り合いに?と興味がわく。

夫が友人から聞いた話によると、二十代の頃に日本に来ていた彼(パーティの主催者)と出会い、友だちになったそうだ。

以来30年以上も交友関係は続き、友情を深めているのだとか。

友人も経営者だが、ビジネスの関係はなくて、まったくの個人的な友人だという。

「あいつは昔からフレンドリーで、外国人でも、自分が英語が話せなくても、関係なく友だちになってしまうんだ。あいつらしいな」と夫が言った。

夫の友人とは私も会ったことがあるが、無邪気な子どものような心を持っている人だなあという印象を持った覚えがある。

だから、このメールも自慢でもなんでもなくて、純粋に「こんな世界もあるよ」と、私たちに知らせたくて送ってきてくれたメールだと思っている。

話は戻るが、パーティは二日間に渡って行われたそうだ。

心なしか、友人の奥さんの笑顔にも疲れが見える、、、きっと奥さんは大変だろうと思う。二日分の衣装も悩むが、常に笑顔で会話(しかも英語)をしなければいけない。私ならとてもじゃないけど無理だー。

パーティに出た料理も紹介してくれたが、今は昆虫食が流行っているようだ。子供の頃にイナゴの佃煮が美味しかった記憶はあるが、果たして、今は食べられる自信がないかも。

送られてきた写真からは、パーティの華やかさが伝わってくるようだったが、一番興味を持ったのは友人の感想だった。

「超富裕と言われる閣僚や経済人は、ほとんどが繋がっている。そして、その子どもたちも繋がっている。ただ親の世代とは違ってきている。

親の世代は自己主張が強く、シビアで厳格で、生馬の目を抜くような人たちだったが、子ども世代はそうではない。親の後を継いで政治家や経済人になろうという人は少なく、自分の人生を楽しんでいるように見える。

でも代々受け継がれてきた資産は、きっと上手に次の世代に渡していくのだろうと思う」

アメリカも変わって行くのだろうか。

どことなくお父さんの面影のあるご子息の写真を見ながら、あの厳しそうな顔で、厳しい事を日本に言っていたであろうアメリカの閣僚の顔を思い浮かべてしまった。


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グリーンフィンガーズ

2022-07-02 17:47:55 | 日記

ご近所に住む中国人の王さんと久しぶりに会った。

数年前にご主人を亡くされて、二人のお子さんは独立したので、今は一人暮らしをしている。

王さんは長く勤めていた会社を退職したそうで、ほぼ一日中家にひとりでいるそうだ。

仕事を辞めて外の世界と繋がりが少なくなったせいか、日本語が以前よりもたどたどしくなっていた。

途中で日本語がわからなくなって、話が途切れる。

話の流れからして、きっとこのように言いたいのだろうと見当をつけて、単語をいくつか言ってみると、何番目かの単語で「そうそう、それねー」と言われるのが、まるで当たりくじを引いたように嬉しくなる。

スムーズな会話にはならないが、王さんとのおしゃべりはいつも楽しい。

最近の話題は、もっぱら家庭菜園についてで、王さんの庭を見せてもらったら、所狭しと色々な野菜の苗が植えてあった。

そして、それらほとんどの野菜は、去年植えた野菜から種をとっておいて育てたと聞いて驚いた。

例えばミニトマト。

たまに苗を植えていない場所からミニトマトの芽が出ていることがあるが、それは収穫せずに放っておいた実から種がこぼれて、翌年に芽が出たもの。

王さんは、放っておいたのではなくて、わざわざミニトマトから種を採っておいて、家の中で発芽させたそうだ。

豆類も昨年収穫したものを使って育てているし、じゃがいもは台所で芽が出てしまったのを植えたそうだが、台所のじゃがいもでもこんなに大きくなるんだと思うほど立派に育っていた。

「種芋じゃないから、実がなるかわからないねー」と言うが、大きな葉っぱからして、お芋も大きくなるのではないかと期待してしまう。

そのじゃがいもだが、段ボールを使って植えていることに驚いた。

庭の土地に植えるスペースが無くなったので、段ボールをプランター代わりにしたそうで、段ボールは雨が降っても、一年くらいは大丈夫だとか。

「野菜だけじゃないよ。花も育てているよ」と言って見せてくれたのは、綺麗なお花がたくさん咲いたプランター。

「何ていう花?」と聞いたら春菊だと教えてくれた。

葉っぱ部分は食べてしまい、残したものから花が咲いたそうだ。

ちなみに、春菊は百均で買ってきた種で育てたという。

私もプランターで春菊を育てているが、私が買ったのは一つ100円の苗。

百均の種なら、一つ100円の苗がいくつできるのだろうか。

種にすればよかったと後悔。来年の参考にしようと思う。

とにかく王さんは、出来るだけお金をかけずに家庭菜園をやっているところがすごい。

そして毎日、手をかけて育てているだけあって、どの植物もみんな元気でイキイキしている。

植物を上手に育てる人をグリーンフィンガーズと言うが、王さんはまさにグリーンフィンガーズだと思った。

「買う前に、あるものでできないかと考えるよ」と教えてくれた。

今は、お店に行けば何でも売っていて、それを買ってくれば簡単だけど、自分で工夫して生活している王さんからは、教えてもらうことが多い。

今度から王さんを「お師匠」と呼ぼうかな。

そしてお返しに、私が日本語を思い出す相手をしてあげたらいいかもしれない。

まずは、春菊と段ボールプランターを真似して見よう。

 


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