ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

ママ友

2023-11-28 17:13:18 | 日記

本当に何年かぶりにママ友だった方からメールが来た。

なんとご主人が突然お亡くなりになったそうで、お通夜と告別式の日時の連絡だった。

これを読んでしばし悩んだ、、行くべきか行かざるべきか。

ママ友とは、長男が幼稚園の頃だから、かれこれ27年くらい前のことだが、その当時住んでいた家が近かったこともあって、よく子ども同士を遊ばせた。

お亡くなりになったご主人も何度か会ったことはあるが、奥さんと違って、それほど親しく話をしたことはない。

ただこうしてわざわざ連絡を頂いたので、やはりお通夜に参列することにした。

お通夜は20名ほどの少ない参列者で、その中に4人ほど昔住んでいた町内の方がいて、お通夜のあと少しだけ久しぶりに話をしてきた。

「この様な日にこんなことを言うのはちょっと気が引けるのだけど。でも正直言って、ここに来ている町内の人は、みんな自分が呼ばれたことに驚いているの」と、一人の方が言った。

どのような選び方をされたのかわからないが、お通夜に来ている町内の方々は、皆さん直接来てほしいと言われ、それ以外の人には回覧板で知らせてほしいということだったそうだ。

中には呼ばれたけれど来なかった人もいるそうで、「実は彼女は今、町内でも浮いている存在になっていて敬遠されている」のだという。

亡くなったご主人は大学教授、奥さまは元CA、そして息子の友だちだった一人息子さんは弁護士というまるで絵に描いたようなエリート一家だが、奥さんがとても正義感の強い人で、間違っていることは断固として正さなければ気が済まないタイプ。

これは昔からずっと変わっていない。

ただ普段は気取ることなく、ざっくばらんで話しやすい人なのだけど、正義感の強さが出ると、ゴミの出し方や除雪のことで苦情を言われた人も多く、彼女に対してよく思わない人が多くいる。

そしてある日、決定的なことが起こったそうだ。

その町内は車2台持ちの人が多く住み、駐禁では無いので路上駐車が多い地区だった。

でも通行に不便はなく、緊急車両も問題なく入れる道だったので、誰もそのことについて問題視する住民はいなかったのだが、ついに彼女が警察に通報してしまったのだという。

それによって警察が動き、一斉摘発されて路駐をしていた住民たちは数万円の罰金をとられたのだそうだ。

お通夜に出席していた方も罰金を払ったという。

「これがあってから、ますます町内の人からは恨まれて敬遠されたと思う」と教えてくれた。

ただ呼ばれて来た人たちはみんな優しいので、それはそうとしても礼儀は尽くさなければいけないと考えて参列したそうだ。

彼女は正しいことを言っているのに、なぜこんなに周りから嫌われたり避けられたりするのか、、、

まさにそこが問題で、正論を言っているだけに誰も反論できない。

誰もがモヤモヤとした気持ちになり口をつぐんだまま彼女から離れていく。面倒なことに巻き込まれたくないと。

もしも彼女が自分の正義を振りかざすだけじゃなくて、もう少し周りの人の気持ちを考えることができたら、周囲の人の態度も変わっていたのではないかと思う。

彼女の正義感の強さは、長所でもあると思う。そして、そんな彼女はいざという時にはとても頼りになった。

可哀想なくらい憔悴した彼女を、孤立してしまった町で一人で暮らしていくことを、亡くなったご主人はどんな想いで見ていらっしゃるだろうと思いながら、哀しい気持ちで帰ってきた。

 


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春の嵐

2023-11-22 16:41:44 | 日記

長男のお嫁さんのご両親とお会いした時、お母さんが「◯くん(息子の名)、私たちの頃には考えられなかったくらい家事育児をよくやってくれますよ。本当に驚くくらいです」と言ってくれた。

詳細は聞かなかったが、もしかして息子が毎朝、朝食を作っていることを仰っているのかなと思った。

息子が朝食を作り始めたのは子どもが生まれてからで、夜中に何度も起きて授乳するお嫁さんを少しでも休ませてあげたいから、朝食は自分が作っていると息子が前に言っていた。

それを聞いた時には何も思わなかったけど、あらためてお母さんに言われると、そういえばよくやってるかもしれないと思った。

私が子育てをしていた頃は、夜中に何度も起きて睡眠不足でも、朝食は必ず私が作っていたし、さらに昼間の仕事に差し障りがあるからと、夫は別室で一人で寝ていた。

もちろん夫から「朝ごはん作ろうか?」なんてことは、一度も言われたことはない。でもそれが当たり前だと思っていた。

また仕事に影響が出ないように、私や赤ちゃんとは別に寝ることも当然だと思っていた。(今思うと、戦前かと思うが、、)

息子のように授乳中は毎日朝ごはんを作ってくれて、ゆっくり寝ていていいよと言われたら、逆にびっくりしたかも。(でもうらやましい、、)

そんな話を聞いたあと、別の同年代の友人から似た様なことを聞いた。

友人の娘さんの話で、二十代の娘さんは昨年赤ちゃんを産んで、今は産休をとっているそうだ。

同じく二十代の旦那さんは育休を終えて、すでに職場復帰をしているという。

「それがね、夜中の授乳を夫婦で交代でやってるって言うのよ。旦那さんも夜中に起きてミルク作って飲ませているっていうから、アンタ(娘)ね、それはダメだよって言ったの。だって旦那さんは昼間に会社行って仕事してるんだよ。仕事中眠くなったらどうするの?それは産休のアンタがやらないとって言ったら、今は産休だけど私も働いてる、旦那と同じだけのお給料をもらってるから平等だっていうの。まったくもう、どうしてこんな娘になったのか(ため息)」

息子の朝ご飯作りを聞いても何も思わなかったが、こちらの話は友人と同じ意見だった。さすが同世代、、

いくら平等に働いているとはいえ、日中に昼寝ができるかもしれない産休をとっている人が夜中の授乳をやるべきだ、、、と思ったが、これは古い価値観なのだろうか。

友人の娘さんのご主人は、自ら進んで授乳を引き受けているのかもしれないし、旦那さんの話も聞いてみないことにはわからない。

ところで私が20代を過ごした80年代、当時の若者は新人類と呼ばれた。

新人類とは、これまでとは違った価値観や感性を持ち、これまでとは異なる行動規範を持つ世代とされたが、当の若者たちはまったく気にせず、自由を謳歌する人が多かったと思う。

しかし、その新人類も今やすっかり旧人類となり、子ども世代の価値観や行動に驚いている。

もちろん新世代にもいろいろな人がいるので、一概には言えないが、時代の移り変わりによって、人類も変わっていくのは間違いないようだ。

どなたかが時代の流れに四季があるとしたら、今は長かった冬がやっと終わり、春に入ったと仰っていた。

これまで隠されてきたことが明るみになっていく。

本当にその通りだと思う。

春の嵐があるように、まだ地球上では災害や争いも起きるだろうけど、いずれは必ず良い方向へ向かっていくだろうと思う。

間違いなく人類も世界も進化し続けて、良い方向へ向かっている最中なのだと信じたい。

 


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孤独

2023-11-13 16:25:50 | 日記

ネットのフリマで「中古品などをあげます、売ります、またはこんな商品を探しています」というサイトをたまに見ている。

そのサイトは品物の売買だけではなくて、趣味のグループメンバーを募集していたり、逆にやりたい趣味グループを探している人もいたりと見ているだけでおもしろい。

いろいろと見ていたら、花の苗を安く譲ってくれる人を見つけた。

「自宅まで取りに来てくれる人、庭から好きに掘り出して持って行ってください」となっていた。

売主の自宅は市内で受け取りに行けないことはない。

よし買おうと思いながらも、ちょうど色々な用事が重なってしまい、サイトを少し見ていなかった間に売り切れになってしまった、、残念。

フリーマーケットはスピードが大切。来年もまた、その方が出してくれることを願って、お気に入りに登録させてもらった。

そんな中、とても気になる方(女性)の投稿を見つけた。

「誰か話し相手になってください」

年齢が幾つくらいなのかわからないが、その方が出している他の商品を見る限り、中年以降の方なのだろうか。

こういうのを見ると、犯罪?詐欺?と警戒する気持ちもあるが、私には心の叫びの様に思えて切なくなってしまった。

コロナがあって人と人の交流が制限されてから、さらに孤独を感じる人が増えたように思う。

という私も以前はそれほど感じることがなかった孤独をよく感じる。

孤独というのは、家族がいても、周りに友だちがいても感じる時は感じるものだと思う。

それは更年期とか体調の影響も大きいのではないかと思うが、孤独は嫌だと思えば思うほど、孤独の大きな波が押し寄せてくるものだとわかった。

そんな時は本当につらい。もしかすると、この投稿者もそうなのかなと思ったりする。

私自身もこの3年近くの間、度々襲ってくる孤独と向き合いながら、いつしか自分の内へ内へと入って行くことを覚えた。

今となっては、これがとてもよかったように思える。

自分の内へ入り自分自身を深める作業は、とても貴重で大切な時間だった。

たくさんの人に囲まれて楽しく過ごす時間もいいけど、一人で自分自身を深めていく時間はもっと充実したものになり得る。

人間とは、もともと孤独なものではないのだろうか。

大部分の人は一人で生まれ、死ぬ時も一人。

このことを理解していないと、寂しくてやりきれない。

孤独については、多くの芸術家がテーマにしているそうだ。

「我が常に一人でいることは、私にとって常に良き友である。私が私自身に語りかけるとき、私は私自身を理解する」レオナルド.ダ.ヴィンチ

「孤独は、静寂の中での贅沢な時間である」宮沢賢治

「私は人々と一緒に過ごすことは好きだが、私の思考の多くは孤独の瞑想の中で生まれる」アルベルト.アインシュタイン

このような偉人たちのように達観する事はなかなかできないが、願わくば孤独を楽しむことができるようになりたいな、、とは思う。

でも孤独を楽しむのは難しい。

ドイツの哲学者アルトゥール.ショーペンハウワーも言っている。

「早くから孤独に馴染み、孤独を愛することができた人は、金鉱を手に入れたようなものだ」

なるほど、、、孤独に馴染むのは金鉱を手に入れるくらい難しいことなのか。

とはいえ、このように古今東西、みんな孤独を感じながら生きて来たのだ。

だから自分だけが孤独なのではないということなのだろう。

たとえ一人暮らしでも、とても楽しそうに生きている方はたくさんいらっしゃる。

逆に家族に囲まれていても孤独を感じることもある。

いかに孤独を楽しむか、自分自身の機嫌をどうやってとってあげるのか、これから、そんなことを探して行くのも楽しいかもしれない。

 


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至福の時

2023-11-08 16:32:03 | 日記

至福の時とはどんな時だろうか。

人によってそれぞれ違うだろうし、その時の年齢や背景によっても違う。

子どもたちがまだ幼かった時の至福の時は、子どもたちが寝静まったあと、ひとり静かにお茶を飲みながら読書をすることだった。

今と違って自分の時間が無いほど毎日が忙しかったので、ひとりで読書できるのは貴重な時間だった。

またそれとは真逆だが、三人の子どもたちとワチャワチャじゃれ合う時間もまた至福の時だった。

一人目を出産する前に続けて流産したので、三人も子どもが居て、じゃれ合うことができるなんて夢のようだ、幸せだーといつも思っていた。

では今の至福の時は?と考えると、真っ先に思い浮かぶのは、平凡だけど温泉に入っている時かな。

どこか遠くの温泉に行かなくてもいい。いつも行く近くの温泉に入っている時が至福の時だと、お湯に浸かる度いつも思う。

そして、最近新たに至福の時だと思ったことがある。

それは隣町の大型書店でコーヒーを飲みながら読書をする時。

江別市にある蔦屋書店は、スタバで飲み物を買って、本棚から持ってきた本を読むことができる。

もちろん気に入った本があれば買うが、立ち読み禁止が多い中、遠慮せずに色々な本を読み比べることができるのがいい。

本は読まず、スタバでコーヒーを飲みながらぼーっと窓の外の景色を見ていてもいいが、「書店に住みたい」と思うほど本が好きな私にとっては夢のような場所。

スタバ店内から見た景色です。昨日行ったらほぼ紅葉が終わっていた。

そこである本を読んでいたら、私が子どもの頃に見ていた「現実には見えていない景色」と同じものを見ていたという人のお話が載っていて、思わず身を乗り出して読み耽ってしまった。

それは海外の方で、多分私と同世代の方のお話。

その方が子どもの頃に、夢でなのか、いわゆる第三の目で見ていたのかわからないが、よく見ていた風景があるそうだ。

それは大きな窓から、もしかしたら宇宙船の中の窓だったかもしれないが、そこからよく宇宙を見ていたそうだ。

周りには大勢の人がいて、みんな同じ想いを持った仲間だと感じたそうだ。

そこにいた仲間たちはこれから地球に生まれて、地球に住む人々の意識を変えようと思っていたそうだ。

なんだか夢のあるいい話だなぁと思ったが、それのどこが自分と同じだったかというと、子どもの頃によく宇宙を見ていたという部分で、私の場合は夢ではなくて、夜布団に入って目を開けているとよく見えてきた。

真っ暗な宇宙に浮かぶたくさんの岩(たぶん星だと思うが)、遠くの方で光るたくさんの星。

いつもきれいだなと思いながら見ていると、そのうち自然に寝てしまっていたのだけど、たまに自分が乗り物(今思えば宇宙船)の中から、大きな窓を通して宇宙を見ていることもあった。

ただ本の方のように、周りに人がいたかは不明で、宇宙を見ながら「これから意識を変えに地球に生まれに行こう」なんてこともまったく考えておらず、ただただきれいだなと思って見ていた。

成長するにつれて宇宙は見えなくなったが、子どもの頃は多くの人が、そのような景色を見ているものだと思っていた。

その後、周りの友だちや夫にも聞いてみたが、誰一人見たことはないと言うので、この本を読んだ時には、同じ経験をした人がいるんだと、ものすごく嬉しくなった。

というわけで、美味しい飲み物を飲んで、普段は出会えない本を読むことができて、至福の時を過ごしてきた。

同じ体験をしている方がいるんだと分かっただけで、一日中嬉しい気持ちで過ごすことができて幸せだった。

 

 

 


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困った時

2023-11-05 14:34:21 | 日記

家族で車に乗っていたら、少し前を走っていた車が、ウインカーをあげて路肩に停まった。

すると車の中から中年の男性が慌てて降りると、反対側の歩道の方へ走って行かれた。

男性が向かった先を見ると、なんと歩道に人が倒れていた。

男性は、倒れている人を懸命に救助している様に見えたので、私と夫も急いで車から降りて手助けに向かった。

倒れていたのは高齢の女性で、意識はハッキリしていて、話すことはできるのだけど、足が痛むと言って起き上がることができなかった。

女性によると、買い物帰りに荷物を持って道を歩いている途中、右足を電柱にぶつけて転んでしまったそうだ。

「どの辺りをぶつけたのですか?」と聞くと「ここ」と言って右足の膝を指差すのだけど「でも痛いのはそこじゃない。ここが痛いの」とおっしゃっる。

女性が指差したのは、左脚の股関節あたりで、相当痛むのか、痛みで顔をゆがめ身体を動かすことさえできない。

そこへもう一台の別の車が停まり、中年の女性が降りて来た。

女性は驚いたように「◯◯さんじゃない?どうしたの?」とおっしゃった。

この女性は、高齢女性のご近所さんだそうで、道路に横たわっていたのを見て車から降りてきてくれたらしい。

「救急車を呼んだ方がいい」と誰かが言った。

動かすだけで、かなり痛がっているので、救急車の方が良さそうだ。

ところが、高齢女性は「大丈夫。自分で歩けるから救急車は要らない」と言ってきかない。

実は、救急車を断り続けるのには理由があったようだ。

「これからうちにお客さんが来るから、急いで家に帰らないといけないんだ」という。

女性によると、お客さんをもてなす為に食材を買いに行ってきたそうで、女性の背負ったリュックはずっしりと重く、手に持った二つの荷物もかなりの重量だった。

こんなに重たい荷物を持っていたら、膝を打った時にバランスを崩して変な転び方をしてしまったのかもしれない。

聞けば家には息子さんが居るのだが、携帯電話を忘れてきて連絡できないそうで「それでは、家まで車で送って行こう」とみんなが口々に言うと、遠慮しているのか頑固に「大丈夫。歩ける」と言い張ってきかない。

「この痛みじゃ歩くのは無理だ。送る」「歩ける、大丈夫」という押し問答の末、やっとご近所さんだという女性の車に乗ってくれることになった。

ところが高齢女性はかなり大柄な方で、男二人でも起き上がらせるのに四苦八苦、、、

身体を少し動かす度に「イタタタ」と痛がっているのは、もしかして骨折しているのかもしれないと思った。

ご近所の女性によれば、息子さんも少し身体が不自由だそうで、かなり重たい女性を抱えるには、人数がいた方が良いのではないかと言うことで、私たちもついて行くことにした。

女性の家に着き、息子さんを呼んで事情を説明すると「だから買い物に行くなと何度も言ったべ」と母親を叱りつけていた。

とはいえ息子さんは気が動転していたようで、「これからお客が来るんです」と高齢女性と同じことを口にしていたが、母親の様子を見て、これは救急車だと思われたようだ。

あとは息子さんに任せて、私たちは引き上げることにしたのだけど、息子さんは丁寧にお礼を言って下さった。

せっかくお客さんが来るからもてなしたいと思う母親と、高齢で遠くの店まで歩いて買い物に行こうとする母親を止めたい息子さん。

どちらの気持ちも分かるし、どちらが悪い訳でもないが、運悪くこのようなことが起こってしまった。

というわけで、まったく見知らぬ方々と協力し合って、高齢女性を助けるということは初めての経験だったが、いざとなれば他人を助けたいと思う人は多いのだなと思った。

でも困った時は、素直に他人に甘えることも必要だというのが、今回一番学んだことだったかもしれない。。。

 

 


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