先日、雪かきをするほど降った雪は、その後、気温の高い日が続いたため、ほとんどが消えてしまった。
雪があると車の運転も怖いので、雪が融けてなくなってくれたのは嬉しい。
ところで今月の初めに「エルニーニョ現象」が発生したとの発表が気象庁からあったが、もしかしたら今年は雪が少ないのかもしれないと期待ができそうだ。
雪が少なくて困る業種の方々には申し訳ないが、一般生活を送るうえでは除雪の負担や運転面での危険が少なくなるので雪が少ないことに越したことはない。
この「エルニーニョ現象」とは何かというと、南米ペルー沖の海水温が通常よりも高い状態が続き、それが異常気象となって世界中に波及するというものだそうだ。
ちなみに「エルニーニョ」はスペイン語で「男の子」を意味するそうで、困ったちゃんの男の子がお天気に対していたずらをするようなイメージだそう。
この反対に通常よりも低くなる時は「女の子」という意味の「ラニャーニャ」と言って、同様に異常気象をもたらすようだ。
ところで、ここまで書いてお天気とは全く関係のないことを書こうと思うのだが、最近ずっと小さな男の子のことが気になっていた。
その男の子は3日連続で夢に現れた。
一日目の夢では、まだ幼児にもなっていない乳児だった。
おくるみにくるまった、その赤ちゃんが男の子だということを私は知っていた。
いつの間にか赤ちゃんは私の腕の中にいて、私を見あげて笑っていた。
その笑顔がもうとろけるほどの可愛らしさで、夢の中で「なんてかわいい子」と思った。
ところが目が覚めると同時に、どんな顔だったのかすっかり忘れてしまい、ただ可愛いと思ったことだけは鮮明に残っていた。
なぜ赤ちゃんなんかの夢を見たのだろう・・・
我が子が赤ちゃんだった頃を思い出して夢を見たのだろうかとも考えたが、その男の子は我が子ではないという確信があった。
どうしてか分からないが、それは間違いなかった。
そんな夢を見たことも忘れて眠った二日目。
また同じ男の子が夢に現れた。
正確には同じ男の子なのだが、もう赤ちゃんではなくて、小学校一年生くらいに成長している姿になっていた。
私は、成長した男の子と手を繋いで歩いていた。
赤ちゃんの頃と同じく可愛らしい男の子だった。
歩きながら、二人でなにか話をしたように思うが、何を話したのか憶えていない。
また男の子の顔も見たのだが、思い出そうとすると、顔の部分がぼやけてしまって思い出すことができない。
それにしても、二日続けて同じ男の子の夢を見るなんて珍しい。
しかも、同じ人物が一夜で成長している夢を見るのは、これまで一度もないことだった。
その日の夜。
「まさか三日目はないだろう」と思って眠ったら、明け方にまた同じ男の子の夢を見た。
三日目の男の子はさらに成長していて、今度は中学生くらいになっていた。
中学生と言えば、もう子ども扱いはできない年齢ということもあって、大人に接するように話した気がするのだが、やはり何を話したのか思い出せない。
記憶はすっぽりと消えていた。
そして中学生くらいになっていた三日目を最後に、同じ男の子の夢はもう見ることはなくなったのだが、たまにあの子は誰だったのだろうと思うことがある。
私の勝手な解釈だが、もしかしたらあの子は家系に関係する水子のひとりだったのではないだろうか。
毎日欠かさずに行う先祖供養では、家系に関係する水子の供養もしている。
私自身も二人流産しているので、その子たちを供養したいと先祖供養を始めた頃には思っていたが、今は家系をずっとさかのぼって、きっとたくさんいらっしゃるであろう水子さん達が一人でも多く昇って行かれるようにという気持ちでお線香をあげている。
ところで以上のような話は、人によっては「それが何か?」と言われるような内容にしか聞こえないかもしれない。
特に口に出すと、もっとそう思うだろうという気がするので、書くことは別にしても他人に向かっては話すことはしない。
実は昔はそうではなく、経験したことを普通に他人に話していたこともあったが、前述のように「それが何か?」という顔をされることもあり、「どうしてこの人は、この感動がわからないのだろうか」と話した後に思っていたこともあった。
でも、それは他人には話すべきことではなかったということに気づいたのは、それからずっと後になってからのことだった。
特に先祖供養や床供養では、自分にしか分からないような「気づき」や「感動」を経験することがあり、このように文章にしたとしても、自分の内面で起こったことをすべてうまく書き切れる自信はない。
なぜなら、これらの感動や気づきは他人には関係の無いことで、自分で受け止めて、自分で向き合って、そしてひとりで進んで行くことだから。
とはいえ、同じように進むたくさんの方たちのために、ブログという媒体に書き留めておきたいと書いてみました。
エルニーニョ現象から霊現象の話になってしまいましたけどね・・・
雪があると車の運転も怖いので、雪が融けてなくなってくれたのは嬉しい。
ところで今月の初めに「エルニーニョ現象」が発生したとの発表が気象庁からあったが、もしかしたら今年は雪が少ないのかもしれないと期待ができそうだ。
雪が少なくて困る業種の方々には申し訳ないが、一般生活を送るうえでは除雪の負担や運転面での危険が少なくなるので雪が少ないことに越したことはない。
この「エルニーニョ現象」とは何かというと、南米ペルー沖の海水温が通常よりも高い状態が続き、それが異常気象となって世界中に波及するというものだそうだ。
ちなみに「エルニーニョ」はスペイン語で「男の子」を意味するそうで、困ったちゃんの男の子がお天気に対していたずらをするようなイメージだそう。
この反対に通常よりも低くなる時は「女の子」という意味の「ラニャーニャ」と言って、同様に異常気象をもたらすようだ。
ところで、ここまで書いてお天気とは全く関係のないことを書こうと思うのだが、最近ずっと小さな男の子のことが気になっていた。
その男の子は3日連続で夢に現れた。
一日目の夢では、まだ幼児にもなっていない乳児だった。
おくるみにくるまった、その赤ちゃんが男の子だということを私は知っていた。
いつの間にか赤ちゃんは私の腕の中にいて、私を見あげて笑っていた。
その笑顔がもうとろけるほどの可愛らしさで、夢の中で「なんてかわいい子」と思った。
ところが目が覚めると同時に、どんな顔だったのかすっかり忘れてしまい、ただ可愛いと思ったことだけは鮮明に残っていた。
なぜ赤ちゃんなんかの夢を見たのだろう・・・
我が子が赤ちゃんだった頃を思い出して夢を見たのだろうかとも考えたが、その男の子は我が子ではないという確信があった。
どうしてか分からないが、それは間違いなかった。
そんな夢を見たことも忘れて眠った二日目。
また同じ男の子が夢に現れた。
正確には同じ男の子なのだが、もう赤ちゃんではなくて、小学校一年生くらいに成長している姿になっていた。
私は、成長した男の子と手を繋いで歩いていた。
赤ちゃんの頃と同じく可愛らしい男の子だった。
歩きながら、二人でなにか話をしたように思うが、何を話したのか憶えていない。
また男の子の顔も見たのだが、思い出そうとすると、顔の部分がぼやけてしまって思い出すことができない。
それにしても、二日続けて同じ男の子の夢を見るなんて珍しい。
しかも、同じ人物が一夜で成長している夢を見るのは、これまで一度もないことだった。
その日の夜。
「まさか三日目はないだろう」と思って眠ったら、明け方にまた同じ男の子の夢を見た。
三日目の男の子はさらに成長していて、今度は中学生くらいになっていた。
中学生と言えば、もう子ども扱いはできない年齢ということもあって、大人に接するように話した気がするのだが、やはり何を話したのか思い出せない。
記憶はすっぽりと消えていた。
そして中学生くらいになっていた三日目を最後に、同じ男の子の夢はもう見ることはなくなったのだが、たまにあの子は誰だったのだろうと思うことがある。
私の勝手な解釈だが、もしかしたらあの子は家系に関係する水子のひとりだったのではないだろうか。
毎日欠かさずに行う先祖供養では、家系に関係する水子の供養もしている。
私自身も二人流産しているので、その子たちを供養したいと先祖供養を始めた頃には思っていたが、今は家系をずっとさかのぼって、きっとたくさんいらっしゃるであろう水子さん達が一人でも多く昇って行かれるようにという気持ちでお線香をあげている。
ところで以上のような話は、人によっては「それが何か?」と言われるような内容にしか聞こえないかもしれない。
特に口に出すと、もっとそう思うだろうという気がするので、書くことは別にしても他人に向かっては話すことはしない。
実は昔はそうではなく、経験したことを普通に他人に話していたこともあったが、前述のように「それが何か?」という顔をされることもあり、「どうしてこの人は、この感動がわからないのだろうか」と話した後に思っていたこともあった。
でも、それは他人には話すべきことではなかったということに気づいたのは、それからずっと後になってからのことだった。
特に先祖供養や床供養では、自分にしか分からないような「気づき」や「感動」を経験することがあり、このように文章にしたとしても、自分の内面で起こったことをすべてうまく書き切れる自信はない。
なぜなら、これらの感動や気づきは他人には関係の無いことで、自分で受け止めて、自分で向き合って、そしてひとりで進んで行くことだから。
とはいえ、同じように進むたくさんの方たちのために、ブログという媒体に書き留めておきたいと書いてみました。
エルニーニョ現象から霊現象の話になってしまいましたけどね・・・