ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

心のコップ

2019-05-28 15:59:57 | 日記

一年くらい会っていなかった友だちと会った。

一瞬、彼女とは思わなかったほど変わっていた。

ドイツ人の血をひくクオーターで、昔から振り返るほどの美人だった友人。

そんな彼女が、実年齢よりも10歳くらい年上に見えるほど老け込んでいた。

会っていなかった一年の間に何かあったのだろうかと心配になったら、彼女の方から「白髪頭で驚いたでしょ?美容院へ行く気も起きなくて、しばらく染めていないの」と教えてくれた。

確かに彼女の髪は白髪がずいぶん多くなっていたが、今はグレーヘアが流行っているので、私たちの年齢であれば白髪があっても特段おかしくはない。

それよりも老けたと思わせるものが、彼女の身体全体から感じられるようだった。なんだか彼女の心の中にあるコップの水が、一度空っぽになってしまったような、そんな気がした。

何かあったのだろうかと思いながら、お互いの近況を報告し合っていたのだが、彼女の同居していたお姑さんが、去年の暮れに亡くなったと教えてくれた。

私もお姑さんと同居していたので、今まで彼女と会えば老人のデイサービスや施設の情報交換をしたり、たまにお姑さんの愚痴も言い合ったりしていた。

でも最後は必ず二人で笑い話にして終わっていたので、実は精神を病んでしまうほど、彼女が苦しんでいたとは知らなかった。

もっと声をかけてあげればよかったと思う・・・

お姑さんから盗んでいないモノを盗んだと言われること(あら?どこかで同じことを聞いたような)。親戚の中には、それを真に受ける人がいて、親戚から責められたこと。

一生懸命に作った料理を、自分には言わず他の人たちに「大したものも作れないヨメ」と言っていたことにショックを受けたことなど、彼女の口から次々とつらかったことが語られた。

さらに悪いことに、お姑さんに対する不満を、唯一吐き出せることができる相手だったご主人が、突然病気になってしまったそうだ。

病気のご主人を支えながら、お姑さんの暴言に耐えて介護もしなければならず、彼女の心は限界だったが、その全てを自分の中に抱え込んで一人でがんばっていたようだ。

ところが、ある時から自分の意識が体から離れてしまうような感覚になったそうだ。

どこにいても、意識がふわふわと別の場所に飛んでいるような状態。「心、ここにあらず」という表現がぴったりだと思ったそうだ。

「精神科にも通ったの。薬はすごくよく効いたんだけど、あまりに効きすぎるから怖くなって、途中でやめちゃった。やっぱり自分で乗り越えるしかないんだって思ったから」と、健気に頑張っていた彼女の言葉に思わず涙が出た。

幸い、ご主人の病状も快方に向かっているそうで、彼女は少しずつ元気になってきている。

彼女の話を聞いていて、誰かのために頑張りすぎて疲れ果てている人のなんと多いことだろうかと思っていた。

うちの妹もしかり・・・家族の為に頑張り過ぎて疲れ果て、不平不満が口から出る。

やってあげたいと心から思ってすることが、自分の喜びならばこんなに素晴らしいことはないが、そうではなくて義務感だけでやるのなら、頑張り過ぎるのは疲れるだけだし、こんなにやってあげているのに相手は感謝もしない!という不満もでる。

特に日本では、自分のための利益(自利)よりも人のための利益(利他)のほうが美しいとされているので、ついつい相手の為に必要以上に頑張ってしまう。

でも、その前に、まずは自分のコップを幸せで満たさなければいけないのではないだろうか。

自分のコップが一杯ならば、誰かにその水をわけてあげることができる。誰かを幸せにすることができる。

でも自分のコップが空っぽな状態では、わけてあげるどころか「欲しい、欲しい」ということになる。

私も自分のコップが空っぽだった経験は幾多もあるので、それは容易に想像ができる。

自分のコップを満たすこと・・・(私の場合ですが)嫌なことを考え始めたら、自分を客観視して嫌な思考を止める。それから鏡に向かって、にっこりと笑う。

これが私にはけっこう効く。たいして面白いことがなくても鏡に向かってにっこり笑ってみると、徐々に嬉しさがこみ上げてきて、しまいにはガッツポーズをしたくなるほど嬉しくなることがある。単純と言われればその通りだが、本にも書いてあるほどなので効き目はあるらしい。

また時には、つらいと思うもの、悲しくなるものから、できることならば距離を置くのもいいものだと思っている。

でも、やはり最終的には感謝だなぁと思う。感謝の気持ちを持つと、自然とコップの水は満たされていく。

々と書いてしまったが、もちろん友人にはそのようなことは言わなかった。彼女は彼女なりに乗り越えて行くだろうと思う。そして、きっとまた若々しく輝くだろうと思っている。





 


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電動自転車デビュー

2019-05-24 15:36:09 | 日記

ようやく入荷待ちしていた電動アシスト自転車が届いた。

待っていたよ~と、さっそく自転車に乗って出かけた。

うちは山の上にある為、行きはずっと下り坂。黙っていても下りて行くので、最初は、電源は入れずに乗った。

足を離していても、猛スピードで下っていく。

危ないのでブレーキは握ったままだが、体いっぱいに風を受けて下りていくのは本当に気持ちがいい。

これぞ自転車の醍醐味。

坂道を降りると、平坦な道に出た。

アシストを使わなくても平気だったが、試しに一番アシストが弱いエコモードにしてみた。

すると、足に力をいれなくても一気に進む。ペダルを踏むと、ぐんと前へ進む感じがする。普通の自転車よりずっとスピードが出るし、何より楽だ。

立ち寄ったお店で駐輪場に停めたのだが、自転車に元から付いている鍵のほかにチェーン式の鍵もかけた。

ところでチェーン式の鍵は、タイヤに巻きつけるのではなく、自転車本体を動かない柱などに固定するのがいい。

この自転車本体というのがミソで、本体じゃなくてタイヤを柱に固定だと、タイヤだけを残して盗まれることがあるそうだ。(タイヤは簡単に外れるので)

そんな訳でしっかりとチェーンをしてから用事を済ませて帰ろうと思ったのだが、チェーンを外したのになぜか自転車が動かない。

おかしい、、、どうしてだろう、、、、と動揺しつつあれこれ自転車を触っていたら、なんと自転車に付いている鍵を外すのを忘れていた。なにぶんにも自転車に慣れていないので、うっかりしてしまった。

ところが、やっと鍵を外して自転車に乗ろうとしたら視線を感じた。

駐車場で交通整理をしているおじさんだった。

さっきから誰かに見られているような気がしていたのだが、自転車の横で不審な動きをしている怪しい人物と思われたのかもしれない。

恥ずかしさと決まりの悪さで、そそくさとその場から離れた。

というわけでドタバタしてしまったが、いよいよ帰り道。待ってましたの登り坂が続く。

坂道も自転車で楽に登れるというのが、電動アシスト自転車を買った理由なのだ。

今更、登れませんでしたとお店に返すこともできないのだが、お店の人の「坂道も楽に上れますよ」という言葉だけを信じて買ったのだ。

きっと大丈夫なはずなのだが・・・

この日は強い風が吹いていて、悪いことに帰りは向かい風だった。

強風と登り坂でエコモードでは辛くなってきた為、三段階あるアシストモードの真ん中にする。

 エコモードよりさらに力強く進むのだが、風が強すぎてそれでもややつらいので、今度は最も強いモードに切り替える。

・・・と、なんということでしょう~急な坂道もらくらく登って行けるではありませんか。やっぱり店員さんの言葉は嘘じゃなかった。電動アシスト自転車すごい!

ちなみに私が買ったのは、ヤマハのPAS Withという商品。別に宣伝するわけではないが、なかなか良いです。

ところで久々の自転車での外出、たしかに風を感じながら走るのは気持ちがいいのだが、風が強い日は気持ちがいいのを通り越して過酷な状況になってくる。

風で帽子は飛ばされるし、口や目に砂が入るしで、やはり便利さや快適さは、車にかなわない。(でも、乗りますわよ~自転車!)

それにしても風で飛ばない帽子が欲しい。

予想はしていたので、持っていた帽子にあご紐をつけていったのだが、すぐに脱げてしまう。かぶってもかぶっても脱げるので、途中から面倒くさくなって日焼けは気になるが、帽子を首にぶら下げたまま帰って来た。

同じくすれ違った自転車に乗った女性は、つばのある帽子の上からタオルでほっかむりをしていた。なるほど、、、あれなら帽子が脱げる心配はないか。

でも、見た目がちょっとなぁ。

ほっかむりで自転車に乗れるほどの強さが、私にはまだ無い・・・

というわけで、自転車に乗っても飛ばされず(脱げず)、日差しも遮り、視界も確保できる帽子を探している。

 

 


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伊達へ行く

2019-05-21 15:38:15 | 旅行

北海道の南西部に位置する街、伊達市へ行ってきた。

この辺りは、古くから人間が住んでいたとされる場所で、6~7000年前の縄文初期の遺跡が数多く見つかっている。

その後アイヌと呼ばれる人たちが住み、内浦湾(噴火湾)で獲れる豊かな海の幸に支えられて、伊達市周辺には数多くのコタン(村)があったそうだ。

ところで、伊達市は仙台藩の武士たちが集団移住して作った街だが、アイヌ語由来の地名が多い道内の中で、伊達市は移住した亘理伊達家の名が、市の名前になっている。

武士たちが作り上げた街のため、市内は道内では珍しい城下町仕様の道路になっていて、敵が来た時にまっすぐ通れないように曲がった道が多い。

開拓時には、元々住んでいた人の良いアイヌの人々をだましたり排除したりするということが行われたが、ここで指揮をとった伊達家15代伊達邦成は違ったそうだ。

アイヌの人たちがすでに住んでいる場所に住むことはせず、あえて未開の原野を切り開いていったそうだ。

伊達邦成はアイヌの人々に対しては、常に礼節を重んじること、騙したり彼らの馬を無断で使用したりしないこと、そして住宅にみだりに立ち入ってはいけないという規則をつくり、家臣らも忠実にそれを守ったという。

仙台藩は戊辰戦争で敗れ、その責任を取って明治政府からは、開拓や移住のための資金援助が一切なかった。そのため先祖伝来の家宝や装身具まで、持っていた財産のほとんどを売って移住費用を捻出したが、アイヌの人たちが親切に天候や土地の状態、山菜などの食べ物を教えたほか、常に開拓を手助けしてくれたそうだ。

そして現在の伊達市は、積雪が少なく温暖な気候で「北の湘南」とも言われ、住みやすさからシニア層を中心に人気の移住先になっている。

そのためか他の道内の地方都市に比べて、大きな病院や商店が多くにぎわいがある。

今回は残念ながら滞在時間が短かったので、観光したのは一箇所だけ。

浄土宗 有珠善光寺

まだ桜が咲いていて綺麗でした。

1804年、江戸幕府が蝦夷地を直轄するにあたって設立した本殿と客殿。

江戸時代の香りがしてくるような気がする・・・


善光寺目の前にある内浦湾。こちらで獲れるホタテ貝が有名です。

・・・で、ホタテ貝が有名なのに、「さばの味噌煮定食」を食べてしまった「はらぺこ漁業部」というお店。

ここは魚メインの定食が多いが、トンカツや空揚げなど肉料理の定食も充実している。メインの他に煮物の小鉢、漬物、味噌汁、そして新鮮なお刺身がつく。さばの味噌煮は骨まで食べられて美味しかったです。料金は790円~1000円くらい。


近くにはいい温泉があったり、行きたい観光スポットもまだまだあるのだが、また次回訪れたいと思う。

 

 


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温冷浴

2019-05-17 16:04:53 | 健康

温泉に行くと、サウナやお風呂に入ってから水風呂に入るというのを繰り返す人をよく見かけるのだが、そういう方は肌が綺麗な人が多いなと、いつも思っていた。

調べてみたら、温まってから水風呂で冷やすと肌の細胞が刺激されて活性化し、肌の若返りや張りにつながるのだとか。

またそれだけではなく、血流が良くなって免疫力や代謝のアップ、疲労回復、自律神経が整うなどなど、様々ないいことがあるらしい。

とは言え、とても水風呂なんかに入る勇気はなく、真冬の最中、しかも雪の降る日に、外の水風呂に入っている人を見ると、修行しているんじゃないかとしか思えなかった。

しかし、温冷を繰り返すことでいろいろな効果があるのなら、ちょっと試してみようかしらという気になった

というわけで、昨日は日中の気温が24度と高かったこともあり、いつも行く温泉で試すことにした。

ところで、先日書いた腸の具合はオイルを直接飲むことを止めたらもうすっかり良くなって、体調は絶好調!水風呂初挑戦もいけそうな気がした。(懲りないオンナとは私のことです)

ただし、いきなり水風呂に入るのではなく、今回は水を身体にかけるだけで止めておくことにした・・・いろいろと反省することもあったので(汗)

まずは十分に温泉で温まって汗が出てから水風呂へ行き、桶に汲んだ水を足首から先へかける。

かけた瞬間、思わず息が止まったほど水は冷たかった。

それもそのはず、私が行く温泉の水風呂は地下水だそうで、出しっぱなしで流れっぱなしの地下水が、源泉かけ流しのように常に浴槽の外に流れ出しているため、外気温が高くなっても水は冷たいままなのだ。

水風呂の常連さんに「ここは他の温泉よりも水が冷たい」と教えてもらった。

あまりの冷たさに、これ一杯でやめておこうかなとも思ったが、せっかく挑戦しようと来たのだから、一杯の水浴びだけではつまらないと、修行している気分で5~6杯の水を徐々に体の上に移動させて浴びた。

そして、そのあとに温泉で温まり、また冷水を浴びに行くということを三度ほど繰り返した。

すると、だんだん体の中からポカポカと温かくなってきた。

また水の冷たさにも慣れてくるもので、これなら水風呂の中にだって入れるんじゃないかと思ったほどになったが、やはりここは無理をせずに水浴びだけにした。

そして入浴後。

帰宅してからも体はずっと温かいままで、夜、気温が下がって肌寒くなってきても、寒いどころか汗ばむほど温かかった。

しかし一番効果があったと思ったのは睡眠で、いつもなら夜中に何度か目を覚ますのだが、昨夜は久しぶりに朝まで死んだように眠っていたのが嬉しかった。熟睡したので体調はますます良し。

今までは、水風呂に入るなんて信じられな~いと思っていたが、これをきっかけに、たまに温冷浴をやろうかなと思っている。ただし、体調には十分考慮して・・・

それにしても、こんな他愛のないことが本当に楽しい。

夢中になれることがある、好きなことができるとはなんと幸せな事か。

生きていれば色々とあるが、そんなことはもうどうでもよくなるほど、幸せな気持ちが湧いてくる。最近、特にそう思う。

 

もらったカーネーション。紫色のカーネーションは初めて見た。

これを見るたびにまた、私は幸せな気持ちになる。





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やりたいこと

2019-05-14 13:38:53 | 日記

長かった冬が終わり、茶褐色だった景色が一面新緑のライトグリーンに彩られると、もったいなくて家の中でじっとしていられなくなる。

北海道の夏は短い。庭に出て草取りをしたり、薔薇の剪定をしたり、これから植える苗の為に土を耕したりしている。

外に出ているとあっという間に時間が過ぎてしまうのだが、今年は庭仕事以外にも外でやりたいことがある。

それはサイクリング。

実は、ずっと欲しいと思っていた電動アシスト自転車を思い切って買ってしまった。と言っても、入荷待ちでまだ手元に届いていないのだが、寝ている時に夢で電動自転車に乗っているのを見たほど、いま楽しみにしている。

以前は、子どもが通学に使っていた普通の自転車に乗っていたのだが、なんせここは山の上のため、行きは風を切って楽々と下りて行けるのだが、帰りは上り坂が続くので地獄だった。

1メートルも行かないうちにギブアップして、仕方なく自転車を押しながら登ることになる。

ところが、自転車を押して青色吐息で登る私の横を、高校生の男の子が立ち乗りで坂道を登って行くではないの。見れば電動アシストではなくて、普通の自転車なのだが、私にはとてもじゃないけど無理・・・でも電動アシストならば、あの少年のように自転車で登って行けるのだろうか。

そんなわけで、自転車には乗りたいものの、帰りの事を考えると億劫で、出かける時はもっぱら車に頼る生活を送っていたのだが、昨年くらいから車の運転中に自分の注意力が落ちてきているなあと思うようになっていた。

昔なら運転していても、わずかな時間で周囲を確認できていたつもりだったが、昨年くらいから周囲を確認する時間が長くなったと思う。

もちろんゆっくり慎重に周囲を確認するのは大事なのだが、一瞬で前後左右を確認しなければならない状況の時、明らかに若い頃より動作が遅くなってきていると自覚し始めていた。

そのような中で、世間では高齢者の事故が多く取り上げられるようになり、ますます車を運転することが怖く感じられるようになった。

もともと私は、車の運転がそれほど好きじゃないので、車で行く必要が無い限り、できるだけ車には乗りたくない。

義理の兄が、昨年65歳で「この歳になって、加害者にはなりたくない」と言って、きっぱりと車を手放した気持ちが分かるような気がした。

しかし、車に乗らない事には行きたい所へ行けないので、それに代わる自転車、しかも坂道も楽に(?)登れるらしいという電動アシスト自転車が欲しかった。

自転車ならば、今まで駐車しづらそうと敬遠していた、あのパン屋さんにだって行くことができるし、あのお惣菜屋さんだって気楽に行けそうだ。

ちょっと遠いけど、いつも行く温泉だって行けるかも・・・でも帰りは汗だくになって、家でまたシャワーを浴びることになるかな。

あと、森の中だってサイクリングなら気楽に行けそうだ。万が一、熊さんに出会っても自転車なら速く逃げられそうだし・・・

電動アシスト付き自転車に乗ることを想像するだけで夢は広がる。

絵本を描きながら広大な庭を作り、晩年になっても自給自足の生活を楽しみ過ごした、憧れのターシャ・テューダーさんの言葉が思い出される。

「やりたことがあればやるべきよ」

周囲に迷惑をかけたり困らせたりすることでなければ、やりたいことはいくつになっても挑戦したいと思う。

風に揺れる葉がキラキラして、本当に綺麗です。





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健康オタク自粛・・・

2019-05-10 16:56:20 | 健康

自称「健康オタク」の私は、健康について書かれている記事には目がない。

食事の時間を16時間あけるというものを読んだ。

それによると16時間の空腹時間を作ると、体の細胞が生まれ変わるというのだ。

食事を16時間あけるというのは初めて知ったが、空腹時間を作ると細胞が長寿遺伝子が働くらしいと言うのは聞いたことがあった。

16時間かぁ。年齢と共に食べる量が減ってきて、最近は時間をあけてもあまり空腹を感じなくなっていたので、以外と簡単にできるのではないだろうかと思い、やってみることにした。

夕食を午後7時に食べ終えると、次の食事の翌日午前11時まで水分以外は摂らない。

家族にはいつも通り朝食を出して、私は紅茶や水を飲むだけにした。

朝食にかけていた時間を家事に回せたせいか、いつもよりずっと早く家事を終わらせることができて、しかも空腹感は感じず体はいつもより元気に動けた。これは案外いいかもしれないと思った。

そこで翌日もまた16時間をあけるべく、午前は水分だけを摂って家事をしたのだが、空腹感はやはりほとんど感じないものの、体は前日よりもすこし疲れを感じた。

そして3日目。この日は、午前9時を過ぎた頃から急激に空腹をおぼえた。こんなに空腹感を感じるのはホントに久しぶりだった。

お腹が空いたのを水分でごまかしながら家事をしたのだが、前日よりもさらに体の疲れを感じ、胃の辺りがなんとなく嫌な感じになってきた。

なんとか11時まで我慢して11時に待ちに待った食事をしたのだが、胃の嫌な感じから「やっぱりだめだわ。もうこれでやめよう」と思った。

ところが・・・この日から嫌な予感がしていた胃がシクシクと痛み始めた。

胃痛は久しぶりだったが、空腹状態で胃液が胃を荒らしたのかもしれない。

幸い胃痛は丸一日で治まったが、やはりこういったことは専門家に従って行うのがいいのかもしれないと思った。

そして、次にやってみたのがオメガ3の油を飲むことだった。

我ながら本当に懲りないやつだと思うのだが、前回の16時間食事時間をあけるというのからはかなり時間が経っていて、もちろん胃痛になったことなどすっかり忘れていた。

さて、オメガ3の油はずっと前からヨーグルトにかけて食べていた。

ところがある日、いつも食べていたオイルを切らしてしまったことから、たまたまスーパーで見つけたオーガニックのアマニオイルを買ってきた。

遮光瓶に入ったオイルは、いかにも品質が良さそうだったが(実際に良いものだったと思うが・・・)味が、無理だった。

サラダにならまだ我慢できるが、ヨーグルトにかけるとオイルの味が際立ってしまい、せっかくのヨーグルトが不味くなってしまう。

ちなみに夫は全然平気でこのオイルをかけたヨーグルトを食べていたが、私はヨーグルトにかけるのをあきらめて、苦い薬を飲む感じで小さじスプーンで一気に飲み込むことにした。

これなら一瞬の不味さを我慢するだけでいいし、実際にお医者さんでもオイルを直接飲むことを勧めている話を聞く。

ところがオイルを飲み始めて何日か過ぎた頃、突然、腸が痛み始めた。

ちょうどゴールデンウィーク中で、外食が多かったこともあって、そのせいだろうと思ったのだが、今まで食事での胃痛は昔からよくあったものの、腸の痛みというのはあまり無かったことだった。

痛みは空腹時には消えてなくなり、少しでも食べ物を口にすると痛んだ。しかし病院へ駆け込むほど我慢できない痛みではなく、連休が終わっても痛むようなら病院へ行こうと思っていた。

少しだけ食事をして、やっぱり腸が痛いなぁと思いながら借りてきた本をパラパラとめくっていた時だった。ある文章が目に飛び込んできた。

そこには「腸が炎症を起こす原因。オイルを飲むのもほどほどに」と書かれていた。

これは、自分のことを言われているんじゃないかと思ったほどベストタイミングだった。

その部分を詳しく読んでみると、腸が炎症を起こす原因は、腸内細菌のアンバランスによるもののほかに、植物性の油を摂りすぎることにもあると書かれていた。

油によって腸粘液が途切れてしまい炎症を起こすことがあるそうだ。

植物性の油、例えそれが健康に良いとされるオリーブオイルやアマニオイルであっても、直接飲むことは腸にとって良くないらしい。

どうしても摂りたい場合は、小さじ1ほどを直接飲むのではなくてヨーグルトなどに混ぜて食べるのが良いとあった。

確かに以前ヨーグルトに混ぜて油を食べていた時は、腸はなんともなかったので、もしや直接飲んだことで今回の腸の痛みになったのかもしれない。

腸が痛んでからもオイルを飲むことは続けていたので、それを読んですぐに飲むことを止めた。

すると、翌日からあれほど続いていた痛みが徐々に軽くなり、数回に一度は食べ物を口にしても痛まないようになり、そして数日後にはすっかり治ってしまった。

私の腸の痛みがオイルを直接飲んだことだったという確信はないが、腸が痛む前に新しく始めたことと言えばオイルを直接飲むことくらいなので、これが原因だったかな・・・と思う。

とは言え、直接飲んでもまったく平気な方もたくさんいらっしゃるので、一概に直接飲むのがいけないとは言い切れないという気もしている。

ただ私は胃腸が弱いので、胃腸の弱い方は気をつけられた方が良いと思う。

というわけで、健康オタクで色々なことをすぐにやってみたくなるのだが、それもほどほどにしないといけないなぁと反省している。




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桜と海と

2019-05-07 15:44:01 | 日記

久しぶりに北海道開拓の村へ行ってきた。

幼稚園や小学校で必ず一度は訪れる場所だが、最後に来たのは子どもの幼稚園の遠足で一緒に来たとき以来だろうか。

その時に比べて、展示している建物がずいぶん増えて、時間が足りなくなるくらい見ごたえがあった。

展示している建物は、すべて開拓当時の歴史的建造物なのだが、私くらいの年代には木造の家や学校が懐かしかったりする。

それにしても昔の建物はとても寒そうだ。

今の住宅は、窓は複合ガラスであり、壁には断熱材が入っているので真冬でも暖かいが、昔の住宅はガラス一枚の窓で壁も薄い。気の毒になるくらい寒そうだ。

でも子どもの頃は、このような家に住んでいたんだよなぁと懐かしく思い出す。

冬が来る前になると、父が窓一枚一枚にビニールを釘で留めていった。

ビニールを貼ってすこしでも寒さを凌ごうという知恵だが、当時はどこの家でも冬になる前に窓にビニールを貼っていたと思う。

冬、火の気のない部屋に食料を置いておくと凍ったので、ビニールを貼っても相当寒かったと思うが、当時はこういうものだと思っていたので、あまり寒かったという記憶はない。

でも、今は暖かい住宅に慣れ過ぎて、軟弱な身体と精神になっているので、きっと、いや絶対にもう昔の家には住めないだろう。

こちらは一般住宅ではなく、小樽にあったお金持ちの漁師、青山家の住宅↓

さすがに大きくて立派!庶民の家とは大違いですわ。

家の中は大勢の雇いの漁師たちが寝泊まりする部屋と、親方家族が寝泊まりする住居部分に別れている。

漁師さん達が寝泊まりしていた部屋は、どこかで見たことがあると思ったら、朝のテレビ小説「マッサン」で使われた場所だとボランティアのおじさんが教えてくれた。

ここにはボランティアさんがたくさんいらしていて、質問すると(時には質問しなくても)いろいろなことを教えてくれる。

しかし、ここに展示されている建造物は、有名な方が住んでいた住宅だったり、商いをしていた建物だったり、公共的な施設だったりと、どれも割と立派なものばかりなのだが、開拓に入った一般庶民が住む家は、その多くが掘っ立て小屋だった。

すき間風入りまくりの掘っ立て小屋で、極寒の中、きつい労働をしながらよく耐えたと思う。

開拓の村を見て歩きながら、夫がぽつりと言った。

「最初に開拓に入った人たちは命がけだったな。さぞかし寒かっただろし、大変だっただろう・・・」

話は変わるが、夫が先祖供養を始めたことは以前に書いたが、霊だとか超常現象だとか、そういうものを信じていなかった夫が、先祖供養を始めるきっかけになったことがある。

それは私が供養をしていた時に、一人の先祖の方がいらしたことにある。

ある日、線香供養をした後に、自分の中にもう一人、別の人格がいるような気がした。

その途端、体の中で声が聞こえた。

その方は「開拓団で来た」と言うと、泣き出した。

その方の泣く意味が伝わってくると同時に、私は泣きたくないのに何故か涙がぽろぽろと流れてきて、いつの間にか大泣きしていた。

私は、私ではない別の人格として泣いていた。「開拓がつらかった」と思って泣いた。

ずっと忘れられていたその方は、私たち子孫に知ってほしかったのだと思う。

翌日、休みだった夫にその出来事を話していると、いつものようにそういうたぐいの話は話半分に聞いている夫が、突然「あれはなんだ!」と言って指を差した。

夫の指さす方を見ると、そこは私がいつも供養する場所で、横にある窓のカーテンシェードの紐が、まるで誰かが紐を持って揺らしているかのように大きく揺れていた。

二人でどこかから風が入っているのではないかと確認したが、風は吹いておらず不思議なことに、紐のすぐそばにある観葉植物の葉や他の物は微動だにしていなかった。

大きく揺れている紐を夫は唖然となって見つめながら「風もないのになぜあそこだけが揺れているんだ。あり得ない、あり得ない」とつぶやいていた。

私にはすぐわかった。昨日でてきた方が、直系の子孫である夫に知ってもらいたくて揺らしていることを。

夫は自分の目で見ないと信じない人間だと、さすがご先祖はよくわかっていらっしゃるなと思った。これで信じてくれるだろうと、その方は必死に揺らしていたのだと思う。

しかし、夫は「開拓団で来たと言うけど、最初に北海道に来たのは祖父で、祖父は開拓団ではなかったはずだ」と言った。

後日、夫の母に確認してみた所、夫の祖父は幼い頃に開拓団の両親に連れられて北海道に渡って来たのだと教えてくれた。

夫の母は非常に信心深い人で毎日供養を欠かさない人だが、残念なことに自分の知っている人たちだけしか供養していなかった。

「私が嫁に来た時にはもういなかったからね。ただ、じいさん(夫の祖父)がそう言ってたよ」

祖父の両親が開拓団で来たことを初めて知った夫は、以来、考え方が変わって、自ら先祖供養をするようになったのだが、開拓の村で夫が言った言葉に、自分の知らないご先祖に対する夫の思いやりが感じられて嬉しかった。

きっとご先祖さまも喜んで下さっているのではないかと思う。

というわけで、もう一枚。こちらは小樽、手宮公園からの景色。桜の向こうに見えるのが小樽港です。桜と海がとても綺麗でした。



 


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ヤチブキ

2019-05-01 15:05:24 | 日記

今日から新しい元号の始まり。

昭和から平成に変わった時は、昭和天皇の崩御であり、またその年は母が亡くなった年でもあったので、世論的にも個人的にも必ずしも喜ばしい出来事ではなかったが、令和はお祝いムード一色でどこへ出かけても明るい空気が流れていて嬉しくなる。

さて、新天皇となられた浩宮さまは昭和35年のお生まれで、学年で言うと私より一つ上なのだが、昭和35年4月以降に生まれた同級生たちは「浩」という字がつく名前が多い。

ちなみに小学校からの友人で、今も付き合いのある友人は「浩子ちゃん」という。

「私の名前は、浩宮さまの字からつけたんだって」と、小学校の頃に浩子ちゃんが教えてくれた。

その時は「ふ~ん、そうなんだ」としか思わなかったが、思い返してみると同級生は「浩」がつく名前の人が多かったような気がする。

当時の親たちは、未来の天皇陛下となられる浩宮様にあやかって、同じ年に生まれた我が子に浩の字をつける人が多かったのだろうか。

と言っても私の周りでは多かったというだけなので、全国的にはどうなのか分からないが・・・

ところで明るい空気の流れる連休。私は近場をウロチョロしている。

やっと桜の開花宣言がされて、現在、桜は満開か八分咲きくらいで見ごろになっている。

知事公館の庭。家族連れが芝生でくつろぐ姿が多く見られました。


近代美術館。相原求一郎さんの展覧会がやっていたので見に行ってきた。

相原求一郎さん北海道の風景を描いた作品が多いのだが、見慣れたはずの風景が、相原さんの手にかかると、非常に新鮮で美しく、神々しささえ感じる景色になる。


札幌市内が一望できる旭山記念公園。空がとってもきれいだった。


市内にある国営滝野すずらん広陵公園 

空沼岳からの水が流れ落ちるアシリベツの滝。

同じく滝野すずらん公園内の小さな川のほとりに黄色い花の群生を見つけた。

近づいてみるとヤチブキだった。またの名をエゾノリュウキンカ(蝦夷立金花)とも言う。花言葉は「必ず来る幸福」

ヤチブキの分布する地域は北海道と東北の一部だそうで、春を告げる花(山菜)として有名で、花と葉は茹でて食べるが、アイヌの人たちは根も食用にしたり塗り薬にしたりしたそうだ。

昔は市内のいたるところで見ることができたヤチブキだが、今は数が少なくなっているので、採らずに見て楽しむのがいいですね。

というわけで、遠くに行かずともけっこう楽しめたりする。

市内で見かける遠くからはるばるいらっしゃった他県ナンバーの車を見ながら、あの車はどうやってここまで来たのかと想像するのも、また楽しい・・・なんちゃって。

よいゴールデンウィークをお過ごしください。

 



 

 


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