ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

カブは何ですか?

2014-06-30 15:52:04 | 日記
道でばったり知り合いの中国人に会った。

彼女はご近所に住んでいる方だが、道で会えば会話をし、時にはお互いに「おすそわけ」などもし合う。

先日は手作りの中華ちまきを頂いて、とても美味しかった。

しかしお互いにそれ以上は踏み込まず、ほどよい距離を保ったお付き合いをさせてもらっている。

というか彼女の日本語がややたどたどしくて、私の中国語にいたっては中国人幼児の1歳児並みなので、込み入った話ができないというのが本当なのだけれど。

ところで彼女はとても優秀な人で、もともと中国では麻酔科の医師をしていたそうだ。

同じ中国人の男性と結婚した後、夫婦一緒に日本の大学に留学し、そのまま日本企業に就職して研究職をしているそうだ。

毎朝、忙しそうに出社して行き、帰宅は午後8時頃なので、その後に家事をしなければいけないのは大変だなぁと思っていた。

ところが彼女が言うには、しばらく会社を休んでいると言う。

そういえば、美味しかった手作りのちまきを頂いた時、「会社を休んでいるから作りました」と言っていたっけ。

・・・ってことは、あれからず~っと休んでいるのかなと思ったが、やはりそうらしかった。

こちらからは、それ以上休んでいる理由は聞かなかったが、しばらく他愛も無い世間話などをしていた。

そんな世間話の中で、私が家で乳酸菌を育てているという話をした。

すると彼女は身を乗り出して「株はなんですか?」と急に話に乗ってきた。

カブ??

カブという意味がよく分からなかったけど、元はお米だということを教えた。

すると彼女は非常に専門的なことを話し始めた。

彼女の日本語が聞き取りにくかったということもあるが、それ以上に専門的な言葉が出てきて私には理解不能という感じだった。

色々と難しい話をしていたが、中でも印象に残ったお話は次のようなことだった。

「乳酸菌は色々あるが、今まで世に出た乳酸菌以外の菌を見つけなければいけない。(彼女はある植物から乳酸菌を作ったらしい)また見つけたとして、いかに少ない菌でたくさん培養できるかという事が企業の利益を考えると重要なことなのです」

「そうね、企業は利益を追求しなければいけないものね」と答えると「ところでどうやって培養しているのですか?」と彼女が聞いてきた。

「お砂糖をあげてるんですよ」と言うと「あぁスクロース(砂糖のことらしい)ね。あれは私もやってみましたが、ある一定以上からは増えませんでした」とのこと。

化学のかの字も知らない家庭の主婦に、スクロースだの培養だのと言われても困ってしまうのだが、実は彼女は仕事のストレスで会社を休んでいるそうだった。

彼女の仕事は研究職なのだが、常に新しいものを見つけなければいけないのだという。

だから、いつも何か無いかと周りをキョロキョロ見回しているのだとか。

しかし、主だったものはほとんど商品化されていて、新しいものを探し続けることが非常に辛くなってきたそうだ。

「日本の企業はキビシイですね。スピードが速い。そして、みんな競争。のんびりした中国人はついていけません」

そういって彼女は笑った。

「本当はもう辞めたいと思いました。でも、私にはこの仕事(研究職)しかない。だから会社行きます」

珍しく踏み込んだ?話をして、最後に彼女がそう言った。

「こんな時間!大変!」

気がつくと夕飯の時間がすっかり過ぎていて、お互いに慌てて反対方向へと別れた。

私は彼女のうしろ姿に「がんばってね」と心の中で声をかけた。









  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あるご夫婦の話

2014-06-27 12:20:41 | 日記
「なんとか修復できないものだろうか」と夫がつぶやいた。

今、夫の知人が離婚調停に入るための準備をしているそうだ。

その知人夫婦とは、私も会ったことがある。

ずっと昔、まだお互いの長子が赤ちゃんだった頃、一緒にご飯を食べたことがあった。

当時はまだ普通に仲の良いご夫婦といった印象だった。

それが、ここ数年の間に夫の方が家を出て行き、事実上は別居生活をしているそうだ。

夫の知人というのはご主人の方なのだが、夫は知人夫婦のことをとても心配している。

夫によると、知人は仕事もできるし、忙しい中、家族を旅行に連れて行くなど家庭サービスもする人で、とてもいい奴なのだとか。

そして、ずっと家庭はうまくいっていると思っていたそうだ。

ところが突然、知人から離婚調停の準備をしていると聞かされた。

理由は、どうやらお互いの「親の問題」にあるようだった。

知人夫婦は何年か前に家を建てた。

二人とも長男長女だったが、新しい家は奥さんの実家のすぐそばに建てたのだそうだ。

(最近はお嫁さんの実家の近くに家を建てるという話はよく聞く)

ところが奥さんは実家にべったりで、自分の親ばかりの面倒を見て、ご主人の親のことは知らん顔だったとか。

そんな不満がご主人の方に積もりに積もって、とうとうご主人は家を飛び出し、今は80歳を過ぎて、ひとり暮らしをしている病気がちの実母の家にいるそうだ。

そして、ご主人はもう離婚の意志を固めていて、あとは奥さんが弁護士を立てれば、すぐにでも離婚調停に入りたいらしい。

しかし、奥さんの方はそうではなく、離婚は絶対にしたくないと言っているそうだ。

奥様はまだまだご主人の事が好きで、今回はずいぶん悩んでいるご様子だとか。

「関係修復は無理なのか?」と夫が知人に聞いたところ、「妻が考え方を変えてくれたら、もしかしたら修復も可能かもしれない。離婚をすると、専業主婦だった妻は経済的に困るだろうし・・・」

そうおっしゃったそうで、関係修復の可能性はまったくゼロではないのだと思った。

もしも私がその奥さんなら、とにかくご主人に謝るだろう。

「今まで本当に申し訳ございませんでした。家は売ってください。引越しをして病気のお義母さんと一緒に暮らします。心を入れ替えて、お義母さんを大切にします!だからもう一度、チャンスを下さい!」

そう言って、すがりついて必死に謝る。

生み育ててくれた実の親の方に、より愛着があるのは当然のことだが、夫を育ててくれた夫の親のことも大切にしなければいけない。

これは自分の親以上に大切にしたほうがよいのだと思う。

すると、よほどの変わった男じゃなければ、自分が夫から大切にされるものだ・・・と思う。

さらに夫の姓で行う「先祖供養」もすれば完璧だと思うのだけどね。














  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

実はお茶菓子は・・・

2014-06-26 17:55:12 | 介護
お姑さんの通っている介護施設の方が介護サービスについて説明をする為に、うちに来ると連絡があった。

お姑さんに職員さんが来ることを伝えると、お姑さんは「お茶菓子は何にしようか」と心配をする。

「施設の方は仕事でいらっしゃるので、お茶だけでいいと思いますよ」と話すと、「そう、わかった。お茶だけでいいのね」と一応は納得してくれるのだが、後で部屋に行くと必ずお茶菓子を用意している。

昔の人なので、来客には必ずお茶とお菓子を出さなければいけないと思っているらしい。

今回も「わかった」と言いながら、多分お菓子の用意をしているんじゃないかなぁと思っていた。

さて約束の時間になり職員さんがいらっしゃって、お姑さんの部屋にお通しすると、やっぱりテーブルの上にはお皿に載った和菓子が用意されていた。

お姑さんの持っているお菓子に関しては、お姑さんが自分で購入しているので、私はどのようなお菓子があるのか把握をしていない。

私がお茶を入れて職員さんにお出しすると、横でお姑さんが「お菓子もどうぞ」と職員さんに勧めた。

若い女性の職員さんは「はい」と言いながらも遠慮してか、なかなかお菓子に手をつけない。

そこで、さらにお姑さんが「さあ、どうぞ食べて」と勧めた。

それは美味しそうな和菓子だった。

再びお姑さんがお菓子を勧めると、その職員さんは笑顔で、「では頂きます」とお菓子を手に取った。

「はい、どうぞ食べてください。供養になりますから・・・

お姑さんのその一言で、一瞬場は凍りつき、その場にいたお姑さん以外の誰もが固まった。

「くよう?供養って・・・?」

すでに職員さんの顔からは笑みが消え、怯えたような表情でそうつぶやいたが、そこはさすがプロ。

すぐに気を取り直して「頂きます」と言ってお菓子を食べ始めた。

その場にいた私は、すぐに理解できた。

つまり、そのお菓子は仏壇にお供えしていたものなのだ・・・

お姑さんの部屋にある仏壇には、お水、お花はもちろんのこと、毎朝炊いたご飯、果物、お菓子が豊富に供えられている。

お姑さんがお菓子や果物を買うのは自分で食べる為と言うよりも、お仏壇に供えるために買っているといっても過言ではない。

そして一週間程度供えると、新しいものを買いに行き、お下がりは我が家にまわってくる。

しかし途中で来客などがあると、それはお茶菓子として出されることにもなる。

一週間も仏壇に上げっぱなしになっていた果物は、熟れ過ぎていたり、時には腐っていたりして、けっして美味しいとは言いがたい。

またお菓子なども、下手をすると賞味期限が過ぎてしまっていたりする。

「仏壇にお供えしたものは、もう少し早く下げてください。せめて腐る前に・・・」

お姑さんにはそうお願いしたいのだが、それはなかなか言えずにいる。(一応、嫁なので遠慮してます)

きっと長年やってきた習慣は変えられないだろうとも思う。

仏壇型の冷蔵庫があればいいのに・・・

つくづくそう思う、今日この頃です。










  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ふつうの暮らし

2014-06-23 17:22:38 | 日記
戸棚の中から、昨年の秋に取った花の種が出てきた。

花の種を取っていたことなど、すっかり忘れていた。

さっそく植えようと思ったが、ウチの庭は草花で密集してきたので、玄関前の道路に面した街路樹の下に植えることにした。

道路に面して植えてある街路樹は市が管理していているものだが、放っておくと雑草がぼーぼー伸び放題に荒れてくる。

そこで、私は自宅前の街路樹の下を綺麗にして花を植えている。

玄関を出るとすぐに花が目に飛び込んでくるのは嬉しいし、道行く人にも花を楽しんでもらいたい。

今のところ、市から「勝手に花を植えないで下さい」とは言われていないので、植えても大丈夫なのだろうと思う。

私は草花が好きなせいか、花の種を蒔きながら「命あるものを育てる喜び」をしみじみとかみしめていた。

「さ~て、次は庭のバラを見てこよう」

種を蒔き終えて、庭の草木の世話をすることにした。

今、バラがたくさんのつぼみを持って、幾つか咲き始めている。

バラは棘があるし病気になりやすいし、育てるのにけっこう手間がかかるのだが、それでも私はバラを育てたい。

あの美しさと芳香は花の女王さまのようだと思う。

そんなわけで、庭にバラを何本か植えているのだが、もうそろそろ病気予防の為に薬をまかなければいけないと思っていた。

薔薇の木を一本ずつ見て歩いていると、むむむっ!!虫がついてるー!

黒い毛虫がバラの木にたくさんいた。

しかも薔薇のつぼみを食べているじゃないの~!

急いで殺虫剤を用意して、バラの木(毛虫に)に向かって噴射した。

毛虫は身をよじりながら地面に落ちていった。

さっき命を育てる喜びをかみしめていたというのに、次の瞬間には毛虫を殺している。

複雑な心境で、とりあえず毛虫ちゃんたちには心の中で謝る。

こんな時、お姑さんは「ナンマイダー、ナンマイダー」と言うのだが・・・

毛虫ちゃんたちには申し訳ないことをしたが、こうして好きな庭いじりができることは本当にありがたいことだと思う。

何気ない普通の日常生活を送ることができることが、本当にありがたい。

ある本を読んでいたら、有名な本「愛と死をみつめて」の中に書かれている詩が載っていた。

「愛と死をみつめて」は、難病に冒されたミコこと著者の大島みち子さんが、マコこと河野実さんと恋におち、何百通にも渡る手紙のやり取りをした記録からなっている。

ドラマや映画になったのは見ていないが、本は高校生の時に読んだ。

当時は自分と同世代の若者の悲恋の物語として読んだような気がするが、今の年齢になって読み返すと、その時とはまた違った感じ方をしている。

この与えられた命を大切に生きようと思い、平凡な毎日こそがありがたいことだと感じている。

これは、大島みち子さんが死の4ヶ月前に書いた詩だそうです。


病院の外に、健康な日を三日下さい。

一日目、私は故郷(ふるさと)に飛んで帰りましょう。

そしておじいちゃんの肩をたたいて、それから母と台所に立ちましょう。

おいしいサラダを作って、父にアツカンを一本つけて、妹達と楽しい食卓を囲みましょう。

二日目、私は貴方(あなた)のところに飛んで行きたい。

貴方と遊びたいなんて言いません。

おへやをお掃除してあげて、ワイシャツにアイロンをかけてあげて、おいしい料理を作ってあげたいの。

そのかわり、お別れの時、やさしくキスしてネ

三日目、私は一人ぽっちで思い出と遊びます。

そして静かに一日が過ぎたら、三日間の健康ありがとうと笑って

永遠の眠りにつくでしょう。


時々、食事作りが面倒だな~と思ったりもするが、こうして当たり前のようにご飯を作り、ワイシャツにアイロンをかけ、愛する人たちと食卓を囲める幸せに感謝したいと思う。

そして、好きな庭いじりができることにも・・・










  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

えぞ梅雨

2014-06-17 15:39:24 | 日記
雨がやっとあがったようだ。

でも、すっきりとしない空。

終日の雨というのは過ぎたが、まだ降ったり止んだりのぐずついたお天気が続いている。

明日までは雨の予報なので、お日様を拝めるのは明後日からだろうか。

連続12日間の長雨だった。(まだ継続中)

こんなに雨が続くのは珍しい。

本来、梅雨のない北海道なので、このように珍しく雨が続くことを「えぞ梅雨」と言うそうだ。

この雨で、庭木や裏の森の木々は心なしかイキイキとしているようにも見えるが、唯一心配しているのが、6月初旬に植えたばかりの「ローズマリー」の苗。

ローズマリーは乾燥気味に育てなければいけないのに、植えてすぐから雨が降り止まず、こんなに水分たっぷりで大丈夫だろうかと心配している。

大きく育ったローズマリーを使って、鶏肉とジャガイモをオーブンで焼きたいと思っているのに・・・

ところで、今年もまた野菜を庭で育てている。

ローズマリーの他には、きゅうり、トマト、インゲン、パセリ、平豆など。

この時期は花も大きくなるので、野菜を植える場所を確保するのが大変だ。

もう植える場所がない、ないと言いながら、またつるバラを買ってしまったし・・・

でも、同じく家庭菜園をやっているご近所さんと朝のゴミだしなどで会えば、野菜の生育状況を話し合うのが、この時期の楽しみでもある。

今朝、会ったご近所の方の菜園では、芽が出てきたばかりのインゲンを全てカラスが土をほじって食べてしまったとか。

「お宅は大丈夫?」と聞かれたが、家のインゲンはカラスたちがまだ気づいていないのだろう。

今のところ無事に生育している。

それから、そのお宅では雨のせいか植えたきゅうりの苗が腐ってしまったとか。

家のきゅうりは、ビニール袋で囲いをしたのがよかったのか幸い腐ってはいない。

「いつになったら雨はやむのだろうね」

ご近所さんがため息混じりにそうつぶやいた。

ところで最近「天候」とは、人間の意識や感情に影響されるものかもしれないと思うようになった。

すこし昔の私なら、自然現象である天候が人間の意識に影響されるなんてことは、これぽっちも信じてはいなかった。

でも・・・

大きな台風や竜巻や地震など、それらの全てとは言わないが、人間の集団意識が自然に影響を与えているのは確かなのだと思う。

今の人間の意識はどうなのだろうか。

世界中のいたるところで殺し合いの戦いが起こっている。

激しい人間の意識は、激しい異常気象を起こすのではないか。

これはもう行くところまで行かないとダメなのかもしれないと思う一方で、未来を生きる子供たちの為に頑張らなければいけないと思ったりもする。

何を頑張るのか?

日々の暮らしの中で良い想いを発することです。










  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

家族写真

2014-06-13 18:14:53 | 日記
父との会話でよく出てくるのは、部屋に飾った家系図のことだ。

まぁ家系図というほどのものではなく、曽祖父母の写真から私たち兄妹の家族までの写真を年代順に貼っただけのものだが・・・

しかし父は写真を見ながら、親戚や孫の話などをするのが楽しいらしい。

家系図は父のお世話をしてくれる職員さんたちとの話題作りになれば・・・と思って作ったものだったが、これがもしかしたら父の認知症改善に一役買っているのかもしれない。

先日は従兄弟たちが父の所に遊びに来てくれたそうで、その時に父は家系図を見ながら昔の話をいろいろ語ったそうだ。

「どうせまた同じ話をするんだわ」

その場に一緒にいた妹は、いつも同じ話ばかりを繰り返す父だったので、「また同じ話かな」と思っていたそうだ。

ところが、その時は妹も初めて聞くような話が父の口から次々に語られてびっくりしたそうだ。

写真を見ながら久しぶりに会った従兄弟たちと昔話をしているうちに、忘れていた事が思い出されてきたのかもしれない。

これに味をしめて、今度は別の写真も貼ってこようと妹と話をしている。

ところで、妹と二人で家系図に貼った私たちが子供だった頃の家族写真を見ていたら、突然、妹が笑いをこらえながら、こんなことを言った。

「うちのダンナさんがね、この写真を見て、この中で一番変わっていないのはお姉さんやな~っていうの。

ホントにおねえちゃんが一番変わっていないよねぇ。くっ、くっ(笑い)」

この家族写真を撮った時のことは、今でも覚えている。

たしか妹が1歳になった記念に写真屋さんで写したものだ。

まだ30代の若い父と母、4歳の弟、母の膝に抱かれた1歳の妹がいる。

家族みんな神妙な顔つきで並んでいる。

そして苦虫を噛んだ様な顔の父の隣で、笑うのを必死に我慢しながら、でもこらえきれずに笑っている「ちびまるこちゃんカット」の私がいる。6歳だった。

この時は、なぜか可笑しくて可笑しくてたまらなかった。

ところが、父は「笑うんじゃない!」と言う。

「どうして笑っちゃいけないの?」と思ったが、父の機嫌が悪くなりそうだったので口には出さなかった。

笑うまい、笑うまいとすればするほど笑いたくなり、ますます父の機嫌は悪くなった。

そして出来上がった写真には、家族の中でただひとり笑っている私が写っていた。

しかもわざわざ、この日の為に床屋に行ったので前髪は短くパッツンで、もう完全にちびまるこちゃん。

言い訳ではないが、昔の(昭和40年代前半くらいまで)女の子は大多数が「ちびまるこちゃんカット」だった。

でも、私はちびまるこちゃんにされるのが嫌だった。

特に前髪を短くされるのはすごく嫌だった。

確か「ちびまるこちゃん」の番組でも前髪を切りすぎて落ち込むまるこちゃんの話があったが、ちびまるこちゃんの気持ちはすごくよく分かる。

あれほど嫌だった前髪パッツンの髪型で写真を撮るというのに、笑顔で写っているというのが自分でも不思議なのだが、今あらためて写真を見ても非常に嬉しそうに笑っている。

それにしても、この写真はずっと好きな写真ではなかったのだが、それをなんという事か、今とあまり変わっていないだとぉ(怒)

それは、きっとあんまり老けていないってことかなと自分勝手にいいように解釈しているが、なんとも複雑な心境・・・

ちなみに今は「ちびまるこちゃんカット」ではありません。念のため・・・
















  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

若返り

2014-06-12 10:24:35 | 介護
昨日は父の所へ行って来た。

サービスつき高齢者住宅の3階が父の部屋だ。

エレベーターを降りて食堂の横を通りかかった時、話し声が聞こえてきた。

誰かいるのかな?と思って食堂を覗いたら父がいた。

食堂のテーブル席で、同じ階に住むおじいちゃんとお茶を飲みながら話をしているようだった。

聞こえてきた会話の内容は、それぞれが仕事をしていた現役時代のことらしい。

父は83歳、話し相手の方は88歳という高齢にもかかわらず、さながら現役のように話し合っている。

男の人はいつまでも仕事の話ができるのだなぁ。

女性なら80過ぎて仕事の話はあまりしないな・・・きっと。

二人ともいきいきとした声で、会話も大いに盛り上がっているようにみえた。

話が盛り上がっているのに中断させてしまうのは悪いかな・・・と、父に声をかけるのを迷ったが、やはり一応声をかけておこうと思い「お父さん」と呼んだ。

すると父はすぐに私に気がつき「おぉ」と手をあげてから、「あとで行くから部屋に行っててくれ」と言った。

その仕草といい、反応の速さといい、一瞬、70代前半くらいの元気だった父かと思ってしまった。

父は最近、頻繁に理髪店に行き髪の毛を染めている。

「まだいいんじゃない?」と言っても、「いやいや、もう散髪してこないと」と言うので、その度ごとに車で父のお気に入りの理髪店に連れて行ってる。

歳の割にふさふさとした髪を黒々と染め上げているので若く見える。

昔からオシャレな父親で、いつも身なりには気を使っていた父だったが、認知症が進んでいると思われた頃は、髪も服装も気にしなくなり、ヨタヨタのくたびれた老人になってしまっていた。

このまま認知症の老人へまっしぐらかと思ったが、これはなんということだろうか。

若返っているではないの!?

脳神経外科で、初めて認知症の診察を受けてから一年以上が経過しているので、そろそろまた検査に連れて行かなければいけないと思っているのだが、父の脳の中は分からないが、少なくとも今の状況からは悪化しているようには見えない。

父の部屋で待っていると、まもなく父が戻ってきた。

ひとしきり世間話や近況を話しながら、途中、いくつか忘れている事はあったが、普通に会話が成立して、帰りは「車の運転に気をつけて帰りなさい」と言われて、父に見送られながら部屋を後にしてきた。

なんだか昔の元気だった頃の父と話しているような感覚。。。

もしかしたら一過性のことかもしれないが、また昔の父が戻ってきたようで嬉しいなぁと思いながら帰ってきた。







  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どちらを選ぶのか

2014-06-10 13:34:44 | 日記
昨年、バスを待っているときに不審者に声をかけられた長女チェリーだが、今回またしても別の不審者に地下鉄の中で声をかけられたとのことだった。

チェリーから話を聞き、心配なのですぐにチェリーの所属する作業所へ連絡を入れた。

作業所の方は「警察に連絡しますか?」とおっしゃったが、今回は連れて行かれそうになるなどということはなかったので、警察には連絡しなかった。

それにしても、最近は年頃の娘・・・いや年頃じゃなくても娘がいると非常に心配な事件が多いように感じる。

市内で起きた25歳女性の殺人事件は今も解決していない。

また9年前の幼女誘拐殺人事件の犯人がやっと捕まった。

いくら犯人が捕まったからと言って、子供が戻ってくるわけではない。

被害者の親の気持ちを思うと本当に気の毒でならない。

他に市内だけでも女の子を連れ去るという事件がいくつか起きているので、全国的にみれば数多くそのような事が起きているのかもしれない。

ところで前回、路上でチェリーが声をかけられた時に、この程度で警察に連絡してもいいものだろうか・・・と思ったものだったが、その時に警察官の方が「こういうことは性犯罪に繋がることが多いので、ぜひ情報提供をしてください」と言われた。

こういったニュースを見るたびに、やはり不審者に声をかけられた時にはすぐさま警察に一報を入れておいたほうがよいのだろうなと思う。

どこで繋がるかわからない。

自分が女性のせいか、私はこのような性犯罪を起こす「変態」を断じて許すことができない。

また子供や動物を虐待するような人間も同様で、変態や弱いものを虐待するような人間は「市中引き回しの刑」にすべきだと思っているくらいだ。

ところで先日捕まった幼女誘拐殺人の犯人が「殺した女の子が夢にでてくるから自供したい」と話したとか。

これを聞いて「このような男にも、わずかながら良心があったのか」と思った。

本来、人の心の奥深くは神と同じく愛に満ちた高潔なものだと思うが、それと同時に人間には残虐性や狭量な怒りや嫉妬心と言ったものもある。

ふつうの善良な人間ならば愛に満ちた部分のほうが多く現れているのだと思うが、何かのきっかけで怒ったり嫉妬心を燃やしたり、時には犯罪を犯してしまったりもする。

それらを「善」と「悪」に例えるなら、私たちは毎日、毎日、今この瞬間さえも「善」と「悪」から選び取って進んでいる。

そして、自分が選び取って進んでいるから未来は白紙なのだと思う。

より良い未来を作りたいから、私はできるだけ愛に満ちた選択をしていきたい。

なんだか、話が横道に逸れていってしまったような気もするが、とにかく世の中には悲しいことに「悪」の方を選ぶ人がまだまだいらっしゃる。

今後、作業所ではチェリーだけではなく他の女性利用者もいるので、不審者に出会ったときの対応の仕方を講習してくれるとのことだった。

すこしでも自分で自分の身を守る術を覚えてほしいと思う。






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いつもありがとう

2014-06-05 17:26:54 | 介護
もうすぐ87歳になるお姑さんだが身体はいたって元気で、週二回のデイサービスを楽しみにしている。

そのデイサービスを利用して長いせいか、何人か仲良しの友だちもできたとか。

お姑さんが、こんな話をしてくれた。

「最近、よくお友だちから電話がかかってくるの。

その人は息子夫婦と同居なんだけど、お嫁さんとうまくいってないらしくて、いつもお嫁さんの愚痴を話すの。

嫁が毎日食事を作って運んでくれるのだけど、持ってくるおかずが口に合わないんだって」

お姑さんはそう言いながらも、特に電話が来ることを嫌がっている風でもなかった。

私も「ふ~ん、そうなの」とか言いながら聞いていたのだが、お姑さんの言うとおり、どうも電話は頻繁にかかってきているようだった。

たまたまお姑さんの部屋の隣で洗濯物を畳んでいたら、その友だちから電話がかかってきたらしい。

隣の部屋で洗濯物を畳んでいた私のところまでお姑さんの会話する声が聞こえてくる。

「うん、うん」と言いながら友だちの話に耳を傾けているお姑さん。

時々「そうなの」と言う声がする。

相手の方の声はもちろん聞こえないが、お姑さんの会話からやはりお嫁さんの愚痴を聞かされているらしかった。

お嫁さんの愚痴を言うお友だちだが、うちのお姑さんに愚痴の電話をかけてくる前は、他の人にも同じような電話を頻繁にしていたのだとか。

ところがその相手が亡くなってしまったので、次に愚痴の電話をかける相手としてお姑さんが選ばれてしまったようだ。

多分そのような方だから、お嫁さんにもそれが伝わって嫌がられているのだと思う。

だからますます関係が悪くなって、ますます愚痴りたくなるのかもしれない。

ある程度の間、友だちの話を聞いていたお姑さんだったが、突然語りだした。

「私はね、いつもありがとうって言っておくの(私にですが・・・)

だって、生きている時間はもうそんなに長くはないでしょ。

死んでしまったらありがとうも言えないから、今のうちに言っておこうと思って。

だから、あなたもありがとうって言いながら死んでいきましょうよ」

多分そのお友だちもひとしきり話をして気分がすっきりしたのだと思うが、お姑さんの語る言葉で電話の会話は終了となった。

お姑さんの言う言葉通り、お姑さんは毎日必ず私に「ありがとう」と言う。

朝起きて「おはようございます」と挨拶をすると、「おはようございます」の挨拶に付け加えて「お世話になって、いつもありがとう」と言ってくれる。

部屋の掃除をしたり、作った料理を持って行くと「ありがとう」

「おやすみなさい」の挨拶の後にも「お世話になってありがとう」と言ってくれる。

とにかくちょっとしたことにもお礼を言ってくれるので、こちらの方が「いえいえ、私はそんな大そうな事は何もしていないですから」と恐縮してしまう。

でも「ありがとう」を言われて嫌な気持ちはしない。

むしろもっとやってあげようという気持ちになる。

最近、老人介護の仕事に加えて、実の父の介護も加わって、老人と接する機会が多くなったせいもあるが、お年寄りと接しながら自分の老後のシュミレーションをすることがある。

自分はどんな老人になろうかと・・・

やはりありがとう、ありがとうと周囲に感謝できる老人になっていたいなぁと思う。

そして身近で手本になってくれる姑を持ったことは、本当にありがたいことだったと思う。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幸せな気分

2014-06-02 17:30:25 | 日記
とても嬉しい事があった。

夫の姉の娘が結婚することになり、相手の男性を連れて姪が我が家に遊びに来てくれた。

姪の婚約者は誠実そうで爽やかな青年だった。

二人が知り合ったのは一年ほど前だそうだが、真剣にお付き合いを始めたのはここ最近で、あれよあれよと言う間に結婚を決めたとか。

とてもお似合いの二人だと思った。

嬉しそうに見つめ合う若い人たちを見ると、こちらまで幸せな気分になる。

そんな幸せそうな二人の横で、これまたひときわ嬉しそうな笑みを浮かべていたのが、姪の母親である夫の姉だった。

夫の姉(義姉)は2年前に突然夫を亡くし、以来ずっと元気が無かった。

義姉は「いつ死んでしまってもいい」なんてことを考えていた。

そんな義姉が心配で、夫から頼まれたこともあって、義姉には私が行っている「先祖供養」などについて伝えていた。

義姉は「やってみる」と言っていたが、私があまりうまく伝えられなかったせいか、その後も義姉の元気の無さは変わらなかった。

そこで義姉に先祖供養について書かれた本をプレゼントすることにした。→「元気になってもらいたくて」

しばらくして我が家へ来た義姉から「読んだよ!ありがとう!」と言われた。

心なしか義姉の表情は明るかった。

その場にお姑さんもいたので、私は「そう、よかった」としか返事ができず、「先祖供養」を実践しているのか聞いてはいなかったが、多分姉はやり始めたと思う。

義姉とは、その後もお姑さんのところへ来るために我が家へ来た時に顔を合わせていたが、本当に少しずつだが確実に元気になっているように見えた。

そして先月、「娘の結婚が決まった」と嬉しそうに教えてくれた。

義姉は30歳をいくつか過ぎた娘が、なかなか結婚しないことをとても気にしていた。

それが突然結婚が決まり、義姉は秋の結婚式に向けて「なんだか準備に忙しくって」と嬉しそうにぼやいている。

もう「いつ死んでもいい」なんてことは言ってられなくなったようだ。

私は姪の結婚も嬉しいが、やはり義姉が元気になってくれたのが何よりも嬉しい。

「先祖供養のおかげかな?」

そう夫から言われた。

夫は元々、霊だの何だのと言うものを信じる人ではなかったが、ここ数年の間にとても変わった。

「幽霊」などについては未だに半信半疑だと思うが、先祖供養をすることの大切さはよく理解してくれるようになったと思う。

私の周囲の人たちが、少しずつ「先祖供養」について理解してくれるようになってきたことが嬉しいし、また幸せになってくれることが本当に嬉しい。

逆にそれを教えたが為に離れて行った人もいるが、それはそれでよいのだと思う。

「結婚式には来てね!」と姪に言われ、横で婚約者が「お願いします」とおっしゃってくれた。

「もちろん!」と返事をしてから、何を着ていこうかと思った。

しばらく結婚式なんて出たことがなかったから、着ていく服がない~のです。





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする