ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

今日はのんびりと

2017-03-31 15:25:31 | 日記
今朝起きてから窓の外を見たらびっくりした。

外は一面の雪景色だった。

昨夜ずっと雪が降っていたのは知っていたが、木の枝に雪が乗って、まるで木々に白い花が咲いたように積もっていた。



明日から4月だと言うのに、ニュースでは桜前線がスタートしたと言っているのに、この景色はまるで冬だわ。
とは言え、4月はまだまだ雪が降る。ちなみに昨年の最後の雪は4月30日だったそうだ。

「そういえばそうだったかな~」とすっかり忘れていたが、町内で順番が回ってくるゴミステーションの除雪当番がうちは4月中旬となっていたので、春めいてきたとはいえ、まだまだ除雪用スコップは片付けられない。

ところで今日は久しぶりに用事がなくてのんびり過ごしていた。

父は退院して容態も落ち着いているし、塾の仕事の方も学校が春休みになった為、ひと段落ついた。

こんな日は読みたかった本を読んだり、映画を見たりして過ごそうか・・・そう思っていたのだが、なんと今まで野鳥を見て過ごしてしまった。
(なんだかとてももったいないことをしてしまったような気分)

まだ木の芽は固そうなので、野鳥の餌やりは続けている。

気になっていたのはヒヨドリで、うちでは鳥用の餌以外に毎日食べたりんごの皮や実をエサ台に置いておく。

するとヒヨドリはよほどのりんご好きと見えて、鳥用の餌は食べず、りんごだけを残さずきれいに食べていく。

しかし、昨日はうっかりとりんごを買わなかった。
スーパーで美味しそうなマンゴーを見つけたので、りんごの代わりにマンゴーを買ってしまったのだ。

マンゴーは甘くてとても美味しかったので、ヒヨドリもマンゴーを食べるだろうと思ってエサ台に置いたのだが、はたしてヒヨドリはマンゴーを食べるだろうかということが気になってじ~っと見入ってしまっていた。

そういえば昔々子供の頃、私は気になったものをじ~っと観察する癖があって、母に「またぼ~っとして、この子はまったく!」とよく叱られていた。

気になることがあると我を忘れて見入ってしまうので、母にとってはぼ~っとしている子どもで心配だったのだろうと思う。

しかし、それは大人になった今も変わっていなかったと我ながら苦笑してしまう。

ところで、ヒヨドリはマンゴーを食べたでしょうか、、、結果は残念!食べなかった。

南国の果物はお気に召さなかったようで、ちょっとつついただけでマンゴーは食べず、いつもは食べない鳥用餌の方を食べていた。

と言うわけで、今日も平和な一日を過ごさせてもらっている。

朝に積もってた雪は日中の気温が上がってずいぶんとけてきた。

さてと、お天気もいいので久しぶりに散歩に行ってこようかな。









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変化

2017-03-29 18:29:24 | 日記
夫は生まれてこのかた「不思議な体験」をしたことは皆無だそうで、ずっと「科学的根拠のない事は一切信じられない」と言っていた人だったが、ここ十年くらいの間に徐々に変わってきた。
今では「科学で分かっていることなど、きっとほんの少しなんだろうなぁ。世の中には人知を超えた、まだわかっていないことがたくさんあるのだろう」なんてことを言うようになった。

ここに至るまでの十年ちかくの間、いくつかの夫に起こった不思議な出来事が、夫の「科学的根拠のないものは信じない」という考え方を変えて行ったのだと思う。
そういう意味では、自分のことを棚に上げて生意気にも言わせてもらうなら、夫は人間としての幅がずいぶん広がってきたと思う。

ところで、先日、夫がやけに真剣な顔をして「もう家には浮遊霊みたいなものはいないんだろう?」と聞くので「どうしてそんなことを聞くの?」と言ったら、夜中にトイレに起きた時、トイレを出た所でまた左の耳のそばで声が聴こえたのだとか。

また・・・というのは、昨年にもはっきりとした女性の声が左の耳に聴こえて驚いたと夫が話していたからで、その時はしばらくその場所を供養をした。→「寒気」

そして、その時にいらした女性はもう居なくなったと思うのだが、夫曰く「今度は男の声がした。耳元で何かを話すのだが内容はよく分からなかった。でも、とにかくぞ~っとして全身に鳥肌が立った」と言うのだ。

その話を聞いて、私は夫が声を聞いたという場所に心当たりがあった。

そこで、夫と一緒に声を聞いたという場所へ行って、「もしかしたらこの辺じゃない?」とある所を指さしたら「そうそう!まさにそこだよ」という返事が返ってきた。

そこはお姑さんの部屋から出た廊下であり、廊下の右横にはトイレがある。
夫は夜中にこの廊下に面したトイレから出た時に、妙な声を聞いたらしい。

実はそこは私も気になっていた場所で、お姑さんの部屋から続く道、霊が通る道になっているような気がしていた。
だからしばらく前からその場所を供養をしていたのだが、まだ供養が届いていない霊がその場にいたのかもしれない。

実は先祖供養は毎日欠かさずに行うのだが、未成仏霊や同じく未浄化の自然霊に対する供養はなかなか毎日と言うわけにはいかない。
というのは、そういった供養をするのは往々にしてお姑さんの目に触れる場所でしなければならず、お姑さんがいる時は供養をすることがためらわれるからで、供養ができるのはお姑さんがデイサービスに行っている日に限られる。

それを言うと、もうすっかり霊の存在を信じている夫は「ばあちゃんのいる時でも気にせずにやってくれ」と言うのだが、お線香を焚いてお経をあげるのはお仏壇の前で・・・と思い込んでいるお姑さんの前ではなかなかやるのは難しい。

というわけで、毎日と言うわけにはいかないが、まだ供養されていらっしゃらない自然霊や未成仏霊に対して供養をしているのだが、夫から「声を聞いて鳥肌がたった」という話を聞いた時、実はすこし嬉しかった。
嬉しかったというのは誤解を生むかもしれないが、誤解を恐れずに書くならば、それは私の供養が届いているということで、その場所で待っていてくれる人がいるのだということなのだと思った。

夫のように鳥肌が立つほどの怖さはまったく無い。
むしろあるのは「早く天国への階段を昇ってほしい」という気持ちだけ。

この供養を始めた頃は、気持ち的にはなかなか先祖供養のようにはいかず、お線香をあげるとそそくさと逃げるようにその場を離れていたのだが、今の私は先祖供養の時のように喜んで供養させて頂いている。

ただ、すぐにその場を離れるのは同じだが、それは怖いからではなく、いつもの習慣でついいつも言っている感謝の言葉などをつぶやいてしまいそうになるから。
先祖供養で言う言葉はこの場合は要らないそうなので、言いたくてムズムズする口を押えながらすぐに離れることにしている。

それにしても「この世は霊の海」とのことだが、まったくその通りなのだなぁと思う。

見えていないから、いないものだと思って暮らしているだけで、本当は周りは霊だらけなのかもしれない・・・

なーんて、こんなことを娘たちに話したら怖がるので絶対に言えませんが、いつか娘たちも自分を存在させてくれたご先祖様や、供養が届かずに苦しんでいる人がいたらお線香をあげて供養してくれるような大人になってほしいと思う。

しか~し、まずは夫かな。

夫も時々仏壇でお線香をあげて手を合わせているようだが、宗派の関係でお線香を折ったり(うちは浄土真宗)、せっかくお線香をあげても依り代になる位牌が小さいものであったりして効率の悪い供養の仕方でもったいないなぁと思っている。
とはいえ、これは個人の自由であり、家族であっても強要することはできない。

夫がこの十年近い間で、このようなことに対して毛嫌いせず理解を示すように変わってきたことだけでも嬉しいことだと思う。








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まな板

2017-03-27 16:04:41 | 日記
ずっと買い替えようと思っていた「まな板」を、今日やっと買ってきた。

今まで使ってきたものは、亡き母が私が結婚するときに嫁入り道具の中に入れてくれた木製のまな板で、持ち手の金具が取れても、まな板の角が欠けても、毎日のように使い続けて30年近くが経った。

30年間、毎日のように使い続けたまな板は、包丁の跡も痛々しく無数の傷がついている。

また、長年包丁が当たっていた真ん中の部分は削れてへこんでしまった。

真横から見ると、まな板の真ん中が薄くなってへこんでいて、このまま使い続ければ、そのうち板に穴が開いてしまうかもしれない状況にまでなってしまった。

一番問題なのは、まな板に水がたまることで、食材がびしょびしょになって非常に不便かつ不衛生なので、そろそろ真剣に新しいまな板に買い替えなければいけないと思っていた。

・・・が、これがなかなか買い替えることができなかった。

なぜかと言うと、30年前に母と一緒に台所用品を揃えた日のことが思い出されるから。

今はもういない、今の私よりも若かった母がせっかく用意してくれた物を捨てることなどできなかった。

またもう一つの理由は、毎日このまな板に向かって食材を刻み続けてきた私の思い入れがあったからで、それがなかなか古いまな板を捨てることができなかったのかもしれない。

嬉しい時も悲しい時も、怒っている時でも、お腹を空かせている家族には待ったなしなので、毎日、毎日、このまな板に向かって食材を刻み料理を作り続けてきた。

まな板に刻まれた古いたくさんの包丁の傷跡には、私の今までの思いも一緒に刻まれているような気がしている。

とは言え、30年近く使ったまな板はもはや限界で、今日は買い物に出たついでにホームセンターによってついに新しいまな板を買った。

ところで一口にまな板と言っても、木製やらプラスチック製やら、また厚いのからペラペラとした薄いのまで、色々な種類のまな板が売り場には揃っている。

私の希望は、今まで使っていたまな板より一回り大きなサイズで、しかもできるだけ清潔に保てるものがいい。

素材としては包丁のあたり具合ではやはり木製のまな板が良さそうだが、我が家では食器洗浄機で洗うことが多いので、食洗器対応しているプラスチック製のものにした。

厚さはペラペラではなくて、ほどよい厚さはあるができるだけ軽いのものを選んだ。

さて今日の夕食づくりから、さっそく新しいまな板を使ってみようと思う。とっても楽しみ♪

そして古いまな板だが、私の30年間のいろいろな想いと一緒に捨ててしまおう!

今までたくさんありがとうと感謝をして・・・

新しいまな板さん、これからよろしくね!

もう怒ったりしながら使わないようにするから・・・感謝、感謝の気持ちで使わせてもらうからね~







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父退院

2017-03-23 17:14:15 | 介護
先月末に入院した父だが、今日ぶじに退院してきた。

血管の詰まりによって足先が紫色に変色したというので入院したのだったが、検査の結果、足だけではなく体のいろいろな場所で血管の詰まりがあることがわかり、足のカテーテルのほかに心臓のカテーテルも行った。

これによって身体の血流は良くなったのだが、もうひとつ問題があって、それは臀部と足のかかとに褥瘡(床ずれとも言うが)ができていたこと。

これがけっこう大きかったようで、カテーテルによる治療はすぐに終わったのだが、褥瘡の治療に時間がかかった。

父はもう歩くことができないため高齢者住宅では車いすの生活なのだが、長く車いすに座るという同じ姿勢がよくなかったようだ。

とはいえ、理由はそれだけではなく高齢者特有の皮膚の乾燥だったり、血流の悪さも褥瘡ができる原因のひとつだったと思う。

しかしここ最近、父はずっと皮膚のかゆみを訴えていて、高齢者住宅の職員さんからもそのことは聞いており皮膚科の医師に診てもらっていたのだが、まさか褥瘡ができていたとは知らなかった。

おむつを替えてくれるのは職員さんなので、家族はなかなか気づけなかったのだが、皮膚科の診察は背中や腕のかゆみの治療だけだったので、できれば職員さんから褥瘡がこんなにひどくなる前に何か対応をしてもらいたかったというのは家族の本音だ。

父の住む高齢者住宅はそれでもずいぶん細かく対応をしてくれる方だと思うのだが、なんせ人手が足りないのだと思う。

食事前などに行くと、話しかけるのもはばかられるほどに職員さんたちは忙しそうに走り回っている。

家族も自分たちにはできない世話をやってもらっているという意識があって、こんなにやってもらっているのにこれ以上は申し訳ないと、なかなか細かいところまでお願いすることを遠慮してしまうような所がある。

その点、病院は体位交換はもちろん、高齢者住宅よりも短い時間でおむつ交換をしてくれるので、褥瘡も徐々に治っていくのだが、完全に褥瘡が治るまで入院していることはできず、今回も医師から退院の許可が出るやいなや事務の方から「できるだけ早く退院をお願いします」と言われた。

かなり大きな病院なのだが、慢性的にベッドが足りないほど、父のような高齢者の患者さんが待っているのだろう。

というわけで、父は退院することになったのだが、入院していた病院から父の病状や今後の介護について書かれた手紙が高齢者住宅に送られ、その内容に沿って今後の介護の変更も話し合われた。

家族としては父がひどく痛がっていた褥瘡が今後はできなくなるように、体位交換のお願いをした。

そして、体位交換は今までの介護サービスに有料で加えられた。

また今回の入院でさらに起きていることが難しくなった為、車いすに座っている時間を今までよりずっと短くして、ベッドに横になる時間を長くしてもらうことになった。

さらにベッドには、褥瘡ができにくくなるエアマットを入れてもらうことになった。

いかに父が心地よく過ごせるかを考えて、とにかくやれることはやった。

父は何を思っているのか、ほとんど眠っているか起きていても無表情になった顔からは読み取ることが難しい。

元気だった頃は「寝たきりでもなんでもいいから、とにかく生きたい」と言っていた父だったが、今はどう思っているのだろう・・・

でもエネルギッシュな父のことだから、やっぱり「とにかく生きたい」と思っているのかもしれない。

それにしても老人介護現場の人手不足は深刻な問題・・・

今まで介護の担い手であった40代50代女性は、今や絶滅危惧種になっているとか。
(そういう私も介護ヘルパーをやめたのですが)

私が介護が必要な年齢になった時にはどうなっているのやら。

だから・・・「ぴんぴんころりを目指して、発酵食品を摂って運動するぞ~!!」ってね。







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スーツを買いに

2017-03-21 13:20:05 | 日記
昨日はもうすぐ新社会人になる息子のスーツなどを買いに行ってきた。

就活用スーツは持っているのだが、それだけでは足りないだろう。

というわけで、スーツを買いに最初に行ったのは大型スーパーだった。
こちらは衣料品の品ぞろえがよくて、手ごろな値段でビジネススーツも揃っている。

昨日は休日であり、紳士衣料のセールもやっていたせいか、スーツ売り場はたくさんのお客さんでにぎわっていた。

夫が「ついでに自分のスーツも買う」と言うので、夫と息子ふたりが紳士服売り場を見ている間、私と長女は他の買い物をしていた。

そろそろ決まった頃だろうと紳士服売り場に戻ると、息子はネクタイを一本、そして夫はワイシャツ一枚を選んだだけだった。

そして、オシャレにはなかなかうるさい息子は「ここのスーツはイマイチだから、専門店へ行きたい」と言いだした。

息子と同じような新社会人らしき人も選んでいるし、なんといってもセール中じゃないの。

「ここでいいんじゃないの?」と母(私)は押してみたが、息子は納得できない様子だった。

そこで「よし専門店へ行こう」と言ったのは夫だった。

専門店へ移動する車の中で、夫が息子に言った。
「スーツというのは、サラリーマンにとっては作業着なんだ。作業着なのだから、ふだんはそんなに良いスーツじゃなくてもいいんだ。まして、お前は新入社員なんだから、逆に良い品を着るのはいけないぞ」

そうか、スーツはサラリーマンにとっての作業着なんだ・・・

色々な意見や考え方があると思うが、それを聞いて私は夫の言葉に深く納得した。

また息子も納得できたようで、専門店でのスーツ選びも夫に相談しながら無難なものを選んでいた。

息子のスーツとワイシャツ、3シーズン用のコートにフォーマルスーツ、そして夫もスーツを買ってお買い物終了となった。

大きな出費だったが、これが息子に親が買ってあげる最後かな・・・

あとは自分の働いたお金で買ってね。

寂しいような嬉しいような、いやいや、まったくもって嬉しいことだわ~!!やっと一人独立!

「4月からの仕事のことを考えるとわくわくする」とは息子の言葉。

新しいスーツも買ったし、こうして新しい世界に胸躍らせている息子パインなのでした。









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膨張と縮小

2017-03-16 13:31:39 | 日記
毎日なんだか忙しかった。
自分の仕事に父の見舞い、パインの引っ越し荷物の整理、そしてパインとピーチがいたので普段より家事もやることが多かった。

しかし冷静に考えてみれば、私が「あれもしなきゃ、これもしなきゃ」と先のことをばかり考えながら日常生活を送っていたので、気持ちだけが忙しくなってしまっていただけで、本当はコツコツと目の前のことをやっていけば、すべては順調に流れていったのだろう。

未来のことを考えすぎて二倍忙しくしていたと思う・・・

こんなバタバタの日々を送っていたのだが、あっという間に過ぎる一日の中で、いつも必ずゆったりとした気持ちになれる時間がある。

それは神棚に手を合わせ、大自然に感謝し、先祖供養、そして床供養をする時間であり、どんなに忙しい気持ちが続いていても、この時間だけは気持ちが落ち着く。

特に大自然への感謝は、元々は大自然を癒したいという想いから始めたのだが、気がつけば自分が癒されている。

まず天と地の大自然に感謝し、植物も鉱物も生物もすべて存在が生かされている事に対して感謝の言葉を思い浮かべる。

すると天と地から身体の中に光が流れてきて、それが胸の中心でぶつかって身体中に広がる。
私の呼吸に合わせて、光が入ってきたり出て行ったり、胸を中心にして体の中に大きく広がったり、足裏や頭のてっぺんから流れて行ったりする。

膨張と縮小。

宇宙も、そしてこの世の現象も(もしかしてあの世も?)こうして膨張と縮小というリズムを繰り返しているのだろうか。

胸の中心で広がる光はたとえお天気が曇りであっても、瞼の裏には徐々にその光が強くなっていくのが見える。

この時にずっと「どうしようかな」と思っていたような問題の答えが浮かぶことがよくある。

それはまさしく「そうだったのか」と思える答えであり、実際にそうしてみるとうまくいく。

またずいぶん治ってきたが、しばらく五十肩で痛みがあったので、その光を肩に何度か流してみたこともあった。

光を流した右の肩が一瞬ガクンと動く。
気持ちの問題なのか(きっとそうだが)ずいぶんと良くなったような気がした。

そして、五十肩の私などよりももっと大変な痛みを抱えている方がたくさんいらっしゃることを思い、どうか癒されますようにと願う。

最後に胸の中心で膨張する光を玉のイメージにして、その光に最高の感謝をこめて足裏から地球へ流し、頭上から天空へ送る。

この一連の行動は長くて5分、ふだんは2~3分というところだろうか。
いわゆる瞑想というような長いものではないが、終了した後は自分の気持ちがとても安らいでいるのがはっきりと分かる。

ところで今朝は珍しいものをみた。

頭上から送った光の玉が金色の龍に変化し螺旋を描きながら、まっすぐに空に昇っていく姿を幻視した。

これに何の意味があるのかさっぱり分からないし、もしかしたら妄想の産物かもしれないが、龍をみるのはなかなかないことなので良い体験だった。

というわけで、このようなことは絶対に面と向かって人さまには言えないことだが、妹にはたまに供養で起こったことなどを話してしまうことがある。

その時に妹から「おねえちゃんは、この世界と見えない世界の両方に生きているんだね」と言われたことがあって、その言葉を聞いて「そうか、ひとは普通は見えない世界にほとんど関心を払わずに生きているのか」と、ちょっと新鮮な驚きをおぼえたことがある。

もちろん私だって四六時中、見えない世界に関心を払っているわけではなく、毎日の感謝の祈りと先祖供養だけが唯一見えない世界と言われる部分を意識するだけなのだが、毎日のこの行事の継続が、地球に意識があって、植物や動物はもちろんのこと鉱物にも意識があり、天候さえも意識があると信じ、それを考えるとすべてのことに対して感謝したくてたまらなくなる今の私を作ったのだと思っている。

そして、毎日の感謝と供養の祈りは私にとって、今やなくてはならないものになっている。

それを妹の言葉を借りるなら、やはり私は「見えない世界にも生きている」ということになるのかもしれない。







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ベニヒワ

2017-03-08 14:50:54 | 日記
関東に住む友人から「梅の花が満開だよ」というメールをもらった。

梅の花が満開とはなんとうらやましい。

こちらで梅の花が見られるには、あと何日待てばよいことか・・・

ちなみに札幌では3月1日から毎日の最高気温を足していって500度になると桜が咲くという「法則」があるのだとか。(マイナスの気温の時は引き算する)
これは積算気温という手法だそう。

今日はプラス2度、そして8日だから・・・梅の花と桜の花はほぼ同時に咲くので、おめにかかれるのは4月末あたりだろうか。

ところで梅の花はまだ見ることはできないが、数日前から頭と胸元にピンク色の羽毛を持つ「ベニヒワ」を見るようになった。

毎日、20羽近くのベニヒワが庭のエサ台にくる。

ベニヒワは渡り鳥で、もともとは北半球の寒い国で繁殖するそうだが、冬は比較的温帯な北日本に渡ってくるそうだ。



しかしベニヒワは毎年来るわけではなく、たしか昨年は見なかったと思う。二年ぶりの再会になるかな~

ヒヨドリ、シジュウカラ、ヤマガラ、ゴジュウカラは一年を通してみることができるが、餌を置いている冬は毎年それ以外の野鳥の種類が違うのでおもしろい。

ところで今、4月からの新学年にそなえて塾に体験入学をする子供たちがたくさん来ているので、週に1~2度のお助け要員だったはずの私にも連日のお助け要請があってなんだかめっぽう忙しくなった。

仕事は楽しいのでまったく苦にならないが、たまにこうしてぼ~っと野鳥を見ている時間がとても大切に思える今日この頃・・・









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ありがとう

2017-03-06 15:50:09 | 日記
「ズボンのベルトって燃えないゴミ?」

青森県で学生生活を送る長男パインから、最近、頻繁にこのような電話がかかってくる。

今パインは引っ越し準備に追われている。

あと少しで大学を卒業し、6年間暮らした青森からこちらへ戻ってくることになっているのだ。

「ベルトは金属がついているから燃えないゴミ!」
地方によってゴミの分別の仕方は違うのかもしれないが、こっちがそうなので青森もそうだろうと予想して答える。

大きな家具や電化製品は「欲しい」という後輩たちにあげることになっているのだが、こまごまとした物の片づけが大変らしい。

できることならば行って手伝ってやりたいのだが、ちょうど今、もうひとり遠方の大学に通う次女ピーチが帰省している。

「お兄ちゃんのとこへ行って来ていい?」とピーチに聞いたら「え~お母さんいないの?」と悲しそうな声を出したので行くのをやめた。

ピーチは一週間ちょっとしか家にいられないというので、一週間であっても家で作ったごはんを食べさせてあげたい。
パインは一応この先ずっと家にいることになっているので、パインには大変だが、なんとか一人で頑張るように伝えた。

段ボール箱に詰めさえすれば、あとは引っ越し業者さんが運んでくれる。

大丈夫、できるだろう。

それにしても引っ越しの手伝いも行ってやりたかったが、本当は個人的にもう一度、青森に行ってみたかった。

パインが入学したのは2011年の春。

初めて見た弘前公園の桜は息をのむほど美しかった。

本物の枝垂れ桜を見たのも初めてで、なんて上品で美しいのだろうと思った。

また、桜の花びらでピンク色に染まった弘前城の外堀もまた見惚れるほどきれいだった。

ところで、パインの大学入学はいろいろな意味で忘れられない年になった。

2011年3月、合格が決まって行った青森で、夫とパインが大学内で入学の手続きをしている最中に、あの東日本大震災が起こった。

それにしてもずいぶん危機管理がしっかりしていると思ったのは、尋常ではない揺れ方にすぐに大学から一人につき3個のおにぎりの配給があったそうだ。

その後、青森自体の被害は無かったものの、電気水道が止まり、あっという間にコンビニやスーパーから食べ物が消えたそうで、大学からおにぎりをもらって本当に助かったと夫は言っていた。

大地震の混乱はそれからもずっと続き、電気が止まり携帯電話も電池が切れてしまった後は情報が入らず、夫によるとどこで何が起こっているのか全く分からなかったそうだ。

だから長い行列に並んでやっとかけてきた公衆電話で、私と話すことが唯一の情報だったようだ。

夫とパインは鉄道も飛行機も動いていなかった為、しばらく足止めされて、けっきょく予定より数日遅れで帰ってきた。

そして弘前城の桜は、そんな混乱も落ち着いて平常に戻った4月末に見に行った。

あの時は誰もがそうだったが、あのような信じられない大惨事を目の当たりにして心は重く沈んでいた。

桜が美しければ美しいほど、悲しみが胸にあふれてくるような気がした。

パインは卒業して青森を離れることになるが、今度は観光で行きたいねと夫と話している。

また桜の花を見に行きたい。

息子がお世話になりました。ありがとう青森。




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笑い

2017-03-02 12:07:12 | 日記
今週は病院に行くことが多くて、今日も病院へ行ってきた。
と言っても父の入院している病院ではない。

今日は予約してあった整形外科での診察と週に一度のリハビリの日。

そう、五十肩がまだ完治していない・・・

最初に比べるとずいぶん良くなった感じはあるのだが、それでもリハビリで腕を後ろに回されるとかなり痛い。

理学療法士さん曰く「肩の後ろがまだ固い」そうで、今日のリハビリもかなり痛かった。

リハビリ終了後は医師の診察で、私の担当医師はイケメンさんなのだが、なぜか看護師さんや患者さんからあまり人気がないと言われているお方。

今日も靴下を履いていない素足を組みながら、カルテをご覧になっていた。

椅子に座ると「肩はどうですか?」と聞かれたので「以前よりずっと良くなりましたが、後ろに回すとまだ痛みます」と答えると、先生は立ち上がって私の手を取り上げたり下げたりした後、「これは頑固ですね。これからもリハビリを続けてください」とおっしゃった。

そこで、前から気になっていたことを先生に聞いてみた。

「あの・・・原因のひとつにパソコンっていうのは考えられないですか?」

実はパソコンをやっていると、いつの間にか肩が内側に入っていて、そのまま固定されるような気がしていた。

だから気がついたらすぐにパソコンをやめたり、肩の上げ下ろし運動をやったりしていたが、なんとなくそれも五十肩の原因の一つのような気がしていた。

そして、もしもそうならばパソコンに向かう時間を考えなければと思っていた。

すると先生は表情一つ変えず、きっぱりと言った。
「いいえ!加齢です!もしパソコンが原因ならば、世の中でパソコンをやっている人はごまんといるわけですから、みんな五十肩になっています」

そのように言われればそうなのだけど、たとえば姿勢の悪さとかは?

するとまた無表情のまま「加齢です!パソコンも姿勢も関係ありません!加齢以外の何物でもありません!五十肩というのは加齢でなるのです!!」

あんまり「加齢、加齢」と無表情でおっしゃるものだから、私は可笑しくなって笑いがこみ上げてきて、しまいには笑いが止まらなくなって困った。
きっと、この先生を苦手な人はここで怒るのかもしれないが、私は笑いのツボにハマってしまった。

最後に無表情のイケメン先生に「リハビリ週3回!」と、まるで罰のように宣告されて診察室をあとにしてきたが、今日はおかげさまでたくさん笑って帰ってきた。

笑うことは気持ちがいい。

だからたくさん笑いたいのだが、大人になるとなかなか笑うことが少なくなるように思う。

ある統計では子どもは一日平均400回笑うそうだ。

それに対して大人になると、笑う回数は一日平均6回。
平均なので、一日に一回も笑わない人も大勢いるのだろうと思う。

これからは笑うことを意識していきたいなぁ。

とりあえずコメディのDVDでも借りてこようかしらん。。。












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雪がとけたら

2017-03-01 16:18:53 | 介護
昨日はブログを書き終えた後、仕事へ行く前に買い物に行ってこようとスーパーへ出かけたのだが、途中で電話がかかってきた。

電話は父が入院した病院からで「これからカテーテル検査をするので、家族の同意書にサインをお願いしたい」とのことだった。

「できるだけ早く来て欲しい」とのことだったので、急いで家に帰って仕事先に「申し訳ないですが休ませてください」と電話をした。

仕事先は小さな学習塾だが、そこには父のことを話してあり、今後もしかしたら緊急の呼び出しで仕事を休む可能性があるということを最初に伝えてあったので、とても親身に「それは大変。早く行ってあげて」とおっしゃってもらった。

病院へ向かいながら、昨日とは違うのは予定がキャンセルになったにもかかわらず全然イライラしていなかったことだった。

それどころか、病院へ行けることの方が自分の気持ちに沿っているような気がしていた。

やはり父のことが心配だから、仕事へ行くより病院へ行きたいと心の奥底では思っていたのだと思う。

だから病院から「すぐに来てください」と言われると、待ってましたとばかりに病院へ向かった。

電話ではカテーテル検査をすぐにでも始めるような話だったが、二時間待っても始まらず、ずっと父のベッドの横で父の顔を見ていた。

待たされるのはもう慣れたので、こちらもイライラせずにすんだ。

父はウトウトと眠っていることが多く時々目を覚ます。

目を覚ました時に、この時とばかりに話しかけてみるのだが、もうほとんど問いかけに答えることはしない。

ただ私のことは分かっているようで「いるよ~」と手を振ると小さくうなづいてくれた。

病名は医師から直接聞いたわけではないが、もらった書類に目を通していたら「下肢動脈硬化閉塞症」と書かれてあった。
血管が詰まって足の先まで血液が流れにくくなっているということだろうか。

父は認知症の進行もそうだが、身体の機能のすべてが落ちてきているのだと素人にも分かるほど弱ってきている。治療しても治療しても、身体のあちこちに不具合があらわれる。

86歳という年齢を考えれば、それも仕方のないことかもしれない。

でも、もう一度だけ家に連れて帰ってあげたいなぁ。

父の可愛がっていたオカメインコちゃんに会わせてあげたい。

今の父ならば、かわいがっていた鳥のことを憶えていると思う。

雪がとけたら家に帰ろうね。お父さん・・・








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