ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

育てる

2020-10-28 21:26:38 | 健康

そろそろ味噌を作る季節がやってきた。

味噌作りは取り掛かるまでが億劫。

今年は止めようかと思ったが、手作り味噌の美味しさは捨て難く、今年も作ることにした。

まずこれ↓大豆を水に浸す。

大豆は丸一日ほど水に漬ける。すなわち味噌を作るのは翌日ということになる。

あらっ、なんだかあっけなく終わってしまった、、もっと何か作りたい。

というわけでミキを作ることにした。

ちょうど作ってあったミキが無くなりかけていた。

ミキとは米とサツマイモで作った発酵飲料で、奄美大島や沖縄県では昔から飲まれているものだそうだ。

私がミキを知ったのはある方のブログ記事だったが、初めて飲んで以来すっかり気に入って、もう何度も作って毎日飲んでいる。

ちなみにミキという名は、神棚に上げるお神酒が由来だそうだ。

ただお神酒と違ってアルコールは含まれておらず、代わりに乳酸菌が豊富に含まれている。

材料は米とサツマイモだけ。市販のミキには砂糖が入っているらしいが、入れなくても十分甘味を感じる。

作り方。

まず1合のお米でおかゆを炊く。

おかゆが人肌まで冷めたら、そこへ皮を剥き30分くらい水にさらしたサツマイモを擦り下ろして入れる。サツマイモの量は60グラムから100グラムくらいをお好みで、、、

人肌に冷めたおかゆにサツマイモを入れたところ↑

サツマイモを混ぜると硬めだったお粥がサラッとなる↑卵おじやみたい、、、

この状態で20度くらいの部屋で蓋付き容器のまま置く。時々混ぜながら発酵するまで放置する。

夏は1日で、冬は2〜3日で発酵する。(炊飯器で保温するのは、温度が高すぎるのでダメ)

私は早く発酵させたいので、いつもヨーグルトメーカーに移し替えて30度で24時間置くが自然放置でも大丈夫。

発酵してくるとプツプツとした穴が開き甘酸っぱい香りがしてくるのでミキサーかハンドブレンダーで撹拌したら出来上がり。

そのまま飲んでも美味しいが、私は豆乳を少し混ぜて飲んでいる。飲みやすく美味しくなる。

味はやや酸味と甘味があって、お米のヨーグルトと言った感じだろうか。

そして汚い話で申し訳ございませんが、、、ミキを初めて飲んだ日は、お通じが1日に4回〜5回あった。

普段は1日に1回のお通じがあるかどうかだったのが、その日は食事をしたりおやつを食べるとトイレに行きたくなるといった状態になった。

そんな状態が二日ほど続き、これは外出もままならないと思っていたら、次第に落ち着いて今は1日に1度になっている。

調べてみると、ミキには色々な効能があるようだ。

まず腸内細菌のバランスが整って便通が良くなる。

サツマイモの抗酸化作用で高血圧や動脈硬化などが予防されて健康になる。

ちなみに同じく玄米から作った豆乳ヨーグルトも相変わらず食べているが、どちらも次第に身体が慣れてくるので、一方をしばらく休んで交互に食べてみようかと思っている。

それにしても発酵食品を自分で作るのはおもしろい。作るというより育てると言った方が当てはまる。

今日仕込んだミキが元気に育って飲めるのは、早くて明日の夕方くらいかな?

 


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美しい紅葉

2020-10-26 13:47:42 | 日記

コロナの影響がまだ続き仕事が減ったままの長女。

週に2~3日しか行かないので、ひまを持て余している。

そのためか仕事がある日をかなり楽しみにしているのだけど、ある日、長女がこんなことを言った。

「仕事で注意されることがまだたまにあるんだけど、注意されるってありがたいことだよね。だって注意されると、自分の間違いに気づけるでしょ。そして、それを直すことができるでしょ。今度は間違えないようにしようと思うでしょ」

ふ、ふか~い。いつの間にこんなことを言えるようになったんだ?

注意されると落ち込んだりすることもあるが、長女はそれはありがたいことだと言う。

親バカだけど、長女の言葉にちょっと感動してしまった。成長したなと思う。

長女が長男や他の子どもとすこし違うと気づいたのは、幼稚園に入った3歳の時だった。

言葉も遅かったが、大勢の子供たちが楽しそうに遊んでいると、なぜか怖がって友だちの輪の中へ入っていけなかった。

かと言って、ひとり遊びが好きかと言うと違った。いつも物陰からほかの子が遊んでいるのをじっと見ていた。

他人と関わりたいけどできないというのは、今も変わっていないが、本当はみんなでワイワイ楽しむのが大好きな子だ。

家族だけだと歌うわ踊るわで明るいのなんのって、完全に弾ける。でも家族以外はだめ。貝になる。

理解力がないため小学校低学年ですでに落ちこぼれ、教師のすすめもあって中学で特別支援に移った。

幼稚園から特別支援に移るまで、私はどうにかしようと必死だった。なんとか他の子と同じようにさせないといけないと思い込んでいた。

塾に行かせたり家庭教師をつけたり、勉強がだめなら情緒教育が良いかもしれないと絵や音楽を習わせたり、また乳児の時に打ったワクチンが原因かもしれないと知って、彼女の体の中に溜まっているのかもしれない金属を排出するためにサプリメントも試してみたり。

しかし結果は、どれも期待したほどの効果は出なかった。

期待が大きいほどダメだったときの落胆は大きい。

期待しては落胆してというのを何度か繰り返すうちに、期待をあまりしなくなり、さらにはもう仕方ないと思うようになり、そのうちにこれは彼女の個性だ、他の子と比べることが間違っていたんだと思うようになった。

そして、これからは親として彼女なりに幸せだと思える人生を作る手伝いをしようと思った。

それが散々ジタバタしてたどり着いた結論だった。

今思うことは、あの頃このままの長女では幸せじゃないと思い込んでいたのは私だったと言うことで、長女はずっと変わっていない。歌って踊って昔も今も幸せそうだ。

だから、今日も彼女が楽しいと思えるお手伝いをする、、、と言うか本当は、私が行きたいから行くのだけど。

長女はお出かけ好きなので、一緒にドライブをして来た。

通りがかった公園の紅葉がとてもきれいだった。

努力を続けて自分の夢や目的が叶うことも幸せと思うが、それ以上に何気ない暮らしの中で見つけた些細な感動や喜びの積み重ねが幸せなのだと思う今日この頃だ。

 


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魂の旅

2020-10-20 20:52:26 | 日記

コロナが流行ってから夫や長女の休みが増えたこともあり、これを機会に小さな旅をすることが増えた。

行くのはもっぱら温泉のある所、そして自然のある場所。

日帰りもしくは一泊か二泊くらいで道内を巡るのだけど、生まれてからずっと住んでいても、まだまだ行ったことが無い所が多くあって、あらためて感動することも多い。

ところで旅の楽しさは、目的地に着いてからの温泉や風景、食事であることは間違いないのだが、目的地に行くまでの道のりもまた旅の楽しさだと思っている。

出発するまでのワクワク感から始まって、旅の途中で何気なく立ち寄った所が良かったりすると、なんだかとても得した気持ちになる。

また反対にちょっとしたアクシデントがあったりするが、それも含めて旅の楽しさだと感じる。

思えば人生は観光旅行に似ている。

どの人も(多分)ワクワクしながら、この世に生まれてきて、今は旅の途中にいるのではないだろうか。

今から10年以上も前のことだが、家に居ながらもずっと旅をしているという感覚がしていたことがある。ちょうどその頃、自分の前世らしき映像が見えていた。

一番近い前世では、日本じゃない国に生まれた一人の女性として魂の旅をしていたことがわかった。その頃は、今の人生とは違った苦しみや悩みがあったということもわかった。

そこでのしんどい(と思った)旅をやっと終えた後、みんなが帰っていく場所に帰ったのだが、なぜかまた旅に出たくなってしまった。

そして今、旅の途中の私がいる。

ところで、これまで何度も魂の旅に出ているのだが、今回の旅は今までとは少し違うと思っている。

それは、「人は肉体を持って魂の旅をしている」ということをわかっていることで、これを知っているかいないかで生きやすさが全然違う。

ちなみに今回の旅は、今まで経験したことがなかった「子育て体験ツアー」を組み入れた。しかも障害児を育ててみるというオプション付き。

3人の子育て体験は大変だったし、障害児というオプションは、これが旅のオプションだと忘れてしまうくらい精神的にきついと思うこともあった。

でも、もう一度体験したいと思うくらい楽しくて素晴らしいツアーになった。(これは現在も体験中かな)

ほかにも母を早く亡くす体験ツアーとか、お姑さんと暮らす結婚体験ツアーというのも自分自身と向き合う良い体験だった。

またコロナが現れて急激に社会が変わるという時代に遭遇できたことも、考え方を変えればすごい体験をしているのではないかと思う。

今後どのような体験ツアーに参加していくのか。ワクワクするような、ちょっと怖いような、、、

わかっているのは、すべてのツアーは無駄ではなかったということ。

誰もがいつか必ず旅の終わりを迎える。

だから自分がやりたい事をやって、見たいものを見て、この旅行を最後まで楽しみたいと思う。

 

 


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ハッピーに生きるために

2020-10-16 17:09:37 | 健康

以前よく通っていた日帰りの天然温泉に久しぶりに行ってきた。

コロナが流行って以来しばらく閉まっていたため、なんとなく行かなくなっていたが、ずっと行きたいと思っていた。

ここの良さは何と言っても泉質で、身体の芯から温まって肌もつるつるになる。

また源泉かけ流しということもあって人気がある。

そしてもう一つの良さは、なぜか利用客のみなさんがフレンドリーだということで、お湯に浸かると知らない者同士でなんとなく会話が始まる。

もちろん会話に参加したくない場合は、しなくても全然かまわない。頭にタオルをのせて、一人の世界を楽しんでいてもいい。

市内の他のお風呂もいろいろ行ってきたが、ここのように知らない者同士で会話が弾むという所はなかった。

ちなみに話が弾むのは女湯だけで男湯ではないそうだ。(夫談)

さて久々に行ったお風呂だが、今回もまた知らない者同士、露天風呂に浸かって会話が弾んでいた。

私がお風呂に到着した時に見たら、浴槽では4名の方が楽しそうに語らいながら入っていた。

身体をゆっくり洗ってしばらくしてから浴槽に行くと、まだ同じ4人がおしゃべりをしながら入っていた。

さすがにのぼせたのか、浴槽の縁に腰かけておしゃべりをしている。

聞くともなくお話を聞いていると、4人ともお歳は70代後半で主婦らしい。

しかし話の話題は多岐に渡っていて、途切れることなく続いていく。

内地(本州)に旅行に行ったこと、そこで食べたうなぎが目玉が飛び出るくらい高かったこと。それなのに一緒に行った娘や孫に「おばあちゃん、食べていい?」とねだられて仕方なくごちそうしてきたと一人の女性が話した。

それを聞いていた別の女性が、昔うなぎを食べて骨が喉に引っかかって病院でとってもらったと話し、話題はうなぎの骨に変わった。

そこから病院の話になり、病院から帰ってからの夕飯の話になり、料理のレシピの話になって、最近の物価の話になり、政治の話になった。

途中で入ってきた方も話に加わったり、お湯から出て行く人もいたりしたが、会話は話題を変えながら延々と続いて行った。

私はと言えば話には加わらず、今回は一人で水風呂と熱いお風呂を行ったり来たりしていた。

その間、初めにいた4名の女性たちはずっと露天風呂に入ったままお喋りを続け、結局私が入ってから出るまで約一時間、お喋りに花が咲いていた。

幸い露天風呂でのぼせそうになればお湯から出て風に当たることができるので、長く居ても大丈夫なのだろう。

それにしても皆さんお元気。

70代後半だというが、「最近ボディラインが崩れて来た」と話すのを聞いて倒れそうになった。

それって、もうちっと若い人が話すことじゃない?

いやいや、こういう話ができるのって素晴らしい!見習わないといかん、、、と思う。

82歳の現役イラストレーター田村セツコさんが日々ハッピーに生きるためにしていることの一つとして、とにかく人と話すことをあげていた。

田村さんは、タクシーに乗ると自分から運転手さんに話しかけるそうだ。

この世に生まれてきたら孤独感はつきものだという田村さん。

夜中に目が覚めて孤独に沈むこともある。

だからこそ、人と話す喜びや温かさをより感じることができるとおっしゃっていた。

コロナによって人との距離を取らなければいけない世の中になってしまったが、だからこそ意識して人と話すような機会を持った方が良いのではないだろうか。お風呂でおねえさま方の会話を聞いて思っていた。

 


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観光いろいろ

2020-10-14 14:41:07 | 旅行

黒岳に登った日に泊まったのは、旭川市に隣接する人口約3700人の小さな町、比布町(ぴっぷちょう)。

比布町と言えば、有名なCMを憶えていらっしゃる方もいるかもしれない。

今から40年前に「ピップエレキバン」のCMで有名になった町。

この場所で故・樹木希林さんとピップエレキバンの会長さんが、ユーモラスな会話をするCMが流行った。

当時は全国から人が押し寄せるほどだったそうだが、今はのどかで静かな農村に戻っている。

「世界一大雪山がきれいに見えるまち」というだけあって、大雪山をのぞむ眺めは最高。

冬はスキー、夏はキャンプで遊べるのだが、主要産業は農業なのでこれといった観光はない。

ところが、この町にある宿の口コミ評価がとても高くて、それに興味を持って泊まってみることにした。

泊まったのは良佳プラザ・遊湯ぴっぷ。

ホテルにしては小さめで、お風呂は天然温泉でなく地元の人が日帰り入浴で多く訪れているのだが、なんだか居心地がいい。

その理由は、広々とした清潔な部屋(私は和室だった)や従業員さんたちの礼儀正しい中にもある親しみやすさ、そして料理の美味しさだったと思う。

地元の特産品を使った料理はどれも美味しかったが、特に美味しかったのはご飯!

実は比布町、道産米の中でも特に味が良いと評判の「ゆめぴりか」が誕生した町なのだとか。

ゆめぴりかは米の食味ランキングで連続「特A」を獲得しており、現在比布町では約120軒の農家で作っているそうだ。

そんなわけで、いつもはご飯一膳を食べるのがやっとなのだが、今回はおかわりをして食べてきた。

さて次に行ったのは、旭川市にある「北鎮記念館」(ほくちんきねんかん)

この記念館は陸上自衛隊第二師団の旭川駐屯地内に建てられていて、北海道の防衛と開拓に携わった屯田兵や旧陸軍第七師団の歴史を物語る資料が展示されている。

記念館の名前に使われている「北鎮」とは北辺の守りを担う重要部隊ということで、旧陸軍第七師団のことを道民は畏敬の念を込めて「北鎮部隊」と呼んでいたそうだ。

ここを見学しようと思ったのは、夫の父が第七師団にいたから。

幸い義父は戦後生きて帰って来たが、多くの方が命を落とした歴史を見るのは正直つらいものがあった。

しかし今の平和な日本があるのはこうした方々のお陰だと思うと、やはり畏敬の念が湧き上がる。

北鎮記念館は入場料無料。

自衛官の方がついてたっぷり一時間ガイドをして下さる。ご興味のある方は、ぜひ行かれるとよいと思う。


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黒岳七合目

2020-10-11 15:06:27 | 旅行

週末に大雪山の黒岳に行ってきた。

今年春には大雪山の旭岳に行ったのだが、この時はまだ寒くて麓から見上げただけだった。

そこで今回黒岳は、ロープウェイとリフトを使って七合目まで登って来た。

 

大雪山とは2000メートル級の多くの山々が50キロにわたって連なっており、日本最大の国立公園になっている。

大正時代の文人、大月桂月が発表した紀行文に「富士山に登って山岳の高さを語れ。大雪山に登って山岳の大いさ(おおいさ)を語れ」という言葉があり、それが大雪山を有名にしたそうだ。

見渡す限りの山脈。息をのむほどの美しさだった。

アイヌ語でカムイミンタラ、「神々たちの遊ぶ庭」と言われるのがよくわかる。

さて黒岳。

数日前に積雪があったそうで、気温はかなり低く七合目付近で日中の気温は4℃ほどだった。

ロープウェイからリフトに乗り換える為、しっかり重ね着をして行ったのだが、小一時間もすると鼻水は出るし、指先はかじかんでくるしで、当たり前だがうちの裏山とはぜんぜん違うと思い知らされる・・・

さて七合目に着くと、頂上に向かう登山口があり早朝に登った方々が次々に降りてきた。

中には3歳くらいの子どもさんもいて驚いた。

思わずお父さんらしき方に「こんな小さなお子さんも登ったんですか?」と聞くと、背中のベビーキャリーを指さして「これに担いで・・・」と教えてくれた。

私など何も持たないで登ってもばてるのに、いやいやすごい。

さて七合目までロープウェイとリフトで楽をして登ってきたが、ここからすこしだけ登山気分を味わうことができる。

七合目にある「黒岳カムイの森のみち」という看板の先にある小道を登って行くこと約20分。あまりょう展望台に行くことができる。

展望台からは、あまりょう(螭竜)と呼ばれる想像上の動物に例えた滝を見ることができるのだが、ムムム、どこに滝があるのかわからない・・・

滝はどこかと探していたら、おひとりで登ってきた若い女性が「あれじゃないですか」と教えてくれた。(赤で囲ったところ↓)

かすかに見える滝。龍のようと言われれば、そう思えなくもないような。。。

もう紅葉は終わり、茶色が多くなっていたがやはり山はいい。

どこを見ても美しく清々しい。

どこもかしこも美しく、最初はぱちぱちと写真を撮っていたのだが、私のカメラではこの美しさをちゃんと残すことができないと思い、カメラはやめて、最後はただひたすらぼ~っと眺めて来た。

できれば今度は、きちんと準備をして(服装、杖、熊よけの鈴、登山靴、携帯用トイレなど)頂上まで行きたいと思うが、まずはもうすこし体力をつけねばと思う。筋トレがんばるぞ~!

 

 


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生かされて

2020-10-07 15:49:21 | 日記

長い人生の中で危機に陥りそうになった時、まるで救世主のように現れて救ってもらったという経験が何度かある。

その中でも命に関わってもおかしくはなかった思い出が二つあって、一つは幼稚園の頃だった。

幼稚園で帰りの時間になるまで、幼稚園かばんを肩から斜めがけしたまますべり台で遊んでいた時のこと。

自分のすべる番になって勢いよく滑り降りたら、いきなり首にひもがからんで途中で止まってしまった。

首にからんだのは、斜めがけした幼稚園かばんの肩ひもで、降りようとした時にすべり台の頂上の柵に引っかかったらしい。

それを知らずに滑り降りたものだから、すべり台の上で首つり状態になってしまった。

自分で外そうにも身体の重みで外せない。苦しくて苦しくて、ただもがいているだけだった。(実はこの時の苦しさが忘れられないので、首つり自殺だけは絶対に嫌だと思っている)

苦しくてもがいていたら、急に楽になって身体ごと下へ滑り降りることができた。

あ~助かったと上を見上げたら、一人の男の子がこちらを見ていた。

その男の子が、かばんのひもを外してくれたのだとわかったが、お礼を言うことなく泣きながら先生の所に行ってしまったことが今でも悔やまれる。

首には、赤くひもの跡が残りしばらく消えなかったので、相当な力がかかっていたと思う。

もしもその男の子が外してくれなければ、今頃生きていなかったかもしれない。

5歳の頃に助けてくれたあの男の子の顔は、今でもはっきりと憶えているし、ずっと感謝している。

そして、もう一つは数年前のこと。

落葉キノコがあると言うので、ご近所の方に誘われて山へ入ったことがある。

私はキノコのことはまったくわからないが、ご近所の方が多少知っているというのでついて行った。

落葉キノコの他にも食べられる(かも?)というキノコを数種類採って、山道を帰ろうとしたら一人の高齢の男性とすれ違った。

その方が、私たちの持っていた袋を見て「何を採ってきたのか」と聞いたので「落葉キノコです」と答えたら、「ちょっと見せてごらん」とおっしゃった。

さっそく採ったばかりのキノコを道に広げて見せると、「あぁ、これは毒キノコで食べられない」と言いながら食べられないキノコを選り分けてくれた。

なんと採ったキノコの半分が食べられない毒キノコだった。

偶然にも帰り道でキノコに詳しい男性に出会わなければ、(キノコを食べた)家族そろって「毒キノコによる食中毒」と、ニュースになっていたかもしれない。

偶然とはいえ、本当に出会ってよかった。

考えてみれば、これ以外にも家族や友人、また名前も知らない多くの人たちのお陰で今まで生かされてきた。

普段はすっかり忘れていて、自分の力でここまで生きてきたようなつもりでいるけど、実は違ったんだ・・・ということを、数か月に一度か二度くらいしみじみと思う。

それが今回。

今朝、癌の闘病をしている友人に会って「生きていることのありがたさや素晴らしさ。何気ない毎日が、どんなに尊いことだったのか」ということを聞いたからかもしれない。

大きな病になった方の言葉は重みがある。

今日は生かされていることに感謝して過ごしていた。

 

 


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ぶどうの香り

2020-10-02 15:05:45 | 日記

10月は実りの秋。そして食欲の秋・・・ということで、ぶどう狩りへ行ってきた。

 

実は、私はぶどうが大好き。

ぶどうの味はもちろんのこと香りも好きで、どこからかぶどうの香りが漂ってきたら思わず深呼吸してしまう。

当然ぶどう狩りでもスーハ―スーハ―してきたのだが、制限時間が一時間しかないので、今回は香りを楽しむより味を楽しもうとお腹いっぱい食べてきた。

ところでぶどうの香りが好きではあるのだが、実はそれは私にとって、心の奥のかすかな痛みと悲しみの感情を呼び起こす香りでもある。

最近のヒット曲(香水)にもあるように、匂いによって過去の感情や記憶が呼び起こされるということはよくあることだが、これは嗅覚が脳の中の扁桃体と海馬という記憶と感情を処理する部位に接続されているためだそうだ。

義母や父の介護している時に、嗅覚の衰えは認知症の疑いがあると聞いたことがあったが、今更ながらこのことだったのかと納得している。

ところで、ぶどうの香りを嗅ぐと感じる痛みと悲しみの感情は、やはり私自身の過去の思い出と関係している。

楽しみにしていた初めての子どもが流産だと分かった日、病院から帰る途中に立ち寄ったお店でぶどうの香りがしていた。

甘いぶどうの香りに吐き気をおぼえて、お腹の中の子はもう生きていないのにつわりがまだあることが、とても悲しかったという記憶・・・それがぶどうの香りを嗅ぐと、心の痛みと悲しみという感情がよみがえってくるということなのだろう。

しかし、今はもうぶどうの香りを嗅いでも痛みや悲しみを感じることはない。

それは流産してしまった子の供養を自らの手でしたことによって、ぶどうの香りを嗅ぐと必ず呼び覚まされていた負の感情が浄化したからだと思う。

それをしていなければ、今もまだぶどうの香りに苦い感情を思い出していたかもしれない。

ところでぶどうの香り以外にも、まだ過去の思い出が甦ってくる香りがある。

それは、ある香水のかおり。

ヒット曲では「ドルチェアンドガッバーナ」という香水が出てくるが、私の場合はタクティクスの香りが記憶を甦らせる。

タクティクスは40年以上前に出た男性用のコロンだが、人気があって女性も好んでつけていた。

当時短大に入ったばかりで、ちょっと大人になったような気持ちで初めてコロンを買ってつけたのがタクティクスだった。

だからタクティクスの香りを嗅ぐと(今はもう嗅ぐこともないけど)楽しかった学生時代のワンシーンをなつかしく思い出す。

まだまだ記憶を呼び起こす香りがあるのだが、長くなるのでこのあたりでやめておこうと思う。

とにかく良い思い出が甦ってくる香りはいいのだけど、もしも負の感情が甦ってくる香りは、それを嗅いでも何とも思わなくなるように自分の手で変えることができる。

やり方はいろいろあるのでしょうが、香りに限らずたまに甦る同じような負の感情は、早めに手放した方がよいとは最近よく思っていることだ。

 


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