ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

預かりもの

2016-08-29 17:11:45 | 日記
今日は婦人科検診があり、近所の産婦人科へ行った。

産婦人科なんて行くのは久しぶりで、20年近く前の出産以来かしれない。

産婦人科だけあって患者さんは妊婦さんが多く、幼い子供連れの方もたくさんいた。

目を奪われたのは、その小さな子どもたちで、ほんとに可愛いという言葉しか出ない。

赤ちゃんと目が合い、そして無邪気ににっこり笑ってくれると、私のほうも思わず笑みがこぼれる。

まるで天使やの~

そして「あ~こんな時代もあったなぁ」
若いお母さんたちが子どもを遊ばせながら待っている姿を見て、自分の子育て中のことを思い出していた。

しかし我に返ってみると、実際の自分は娘の出産に付き添ってきた祖母と言ってもおかしくない歳になってしまっているわけだが。

まったく光陰矢の如し。

待合室にいる子どもの様に幼かった我が子たちは、今ではもうすっかり大きくなって、それぞれの道を歩き始めている。

長男パインと次女ピーチは、徐々に親から離れて独り立ちする準備をし始めており、私はカラスの親の様に離れた木の枝から子ガラスを見守っている心境になっている。

しかし、まだまだ一人で飛び立っていけない子が巣の中に残っている。

それは障がいのある長女チェリーだが、二人の兄妹がそれぞれの道を歩き始めているのをうらやましそうに見ながら「いいな~私も一人暮らしをしてみたい」と言うのを聞くと、かわいそうにも思う。

いつかはチェリーもそれなりの施設かグループホームなどに入り、自立していかなければいけないのだが、今は家でじっくり力をつけていこうねと話している。

必要最低限の家事ができるようになることや、恥ずかしがらずパニックにならず一人で買い物ができるようになることなど、生きて行くための力をつけさせることが、今はチェリーを世に出すためにしなければならない親のつとめだと思っている。

ただ友だちと出かけたり遊んだりすることができないチェリーにとって、障がいのない兄妹よりもそのような楽しみが少ないのは、やはり可哀相だなと思ったりもする。

そんなチェリーに絵画の先生から嬉しい要請がきた。

「秋に展覧会をするので、チェリーちゃんも作品を出してください」とのことだった。

出来上がった展覧会のパンフレットには一般のアーティストに混ざって、チェリーの名前も載っていた。

そして、チェリーは嬉しそうに自分の名前を見つめていたのだが・・・

もうそろそろ秋の展覧会に間に合うように作品の制作に取り掛からなければいけないのだが、チェリーはなかなか腰が上がらない。

「もう描き始めないと間に合わないよ」とやきもきして言ってしまうのだが、ここは手を出さずにカラスになってじっと見守るしかない。

子どもは神さまからの預かりもの。

それは障害があってもなくても同じで、大切な大切な預かりもの。

自分自身も周囲の人も大切にできる人に、そして「生まれて来てよかった」と思える人生を送れる人になるように、時にはじっと見守り、社会にお返しすることが子どもを神様から預かった者の役目だと思う。

昔は自分が生んだ子は自分の持ち物、所有物のように思っていたのだけど、それが間違っていたと分かったのは、ずいぶん子どもが大きくなってからだった。

もう少し早くそれがわかっていたら、もっと違う子育てができたのかもしれない。
なんてね。






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気をつけて

2016-08-25 14:09:58 | 日記
次女ピーチが英国へ行ってから早5日。

毎日、ピーチとメールのやり取りをしているのだが、台湾から来た女の子と友だちになったとかで、長男パインが心配していたような憂鬱な気分になることもなく過ごせているらしい。

ピーチがホームステイしている家はロンドン中心部から少し離れた閑静な住宅街にあり、ピーチから送られてくる写真を見ると、まるでテーマパークにいるような素敵な街並みが写っている。

ホームステイをしているお宅では一室を与えられており、その部屋がまたピンクのテレビに白い家具と言った感じで、若い女の子受けするような可愛い造りになっている。

またホストマザーは働く女性だが「何かあったらすぐに携帯に連絡して」と言って携帯電話の番号を渡され、とても親切にいろいろなことを教えてくれるそうだ。

それを知って「良かったね」とメールをしたら、ピーチから返事が来た。

「ただ、ごはんが死ぬほどまずい。あまりにもマズ過ぎて食べらない。だからお腹が空いて、すごくひもじい」

ピーチはうちにいても食べられないものがある子で、上の二人はなんでも食べるのに、なぜだろうと思っていたが、好き嫌いの多いピーチのこと、慣れない海外の食事なら余計たべられないかもしれない。

しかし、それでは忙しいのに食事を作ってくれたホストマザーにあまりにも申し訳ない。

お腹が空けばなんでも美味しく思えるのではないかと思うのだが、そうではないのだろうか。

「料理になんの味つけもない」というピーチに「頑張って食べてごらん」と返信したのだが、果たしてちゃんと食べているのやら・・・

ほかにも台湾人の女の子と一緒に行ったと言う観光名所の写真が何枚か送られてきた。

どこを見てもテーマパーク。

赤い枠が可愛らしい電話ボックスの中で、受話器を耳にあてポーズを取るピーチがいた。

それにしても、写真を見て「ほぉ~、ここがかの有名なバッキンガム宮殿か」と感心するより先に「言葉がよく分からない女の子が二人で観光して大丈夫か?」という心配の方が強い。

心配してもどうしようもないことなので、あとは「祈り」しかないか・・・

ところで昨日、ピーチに英国に行くにあたってのアドバイスをしてくれた姪に会った。

英国でのピーチの様子を話すと「あぁ、私もまた英国に行きたい」と言う。

向こうにいる時は日本の良さを感じても、戻ってくるとそれが当たり前になり、楽しかった外国での生活を思い出すのだそうだ。

ピーチが食べ物が合わずひもじい思いをしているらしいと話したら、姪が言った。

「最初の一か月は食べ物が合わなくて痩せるのよ。でもそのうち美味しいものが色々とあることが分かってきて、一か月を過ぎた頃には日本にいる時よりも太ってくるの。
バターのたっぷり入ったお菓子だとか、生クリームがこんもりと乗った揚げパンだとかね。
恐ろしいくらい高カロリーだけど、これがすごく美味しいの。あ~食べたいなぁ」

うっとりとした目で食べ物のことを話す姪。

姪の母親である妹によると、帰国した直後の姪は、ついたお肉によって鼻が埋没していたのだとか。

「帰国して一か月半が経って、最近やっと鼻が出て来たのよ」と、姪に聞こえない様に小さな声で教えてくれた。

「ピーチよ!美味しいお菓子にはくれぐれも気をつけて」

そう書いて、さっそくピーチにメールしたのは言うまでもない・・・








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短期留学

2016-08-21 15:54:16 | 日記
長男と次女が夏休みで帰省しているので、毎年の事ながら毎日のごはん作りに忙しく過ごしていた。

一人暮らしで自炊の二人は、学食で食べる以外は栄養の偏った食生活になっており、ちゃんとしたごはんに飢えている。

せめてウチに帰っている間はと思うと、いつも以上に品数を多く作ってしまうため、食事つくりに時間がかかっていた。

しかし、それもあとすこし。

来週は長男が大学のある町に戻り、次女ピーチは昨日なんと英国へ旅立っていった。

ピーチが英国へ行った理由は「短期留学」で、留学と言ってもわずか3週間で帰ってくるのだが、現地の家庭でホームステイをしながら英語学習の為に学校に通う。

「なぜ英国に?もっと別の国へ行った方がいいんじゃない?例えばオーストラリアなんかどうよ。
オーストラリアには、Pちゃん(オカメインコ)がたくさん飛んでるらしいよ!」

オカメインコのP太郎を溺愛するピーチに「オカメインコ」で釣って、ほかの国にするように勧めたのだが、ピーチの意思は固く「どうしても英国に行きたい」と言い張り、自分で大学の留学申し込みを英国にしてきてしまった。

今は英国がというより、ヨーロッパ全体が危険という気がする。

テロもあったし、どうしても海外へ行きたいのならば比較的安全なイメージのあるオーストラリアがいいんじゃないかと思ったのだが。

そんなわけで英国に行くことを決めたピーチは、ピーチのいとこにあたるお姉さんにいろいろとアドバイスを受けていた。

ピーチのいとこ・・・つまり私の姪なのだが、一年間の英国での留学を終えて今年7月に帰って来たばかりなので、英国での生活に詳しい。

滞在先も同じロンドンなので、姪の話はピーチにとってとても参考になる。

ピーチが言う。
「◎ちゃん(いとこ)が教えてくれたんだけど、ロンドンでは、できるだけ大人っぽい恰好をしなさいだって。ちゃんとお化粧もするんだよって言われた。
子どもがひとりで歩いていると思われたら襲われるんだって」

ひえ~、子どもがひとりで歩いていたら襲われる!?誰に?
信じられない!!

「あと、カバンは肩にかけるだけじゃなくてタスキがけにして、両手でしっかりカバンを押さえて歩きなさいって言ってた」

なになに、それってひったくり防止ってこと?
なんて危険なトコなのよ!!

お化粧慣れしていないピーチは、いくらお化粧をしたと自分で言っても、どうみても子どもにしか見えない。
と言うか、発育の良い西洋人から見たら、ピーチは中学生かヘタしたら小学生にさえ見られるかもしれない。

「大丈夫!危険な場所は行かないから」

そんなことを言いつつピーチは大きなスーツケースを引っ張りながら英国へ行ってしまった。

そして、もうすでに英国のホストファミリーの家に着いたであろうピーチからこちら時間で早朝、長男パインの携帯にラインでのメールが来た。

「無事に着いたから安心して。ホストファミリーはバリバリのイギリス人で、ほかにもイタリア人の留学生がホームステイしていた。イタリア人とホストファミリーは英語での会話をして盛り上がっていて、たまにこっちにも話を振ってくれるんだけど入って行けない・・・」

入って行けないというのは、ピーチの英語力の無さが大きいからだと思う。

すると数年前に同じようにカナダへ行ったことのある長男パインがぽつりと言った。

「たぶんピーチはいま憂鬱な気分になっていると思う。自分もカナダへ着いた翌朝、ベッドの中で目が覚めて、あ~今日から英語ばかりの中で過ごさなければいけないのかと思ったら絶望的な気分に襲われた」そうだ。

さてさて、これからどんな報告がくるのか楽しみだ。

せっかく行ったのだから、少しは英語力を上げて帰って来てほしいのだけど・・・

それにしても、私なら英国どころか海外なんて行きたいとはまったく思わなくなった。
日本にいるのが一番よ。

そう言ったら、「それは年をとった証拠」と夫に言われてしまった。






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心をこめて

2016-08-14 21:34:42 | 日記
お盆が近づいて来た頃、すこし気になる映像を見たことがあった。

その日の夜、いつものように布団に入って目を閉じた途端、何かが見え始めた。

そのまま目をつぶって集中すると、映像は徐々にはっきりとしてきた。

見えてきたのは人だった。

大勢の人がこちらを向いているのが見える。

まるでひな壇に乗って写真撮影でもするかのように、正面を向いた姿で並んでいた。

着物や普段着の洋服、スーツなど恰好は様々で、男性もいれば女性もいた。

そして不思議なことに、身体ははっきりとしているのに、なぜか顔だけはぼやけていてよく見えなかった。

いつも見る映像はどこかの風景が多いのに、人間の姿を見るなんて初めてかもしれない。

また、いつも見る映像と違って周囲が薄暗かった。

薄暗い中に大勢の人たちがこちらを向いて並んでいるのだった。

しばらく見ていたのだが、そのうち映像が徐々にぼやけていき、やがて見えなくなった。

これは何の意味だろう?

でも、もしかしたら意味など無いのかもしれない。

いつもこのような映像を見た時に思うことは、見たものに対して自分自身で勝手な解釈をすると、私の場合は、それに囚われてしまう恐れがあるということだ。

囚われてしまうことは、とても恐ろしいことだと自分の中にある本能のようなものが教えてくれるので、見たものはそのまま流して、あとはあまり考えず忘れるようにしている。

しかし、なんとなく普段よりも気になる映像だったので、家事をしていても、時々そのことが思い出された。

いつも通りの日常生活がその後も流れていったが、実はこの時以来ずっと自分の気持ちがどうしても沈みがちになっていた。

原因といえば無くはないのだが、それはもうすっかり解決したことなので今ここでは書かない。

でも、これは相当にキツイなと思うくらい気持ちが沈んだ。

ところで私が見た映像だが、「もしかしたら、あの人たちは供養を待っている方々なのではないだろうか」と考えていた。

なぜかと言うと、大勢の人の周りがずいぶん薄暗く、とても成仏されている感じには思えなかったから。

ところで私の気持ちが沈む出来事が解決したと書いたが、そもそもの原因自体は解決したわけではない。

解決したというのは、そのこと自体がまったく気にならなくなったということだ。

変わる時は一瞬で、それは何気ない日常生活の中で起こった普通の出来事を見ていて気づかされた。

なんと些細なことで気持ちが沈んでいたのかと、重苦しい雲が晴れたように不思議なほどあっという間に気持ち変わった。

その時に思ったことは、多くのご先祖が守って下さったのかもしれないということで、ご先祖の方々が沈んでいる私を見かねて、心が変わるようにと、まるで舞台装置を上手にセッティングして下さったかのように思えた。

そのようなことがあったこともあり、あの世とこの世は本当に近いと今感じている。

もちろん今はお盆の時期なので、たくさんの亡くなった方々が帰ってこられているのでしょうが、お盆でなくても私たちは先祖や縁ある方々と共に生きているという気がしている。

肉体が無くなると、肉眼では見ることができず、また触れることもできない為、どこか遠くへ行ってしまったような、もしくは無になってしまったような気がするが、実は亡くなった方はすぐそばにいることが多いのではないだろうか。

と言っても、あまりに故人に執着を持つことは、故人の進みを妨げてしまうので良くないが、やはり一番は故人が喜ばれる供養をしてあげることなのだと思う。

あの映像の方々がどのような人なのかは分からないが、私にできることは毎日こころを込めて供養をすることだとあらためて思っている。












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自分のできることをする

2016-08-12 11:40:24 | 介護
関東に住む友人から定期的に送られてくるメールを読んで嬉しくなった。

メールの文面がずいぶん明るくなった。

友人のお父さんが昨年亡くなったのだが、一人暮らしになったお母さんに認知症の症状が出てきたため、友人は実家に泊まり込んでの介護を始めた。

お母さんは以前はとても物静かな人だったそうだが、お父さんが亡くなってからまるで人が変わってしまったのだそうだ。

暴力こそはないものの、娘である友人に対する暴言がひどくなり、友人は精神的にずいぶん参っているようだった。

聞くところによると、お母さんは自分でどこかにしまったものの行方が分からなくなることが度々あり、それを自分の娘が盗んだと思い込むのだそうだ。

そして「泥棒!」「あんたが盗んだでしょう!」というような暴言を浴びせる。
あとからそれが出てきたとしても、けっして自分が置き忘れたとは思わず、「あんたが盗んでここへ置いた」と言う始末。

「いくらなんでも盗んだなんてヒドイでしょ?自分の娘を泥棒扱いするなんて信じられない」と友人が電話でこぼしていた。

「すこし離れた方がいいんじゃない?」と助言したのだが、友人によると、母親と距離を置きたくても、一人にすると何をするのか分からないという心配があり、いつも一緒にいなくてはならないのだそうだ。

お母さんは物忘れはひどいそうだが、なぜか公共の乗り物は一人で乗っていくことができるそうだ。

だから目を離した隙に遠い場所へ行ってしまう恐れがあるのだという。

「母は北海道へ帰りたいといつも言っているから、もしかしたらひとりで飛行機に乗って帰ってしまうかもしれないの。それができる人だから、余計に目が離せない」と友人は言う。

そういわれてみると、今の高齢者は公共の乗り物に乗り慣れているから一人で何でも乗れてしまうのかもしれない。

また運転もできるから車を運転してどこかに行ってしまう恐れもある。

友人が心配するのもよく分かった。

その後、友人からのメールや電話は、どうしようもなくなった時や追い詰められた時に届いた。

連日届くこともあれば、一か月に一度の時もあったが、その文面には「助けて」という文字は無かったが、私には「助けて」と叫ぶ友人の声が聞こえてくるようだった。

義母や父の介護を友人より先に経験した者として、一人で抱え込まず行政に相談してみることをすすめたのだが、友人の腰はなぜか重たかった。

また、明らかに認知症の症状が出ているのに病院で診察を受けていないということも聞いたので、ではまず先に病院へ連れて行った方がよいとも話したが、それについても腰が重たかった。

友人がお母さんを病院へ連れて行くことをためらっていたのは、出される薬に対して不信感があったからだと、私が病院へ連れていく様に勧めるメールを何回か送った後に、友人からの返信メールで知った。

またそれ以外にも、友人自身に自分の母親が認知症だと認めたくない思いもあったようだ。
(病院で認知症と診断されてしまうことに抵抗感があった)

「今の状況を変えるためにも、やはり病院へ連れて行った方がいいと思うよ。薬で不信に思っていることを全て医師に質問してみては?」と何度か勧めた結果、ついに友人はお母さんを病院へ連れて行った。

そこで薬について質問をして、医師のお話に納得し、漢方薬を出してもらうことになったそうだ。

後日、薬を飲み始めてから機嫌のよい日が増えたと、すこし嬉しそうな文面のメールが来た。

それから介護認定を受け、必要なサービスを受けることになり、そして今日のメールは「母が楽しそうにデイサービスに行きました」というものだった。

友人のほっとした様子が手に取るようにわかるようなメールだった。

よかった。私も自分のことのように嬉しい。

いつかは必ず終わることだが、それでもまだ先は長いかもしれない。

「イライラせずのんびりかまえて行きましょうね。どうしようもない時は周りに助けを求めてもいいんだよ」と返信した。

これは友人に対してだけではなく、自分自身に対しても言い聞かせるようなつもりで書いたと思う。

そう・・・周囲に「助けて」と言うことは決して恥ずかしい事でもなんでもなく、みんなで助け合えばいいのだ。

助ける方も、別に大げさなことをしなくても、自分のできることをすればよいだけ。

これからは、自分のできる範囲で困っている人を助けることが自然にできる社会になっていくのだろう。

そうなって行けばよいなぁという期待も込めて・・・








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楽観主義は意思である

2016-08-02 16:49:24 | 日記
「いつもご機嫌な人は長生きする」ということが科学的に証明されてきているのだそうだ。

アメリカの修道院に暮らす尼僧を対象に実験をしたそうだ。

彼女たちは同じ環境で同じ食べ物を食べ、生活環境にほとんど違いはない。

そして、彼女たちが書いた手記を分析して「楽しい」「嬉しい」「幸せ」などのポジティブな言葉を多く使ったグループと、「寂しい」「つらい」「困った」などと言ったネガティブな言葉を多く使ったグループの二つに分け、全員が80歳以上になった時の健康状態、生存状態を調べたところ、なんとポジティブグループの方が平均9年も長生きだったそうだ。

このような結果になったことは自律神経の観点からも言えているそうだ。

つまりストレスをためやすい人、またイライラしている人は、戦闘モードである副交感神経が優位になり続けるため、血圧や心拍数が上昇する。

また、過剰なストレスによってコルチゾールというホルモンが増加し、その状態が続くと抗酸化酵素の働きが低下したり、免疫力が低下することがわかっているそうだ。

だから幸福度の高い人は、健康状態が良いという傾向があるのだそうだ。

ただネガティブな感情がまったくよくないとは思わない。

一説によるとネガティブな感情も人間には必要なもので、たとえば戦争や飢饉といった状況では「生き延びる」ために不安感や危機感が必要なのだそうだ。

だが、そのような社会には生きていないとしても、やはりどうしてもポジティブになれない時だってある。
(わたしもある)

そんな時は、無理にポジティブになろうとしても余計落ち込むだけかもしれない。

ただ最近の研究では、現在がつらい状況であっても、過去の幸せな出来事を思い出すだけで健康に良い影響を与えることもわかっているそうだ。

一時的でもよい気分になることで脳内に変化が起き、心と体に作用するのだとか。

例えば、楽しかった旅行を思い出す。旅行のビデオや写真を見るのもいいのかもしれない。

私は子どもたちが小さかった頃のビデオをよく見る。

小さな子が3人もいると、転んだとかぶつけたとか、喧嘩したとかで、しょっちゅう誰かが泣いている。

当時は私も髪振り乱しての育児といった感じだったが、今あらためて観てみると、これがけっこう笑えるシーンが多かったりする。
あ~幸せだったなぁと思う。

もちろん今も幸せだが、子育て中は今とはまた違った意味で幸せだったと思う。

ずっと授からなかった子どもが3人も生まれてきてくれたということが、いつも私を幸せな気持ちにしてくれた。

ところでフランスの哲学者アランの有名な言葉に「悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意思である」というのがある。

「悲観主義は気分によるもの」とは、つまり不機嫌はその時の気分によってということ。

また「楽観主義は意思である」とは、自分の強い意志でご機嫌な状態を選び取るということだろうか。

どうにもならなくなった時、最善の努力をしたうえで「なんとかなる」と明るく思い込むことは、生きる術として、とても大切だと思っている。






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アルバイト、その後・・・

2016-08-01 17:14:48 | 日記
学習塾のアルバイトへ行き始めてから、早いものでもう一か月が経った。

基本的には週1回だけの仕事なのだが、ほかの先生が用事で居ない時などに「代わりに来てください」とお声がかかるため週2回くらい行くこともある。

それにしても毎日行っているわけではないので、なかなか慣れるという所まで行っておらず、とにかく仕事を覚えることと仕事をこなしていくことでいつも精一杯の状態になっている。

「先生、宿題みてください」と子供がテキストをどっさりと差し出した。

「はいはい、宿題ね」と、子どもが家で一生懸命やってきたであろうテキストの束を受け取り、採点をしようと思ったら、ほかの子が「先生できました!」と教室でやった問題を持ってきた。

まずは教室で解いた問題の採点を優先させることになっているので、「はいはい、できたのね」と言いながら、先の子が持ってきた宿題は一旦よこに置いてから、教室でやった問題の採点に取り掛かる。

すると、別の子が「先生、お水ください」と言いに来る。

暑くて喉が渇くため、飲み水をクーラーボックスの中で冷やしてあるのだが、それをコップに注いでから子どもに渡す。

「はいはい、お水ね。どーぞ」と言ってコップに入ったお水を子どもに渡して「さて続きをやらねば・・・」とテキストに向かうと、また別の子が「先生、お水ください」と言いに来る。

お水ばかりに時間をかけていられないので、「あとお水欲しい人いませんか~?」と聞き、いないようなのでテキストの採点に戻ろうとしたら、先ほど採点をして間違った子が「先生、やっぱりココわかんな~い」と言いに来た。

自分でやってみたが、やはり分からなかったということらしい。

何度かヒントを与えてみて、それでも分からなければ、教える専門の先生の所へ子どもを行かせる。

教える専門の先生は私の知人で、子ども同士が知り合いでもあるママさん先生なのだが、元々は教師だったそうだ。
しかし、とても勉強熱心な彼女は、常に教育のノウハウを研究していて本当にプロだと思う。

何よりも彼女は子どもたちに教えることが大好きで、教育に情熱を傾けているというのがひしひしと伝わってくる。

お金儲けよりも子どもの成績が少しでも上がってくれたら嬉しいという考えなので、月謝も安くおさえているし、必要とあらば補習も無料で行っている。

だから、ほとんどの子供たちの成績が上がるし、中学生も高校の合格率が高い。

横にいる彼女が子どもに教えながら、だんだんとヒートアップしてくるのがわかる。

「考えてよ!もっともっと考えて、さぁシナプス伸ばすよー!」と言い始めると、彼女がノッテ来た証拠なのだ。

ちなみにこのシナプスというのは脳の中の神経細胞をつなぐ神経伝達物質のことだそうで、思考や行動を繰り返すと、このシナプスの結合が強く太くなって、スムーズに神経伝達が行われるようになる=頭が良くなる?そうだ。

彼女は私よりもいくつか年上なのだが、いつもそのバイタリティーには圧倒されるし、私自身もよい刺激をもらっている。

そして時間を忘れるほどの忙しさの中で、次々と襲ってくる(?)小学生の問題を解いて、採点していたら、いつか私の縮んだシナプスも伸びるだろうか・・・なんて、淡い期待も抱いている。

それにしても、可愛い子どもたちに囲まれて仕事が楽しいと感じられていることが、私の老化気味の脳内神経細胞には一番効いているのかもしれない。

さぁ、また今週もがんばろ~、シナプス伸ばすぞ~。









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