ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

ロッキーになったつもり・・・

2013-11-27 15:50:50 | 日記
一年ぶりに人間ドッグへ行って来た。

詳しい検査結果は、まだ来ていないのだが、身長、体重、そして体脂肪率などは測ったその場ですぐに分かる。

さて今年の結果は、身長は昨年と変わりなしだった。

私はわりと長身なので、数センチくらい縮むのは構わないのだけれど、老化で縮むのはちょっと嫌だな~と思っていた。

だから、昨年と変わりないと知って一安心。

体重の方は、やや増加していたが、それくらいは変動する範囲なので、あまり気していない。

そして、体脂肪は・・・なんと体脂肪率は下がっていた!(嬉)

今まで体脂肪率だけは、ほとんど下がるという事がなかったのに、数パーセントではあるが、体脂肪が減ったことは本当に嬉しかった。

週に1度はプールに通い、毎回ヘトヘトに疲れるまで泳いでいた時も、体脂肪率はあまり変わらなかった。

しかし、ずっと泳ぎにも行っていないのに、今回はなぜか目に見えて体脂肪率が下がっていた。

その後の保健師さんとの面談で、「体脂肪が下がりましたね。何かやっていますか?例えば運動とか・・・」と聞かれたのだが、思い当たることといえば、春から始めたスロージョギングくらいだろうか。

それを話すと、保険師さんは「きっとそれですね。体重が増えているので、体脂肪が減ったかわりに、足腰に筋肉がついてきたのでしょう」とおっしゃってくれた。

息が上がるほど運動量の多い水泳より、鼻歌交じりでゆっくり走るスロージョギングの方が体脂肪を減らす効果があったということだろうか?

春から始めたスロージョギングは、歩く速度と変わりないくらいのスピードで、呼吸が苦しくない程度に走るというもので、いつも20分~30分くらい走っている。

走っている最中も苦しくないので、走りながら平気で会話ができるくらいの運動だ。

つらくないので、最初の頃は毎日のように走っていたのだが、走るのは1週間に2~3回でよいと知り、その後はそのようにしていた。

ところが、近頃では寒さが身にしみるようになってきて、2~3回走るのも億劫になり、今や1週間に1回くらいのペースになってしまっていた。

しかし、スロージョギングのおかげで体脂肪が下がり、筋肉がついたと知ったからには、俄然やる気が出てきた。

春に始めた時のように、今はまた毎日のように走っている。

私が走るようになって、一時期は一緒に走っていた夫は、「こんなダラダラした走り方で効果があるとは思えない。テレビを見ながら勉強すると、効果が上がらないのと同じだ」とかナントカ言って脱落していった。

それで夫が脱落した今は、また一人で走っている。

(実は効果があったと知ったら、また走ると言うかな?)

しかし、それにしても外は寒い・・・

走っているうちに徐々に身体が温まってくるのだが、それまでは本当に寒い。

帽子と手袋は必需品だ。

雪のちらつく中を走っていると、突然、頭の中に映画「ロッキー」のテーマ曲が流れてきた。

雪のちらつく中をロッキーがトレーニングで走る場面が浮かぶ。

・・・というわけで、今日もロッキーのテーマ曲を流しつつ走ってこようと思う。

ダラダラとゆっくり走っている「おばさん」が、まさかロッキーになったつもりで走っているとは誰も思うまい・・・






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流れ星に乗って

2013-11-21 16:05:27 | 日記
すごい子がいるものだ。

身体は子供でも魂は大人なのだなぁ・・・

これは、ある本を読み終えての感想。

読んでいる最中は、驚きとともに、ずっと心地よさも感じていた。

その本とは「自分をえらんで生まれてきたよ」(いんやく りお)

病気を持って生まれてきたりおくんが、片言を話すようになってから9歳までのおしゃべりを、お母さんが書きとめた文章だそうだ。

生まれてくるっていうのは、幸せなんだよ。

生きているというのは、大きな奇跡。

当たりまえと思っている人も多いけれど、奇跡なんだ。

だから、ぼくは早くおとなになって、みんなにそれを伝えたい。


小さなこどもの言葉とは思えないです・・・


ぼくは、病気をえらんで生まれてきた。

希望をもって、生まれてきた。

心を感じることで、勇気がでる。

それがつまり、希望のことなんだ。


まるで哲学者・・・


どうして人は、勝手に生きるのだろう。

本当は、心の中にいる神様の、いうとおりにするのが、いいのだと思う。


まったくおっしゃるとおりです・・・

以上、「自分をえらんで生まれてきたよ」より抜粋。

どの文章も心に響いてくるが、「あぁ、わかる、わかる」と、思わずうなずいてしまったのが次の文章だった。

生まれるまえ、ぼくは、宇宙にいた。

流れ星に、乗っていた。


宇宙は、私も子供の頃に、いつも見ていた。

漆黒の世界に、キラキラと輝く星々。

自分の近くに浮かぶ、ごつごつとした岩のかたまり。(後に、これが近くで見る星なのだとわかった)

そして、たくさんの流れ星が飛んでいた。

大きくなるにつれて、宇宙は見えなくなっていき、大人になって自分自身のことに忙しくなると、子どもの頃に宇宙を見ていたことさえ忘れかけていた。

それが、またここ最近は見えるようになった。

子供の頃は、暗闇さえあれば、いつでもすぐに見えてきたものだったが、今は違って、いつもいつも見えるとは限らない。

とてもリラックスしている時だけ(たいてい布団に入った直後だが・・・)見えることがある。

トンネルのような細長い所をぐるぐる回りながら進んでいくと、ぽっかりと開いた丸い穴の向こう側に宇宙が見えてくる。

多分・・・よく分からないが、宇宙はひとりひとりの身体の中にあるという感じがとてもする。

いつの日か、この肉体を脱ぎ捨てて身軽のなったとき、また宇宙に還って行くのだろうと思う。

もしかしたら、宇宙の先にも進むべき場所があるのかもしれないが・・・

宇宙に還ったその時には、りおくんのように流れ星に乗って遊ぶこともできるだろう。

それを楽しみにして、奇跡的に生まれてきたこの生命を大切に生きていこうと思う。






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いつも幸せ

2013-11-18 17:14:32 | 日記
しみのレーザーを受けてきてから約5日。

レーザーをした後、元々あったしみよりずっと色が濃くなってしまって、一体どうなるのかと思っていたが、やっと黒い皮膚がぽろぽろと剥がれ落ちはじめ、その下からは(自分で言うのもなんですが・・・)まるで赤子のようなぴかぴかの皮膚が現れてきた!

むふふふ・・・うれしい!

鏡を見るたびに笑いがこみ上げてくる。

この5日間、顔に大きな絆創膏を何箇所も貼っていたので、なるべく外には行かないようにしようと思っていた。

しかし、そうは言っても、やはり外出しなければいけない用事があって、目立つ白い絆創膏の上に肌の色に近いテープを重ねて貼って外出をしていた。

自分の顔を鏡で見ると、肌色のテープを貼っていても、すごく目立つような気がして恥ずかしかった。

なるべく他人に顔を見られないように、買い物でお金を支払う時も、うつむき加減でいたのだが、相手の店員さんは顔色一つ変えず、淡々とおつりを返してくれた。

他のお店でも同じ。

地下鉄で向かいに座った人も無関心。

な~んだ。気にしていたのは自分だけだった。

他人は自分が気にするほど人のことなど、あまりよく見ていないものだし、興味もないのだ。

そうと分かってからは、堂々と絆創膏の貼った顔を上げて色々な場所に出かけた。

唯一20代とおぼしき男の子が、ちょっと大きく目を見開いて、私の顔(絆創膏)をまじまじと見ていたが、別に恥ずかしくもなんとも無かった。

ただ障害のある人は、もしかしたらいつもこんな目を向けられているのだろうかと思うと、それがつらかった。

障害のある人や高齢者など社会的弱者を、暖かい目で見守ってくれるような、そんな社会になっていくといいなと思う。

高齢者と言えば、うちの高齢者の老父の散歩にも付き合って外出してきた。

めっきり足腰の弱った父の足を少しでも鍛えなければと、せっせと連れ出している。

もう外は寒くなったので、歩くのはもっぱら大きなショッピングセンター。

今回は、妹と妹の娘(孫)も一緒に散歩に付き合ってくれた。

孫に付き添われながら、ゆっくり歩く父。

心なしか父も嬉しそうだった。

父が一人で歩いていたら「徘徊」だが、孫と歩いていると「幸せな老人」に見える。

そして、幸せそうな老父を見るのが私の幸せ。

な~んてね。

そうそう、もうずっと散歩に行っていない裏の森。

行きたい、行きたいと思っていたら、なんと熊が出たと言う噂を聞いた。

夏はマムシの出没情報を聞いて断念し、秋は熊か・・・




木々の葉がすっかり落ちて、見晴らしがよくなった山。

下には小さな川が流れていて、散歩するにはとても良い場所なのだけれどねぇ。

さすがに散歩に命はかけられない。

ただ、毎朝この森と山の向こうから上ってくる太陽に手をあわせていると、大きな喜びが湧き上がってくる。

そして、いつも幸せだな~と思う。






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しみを消しに行く

2013-11-13 15:29:46 | 日記
今日は、人生初の顔のしみ取りレーザーを受けてきた。

顔のしみは40代になってから急激に増えだし、鏡を見るたびに気になっていた。

前にも、しみを取りたくて、とある皮膚科へ行ったのだが、そこで70歳に近い年齢の医師に「しみは皮膚の自己防衛反応なのだ。しみができなければ癌になる。昔の医者なら、しみを取りたいなんて病院に来たら、ばかもん、しみは大切な身体の防衛反応なんだと言って追い返したもんだ」と言われ、そうなのか・・・と納得して帰ってきてしまった。

そこは化粧品の販売もしていて、美容に力を入れていると思わせる医院だった。

カウンターにずらりと並んだ化粧品の数々・・・そして、しみを消すとは、けしからんと言う医師。

そのあまりの落差に驚いたのだが、それより驚きだったのは治療費だった。

両頬のしみをすべて消すと、お値段10万円だそうだ。

これが高いのか、安いのか、はたまた妥当なのか分からなかったが、私の場合、数が多いのでそれくらいはかかるのだろう。
(しみの場合、保険が利かないし・・・)

そこで、レーザーは止めにして、色々調べて、しみに有効とされるハイドロキノン入りの1万円もする美容液も何本か試してみたのだが、これが効いているのかいないのか分からない程度にしか改善はされなかった。

ある時、他の皮膚科にしみとは別の治療を受けに行ったところ、その医院でもしみの治療をしているというポスターを見つけた。

そこで、医師に聞いてみた。

「このしみを消したいんですけれど、どうでしょう?」

すると、医師は私のしみをマジマジと見てから「これは塗り薬では無理ですね。ある程度は消えますが、完全に綺麗に消すことはできません。それをすると時間もお金もかかりますよ。一気にレーザーで取ることをおススメします」とのことだった。

やっぱり・・・

「もしもレーザーを受けたいのなら紹介しますよ」とおっしゃって、ある美容整形の病院のパンフレットをくれた。

パンフレットをもらったものの、すぐには行く気になれず、しばらく放ってあったのだが、毎日毎日、鏡を見るたびにしみを気にする日々。

家族や親しい人からは「そんなに目立たないよ」となぐさめの言葉をかけてもらっていたのだが、こんなに気になるなら思い切ってレーザーをやろう!と、紹介された病院へ行った。

そこは美容整形というだけあって、ちょっと普通の皮膚科とは違っていた。

すべて予約制になっていて、待合室で他の患者さんと会うことは滅多にないようだ。

それで患者さんが少ないのかと思いきや、そうではなく非常に混んでいて、すぐに予約は取れなかった。

世の中、美容整形の病院に通う女性がいかに多いかと言うことだろうか・・・

初日は診察のみ。

美容整形の医師いわく、私のしみは紫外線によるしみで、子供の頃から浴び続けた紫外線によって、現在しみが現れているとか・・・

だから、子供の頃からの紫外線対策はとても大切なのだそうだ。

「あまり顔に日焼け止め塗ってなかったでしょう?」と聞かれ、「はい・・・」と答える。

もともと顔に何かを塗るというのが嫌いなのだ。

ファンデーションさえも、できることなら塗りたくない。

それを言うと「いやいや、化粧はしない方がいいんです。くすみの原因は落としきれていない化粧品なんですから。ほら、だからくすみがないでしょう」と医師がおっしゃった。

手鏡を渡されて自分の顔を見たが、しみはあるが、そういえばくすみというのは、あまり気になっていなかった。

そして料金は、前の皮膚科と同じく両頬すべてで10万円ということだった。

しかし、前と違うのは、気になるしみだけを、まずやってみましょうと言ってくれた事。

とても良心的な病院で、とりあえず低価格で一部分の気になるしみを消し、気に入ったら差額分の料金で全部をやって頂けるとのことだった。

もちろん、それだけで終了でもOKだそうだ。

そして、今日。

いよいよ人生初のレーザー体験。

気になっていたしみが消える~~

診察台に横たわって、医師からレーザーの説明を受けている間も嬉しくて仕方が無かった。

おもわず「せんせいっ!うれしいですっ!!」と言うと、先生は笑っていた。

レーザーは事前に麻酔のテープを貼っていたせいか、さほど痛くは無かった。

ちょうど輪ゴムで弾かれている様な感じ。

「痛くないですか?」と聞かれたので、「大丈夫です」と答えると、「じゃあ、麻酔のかけてない所も、お試しでやってみましょう」と言って、やる予定ではなかった他のしみにもレーザーをかけてくれた。
(これは、やや痛かったが、耐えられない痛さではない)

そんなわけで現在、顔はあちこち絆創膏が貼られ、とても人前にでられる状態ではないが、念願かなってレーザー治療をしてきたので、そんなことは気にならないくらい嬉しい。

絆創膏は10日間ほど貼っておくそうだ。

早くしみが取れた肌を見たいな~と心待ちにしている。










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見える人の条件?

2013-11-12 15:46:52 | 日記
先日の休日は、天気が悪かったので、家の中でのんびりしながら録画してあった映画を観た。

観たのは、三谷幸喜監督の「ステキな金縛り」

これはずっと観たいと思っていた映画だった。

(私は、わりとコメディなどの笑える映画が好きなんです)

さて映画のあらすじは、失敗するともう後が無いダメな弁護士が、妻殺しの罪で捕まった男の弁護を頼まれる。

男は事件のあった時間、旅館に泊まっていて金縛りに遭い、落ち武者の幽霊にまたがられていたとアリバイを主張する。

そこで弁護士は、幽霊の落ち武者に証人として法廷に来てもらう事にするが、オカルトを完全に否定する検事から幽霊の証言は法的に無効だと反論される。

弁護士は幽霊の落ち武者に、なんとかみんなが納得できる方法で証言をさせようと奔走する・・・と言うような内容なのだが、なんせ落ち武者の姿は、ほとんどの人には見えない。

これは落ち武者が幽霊なので当たり前なのだが、面白いのは、数人の人には落ち武者の姿が見えるということだ。

そこで、やはり落ち武者の姿が見える弁護士が、見えている人の共通点を探る。

すると、3つの共通点が浮かび上がる。

ひとつは、最近ついていないこと。(心が暗い)

二つ目は、最近死を身近に感じたことがあること。

三つ目は、シナモンが好きでシナモンを食べたり嗅いだりする機会が多いこと。

二つ目と三つ目は置いといて、一つ目の条件は当たらずも遠からずと言う気がする。

最近ついていない・・・つまり心の状態が良くない時は、同調してしまうのか、そういうものを見てしまうことがあるのではないかと思う。

自分の事を思い出しても、見たり感じたりする恐怖体験の時は、きまって心の状態は良くなかった。

御蔭さまで今はまったく無いのが救いだが、そういうものに同調しないように心の状態をいつも良好に保っていようと思っている。

少しでも油断をすると、つけこまれると言うのか、見てしまうのではないかという思いがあるので、これはとても重要なことだ。

とはいえ、あんな楽しい落ち武者の幽霊なら見たいな~と思ったりもするけど・・・

ところで、動物はそういった存在を感知できるとも言われているが、1960年代にアメリカの超心理学者が、動物を使って幽霊の存在を確かめようとする実験が行われたことがあったそうだ。

米国ケンタッキー州のある屋敷は、当時、幽霊が出ることで有名で、現実にその屋敷では殺人事件が起こったことがあるそうだった。

学者は殺人事件の現場となった部屋に、犬、猫、ガラガラヘビ、ねずみを連れて行って実験をした。

学者はこれらの動物を別々に部屋に入れて様子を見ることにした。

まず犬は部屋に1メートルも入らないうちに、うなり声を上げ、ドアの外に出てしまった。

その後、飼い主がなだめて、なんとか部屋の中に入れようとしたがだめだった。

猫は飼い主の腕に抱かれて部屋の入った。

猫も犬と同じくらい中に入ったところで、急に飼い主の肩に飛び上がり、それから床に飛び下りて身構えた。

そして、猫はうなり声を上げ毛を逆立てて、部屋の隅に置かれている誰も座っていない椅子をにらんだ。

ガラガラヘビは、猫がにらんだ誰も座っていない椅子に対して、部屋に入ってすぐに身構え攻撃の姿勢をとった。

一方、ねずみはまったく反応を示さなかった。

この4種類の動物は、しばらく時間をあけてから、事件現場とは違う別の部屋で同様の実験をしたが、今度はどの動物もなんの反応も示さなかったそうだ。

この実験の様子を読むと、やはり動物の多くは、感知できるのだろうなぁと思う。

ところで、鳥はどうなのだろう。

うちのP太郎はどうかな~

いつもキョロキョロして落ち着きが無いし、知らない部屋なんかに連れて行ったらパニック起すから、実験中止になっちゃうかもね~

あらあら、なんの話を書いているのか分からなくなってきた。

そうそう、映画が面白かったということでした。

おしまい







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カウンセリングより掃除

2013-11-07 15:10:51 | 日記
昨日は父と一緒に散歩へ出かける予定があったので、家の掃除は掃除機をかけるだけにして、ささっと済ませてあった。

なので、今日は昨日の分も念入りに掃除をすることにした。

さらに今日は同居のお姑さんがデイサービスに行く日。

お姑さんは朝からいないので、お姑さんの部屋の掃除もしなければいけない。

「しなければいけない・・・」と書くと、なんだか嫌々やっているみたいだけれど、実際はそうではなく嬉々としてやっている。

以前、夫に「そんなに毎日一生懸命掃除をしなくてもいいんじゃないか。俺は少しぐらい掃除してなくたって、ぜんぜん気にならないから」と言われたことがあった。

それを聞いて私は「いいの。掃除は自分の為にやっていることだから」と答えた。

そう・・・これは自分の為にやっていること。

もちろん主婦として家族が気持ちよく過ごせるように家の中を綺麗にする・・・という気持ちも無いわけではないが、やっぱり大きなウエイトを占めているのは、自分が掃除をしたいから、掃除が好きだからやっているという方が正しいかもしれない。

つくづく自分は掃除という作業が好きだな~と思う。

軽く汗をかくほどに身体を動かして掃除をしていると、いつの間にか無心の状態になっていることがある。

自分の中がとても静かで、ただ身体だけが動いている。

しかし、そうではない時もあり、場合によっては気になっている事や心配事などネガティブな考えが浮かぶこともある。

そんな時は、すかさず感謝想起をしながら作業に没頭する。

すると余計な考えが消えてゆき、また静かな状態が訪れる。

掃除と言うのは、これで終わりというものがなく、次から次へとやりたい場所が出てくるものだ。

それを一度に全部やろうとすると大変なので、時間を決めて、その時間が来たら止めるようにしている。

そして、残った場所はまた次回ということにする。

さて、今日は通常の掃除作業に加えて、お姑さんの部屋のブラインドを綺麗にすることにした。

ブラインドは細いプラスチック製の板がたくさん並んでいて、そこにほこりが溜まったり、キッチンにある場合などは、油汚れもついていることがある。

お姑さんの部屋のブラインドはキッチン横にかかっているので、油汚れも気になっていた。

そこで、水で濡らした掃除用の軍手に洗剤をつけ、それを手にはめて一本ずつブラインドを拭いた。

指に力を入れて擦ると、ブラインドはみるみる綺麗になっていった。

・・・と、ここで家の中の作業は中止。

今日はこの後、庭木の冬囲いと鉢植えを家の中に入れる仕事をしようと思っていた。

庭木の冬囲いは何回かに分けて終らせてあったので、今日しなければいけないのは「アジサイ」の木だけだった。

アジサイの冬囲いを終らせたら、あとは外に置いてあった鉢植えの植物を家に入れる。

早く入れないと、そろそろ雪が降るらしい。

そう思って、鉢のひとつを見たら、なんと葉っぱの上にバッタ君がいた!



日当たりの良い場所にあった鉢植えなので、この上にいると暖かいのかもしれない。

もうずいぶん弱っているのか、じっとしてあまり動かない。

こうして葉っぱの上で暖まっているバッタ君を追い出すのは、あまりにも可哀そうなので、この鉢植えはもうしばらく外に置いておくことにした。

ところで先日テレビを観ていたら、家事を毎日6時間以上する女性は乳癌に罹るリスクが13パーセント減ると言っていた。

これは掃除をして体を動かすのが運動になって、健康になるということなのだろうと思う。

(確かに掃除で両腕を大きく動かすので、乳癌予防には良いかも・・・)

それより興味深かったのは、掃除をすると心も元気になってくるということ。

欧米人は心が弱るとカウンセリングを受けるが、日本人は心の内を他人に明かしたり、また「懺悔する」という習慣がなかったので、カウンセリングは日本人にはあまり向かない?とか。

日本では昔から禅寺などでもやられてきたように「掃除」をさせることで、徐々に元気にしていくという方が合っているそうだ。

そして「カウンセリングより掃除」と唱える学者も多いそうだ。

掃除は心と身体にいい!

これは、多分間違いないでしょうね~










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節約を楽しんで

2013-11-05 15:45:24 | 日記
東北で一人暮らしをしながら大学に通う長男パインが、この連休に帰ろうかなと言っていたが、その後、何の音沙汰も無い。

どうしているのやら・・・そこで、パインに「何してる?」とメールを送ったところ、しばらくしてパインから返事が来た。

「今、リンゴもいでる」

パインは、毎年、この時期に農家へアルバイトへ行ってると言っていた。

メールをした時には、農作業のアルバイト中だったのだろう。

翌日、パインから電話があり、やはり今年もリンゴ農家さんでアルバイトをさせて頂いていたとか。

温かい大家族の中で、心づくしのお昼ご飯をご馳走になって、お土産にリンゴと梨まで頂いたそうだ。

そして、頂いたアルバイト代は、友達と自転車旅行に行く資金にするそうだ。

最近、パインは列車やバスに持ち込めるような折りたたみ式の自転車を買った。

それで時間が取れると、友人数人で東北各地を旅行して歩いている。

今回は、テレビドラマの舞台になった岩手へ行こうと計画を立てているそうだ。

旅の計画を聞くと、とにかく旅費を安くあげようと苦心していることがわかる。

行ける所までは、なるべく公共機関は使わずに、自転車に乗って行く。

そして、旅館は高いから泊まらずに健康ランドのような所に泊まるのだそうだ。

「お金を出してあげるから、ちゃんと旅館やホテルに泊まって、公共機関も使ったら?」と言うと、「いやいいんだ。友達もみんなそうするって言ってるし」ということだった。

パインの話を聞いていると、今の若者は、あまりお金を使うことをしないみたい。

パインと電話で話している時のこと。

パインが「最近、卵の値段あがってない?前は一パック158円で売っていたのに、今は198円なんだ」と聞いてきた。

家に居るときには、卵の値段なんて気にもかけていなかったのに、やはり自炊をするようになると違うもんだ・・・とちょっと感心した。

「そういえばそうかもね。すこし卵の値段も上がってきたかもしれない」と言うと、「朝の新聞広告に卵98円と出ていると、自炊をしている友達と今日は卵が安いと言って、学校帰り買いに行くんだ」とパイン。

なんだか主婦みたいだね~と笑ってしまった。

でもパインの話を聞いていると、とっても楽しそうだな~と思う。

節約も悲壮感がなく楽しんでやっている感が伝わってくる。

楽天が優勝するとスーパーがセールをするから、食品も安くなる!と期待をしていたパインだったが、はたして楽天の優勝後にはスーパーのセールに行っただろうか。

「安く卵買えたかな?」と思ったら可笑しくなった。

そんなことを考えながら、私は優勝セールには関係の無い道内のスーパーで、今日は買い物をして来ました。







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内面の変化

2013-11-01 16:16:00 | 日記
保険について相談があり、契約している保険会社の営業マンに来て頂いた。

この方(男性)は、所属する保険会社の中でもトップクラスの成績をキープされている方だそうで、北海道内のみならず日本中にいるお客さまの所を飛び回っているのだそうだ。

さすがにトップセールスマンらしく身だしなみは、どこからどうみてもスキがないくらいきちんとされているし、お忙しい合間を縫って、こまめに手書きの葉書も送って来てくださる。

また、言葉遣いが丁寧なのは当たり前なのだが、言葉を一つずつ大切にするようにゆっくりと、そして静かに話すので、それも誠実な印象を与えている。

それにしても、そんな営業マンは全国にゴマンといらっしゃるだろう。

なぜ、彼がトップの成績を出し続けているのだろうか・・・

営業マンさんがいらっしゃった時、実は我が家では先祖供養で灯していたお線香がまだ燃え尽きておらず、部屋の中にはお線香の煙と香りが漂っていた。

「ごめんなさい。うちでは毎朝、先祖の為にお線香をあげているので煙いでしょう?」と言いながら窓を開けたのだが、それに対して営業マン氏は「いいえ。子供の頃、母が毎日仏壇に線香を上げていたので、線香の香りを嗅ぐと懐かしい気持ちになります」とおっしゃってくれた。

そんなお線香の話から始まって、しばらく保険とは関係の無い雑談をしたのだが、面白いお話を伺うことができた。

営業マン氏が、営業で各地をまわって色々なお客様と接するうちに、あることに気づいたのだそうだ。

社会的に成功している人というのは、先祖の供養を大切に行っていたり、神仏など目には見えないものや世界、大いなる存在を信じて敬う心を持っている人が多いそうだ。

「もちろん、そうではなく現実世界の事だけ、目に見える事柄だけで生きている人も数多くいらっしゃいます。

多分ほとんどの人はそうだと思いますけれど・・・

私も昔はそうでした。成功していい車に乗りたいだとか、お金持ちになりたいとか思っていましたし、それが叶えば幸せになれると思っていました。

でも、多くの方とお会いするうちに、そうではないことが分かりました。

いくらお金をたくさん持っていても家庭が壊れていたりと、けっして幸せそうじゃない人が多くいます。

そこから、真の幸せは物質から得られないのだということが分かりました」

そう教えてくれた営業マン氏が「実は私は・・・」と話し始めた。

営業マン氏は、保険の営業になる前に他の企業で事務系の仕事をしていたそうで、今の保険会社へは転職で入ったそうだ。

保険会社に転職をしたものの、同期入社の中で営業経験のない者は自分だけだったそうだ。

他の同期が次々と契約を取って来る中、まったく契約が取れず、最初の3年間は人生の中で最も苦しい時期だったと言う。

「その頃、どうしたらいいのか分からず、営業のノウハウ本みたいなものを手当たり次第に読みました。そのうち、心について書いてある本に出逢い、徐々に自分の考えが変わっていったんです。人間は個人個人ばらばらに存在しているように見えるが、実は根源の深い部分では繋がっているのではないかと思うようになりました」

またその頃、ある不思議な体験をしたことも、自分の考えが変わる転機になったそうだ。

「趣味のバイクで出かける予定があった日の前夜、寝ていたら、枕元に誰かが座っているような気配を感じて目を覚ましました。その途端、耳元でちょろちょろと水が流れる音が聞こえてきたんです。その音を聞いているうちに、なんとなく明日はバイクに乗らないほうがいいのではないかと思いました」

しかし翌朝、そんなことは気のせいだと自分に言い聞かせ、彼はバイクに乗って出かける。

そして、その日彼は大きな事故に遭ってしまった。

ところが、バイクはぐちゃぐちゃに大破したものの、驚いたことに営業マン氏はまったく無傷だったそうだ。

「先祖なのか何なのか分からないが、なにかに自分は守られた」

そう思ったそうだ。

以来、氏神さまである神社への感謝の参拝をするようになり、先祖を大切に思う気持ちが芽生えたそうだ。

そして、自分の心が変わり、自分も他人も根源では繋がっている存在なのだと思った頃から、契約が徐々に取れるようになったそうだ。

もちろん営業マン氏のたくさんの努力が実を結んだ結果だと思うが、彼の内面の変化が仕事によい変化をもたらしたというお話はとても興味深かった。

「こんな話ができるなんて思いませんでした」とおっしゃって、保険の説明はほどほどに帰っていかれたが、私もこんなお話が聞けるとは思ってもいなかった。

時間の関係上、肝心の保険の相談は保留という事にしてしまったけれどね・・・








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