ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

在庫管理

2020-03-26 15:55:18 | 日記

いつもの在庫収納スペースを見てから、少なくなっていた調味料と日用品を買ってきた。

買い置きしている物の在庫管理をするようになってから、買い過ぎて賞味期限を切らしてしまうことも、同じものを大量にストックしてしまうことも無くなった。

在庫管理と言っても、きっちりとラベリングして区分して、、なんていう几帳面なことはしていない。

ただ決めた収納場所に、決めた数の在庫を収納して、無くなったら買い足すという大雑把なもの。

例えばお醤油の在庫数は4本までとか、みりんは2本までとか、なんとなくこれくらいという量を決めて少なくなってきたら買い足している。

調味料以外では、乾物や缶詰、インスタント食品なども在庫数を決めてストックしているが、これらは非常用の備蓄品代わりにもなっている。

また日用品では、トイレットペーパーやティッシュは言うまでもなく石鹸や洗剤類、ラップなんかも在庫数をざっくりと決めて、少なくなってきたら買い足すようにしている。

このように在庫を把握するようになってから、安売りをしていても買わなくなった。

「これはまだ家にある」とわかっているから、特売の誘惑に惑わされることなく通り過ぎることができる。

とはいえ在庫管理をしていなかった時は、安売りをしていれば、家にどれくらいあるのか考えもせず(わかっていなかったとも言える)迷わず買っていた。

買ってきたものは、一応決めてある収納場所に入れるのだが、もう場所がないほど大量のストックがあって、どれが古くてどれから使ったらいいのかも分からなくなっていた。

特に好きなのが洗濯用洗剤で、これが特売になっていたら絶対に素通りできず買い物かごに2~3個は確実に入れていたのだが、いざ使おうとしたら古い粉石けんがカチカチに固まっていて、仕方なく金づちで叩いて使ったことがあった。

また食品でも賞味期限が過ぎてしまうことがよくあったが、今は数を決めて管理しているので無駄にすることがなくなった。

こうして在庫管理をするようになってから、安いからというだけでむやみに買わなくなったので逆に節約になっていると思う。

家の中の物は、少なければ少ないほど管理しやすい。

いつも朝、ゴミを持って行く前に何か捨てられるものはなかっただろうかと考える。

何年も履いていない靴、着ていない洋服、しばらく飾っていなくて多分これからも飾ることはないだろうと思う雑貨、キッチン用品など使っていないものは思い切ってどんどん捨てていった。

古い物を捨てることと食品や日用品の在庫管理は一見関係ないようだが、使っていない物が家の中にたくさんあると頭の中も混乱して、まだ在庫があるにもかかわらず買ってしまうというのが、昔のわたしだった。

今はさすがにもうゴミに出すものが思いつかないというくらいまで処分したが、おかげで在庫の方も把握できて、かつてギューギューに詰め込んでいた収納場所はすっきりとしている。

・・・ここで訂正が。

もうゴミに出すものがないという所、訂正です。

本当はもっと自分の洋服を処分したいのだが、ふんぎりがつかないでいる。(これ、まだ着るかも~という悪いパターンです)

ふんぎりがつかないものは、ふんぎりがつくまで持っていようと思っている。(気が済んだら捨てる)

 


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元気ですかー

2020-03-23 16:28:49 | 日記

買い物から帰ってきて車を降りたら、ちょうどご近所に住む中国人のワンさんに会った。

「元気ですかー?」と聞かれ「元気ですよー」と答える。

「しばらく姿が見えなかったから心配してたですよ」とワンさんが言った。

そういえばしばらくワンさんとは顔を合わせていなかった。最後に会ったのは、たしかコロナ騒動が起きる前。

雪かきをしたり散歩に行ったり、野鳥を見に行ったりと外を出歩いていたのだが、ワンさんとはタイミングがずれていたのか会う機会がなかった。

「コロナ流行っているから心配してたよ」とワンさんに言われて、なんだか嬉しかった。

ワンさんはしばらく私と会わないので、よもやコロナに罹ってはいないかと心配していたそうだ。

元はと言えば中国が発生源なのだが、それは中国人のワンさんのせいではない。

それよりもワンさんの中国にいる親族は大丈夫だろうかと聞くと、「武漢とは離れているから大丈夫」とのことだった。

「でも、しばらく中国に帰ることができなくなりましたね」と言うと、「もう中国には帰らないよ」と言いながらぶるぶると身震いした。

日本にいると中国の色々な情報を目にすることがあり、もう怖くて帰りたくないそうだ。

そして「歳をとると、だんだん免疫力が落ちてくるからねー。私たちくらいになったらもうあまり無理しちゃだめ」とワンさんが言ってくれた。

中国で内科医をしていたというワンさんの言葉は、とても説得力がある。

無理するどころか、毎日ゆる~い生活を送っている私だが、ワンさんの忠告はしっかり心にとどめておこう。

それから少しの間、お互いに2メートル以上の距離を開けた状態で世間話をして別れた。

話すときは、お互いに自然と距離を開ける・・・というのが、コロナが流行り出してからするようになったことだ。

ところで三連休の昨日は、本当に久しぶりにドライブで道の駅など観光スポットへ行った。

どこも大勢の人で賑わっていたが、あれほどたくさんいた海外の観光客の姿はなく、食べ物を提供する店も閉まっている所が多かった。

しかし、多くの人がいる建物には、今はまだ長く留まらないようにして、外に出て車の中からの景色を楽しんできた。(まだ寒くて外に長くいることができないので)

寒さはまだまだ厳しいが、やっとネコヤナギの銀色の花が咲き始めた。

確実に春は近づいていると思うと、それだけで嬉しくなる。

暖かくなってきたら、ゆる~い引きこもり生活から徐々に外に出て行き、まずは庭仕事などを始めたいと思う。

 


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シロハラ

2020-03-19 13:02:28 | 日記

庭に見たことがない鳥が来た。

さっそく調べてみると、どうもシロハラではないかと思う。

写真がボケボケでよく分からないが、羽の色は灰褐色でお腹だけが白く、大きさはヒヨドリよりやや小さめ。

ネットで調べた情報や写真とも一致している。

野鳥観察を始めて10年以上になるが、この鳥は初めて見た。

もしもこの鳥がシロハラならば、北海道では生息していないので、今まで見ることがなかったはずだ。

調べてみると、シロハラは中国北東部やロシア沿岸部が繁殖地で、冬になると日本や朝鮮半島に渡って越冬する渡り鳥だそうだ。

同じ日本でも寒い場所には来ないようで、冬は西日本など積雪のない地域で越して、春になるとまた北の繁殖地に戻って行くらしい。

・・・ということは、いま中国とかロシアへ戻る旅の途中ってこと!?

渡り鳥に国境は関係ない。コロナウイルスで入国できないということもない・・・

「ようこそ~!!よくぞ遠くから海を越え山を越えて、こんな小さな身体で来てくれました。どうぞ出発までゆっくりしていってくださいね」

エサをついばむシロハラを見ながら、気分はすっかり旅館の女将さん。

おや?今度は常連のお客さんが来ましたね。シメさんです。

このシメさんは、丸いコロンとした身体がかわいいのだが、お顔は隈取をしたような模様が入ってイカツイ。

しかし、お顔はイカツイが性格はおっとりしていて、ヒヨドリのように他の鳥が来ると攻撃的に追い払うことはしないという、とても上品なお客さん。

そんなシメさんは、いつも小一時間ほど、まったりとウチの庭でくつろいでいく。

いつものようにくつろぐシメさんをじ~っと観察していたら、森の中で何か動くものがいた。

エゾリスだった。

残念ながら写真に撮ることができなかったが、大きなふさふさのしっぽを揺らしながら、一目散に走っている姿がめちゃくちゃ可愛いらしかった。

エゾリスが走り去った場所には、大きな木が一本立っていて、その木の根元には、雪が融けて深い穴ができている。

すると、その穴からも動物が出てきた。

エゾリスの半分くらいの大きさの小さなネズミが二匹、穴から出たり入ったりしている。

小さなネズミを見ながら、キタキツネに見つからないようにね・・・と祈るような気持ちになる。

とは言え、キタキツネもお腹を空かせて食べ物を探すのに必死。

春になると、がりがりに痩せた姿のキツネを見かける。

あぁ、みんなそれぞれ与えられた命を一生懸命に生きているのだなぁ。

なんてことを、自然の中で繰り広げられる動物たちの姿を見ながら思っているわけです。(夫からは暇人と言われる)

 

 


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今、どこで何してる?

2020-03-16 15:45:21 | 日記

家の中からお姑さんの気配がしなくなってずいぶん経つ。

実際にお姑さんの持ち物のほとんどを整理したので、家の中にお姑さんを思い出すような物がなくなったからかもしれない。

思い出すのは、毎日の供養で手を合わせる時だけだ。

ところで、この前はお姑さんが亡くなってから初めて夢にお姑さんが現れた。

ふと気がつくと、私は見たことのない古い家の前に立っていた。

今の家の造りではもう見ることがなくなったが、玄関は引き戸で昔の家ではよくあったガラスが嵌められている。

その引き戸をがらがらと開けると、そこにお姑さんがにこにこと笑いながら立っていた。

お姑さんは、深い緑色の落ち着いた柄の着物を着ており、髪の毛はきれいに結っていた。

私が初めてお姑さんに会った頃は、もうすでにショートヘアで洋服ばかりだったので、そのような着物姿のお姑さんは見たことが無かった。(たくさん着物を持っていたのに・・・)

夢の中のお姑さんは、着物姿でうれしそうに笑っていた。

そして、にこにこしながらお姑さんは私に向かって「おかあさん」と言った。

お姑さんが私を「おかあさん」と呼ぶのは生きていた頃と変わっていないが、お姑さんの見た目がずいぶん変わっていることに私は驚いた。

見慣れた白髪のショートヘアではなく、黒々とした髪を頭の上の方で高くして結い上げている。

髪の毛に白髪がなくなっているのもそうだが、顔もまたかなり若返っていた。

亡くなった時の年齢は90歳を過ぎていたが、夢の中のお姑さんは、50代後半から60代前半といったところだろうか。(若返って出てくるのは亡き父も同じで、父は夢の中に現れる度に若くなっていった)

ところで若くなったお姑さんから「おかあさん」と呼びかけられて、私は夢の中で戸惑っていた。

「亡くなったはずなのに、なぜお姑さんはここにいるのだろう?しかも私が知っているお姑さんよりずっと若くなっている」と思っていたが、お姑さんは何も言わず、にこにこしながら目の前に立っていた。

・・・というところで目が覚めた。

起きてからもお姑さんの姿がはっきりと脳裏に焼き付いていたので、思わず夫にそのことを話したら、夫は「そうだ。おふくろは昔、着物を着た時に髪を上に高く結っていた」といった。

夫がまだ子どもだった頃、お姑さんは長い髪で結っていたそうだ。

いつしか着物を着なくなったが、夫の小学校の入学式や参観日などの時は、いつも着物を着て学校に来たのだとか。

ところで私は、人は亡くなっても魂は生き続けると信じている。

魂だけになった時、人はどのような姿で、どんな所に住んでいるのだろうか。母が亡くなった時、私が20代の頃だが、よくそんなことを考えていた。

亡くなった母が今どんな所にいるのか知りたくて、当時、流行っていた丹波哲郎さんの大霊界ナントカという映画まで観に行った。

映画の内容はもうすっかり忘れてしまったが、(間違っているかもしれないが)たしか亡くなった人たちが集まって暮らしていたようなことを覚えている。

しかし、それは違うと今は思う。

以下、私の妄想だと思って読んでください。

見知らぬ者同士、複数の故人が一緒に暮らしているのを、私は今まで見たことが無い。

それは故人の想念の中で作られた世界だから、知らない人と一緒というのは考えられない。

自分が生きていた頃に一番良かったと思う自分の姿で、一番思い出に残っている場所で、それらを想念で作り上げた世界で生きていた頃と同じように暮らしているのではないかと思う。

ただし、これは普通に生きて寿命が来て亡くなっていく場合であって、自殺などの場合は当てはまらないだろうと思う。もしかしたら見知らぬ者同士が一緒にいるということもあり得るかもしれない。

しかし、永遠にこのような想念の世界で暮らし続けることもない。時間が来たら再生に向けて進んでいく。

映画まで観に行って、どこにいて何をしているのか知りたかった亡き母だが、母は亡くなってしばらくの間、自分の想念で作り上げた世界の結婚してから住んだ昔の古い家に居た。

そこは、実際に私も18歳まで家族で住んでいた家だ。

その後、新しい家を建てたので引っ越しをしたのだが、母にとっては新しい家よりも結婚して子育てをした古い小さな家が思い出に残っていたのだと思う。

また母はそんなに若返っているようには見えなかったので、多分、自分の姿に満足していたのではないかと思う(笑)

父の場合だが、父は母と違って自分が働いて建てた新しい方の家に住んでいた。そして容姿も40代かと思うほど若くなっていた。これは、容姿に気を遣う、おしゃれな父らしいと思う。

ということで、お姑さんも着物をきた若い頃の自分が、一番戻りたかった姿だったのかもしれない。

また古い玄関のある家も、私には分からないが、お姑さんが一番思い出のある昔住んでいた家だったのかもしれないと思う。

さて、そんなお姑さんのことを夫に話したら、夫は想像以上に喜んでくれた。

やはり夫も亡くなった母が、どこで何をしているのか知りたかったのだ。

「そうか、着物姿で笑っていたか・・・最期は苦しそうだったからなぁ。それはよかった、よかった」

そう言って、夫もにこにこと笑顔になった。私もうれしくなった。

 

 

 


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楽しみ

2020-03-12 13:22:07 | 日記

朝カーテンを開けると、一面の雪景色だった。

昨日は、昨今の気温の高さで木の根元の雪が融けて地面が見えていたのに、今朝はすっかり雪に埋もれている。

このような雪景色を見ると、また雪かきをしなければいけない憂鬱さよりも、その美しさに見とれてしまう。

そして、少しだけわくわくとした気持ちになる。

このわくわくとした気持ちは、子どもの頃に早朝の雪景色を見た時に感じたものと同じだと、朝食の準備をしながら思っていた。

まだ子どもだった頃、朝起きて窓の外に新雪が積もった景色が見えるとわくわくした。

それは外で雪遊びができるからだったのか、それとも単に景色がきれいだったからなのかは思い出せないが、とにかくわくわくと嬉しい気持ちになった。

大人になって自分のことで精一杯だった頃、そして結婚してから子どもの心配で頭が一杯だった頃には、もうすっかり忘れ去っていた感情だった。

今こうして再び、このような感情が戻ってきたことがうれしいと思う。

ところで、最近もうひとつわくわくして見ているものがある。

それはアメリカのテレビドラマで「ストレンジャーシングス」

妹から「おもしろいよ」と聞いて見始めたのだが、もうすっかりハマってしまった。

あらすじをすこしだけ・・・

アメリカの平和な田舎町で不思議な事件が起こるようになる。

その町には、超能力や超常現象を研究している国立研究所があるのだが、事件はその研究所周辺で続発する。

そんな不思議な事件のひとつ、一人の少年が突然行方不明になるのだが、それをきっかけにストーリーは広がって行く。

行方不明になった少年の友だちである少年たちと、不思議な能力をもつ少女、また彼らの周辺の大人たちが、邪悪な存在に立ち向かっていく。

くわしいあらすじは書けないが、とにかくおもしろくて、毎回ハラハラ、ドキドキ、わくわくしながら観ている。

なんでも日本のアニメの影響を受けて作られたドラマだそうだ。日本のアニメの方を見ていないのでわからないが、こんなに面白いドラマに影響を与えたアニメなら観てみたいと思う。

ところでストレンジャーシングスはシリーズ(シーズン)化されていて、一本のドラマは一時間弱と短いのだが、全部を見ようと思うと何日もかかる。

で、現在はシーズン3作目に入ったところだが、これで見終わってしまうのがとても残念だ。。。

でもシーズン4の製作が決まったそうなので、それを待とうと思う。楽しみがひとつ増えた。

新型肺炎の影響で楽しみだった温泉には行けないが、こうして家の中や近隣で楽しめることをひとつでも見つけたい。

不安や怖れより楽しみで心の中をいっぱいにしたいと思う。

今年のお正月に胸の中に広がった「楽しめ」という言葉に従って。

 


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若々しい人

2020-03-09 15:43:18 | 健康

新型肺炎がまだ流行っているので、今週も温泉には行かずに自宅で過ごしている。

週に一度の買い物には出かけるが、あとは自宅で家事、映画、読書、筋トレ、時々近所の散歩をする日々。

契約社員の長女は今回のことで仕事が減っているため、休みが多くなって仕事に行っても早めに帰って来るようになった。

お給料も減って、これで暮らしている方々にとっては死活問題だろうと思う。

どうか早く終息しますようにと願うのみ。

ところで50代最後の年を迎えて、最近ますます体力の衰えを感じる。

少し筋トレをさぼると、途端に筋肉が衰えているのがはっきりと分かるようになった。

そんな体力低下を阻止し、すこしでも現状維持をしようと、コツコツと筋トレやウォーキングと涙ぐましい努力をしているのだが、世の中にはこういったことをしなくても若々しい身体を保っている方がいらっしゃる。

以前、温泉で驚異的な若さを持つ女性に会ったことがある。

この方は、どうみても70歳くらいにしか見えなかった。

しわは少なくお肌にはハリがあって、髪の毛は黒々とされていた。

いつものように、この方も含めて初めて会った方々と温泉トークをしていたのだが、年齢の話になった時、なんとこの70歳くらいにしか見えない女性が、83歳だということを知って、私も周囲にいた人たちもみんな驚いた。

「ぜったい、そのお歳には見えない。もっとお若く見えます」と周囲の人たちから口々に言われて「いや~そんなことないよ」と、照れくさそうにされながらおっしゃった。

「私、71歳の時に健診で血管年齢っていうのを調べたことがあるんだけど、その時に血管年齢が20代って出たのよ。そしたら調べてくれた職員さんが驚いて、なにかやってますかって聞かれたの。いや~別になにもやってませんよって答えたんだけどね、あとから考えたらこれかなって思い当たることがあったの」

「何ですかっ?思いあたることとは?」

周囲にいた人たちは、早く聞きたくて全員が前のめりになっていた。

すると「私の場合は、温泉に入って温冷浴をしたことかなと思う」と教えてくれた。

聞けば、その方は昔から温泉が好きで、今は毎日のように温泉に来るそうだ。

そして、温泉での楽しみがお湯と冷たい水に交互に浸かる温冷浴で、これはもうずっと長く続けているのだとか。

「心臓が悪い人や高血圧の人には勧めないけど、私には合っていたみたい。84歳になる夫も一緒に来て、男湯の方で温冷浴を毎日やっているんだけど、そのせいか私も夫も病気ひとつしたことがないの。今は病院へ行くのは年に一回、健康診断の時だけ。病気もないし、どこが痛いっていうのもない」

そう教えてくれた。

血管年齢が若いと見た目も若いというのは聞いたことがあるが、まさに目の前にいる方が、それを証明していると思った。

こんなすごい人がいるとは・・・温冷浴以外にも何かやられているのだろうかなど、いろいろなことを伺ってみたかった。

そこで「質問してもいいですか?」と聞くと、快く「いいよ」と了承して下さった。

まず質問その1「温泉は毎日ですか?来るのはここだけですか?」

返答「そう、大体毎日来ている。行く温泉は他にもいくつかあって、その日の気分で決めている」とのこと。

ちなみに温泉の回数券は、各温泉でやっている割引の日に何冊も買っておくそうだ。テーブルにずら~っと回数券を並べて「さてどこ行こうか」と考えるのが楽しいとおっしゃる。

質問その2「ウォーキングとか、なにか運動はされていますか?」

返答「いいや、家事以外してないよ。買い物に歩いて行くくらいかな。万歩計持ってたくさん歩かなきゃって言ってた知り合いが、みんな歳をとってから膝が痛むって言うから、私はウォーキングはしないの」

質問その3「よく食べられるものは、ありますか?」

返答「よく食べるもの?う~ん、無いねぇ。なんでも食べるから」

質問その4「甘いものとかも?」

返答「うん、甘いものは好きだからね。でも甘いものが食べたいから、一日二食にしているの。三食たべて甘いものも食べると食べ過ぎだからね」

質問その5「お酒はどうですか?飲みますか?」

返答「お酒も好きだよ。このあと(温泉のあと)うちへ帰ってお父さんと一緒にビール飲もうと思ってる」

以上。つまらない質問にも気軽に答えてくれた女性には心から感謝したい。

最後にこの方がおっしゃった。

「温泉で温冷浴するのが何よりの楽しみなのさ。あんたも悪いとこがないのならもっと温冷浴しなさい。なに?冷たい水に入るのに時間がかかるって?慣れだよ、慣れ。こんな真冬じゃなくて、もっと暖かくなったら練習しなさい」

温冷浴をするようになってずいぶん経つが、今もすぐに冷たい水には入れない。

冷たい水をお湯で割って作った生温かい水を手足の先から順番にかけてからじゃないと、いきなりでは息が止まりそうになる。

それも冷水に浸かるのはせいぜい胃の高さくらいまで。それ以上は無理だ。

浸かっている時間も数を10数えるくらいまでだ(それも後になるほど数え方が早くなる・・・)と言うと「暖かくなったら練習しなさい。できるよ!」と励まされた。

若々しい女性に励まされて、暖かくなったら、さっそく冷たい水に入る練習をしようと決めた。

というわけで、それまでは筋トレと頑張らない程度の散歩をして健康維持に努めたいと思う。

 

 

 


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独りじゃない

2020-03-04 12:51:50 | 日記

今朝はとても嬉しくて、そしてすっきりとした気分で目が覚めた。

独りじゃなかったという心の底からの安心感に満たされていた。

目覚まし時計で目が覚める直前まで、亡き両親とたくさん話をしていた夢を見ていた。

いや、話をしていたというのとはちょっと違うかもしれない。

私が聞いてもらいたいことを一方的に話し、それを両親がただ黙って聞いているという夢だった。

周囲に家族がいるから孤独じゃない、というのは違う。

周囲に人がいても孤独を感じることがある。

最近すこしネガティブな気持ちになることがあって、家族にも言えず、もちろん妹や友人にも言えず、ただひたすら自問自答していた。

その答えは誰に聞かなくても、自分自身がよく知っていた。

だから余計に周囲に話すようなことではなかったが、ただ孤独を感じることがよくあった。

こんなに孤独を感じたのは久しぶりかもしれない。

でも、心の中は孤独でも日常生活ではごく普通に振舞うことができた。

周囲は、誰も私がそのようなことを思っているとは気づいていないと思う。

ただ、亡き両親には気づかれていた。

誰かに話を聞いてもらいたいという願望が、亡き両親に聞いてもらうという夢を見せたのかもしれない。

そうかもしれない・・・

そうかもしれないが、私としてはやはり「繋がっている」と信じたい。

お線香による先祖供養は、目に見える世界だけしか見ていないと、ただの一方通行に思うかもしれない。

でもそうではない。目には見えないが、供養したいという気持ちは確かに通じている。

では、その証拠をみせろと言われても、心の中の世界のことはなかなか現実世界で説明することは難しい。

だから、そんなことで議論するのは不毛な議論になる。

それを信じる人だけがやればいいと思う。

先祖供養を始めてからやっと11年目。まだまだだ・・・

先祖を辿って行くと、最後は人類の祖先に辿りつく。あと何年、自分は供養をできるのだろうか。もっともっと供養したいと思う。

だから健康に気をつけて、認知症にもならずにいなければ・・・(笑)

今朝は、なつかしい両親に会って気の済むまで話を聞いてもらってすっきりとして、亡き人たちや内在神と繋がっていることをもう一度思い出させてもらった。

今日からは、もう孤独を感じずに済むだろうと思う。

 


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ささやかな幸せを喜ぶ人たち

2020-03-02 12:34:45 | 日記

いつもの週末なら必ず行く温泉だが、今回は残念だが行くのを控えて、普段の週末と同じように食料品の買い出しだけをすることにした。

それにしてもどこも人出がなくて閑散としているのかと思いきや、スーパーの混みようには驚いた。

普段の週末の倍は、いるんじゃないかと思われる大勢の方で、レジには長い行列ができていた。(まるで年末商戦時期のような感じ)

密閉空間で大勢の人が密着して集まると感染の危険性が高まると言っていたが、まさにこれって危ないんじゃないかと思いながら並んでいた。

商品は、トイレットペーパーはもちろんのこと、いつもより商品が無くなっている棚が多かったが、みなさんいつも以上に買い込んでいるのかなと思った。

ところで、レジに長く並んですっかり身体が冷えてしまい、こんな時はあったかい温泉に浸かりたいなぁと心から思う。

さて前回、温泉に行ったのは、長女がささやかなことに喜べてうらやましいということを書いた翌日のことだった。

そこでなんと、まるでタイミングを合わせたかのように、ささやかなことに喜べる大勢の方に会うことができたので、今日はその話を書こうと思う。

まず温泉に入ってすぐ体を洗っていると、湯船から大きな声が聞こえて来た。

「あ~しあわせ。あったかいお湯に浸かって、なんて幸せなの。ありがたい、ありがたい・・・」

湯船を見たら年配の女性が二人入っていて、一人の女性がそう言うのをもう一人の女性が「ホントだね~しあわせだね~」と同意していた。

ふたりで「しあわせだね、ありがたいね」と言いあっているのを微笑ましく見ながら、外の露天風呂の方へ行くと、こちらもお二人の年配女性が先に入っていて、私が行くと「ようこそ~!こちらの方が温度が高いよ。遠慮しないで中の方へどうぞ入って」と言われた。

もちろん見ず知らずの方だったが、温泉に入ってリラックスしたのか、お二人は気軽に声をかけてくれた。

そして、内風呂に入っている方と同じように「しあわせだね~」と言いながら目を細めていらっしゃる。

温泉は人を幸せにすると、つくづく思う。

この日は、声をかけてくれた女性が、あとから入ってきた方に気軽に声をかけて、声をかけられた方々もまた気軽に話に応じて、見ず知らずの者同士で話に花が咲いた。

その中の一人の女性とは、隣同士でいろいろなお話をさせてもらった。

60代前半というその女性は、現在は介護のお仕事をしているそうで、子どもたちが独立したので、休日にはご主人とふたりでいろいろな温泉に行って楽しんでいるそうだ。

数年前には、ご主人が癌になってもうだめかも・・・と言う所まで行ったが、現在はなんとか回復して温泉にも来れるようになったそうだ。

そんなご主人といつも話しているのは、残りの人生を楽しもうということと、何か世の中のお役に立つことをしようということだとか。

人生を楽しむ為に、好きな温泉巡りをして、大好きな犬を何頭も飼っているそうだが、この犬たちというのは、実は盲導犬を引退した犬たちなのだという。

盲導犬は歳をとると、引退して余生を過ごす為に一般家庭に引き取られるのだが、引き取っても2~3年くらいで寿命が尽きるため一緒に過ごすのはそれほど長くはないそうだ。

「ついこの間も一頭を見送ったのよ。やっぱり寂しいわね」とおっしゃって、「でも犬が好きだから、短い間でも一緒に居られることが幸せなの。犬は文句ひとつ言わないしね。その点、人間はだめよ。文句ばかり言って」と続けた。

この時、女性の目に涙が浮かんだことに気づいたが、それは汗では無かったと思う。

さらに「二つの目が見えて、二つの手が動かせて、二本の足で歩けるのだから、元気なうちは、この身体を使って社会の役に立つことをしたいと思うの」とおっしゃった。

それは特に気負った風でもなく、ごくごく自然におっしゃって、なんて素敵な女性なのだろうと思った。

こんな風になりたいなぁと思うような本当に素敵な人だった。

最後に「今とっても幸せなの。生きているだけで本当に幸せ。だってこうして温泉にも来れるでしょ!」と笑顔で話すと、湯船を出て行かれた。

この日は、記事に書きたくなるような、ささやかな幸せを喜べる方に、ほかにもまだ会ったのだが、長くなるのでいつかまた書こうと思う。

 

 


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